世代間の意識のズレですむ問題か?

 九州でも梅雨が明けたというきょうは、朝からひとっ走り図書館へ。借りてきたのは、寝苦しい夜のための本3冊

「世の中にひとこと」(池内紀・著 NTT出版ライブラリーレゾナント 2009年)
「漱石の長襦袢」(半藤末利子・著 文藝春秋 2009年)
「自転車ぎこぎこ」(伊藤礼・著 平凡社 2009年)


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 今日の朝日朝刊オピニオン「論争」のテーマは、「君が代規律条例」だった。論争をするのは、野中広務さんと大阪府知事・橋下徹さんだ。ざっと読んでも野中さんの発言は論理的だしよく理解できるし同調もできるが、橋下さんの主張は納得しかねるところが多々ある。
 橋下さんはルールという言葉を何度も使っているが、ルールなどというものは作る(決める)のは簡単だ。言ってみれば、便宜的にいくらでも作れるものだ。そんなルールを、橋下さんは絶対視しすぎているように思う。「君が代」で常に問題になるのは、橋下さんが言うところの次の部分である。

 『日の丸・君が代を戦争の象徴だと思うのは自由です。 《思うのが自由なだけでなく、そう主張する自由もある》 でも、教師が何でもかんでも自由に教えていいかといえば、それは違う。 《そうともいえるが、どの教師も言われたとおりのことだけ言われたとおりにしか教えないなら、教師はロボットでいい》 学習指導要領で日の丸・君が代は「国旗・国家だときちんと教えましょう」となっている。 《それで?》 教育委員会が儀礼の所作として規律斉唱をやっていきましょうと決めたのに、不規律でもって自分の歴史観を子供たちに伝えるというのは言語道断。 《ここが問題だ。「日の丸・君が代を戦争の象徴だと思うのは自由」という前提では、上からの命令でも従えないものは従えないとする自由はあるはずでは?》 歴史観は一定のルールのもと、授業で教えればいい。 《これは危険な考え方だと思う。過去に学べば分かるはず》 』  *《 》内は私の腹の虫の声

 国歌斉唱のとき、私は起立はするが(それが国歌だから)、声を出して歌うことはしない(それが君が代だから)。「君が代」は大日本帝国の国歌だ。しかし、今は日本国である。国名は変えたのに国歌を変えないのは何故?
2011年6月28日 14:22 | コメント (0) | トラックバック (0)
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