答えのない問題

 朝日新聞(10/8付)朝刊の「時時刻刻」に、脳死臓器移植に関して臓器摘出手術がおこなわれたある病院の院長の話が載っていた。事故で意識不明で搬送された患者が家族の承諾で臓器摘出されるに至った経緯をひとりの医師が語っている。新聞社の取材に応じたのは、「臓器提供の背景に、家族の重い決断とそれを支える医療者がいることをわかってほしい」からだという。

 たった一つの例で全体を語ることはできないが、医療者がどんなに誠意を尽くそうと患者の家族は非日常の状態にいることに変わりはない。この例では、患者もその家族もそれまでに脳死移植について考えたり話し合ったりはしていなかったようだ。突然の出来事により問題を突きつけられたわけだ。改正脳死移植法では「家族が承諾すれば臓器を提供できる」という前提のもとでコトは進行する。つまりその前提のもとでしか思考できないということだ。

 「本人の提供の意思がないまま提供してと中傷されることが一番怖い」と言う家族が、どのような心境の移り変わりで臓器提供を承諾するに至ったのか。「どこかで生きていて」、「生きてたら息子は『(臓器提供を)やれよ』と言うてくれる」、「息子なら、どこででも生きていける強さがある」…等々の家族の言葉が紹介されているが(医師らは、そうやって家族は気持ちの整理をつけたのだと思いやったそうだが)、「家族が承諾すれば臓器を提供できる」ということが、「家族が承諾しなければならないのだ」と受け取られているということはないだろうか?
 私自身についていえば、非日常の状況の中で難しい問題に関して判断し決断するなどということはとても無理である。だからこそ、こうして常日頃からいろいろな状況を想定し、どう考えればいいのかを考えている。

 そういうふうに気持ちの整理をし臓器提供を承諾した家族は、それぞれご本人も脳死移植のドナーになるという意思表示を、その後するのだろうか?問題はその後にもあるのだ。
2010年10月 9日 11:17 | コメント (0) | トラックバック (0)
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