気がつけば7月に

 うかうかしていたらもう7月だ。そしてすでに3日。今朝の朝日新聞に、『本国での不人気はなぜ、「フランダースの犬」の謎に挑む」女性を紹介する記事があった。「フランダースの犬」は、第2次大戦後にアメリカが「日本の子どもに希望を」と普及させた本だという。その後日本ではアニメ版もできたのは多くの人が知っているだろう。しかし、アメリカで映画化されたものは、少年ネロが画家として大成するサクセスストーリーになっているそうだ。

 第2次大戦後にアメリカが「日本の子どもに希望を」と普及させた本だったと知って、なるほど…と思った。アメリカは、日本という国、国民をよく研究したうえでこの本を普及させたといことがよくわかる。多くの日本人はあの結末に涙する。そして感動的な物語だと言う。でも私は、ストーリーが教訓的で好きではない。

 「串田孫一集8」を先日から読んでいるが、なかなか読み進めることができない。やっと昨夜、1943〜1946年の日記を読み終えた。いろいろと思うところがあったのだが、その中のひとつに、アメリカが意図的に日本にひろめたのに大ヒットした「フランダースの犬」と通じる事柄があった。

 1945年9月の日記に、串田孫一さんはこんなことを書いている。「米兵は別にそれ程恐ろしいことはなく、アメリカ人らしく愛想を振りまいています。(中略)僕はこれらの米兵に対する日本人の軽薄が目についてかないません、憤慨しています、(中略)米兵から三、四十円で買った煙草を、皆大っぴらで自慢そうにのんでいますし、帽子を横かぶりしているのをその儘真似している人が実に多いのです、矢張り日本人の方がだめなのです。(中略)こんな有様は見ない方がいいのです。見たところで何にもなりません。それよりラジオを買って、新派だの歌舞伎だのを聞いている方がよいと思います。(後略)」…と。

 話を「フランダースの犬」にもどすと、原書を読んでないのではっきりしたことはわからないが、アメリカの手によって日本に普及された「フランダースの犬」は、たぶん「日本人向け」、「こども向け」なのではないだろうか(機会があれば原書に忠実な訳本を読んでみたい)。それに感動しただの涙しただのというのは、串田孫一さんがその日記で憤慨しているところの軽薄でダメな日本人と同じである。

 かく言う私も日本人だ。だからこそ、思慮深くありたいと常に思っている。付和雷同だの迎合などというのは断じて受け入れたくないと思っている。
2010年7月 3日 12:50 | コメント (0) | トラックバック (0)
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