この感覚

 少しずつ読み進めている「串田孫一集5」も、1961年初版の「古い室内楽」まで来た。最初に感じた少々の戸惑いやちくちくする心の痛み、いとおしさなどは影をひそめ、俄然楽しくなってきたのである。
まごいっちゃんのユーモアがここかしこに散らばっている。夜更けにひとりでクスッと笑ってしまうこともしばしばだ。

 時代がすこぅし落ち着いてきたことや、年齢的なこともあるのだろうか…。社会に対して突っ張ってみたり、人知れず涙してみたり、時には皮肉のこもったユーモアを発してみたり…。ますます、私のいとしの孫一さんとなっていく。

 その「古い室内楽」に、「こわれる」という随筆がある。それはこんな言葉で始まる。
『茶碗がこわれ、ガラスがかけ、上衣の肘に穴があき、私の生活に使う道具の中からは、考えてみると毎日のように落伍者が出る。電球が切れ、水道の蛇口が悪くなって水がきちんととまらなくなる。』

 ”落伍者が出る”というこの言葉の感覚。これこそが串田さんの串田さんらしいところ。そして、私が好きなところ。
2010年5月25日 18:41 | コメント (0) | トラックバック (0)
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