嵐の朝に

 吹き荒れる風の音で目が覚めた。蕾が膨らみ始めた桜の木が震えている。確かに予報でそういっていたが、こんなにひどいとは思わなかった。今日は、春分の日。

 朝日新聞朝刊「おやじのせなか」は高橋源一郎さんだった。この人と私はほぼ同世代。小学生のとき親に連れられ夜逃げ、母親の実家に引き取られ、1年後には家族が再会するも、すぐに父親は会社をクビになりまたもや親の実家に、それも兄弟別々に、そして数年後再度家族再会、その後もあれやこれや。
 あの時代、この人の家族がことさら特別だったわけではないだろう。まだまだ社会自体が貧しい時代だった。そんななかで、苦境になるとベレー帽を被り絵を描いていたという画家志望だった父親のことを、高橋源一郎さんは「失意のときこそ、幸せだったのかも知れません」と言う。

 私の「おやじ」さんは、今でいうところの商社マンだった。1ドルが360円だった頃に海外出張もし、定年後は子会社の社長になり、その後も懇意にしていた会社の相談役のような職を得、晩年は3人の孫の様子をワープロで綴り、離れ離れに住むようになった娘たちを繋いでいた。
 カメラやゴルフといった贅沢な趣味を楽しみ、社会的にはそれなりの(あるいは、それなり以上だったのかもしれないが)人生を送った「おやじ」さんだが、どんなときに幸せだったのだろうか。そもそも、幸せだったのだろうか。

 明治生まれの男は、”おんなこども”とはまともに話をしないものらしい。ずっとそう思っていた私が、父親と対決し話らしい話をしたのは、たった一度だけ。”家を出る”と宣言したときだった。世間の常識からすれば親不孝な娘が、いまさら「おやじ」は果たして幸せだったか?などと考えても仕方がないのだが…。
2010年3月21日 9:17 | コメント (0) | トラックバック (0)
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