冬ごもりの穴の中で拾い集めた言葉などなど

 「西暦で2010年という区切りの良い年を迎えると…」と、読売新聞の編集後記の筆者さんは年の初めに10年ごとを振り返り、10年後ごとを夢想している。私は西暦でいうとキリのいい年の生まれなので、今年はキリのいい年になる。 

 60年代はteenの時代というふうに、何かにつけてわかりやすい。わかりやすすぎて、時にどきりとする。今年は寅年だ。私の干支でもある。…ということは、…ということだ。何事もなければ80歳までは生きるとして、あと○○年だ。計算も簡単である。簡単すぎて、どきりとする。○○10年ごとの始まりは、すべての始まりとなる。さて、どうする!?

 とりあえずは、冬ごもりの間に拾い集めた言葉などなどを書き記しておこう。

※もっともすばらしいおもちゃは、退屈という無から、無我夢中という無をとりだして見せてくれるようなおもちゃである。

※存在するとは、理路間然するところがないということとはちがう。「どういうわけか」、あいまいで、ぶしつけで、不作法なのが、存在するということなのだ。

※何もすることがないときは、言葉で旅をする。1冊の本と1杯のコーヒー。騒がしい街の店のかたすみに座って、一人ぶんの沈黙を探す。

※猫は、人との1歩の距離を生きる生きものである。

※地下道には、いま、ここというものがない。いま、ここという感覚が失われてしまえば、じぶんなんてものは、あっさり見失われてしまうのだ。

※読まれるまえの本は沈黙している。ひっそりと沈黙した本のならんでいる本屋が好きである。本の沈黙が聴こえてくるような本屋が、好きだ。
2010年1月 3日 12:30 | コメント (0) | トラックバック (0)
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