辞書を引くということ

 まぁねぇ〜、いろいろな考え方はあるとは思うけれど…。情けなくって腹立たしくってやりきれなくって…。何の話かといえば、「高校の教科書 広がる難易度」という昨日の朝日新聞の記事の話。
 高校の教科書であるからある程度の難易度の差があるのは当然とは思うが、難易度の高いものは難関大学受験向きというのもどうかと思うし、難易度の低いものはひたすら平易追求型担っているというのもどうかと思う。

 たとえば英語の教科書では、難関受験型は受験対策の内容ばかりで(したがって文学はほとんど扱っていないそうだ)、平易追求型は目も当てられないようなお節介教科書(辞書なしで読めるようにと英単語には訳語が添えてあり、発音記号の後にはカタカナで読み方まで載せてあるそうだ)になっている。そうしておいて、大学でのテキストは中高レベルのものになっているという。

 根本的なところで大きな考え違いをしているとしか思えない。辞書を引くということの重要性がわからないのだろうか。学ぶとは辞書を引くことだと極言してもいいくらいである。ピッポッパッの電子辞書はだめである。昔ながらの分厚い辞書でなければだめである。英語の辞書も国語の辞書も、である。

 中高レベルの内容を復習しなければついていけないような学力(何を学力というかの議論はちょっと置いておいて)しかない人は、本来は大学にいく必要はないのである。大学側も単に生き残りのために(経営の問題としての)そういう人でもいいからと合格させてはいけないのだ、本来は…。

 本当は多くの選択肢があるはずなのに、それを無くしてしまったところが問題なのでは?本当は…。親も子も、せめて高校くらいは出なければ、せめて大学くらいは出なければ、せめて大学院くらいは出なければ…と思い込まされている。目を向けなければならないところには目を向けず、後手後手に対応策ばかり練っても仕方がないと思うのだが、高校の教科書が難・易二極化してしまうところにまできてしまった。なんだか世も末だ…という気がしてきた。
2008年4月 3日 8:53 | コメント (0) | トラックバック (0)
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