公とは?

 「裁判に間に合わない」と「特急列車を止めた」副検事がいたそうだ。「裁判に間に合わない」事態になったのは、降りるべき駅で降りず乗り過ごしたからだという。居眠りしていたのか何かに夢中になっていたのか勘違いしたのか、そこらの事情は不明だが、乗り過ごしたのはあくまでも本人が責任をとるべき本人のミスである。 ところが、その副検事さんは車掌に「何とか止めてもらえないか」と申し出たそうだ。
 一方、車掌さんは輸送指令室に相談したそうだ。その結果、次の駅で臨時停車して降ろしてよしとなったそうだ。そう判断した理由は、「裁判関係者への影響を考え、社会通念上、許されるケースである」と考えたからだという。
 これには私は異議がある。結果ではなく原因で判断すべきことを、結果から判断したのは間違いだと思う。次の停車駅で降りてタクシーを飛ばすなり、パトカーに泣きつくなり、あるいは裁判に遅れて周りに迷惑をかけて謝罪するなり、何なりとすべきことだし、そうすることが乗り過ごしたという自分自身のミスの責任をとるということではないか。
 公の仕事に携わっているのだから、それに支障をきたさないように便宜を図ることは社会通念上許されると判断したということだろうが、そんな”社会通念”は一体どこにあるのか。
 近々、裁判員制度が始まるといわれている。そのとき、裁判員に選ばれた人(一般人)が慣れない場所(裁判所)へ赴くとき、同じような状況になったら同じように便宜を図ってくれるのだろうか。
2008年1月29日 8:32 | コメント (0) | トラックバック (0)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/98211805

この記事へのトラックバック