ワケワカラン

 来年から裁判員制度が始まることになっている。それにあわせて民放連は「裁判員制度下における事件報道について」の基本的な考え方をまとめたという。「被疑者・被告人の主張にも耳を傾ける」「一方的に社会的制裁を加えるような報道を避ける」「公正で開かれた裁判であるかどうかの視点を持つ」等々、なのだそうだ。
 裁判所のあの高い壇上に座っている裁判官といわれる人たちは、日常的にテレビのニュースを見たり新聞を読んだりはしないのだろうか?社会人ならまさかそんなことはないだろう。裁判官はそういったものに影響されることはないが、裁判員(つまり普通のおじさんやおばさん、わかもの、としより)は影響されるに決まっているから報道を自主規制しようというわけ?なんだかおかしな話だ。そもそも裁判員制度を取り入れようとしたのは、裁判に一般人の感覚をということではなかったのか。

 同じような事例でも裁判官によって判断が異なるというのは多々あることだ。それは何故かと考えてみると、裁判官の考え方がそれそれ違っているからだと思われる。人は言語で思考しているとしたら、見聞きした言語の違い、その受け取り方の違いだろう。言語はその社会を反映して生まれるとしたら、その社会に規制を設けることはおかしな結果を招くのではないか。

 先日も、一般人の多くが新たにできた危険運転致死傷罪に値すると判断するだろうと思われるような事例に対して、裁判官は『業務上過失致死傷罪と道交法違反(酒気帯び運転、ひき逃げ)』と判断した(福岡市の飲酒運転追突事故、3人の幼児が死亡)。裁判官の判断は、被告は酒に酔っていたが事故現場まで異常な運転はしていないし事故直前にはブレーキをかけハンドルも切っているから危険運転致死傷罪には当たらないというものだ。これでは、一応まともに運転できれば飲酒運転をしてもよいと受け取られかねない。
 飲んだら乗るな乗るなら飲むな(飲ませるな)は世間一般の常識である。被告の弁護人は被告の権利を最大限に主張するのが仕事だとしても、裁判官は公正な立場のはず。その判断基準は大多数のものが納得のいくものであるであるべきではないか。この判決を出した裁判官の考え方はどこから導き出されたものなのか。 裁判員制度で何を目指したいのか、全くわからないような出来事ばかりである。
2008年1月18日 9:18 | コメント (0) | トラックバック (0)
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