アメリカ的思考

 新聞記事によると、先日のアメリカ・フロリダ州の高校での銃乱射事件をうけて開かれた高校の生存者や遺族との話合いのなかで、訓練を受けた教員や学校職員に構内で銃を携行させる案が出たという。それに対しトランプさんは「解決策になり得るアイデア」だと評価したそうだ。銃規制を訴える人々もいる中で、全米ライフル協会は銃規制はもちろんのことライフルやショットガンの購入年齢の引き上げさえ、「憲法で保障された自衛の権利を奪うことになる」と主張しているという。いかにもアメリカ的思考だなぁと思った。
 私は自衛の権利という言葉にとても引っかかる。日本でも、自衛の権利として自衛隊が現に存在しているが、憲法の中にその言葉があるのかどうかは良く知らない(たぶん無いと思うが)。何人も犯してはならない生存権というのは確かあったと思う。
 自衛の権利のもとに銃社会が成り立っており、それはアメリカの伝統であり文化であるということなのだろう。だからこそ、多くの人が銃乱射事件で亡くなっても、ソレが何度も何度も繰り返されても、銃規制をしようということにならないのだろうと思う。辞書を引くと、伝統とは「自信と誇りを持って受け継ぐ」ものだと書いてある(コレは手ごわいぞ)。文化とは「その人間集団の構成員に共通の価値観を反映した物心両面にわたる活動の様式」だとある(これは変化していくものだよ〜、変えていけるものだよ〜)。
 自衛の権利があるからと銃を持てば、必然的に撃たれる前に撃つということになる(先に撃たなければ銃を持っている意味がない)。ある意味では原始的社会だなぁと思う。生存権という言葉に変えて考えれば、互いに相手の生存権を侵害したり奪ってはいけないということを理解しやすいではないか?人の命はたとえようもなく尊いもので尊重しなけらばならないというのは、世界共通の価値観ではなかったか?若い人の命をむざむざと失ってはいけないということを、アメリカは過去の戦争から学んでいないのだろうか?

2018年2月23日 8:43 | コメント (0)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。