8年という月日

 お正月も早々と過ぎ去り、今日からあらゆるものが動き出す。私の朝一番の仕事は可燃ゴミ(10ℓの袋を2個)を出すことだった。毎年迎えるこの日、私は変わらず同じことを繰り返しているのだろうか…と、2010年1月4日のブログを読み返してみた。その日は山田稔さんの「書棚の片隅」という散文について書いていた。
1.「新刊書を買って読む機会がめっきり減った」
2.「新刊書までも読む時間と体力(視力)が無くなったのだ」
3.「むかし読んで深く心を動かされた本を再読するだけで、精一杯である」
4.「好きな古い本を気分にまかせて、もっぱら自分の楽しみのために読み返せばよい」
5.「さいわい、中身はあらかた忘れていて、いま読んでも新鮮」
6.「そんな情けないような有難いような年齢に、やっと到達したのである」 
 今年の私でもこの時の山田稔さんの年齢にはまだ達しないが、それでも1〜6のすべてにほぼ同感である。ほぼというのは、情けないような…はまさにそのとおりであるが、有難いような…という想いにはまだ至っていないからだ。ついでに見ると、その前日のブログには意味深長な言葉が並んでいる。
 今はもう「冬ごもり」をしても、コレといった言葉を拾い集めることができない。やはり広い意味では、情けないような年齢に達したのかもしれない。

2018年1月 4日 9:44 | コメント (0)
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