「本」を読む量の減少

 みすず書房のニュースレターの「壱岐坂だより(みすず書房のスタッフが交代で書いている)」にこんなことが書いてあった。
変化に戸惑い、愚痴るのは老化のあらわれですが、「本」を読む量の減少に気づきはじめてからは、愚痴とばかりは言っていられません。デジタルの時代、変化を嫌うならば、読書の時間は増えても良いはずなのに、です。時間が無いというのが定番の言い訳ですが、一冊も読んでいない月も出てくるようになると、焦りを感じます。「近頃どんな本を読んでいるのか」というなにげない会話にも、いらぬ緊張を強いられることになります。ほかの言い訳もありますが、すべて自分への弁解でしかなくさらに落ち込みが増します。
買うことでプレッシャーをかければ読むかと思い、書評で紹介され、気になる本を購入しますが、実はそうでもなく図書館で借りて、返却期日を気にしながらという方が進んだりもします。先日、購入したある一冊に「本が好き」と書かれた栞が挟まれていました。そっと書店の方が入れてくれたようですが、簡単に「本が好き」などとは言っていられない現在の心境です。

精神衛生と今後のためにさらに理由を考えてみました。物理的な「老化」がもっとも無難ですが、実は、最も大きな理由は日常生活のなかで文字情報を読むことが多すぎるからだとは感じていました。メールのやりとりや情報収集、通販サイト、数限りありません。契約さえもがサイト上でとなれば、いやがうえでも文字(情報)を読み理解しなければなりません。同意しなければその先に進めないので、同意内容までチェックします。もともと人の言うことを素直に聞けない性格ですから、簡単に同意はしたくなく、ますます文字を読み理解するという労力は増え続けます。速すぎる変化へ懸命になって対応したあげく時間はかさみ、疲れていく。私にとってはこれが最大の原因なのです。

大学生が本を読まないと嘆く声は多く、事実読書量は多くはないでしょうが、「なぜ、本でなければいけないのか」と問われれば、知識は本でなければ身につかないと説得力のない答えを用意するしかありません。逆に「なぜ、本でなければいけないのか」と素直に言えることへのうらやましささえ感じてしまいます。今年もJRのダイヤ改正を直前に控え、購読を続けてきた「時刻表」からも遠ざかっているこの頃、ただ「本が好き」と語れる日が来るのを待ちわびています。(mh)

 すぐに手にすることができる場所に置いた「台所のラジオ」(吉田篤弘著 角川春樹事務所ハルキ文庫)と「植物一日一題」(牧野富太郎著 筑摩書房ちくま学芸文庫)を横目でちらちら見ながら、毎日うつうつとした気分に陥っているこの頃である。

2018年3月14日 7:10 | コメント (0)