9月の新学期

 東京新聞「筆洗(8/28)」に、『残念ながら、新学期の到来を告げるチャイムが耐えきれぬほど重く暗く聞こえる子どもがいる。内閣府の調査によると過去、新学期が始まる地域の多い九月一日は十八歳以下の子どもの自殺が最も起こりやすいという』…とあった。その9月1日はすぐにやって来る。学校という場所は、なぜそれほどまでに子どもにとってつらい場所なのか…私は今以てわからないが、誰にでも、やがては、いつかは、「学校へ行こうかなぁ」と思える時が来ると私は思いたい。
 中高一貫女子校の高1の4月新学期から、私にとって学校は耐え難いほど辛い場所になっていた。登校拒否という言葉も不登校という言葉もなかった時代である。休んで家にいても、耐え難いほど苦しいのは同じ。自ら望んでというわけではなかったが、私はカウンセリングを受けることになった。初めは全身全霊で拒否していたが、ある一瞬その医師と私の間に細い糸が1本つながった。この大人は信用してもいいかもしれないと思った瞬間であった。
 信頼関係ができれば、多くの言葉は不要である。私は思うことを書き連ねたモノを持っていくだけ、真摯に私と向き合ってくれた医師は私の前でそれを黙って読むだけ…という面会が続いた。そして夏休みが終わろうとしていたある日、私は突然「9月から学校へ行こうかな」と思い、何の説明も付けずそれを伝えた。医師からはひとこと、「その言葉を待っていたんだよ」と返ってきた。私は無言でうなずいた。
 再び行き始めた学校に変化があったわけでもなく、私の何かがが変わったわけでもない。だたその時が来ただけだったのだ。私のまわりに信用できる大人がいないのもこれまで通り、学校がつまらない場所であるのもこれまで通り。ただ、そういうことはどうでもよくなっていた。ツマラナイ授業を受け、家では時間を忘れて数学ばかり勉強していた。女子高しか知らないような先生とは全く違う、公立を定年で退職し女子高に来たオジイチャンの数学の先生に認められ、たとえようもなくうれしかった。自信になった。 
 『悩む子どもは大人に助けを求める「キンコンカンコン」を鳴らしているはずである。ただ、その音は極めて小さい。感度の良い耳を備えたい。大人の夏の最後の宿題である』…と、東京新聞「筆洗」の筆者は言う。大人に自分の問題と捉えよといっているのだと思う。学校としてはどうのこうのとか、指導がどうのこうのとかではだめだということではないか、と思う。

2017年8月29日 8:51 | コメント (0)

丸の内を行く

 丸の内といえば、暑い夏の日も雨の日も、台風の日も雪の日も、仕事に行く人々が足早に行きかう場所である。看板のない高層ビルがそびえている。その丸の内にある銀行の本店へ用を済ませに出かけた。メモした地図を頼りに、見当をつけて歩くと、ほどなくそのビルらしきものが見つかった。それにしても大きなビルだ。見上げるとふらつきそうだったので、前を見て歩く。本店のフロアはビルの大きさに比例して広々としていた。その一角に外貨両替コーナーはあった。
 近くの銀行支店では、外貨はセット販売のみだという。セット販売では必ず少額紙幣が混じる。旅行ではない場合、小額紙幣は不要だという。空港にも必ず外貨両替コーナーがあるが、予め時間のある時に両替をしておきたいという。そんなこんなの事情で〇菱〇京〇〇〇銀行へ。店内がすいていたこともあり、すぐに用は済んだ。行員が目の前で紙幣を数えて見せるので、自分で数えて確認する必要もない。
 ビル、ビル、ビル…を脱し、イチョウ並木を通り抜けるとすぐに皇居前だ。気候の良い季節であればちょっとお散歩という手もあるが、この暑さではそんな気は微塵も起きない。丸の内だ、東京駅だ、さぁ帰ろう…、であった。

2017年8月28日 14:51 | コメント (0)

本づきあい

 立派な本棚にずらりと本を並べる蔵書家と呼ばれる人たちがいる。それらには蔵書印がしっかりと押されている。本の数がどんなに多くても、部屋中に積み上げてあるだけでは蔵書家とは呼ばれない。読んだ本の数を誇る読書家と呼ばれる人たちもいる。ひと月に何冊、1年に何冊と目標を決めて読んでいく。目標などなく、ただ本を読むことが好きで、常に何かを読んでいるという人もいる。
 私はそのどちらでもない。人づきあいは全くよくないが、本づきあいはいいのである。子どもの頃に外で遊んだことがない私は、当然の結果として人づきあいがよくない。家にはなんとか全集のようなものがたくさんあったので、読むことには事欠かない。近所の本屋のおばちゃんが毎月届けに来るのは、暮らしの手帳と文芸春秋である。どうかと思うが、母親は家事はまったくしないのに文芸春秋を読む人であった。かくして私は人づきあいは苦手だが、本づきあいは自然にできるようになったのである。
 まもなく夜長月である。読みたい本リストで順番待ちをしているものの中から、まずは「植物一日一題」牧野富太郎著と「台所のラジオ」吉田篤弘著を買おう。久しぶりに大きな書店へ行って買おうか…。大きな書店には本の検索ができるPCが置いてあるが、私はどこかなぁ?このあたりかな?と探すのが好きである。そして見つけたときには、オッ、ありましたありました!といそいそと手に取りレジへ急ぐのである。

2017年8月27日 9:04 | コメント (0)

夏の眩暈

 暑い夏は、2年に1度ほどの割合で大規模な眩暈に見舞われる。小規模な眩暈は、ちょこちょこ起きる。念のため、すぐに飲めるよう薬を用意している。ところが、この夏は猛暑続きにもかかわらず、あまり眩暈が起きないのである。
 眩暈の原因となるのは、疲労・ストレス・睡眠不足等々といわれる。この夏は特別忙しく疲労困憊することも多かった。ストレスも多い日々である。そんな状況でこれまでと違っていたことといえば、ストレスを逃すのが少し上手になったことと、疲れたらとにかく寝る、何時であろうが寝るを実行したことだ。
 そもそもストレスの原因となるものを除去するのは困難である。ストレスはどよんどよんと体内に充満していくが、それを気化させるように体内から逃すのである。(諦めあるいは悟り)→(消化あるいは気化)→(精神的安定)
 人はそれをわがままというかもしれないが、主婦業の営業時間を決めることはいい効果をもたらす。若い頃のように、真夜中でも午前様でも起きて帰りを待つなど、もう無理。そのうち眩暈が起きるカモ…と思いながら毎日を過ごすのは、それ自体が大きなストレスとなるが、そう思うことがなくなった。(油断禁物)

2017年8月26日 9:02 | コメント (0)

祝日化

 「超党派のスポーツ議員連盟」のメンバーにどういう議員がいるのか私は知らない。知らないので何とも言えないが、どのような思考をすればこういう結論が出るのだろうと不思議に思う。「東京五輪の開会式、祝日に 20年のみ 法改正案提出へ(朝日新聞記事より)」…だという。
 五輪開会式の当日は、混雑が予想される首都圏から国民を追い出したいらしい。『混雑の緩和策として通勤・通学や経済活動を大幅に抑えられる開会式当日の祝日化が有効だ』と判断したそうだ。ひどい話である。
 東京で開催すれば混雑することは、初めからわかっていたことである。今さら何をおっしゃっているのだか…。大切なのは各国要人と世界中から集まる観光客であり、都民は邪魔者扱い?ではないか。内閣官房幹部(誰のこと?)も「祝日化は最適な手段だ」と賛同しているという。ふざけた話である。 
 誰のためのオリンピックなのかわからないではないか。祝日にするから家でテレビを見ていろとでもいうのだろうか。目的は混雑の緩和で、祝日化が手段である。しかも最適な…である。どう考えても人を馬鹿にした話である。そんな祝日はいらない。私はそう思う。

2017年8月22日 20:35 | コメント (0)

タンデム

 マンションのベランダ(中層階)にはさまざまなお客が来る。スズメやハトは年中だが、今の季節ならセミだ。ひと休みに来るのもいれば、一生を終える場として来るのもいる。カマキリが手すりの上から室内を観察しているのに出くわすこともある。昨日は珍客が来た。
 ベランダの手すりの桟になにやらいたので見るとトンボらしかった。しかし、様子が変である。脅かしてはいけないので室内から目を凝らし観察したのだが、よくわからない。さらにじっくり観察すると、トンボは2匹いたのだ。しかも絡まって…。トンボといえば水辺だと思っていた。それが、ベランダの手すりの桟につかまっていたのだ。脅かされたのは私の方だった。
 カマキリなら平気で目を合わせられるが、トンボは…怖いというか苦手である。昆虫採集の経験もない。昆虫図鑑はあまり見たくない。つまりトンボについては何も知らないに等しい。せっかく貴重な現場を観察できたのだからと、ネットで検索してみた。アレは不均翅型タンデムという状態らしい。時まさに夏休みの終盤である。小学生でもいれば、それ〜、自由研究だ、トンボの観察だぁ〜となる場面だろうか?

2017年8月21日 8:57 | コメント (0)

更迭・解任・辞任

 顔も名前も覚えきれないうちに、次々と人が去っていく。そしてひとりになった大統領のまわりに残ったのは家族だけ…と。つまるところ、うまくいっていたのは利害が一致していたあいだだけ。信頼関係など微塵もなかったということか。アメリカのハナシである。
 見方によっては日本もよく似たものであるが、日本の場合はできの悪い政治家を要職につけた結果、あまりにも出来が悪かったから更迭・解任・辞任となる。いやいや、信頼関係がないところも、互いの野心が一致していたあいだだけうまくいくところも、日本もアメリカと似たようなものかもしれない。
 グアムにミサイルを撃ち込むと公言しているあの国も似たようなものである。この国はさらに強烈で、更迭にとどまらず処分という恐ろしいものまであると言われている。
 なぜどこの国でも政治がうまくいかないのか…世界が狭くなったのか…、簡単な話ではなさそうだ。たとえば、2020年の東京オリンピック。やりたければやればァ?東京オリンピックなんだから東京でやるんでしょ?千葉も会場とするなんてやめてよね?…といった具合である。筑地の豊洲移転もいまだにすったもんだのすったもんだである。
 つまるところ、今はどこにも真のリーダーがいないのだ。必要なところに真のリーダーがいれば、うまくいくはずだ。たとえば、新潟県中越地震が起きた時、旧山古志村の村長だった長島さん。『被災直後から陣頭指揮を執り、全村避難を即決。強いリーダーシップで村民を引っ張り、その後の復興につなげた(東京新聞記事より)』と評されている人である。真のリーダーに求められているのは、何を第一と考えているかである。長島さんは村民の命を第一とした。我らの国のあの方はどうだろうか?(ご自分の手柄?)、アメリカの大統領はどうであろうか?(アメリカの金銭的利益?)似非リーダーと言っては言いすぎか…?

2017年8月20日 13:46 | コメント (0)

呼び名

 昔話の世界では、「花咲じじい」「こぶとり爺さん」「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に…」とさまざまな呼び方をしている。私が子どもだった頃は、おじいさん(ちゃん)・おばあさん(ちゃん)が一般的だったように思う。場合によっては爺さん・婆さんだったり、爺・婆であったり、おじいさま・おばあさまであったりしたかもしれない。
 今では、じぃじ・ばぁばが幅を利かせている。いつからそうなったのか、何がきっかけでそうなったのか知らないが、気がつけばどこもかしこもじぃじばぁばである。そして、そう呼ばれ自分でもそう名乗り喜々としている人がいかに多いことか。それはそれで構わない。人様のことであるし自由である。
 私が嫌だなぁと思うのは、この岩手県大槌町から生まれた数独練習帳、「じぃじとばぁば ようこそ数独!」が遂に全国発売である。出版はニコリ。『まったく数独を解いたことがない方、特に高齢者の方のための数独問題集です。全体の半分以上に数字が入っている、とてもやさしい数独を40問集めました。』というものである。百歩譲ってそういう本をニコリが出してもいいと思うが、題名が虫唾が走るほど嫌なのだ。何故そんなところにじぃじばぁばをつけるのよ?というわけである。「全体の半分以上に数字が入っている、とてもやさしい数独」ならば幼児も遊べるではないか。わざわざ高齢者対象のような題名をつける必要があったのか?諂いなのか?…。平たく言えば、感じが悪いのである。
 じぃじばぁばという呼び名に好印象を持っていないからそう思うだけなのかもしれない。「シニア生涯学習の教材」だというから、じぃじばぁばが数独って面白い!と楽しんでいればそれでいいのかもしれない。そう、それだけのことなのかも知れない。「でもねぇ…、じぃじばぁばともてはやされて喜んでいるじぃじばぁばが私は嫌なのよぉ…」というだけのことかもしれない。そういうことにしておこう。そういうアンタは何なのよ?と問われれば、私は○○○○○子だと答える。つまり、そういうことである。

2017年8月19日 8:31 | コメント (0)

台所のラジオ

 吉田篤弘さんの短編集が文庫になった。角川春樹事務所という出版社?…。さっそく欲しい本リストに加えた。「台所のラジオ」という題名を見ただけで、様々な情景が思い浮かぶ。
 キッチンではなく台所というから昭和だろう。昭和時代が良かったとか懐かしいとかいう気は毛頭ないが、私の半分強は昭和である。台所はかつて土間だったところに床板を張ってあったし、ガスで沸かすお風呂ではあったがたき口は台所側にあった。
 「台所のラジオ」に描かれている台所はそこまで昔ではないだろうが、台所と呼ぶにふさわしい雰囲気なのだろう。久々に読んでみたいなと思う本である。早い夜更け(9時前後?)に読みたい本である。眠りに落ちる前に1話ずつ。

2017年8月17日 8:22 | コメント (0)

知らなかったあれとこれ

 「ガースー」とは、官房長官のネット上での呼称だそうだ。ご本人はご存じだったというが、私は知らなかった。全く…知らなかった。枕詞は「安定の」だというから、これはどちらかというと愛称に近いのかもしれない。
 センテナリアンという言葉は、いつから巷にあふれていたのか私は知らない。今朝の新聞で初めて知り、調べてみるとあちらこちらで使われているようだ。今ではもう何万人といる100歳以上の人(百寿者では正確な日本語訳とは言えないか?)のことである。なぜ片仮名のセンテナリアンを使うのか、私は疑問に思う。centenarianと英語で表記してあれば100年は1世紀だからとわかるが、片仮名のセンテナリアン(千手成庵?)では「何?それ…」である。そう思うのは私だけで、いまどきの方々は舌も咬まずにセンテナリアンを連発できるのだろうか…。”めざせ!センテナリアン””我ら、センテナリアン!”…こんな標語は嫌である。
 言い忘れていたが、私は片仮名が苦手。読めない。いや、読めますよォ。でも、長い言葉になると、順序が入れ替わったりしてすんなり読めないのだ。外来語(特に英語)は原語で書いてあれば読みやすいし意味もわかりやすいのに…。

2017年8月15日 8:27 | コメント (0)

きょうは…

 目覚まし時計が鳴る直前、夢を見ていた。火事の夢だった。キッチンの壁から吹き出る炎を、私は必死に消そうとしていた。そばには数人の人がいたがどの人も動揺もせず火を消そうともせず、ぼんやりと立っていたり座り込んでいたりする。私は119番に電話をし、状況を懸命に伝えようとしていた。ふと我に返ると、なぜこんなに人がたくさんいるのだろうと疑問がわいた。そこにいたのは、すでにこの世の人ではない人たちだったのだ。
 私が生まれる前、長姉の下には妹と弟がいたそうだ。祖母の仏壇の横に写真が飾ってあった。今ではもう微かな記憶である。両親からその子たちの話を聞いたことはないが、疎開先で病死したと誰かから聞いた記憶はある。戦死した多くの人々のほかにも、こういう子供たちが数多くいたのだ。今も世界のあちこちではそれは昔のハナシではなく現実であるという事実。
 今朝もいつも通りに起きて、いつも通りにコーヒーを入れ、いつも通りに新聞を開くと、今日は8月15日であった。忙しさにかまけてすっかり忘れていた私に、今朝の夢は多くのことを思い出させた。

2017年8月15日 6:46 | コメント (0)

始まる

 始まるって何が?かというと、毎年恒例のお盆休み。乗車率200%の新幹線など乗りたくないし、渋滞に次ぐ渋滞の高速道路も嫌だし…などという人は家にこもっているに限る。家にこもってラジオなど聴く。しかし、最近はNHK-FMもしっかり夏休みを取るらしい。再放送がぐっと増えるのだ。そんな中でうれしいのは、夏休み限定番組だ。夜11時から始まる「クロスオーバーイレブン2017夏」である。ところが、ところが、あまりの忙しさにすっかり忘れていた。今日が最終日の第5回だった。今夜は聞き逃したくない。「そうですとも、聞き逃したくないのです」。
 今日も忙しい1日だった。朝から動きづめだ。9月から生活に変化があるため、その準備に明け暮れている。若い時の生活の変化は、「これから何かが始まる」変化だ。もう若くない者にとってはどうだろう。やはり、何かが始まるのだろうか。

2017年8月11日 19:55 | コメント (0)

度を越す

 本日の気温は午前0時27.8℃ 午前5時27.3℃ 午前9時30.7℃ 午後0時33℃ 午後2時34.1℃(最高気温は14:22の36.0℃) 午後4時31.9℃ 午後7時27.4℃と、真夏日と猛暑日で暮れようとしている。当然このあとは熱帯夜と続く。初めて真夏日、猛暑日、熱帯夜という言葉を聞いたときはかなり衝撃的だった。その時は、経験のない暑さだったはずだ。ところが近頃では連日連夜である。
 オゾン層破壊という言葉も恐ろしかった。恐ろしかったが、はじめはそうなの?という感じだった。ところが今では、オゾン層が破壊されていると身に染みて実感する。私の場合は加齢による白内障ではあるが、紫外線は苦痛だ。眩しくて、外出時はいつも目を伏せて歩く。太陽を背にして歩いてくる人の顔は黒い卵にしか見えない。  
 猛暑日が続くと食欲も落ちる。食事の支度も気力が失せる。そして、体重が1s減少した。BMIは19.90である。何が食べたい?と聞かれたら、私は島原のそうめんと答えるだろう。しかし、家人に夕食はそうめんでいい?とは、いくら私でも言えない。
 なんのかのと言いながら、ベッドに入れば5分と経たないうちに眠りに落ちる私である。目が覚めれば、また真夏日だ。猛暑日だ。夏だ。(嘆息ひとつ)

2017年8月 9日 20:07 | コメント (0)

年に1度は…

 スイカを食べたい。好物というほどではないが、年に一度は食べたいのである。丸ごと1個は多すぎる。カットして売られているのもあるが、おいしそうに見えないので買えない。一口サイズにカットされたものは、買う気にさえならない。これには深いわけがある。私には、スイカは井戸で冷やして食べるもの…という思い込みがあるのだ。思い込みというか、思い出のせいかもしれない。ぜいたくな…というか困ったものである。
 子どもの頃は庭に井戸のある家に住んでいた。田舎でもなければ農家でもない。都会である。まわりには井戸のある家などないのに、なぜか我家には井戸があった。その井戸に長いロープで縛ったスイカを垂らすのである。その頃も好物というほどではなかったが、暑い夏に食べる冷たいスイカのおいしさは忘れられない。
 年に1度は…という想いが募り募って、スーパーでカットしたスイカを買う。ワクワクしながら食べる。そして、スイカってこんな味だったっけ?と、買ったことを後悔する。困ったものである。スイカの季節になると毎年そうだ。それでも、年に1度は…、でも冷蔵庫で冷やしたって…、カットして売っているスイカなんて…、でも年に1度は…と心乱れ、日々葛藤しているのである。

2017年8月 7日 20:08 | コメント (0)

家計簿

 家計簿は、いちおうつけている。家計簿ソフトは使わない。本屋で売っているノートタイプも使わない。表計算ソフト(Calc)で自作したものを使っている。しかも何度も作り直している。最近も作り直した。
 お金の動きを記録し見るための家計簿なので、卵がいくら牛乳がいくらだったというような記載はない。いつの頃からか、現金での買い物がぐっと減った。スーパーでもカード払いだ。それに合わせて家計簿を作り直したわけである。
 なぜカードを使うことが多くなったのかとつらつら考えてみると、ATMの手数料が原因のようだ。なぜ自分のお金を引き出すのに銀行に手数料を払わなければならないのか。機械の使用料?窓口扱いをやめたのは銀行側の都合ではなかったか?等々、言い出したらキリがない。
 一目瞭然の家計簿を作りたいのだが、これがなかなか難しい。項目が多すぎるのだ。銀行も数行使っている。カードは2枚だ。現金払いも当然ある。一目瞭然の家計簿を作るのは、超激辛数独より難しいのである。

2017年8月 5日 8:15 | コメント (0)

おじいさん

 歯科医院の待合室でのハナシ。耳には集音器のイヤホン、たぶん後期高齢者のがおじいさんが受付を済ませソファに座ると、私たちに向かって話しかけてきた。待っていたのは私と幼稚園児を連れた女性。
 ○○(文化系の有名人、以下同様。それぞれの人から直々に講義を受けたことがあるという自慢話だったのか?)を知ってますか?知らない?じゃぁ話してきかせよう…と、頼みもしないのに講義を始めた。〇〇の次は△△は?××は?ととどまるところを知らない。私も若い女性も(緊急だったので予約なし)うんざりしながら軽くかわしていた。おじいさんが名前を呼ばれ、やっと解放された。と、思ったのもつかの間。エプロンを首に着けたままのおじいさんがよろよろとトイレに駆け込んだ。マァ、そういうこともあるだろうと思ったが、ドアを閉めずに用を足し始めたのには絶句。思わず顔をそむけた。
 夏休み中の電車でのハナシ。3人の女の子を連れた女性が乗り込んでドア付近に陣取った。上の子たちは幼稚園児くらいのたぶん双子。下の子は2〜3歳か。騒がしくはないが、一時もじっとしていない。すぐそばに座っていた若い女性は、資格試験でも受けるのか問題集風の本を熱心に読んでいたが、席を譲って場所を移動した。譲られた席に座った子たちはやはりじっとしていない。
 その隣に座っていたのがやはり耳には集音器のイヤホン、たぶん後期高齢者のおじいさん。子たちに小さな折り紙で折ったものをあげた。手に持った小さな折り紙のせいか、知らない大人に声をかけられたせいかわからないが、やっと少し静かになった。
 ふたりのおじいさんの姿には思うところが多かった。猛烈な歯痛を我慢して待っている場合だったら、私はできれば関わりたくないと思う。どんな場合でも、おもちゃを与えて静かにさせるのは感心しない。電車内は基本的に遊ぶ場所ではない(貸切りは別として)。
 そういう私も高齢者、やがては後期高齢者にもなるだろう。公共の場でどうあるべきか…は、常に考える。すぐに反応しやすくなる高齢者であればなおのこと、ひと呼吸おいて、一歩引いて行動するのがいいのかな…と思う。私はおばあさんになっても精神的自立をしていたい。私の理想は孤高を持すること。ふたりのおじいさんのように社会に(人に)役に立つ存在であろうとするよりは、孤高でいたい。まぁ、コレは理想を言えば…ということだけれど。

2017年8月 3日 8:17 | コメント (0)