三つ巴、三竦み、三本の矢、三角関係…と3のつく言葉はいろいろある。昨日までは、3個の台風が同時に日本に近づいていた。ノルー(5号)、ネサット(9号)、ハイタン(10号)である。3個の台風であるから、その関係は複雑で専門家でも予想が難しいらしい。どうなるのだろうと気にかかっていた。
 ネサットは、今日未明に熱帯低気圧に変わったそうだ。いちぬけた、である。残るのはノルーとハイタンだ。2個の関係も難しそうだ。牽制しあうか、協力し合うか…。どちらにしてもそれが台風の場合は安心できない。今年は、7月に入ってから8個の台風が発生している。ちょっと多いような気がするが…。
 ノルーは何をぐずぐずしているのか知らないが、21日に発生したというからすでに10日である。最初に発生した日時から最後に消滅した日時までの期間を「台風の寿命」といい、「台風の寿命」が長い台風を「長寿台風」というそうだ。人間であれ台風であれ、長寿であればいいというものでもないというところが、なんというか…、う〜ん、言葉の使い方は難しい。

2017年7月31日 13:28 | コメント (0)

コメントが来た!

 ブログを再開してすぐにコメントを頂いていた。今日になってそれに気づき、とてもうれしかった。遠慮はご無用、ほんのひとことで十分、私は大喜び。そして、元気になる。

2017年7月30日 9:20 | コメント (0)

にもかかわらず…

 東京新聞「私説・論説室から 天の川を見た夜」にあった言葉である。人が亡くなったとき、天国へ行ったとか星になったとか言う人がいる。それはそれで構わないと思うが、私はそうは言わない。泰山木(学名:Magnolia grandiflora)になりたいと密かに思っている。それはさておき…。
 「科学ではなく哲学の問題」とはどういうことなのか…。誰でも生きていく間には多くの困難苦難に出会うが、そういう時に願掛けに行く人もいるだろうし、ひたすら神に祈る人もいるだろし、わが身を呪う人もいるかもしれない。「もし○○なら」では先へ進めないが、「にもかかわらず…」であれば、人は必ず困難苦難を乗り越え先へ進めことができるに違いない…ということか。
 私はとっくの昔、10代の頃に、「もし○○なら」という考え方は潔く捨てた。だから、七夕に願い事もしなければ、願掛けもしないし神に祈ることもない。言葉にして考えたことはないが、たぶん私はいつも「にもかかわらず…」で来たのかもしれない。困難苦難を克服するのではなく、飛び越えるのである。エイッ、ヤァッだ。

2017年7月30日 8:56 | コメント (0)

コレが現実

 高齢者実態調査は平成28年度より対象者が65歳以上から75歳以上になり、私は1回だけ対象となったがそれきりとなってホッとしていた。今年もまた調査期間となり、私の住むマンションでも例年通り民生委員さんにより行われるはずだった。ところが、マンションの民生委員さんが急逝されたため外部の民生委員さんが代って家庭訪問したという。私はそれを知ってとてもショックを受けた。いつ何があるかわからない年齢だということは、頭ではわかっていても、常に意識はしていても、自覚はしていない。
 大阪では、寝たきりの母親を殴って死なせたとして息子が逮捕されたそうだ。母親は69歳、数年前から病気で寝たきりだったという。こういう事件もショックである。
 高齢者実態調査は、「介護が必要な高齢者に対して心身の状況別に、どのようなサービスが提供されているかを数量的に把握する調査を実施し、両者の関係を分析するための基礎資料を得ること」を目的として行われるという。でも、基礎資料とはただのデータにすぎないようだ。人の一生は、介護をサービスすれば心豊かに過ごせるというほど簡単ではない。
 年齢に関係なく、人はいつも「どう生きるか」を自問自答している。答えが出せればまだいいが、多くの人は自問し続けて一生を終えることになるのではないだろうか。かく言う私もまた然り。

2017年7月29日 14:41 | コメント (0)

空(くう)

 辞任を表明し、記者団から「今の心境は?」と問われた防衛大臣は、開き直ったようすでひとこと「「空(くう)ですね、空(くう)」と言ったそうだ。「その心境は?」と重ねて問わねばその真意はわからないほど、空(くう)という漢字の意味するものは多い。むなしいだったのか、からっぽだったのか…。
 聞いている側からすれば、仏教でいうところの実体・本質のないことか、中身・根拠がない何もないことか…と思える。
 空(くう)というのは「今の心境」というよりは、この方の存在そのものを表す漢字ともいえる。地元PRのためとはいえ、取っ替え引っ替えしている伊達メガネは、メガネがなくては生活できない身にとってはいい気はしない。辞任したからといって今さら私たちが失うものは何もないほど空(くう)な大臣だった。そういう意味からすれば、空(くう)というのは言い得て妙である。

2017年7月28日 15:25 | コメント (0)

シンシン

 お漬物ではなくて、上野動物園の母パンダの方のハナシ。動物でも人間でも赤ちゃんが愛くるしいのは同じだが、母親は人ぞれぞれ、動物もまだそれぞれ個体差がある。母パンダのシンシンは見ているだけで面白い。出産時の映像は何度見ても楽しい。生まれたばかりの我が子をくわえ、体勢を整えようとするのに四苦八苦している姿は、どうみても「アラヨット、ト、ト…アレ?」と言っているとしか思えない。
 我が子を小脇にかかえ無心にエサをむさぼっている母パンダの姿に、我が子にミルクを飲ませながら一心に新聞を読んでいた自身の姿を思い出す(子供の目を見てミルクを飲ませよと言われていたが…)。子どもは大事、でも自分の飢えを満たすことも大事である。
 6月12日に生まれた子パンダは順調に成長し、いよいよ名前を付けてもらえるそうだ。名前の募集が始まったが、私はこういったものに応募する趣味はないが、一番に思いついたのは「ウェイライ」(中国語で未来)だった。呼びかけるにも、叱りつけるにも、かわいがるにも適した音だと思うのだが、どうでしょう?

2017年7月27日 8:15 | コメント (0)

お久しぶりです

 久しぶりに本格的な雨の朝を迎えた。目覚ましが鳴っても外は暗い。私は寝ぼけている?と思うほどの暗さだった。それにつれて、気温も「ほんの気持ちです」とばかりに少し下がってホッとする。
 『きょうは大気の不安定な状態が続き、関東から九州で雷を伴って非常に激しい雨の降る所がありそうだ』、『土砂災害や河川の増水・氾濫、低い土地の浸水に警戒が必要だ』、『強い台風5号が南鳥島近海を北上している』等々の情報が出ている。
 久々の雨に「お久しぶりです」などと挨拶している場合ではないかもしれない。「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン♪」などと歌っている場合ではないかもしれない。雨が降れば緊張感をもって情報を収集し不要な外出は避け………。………。雨から情緒が消えた。

 
2017年7月26日 8:41 | コメント (0)

画文集

 8月下旬に、酒井駒子さんの画文集「森のノート」が筑摩書房から出るらしい。酒井駒子さんの描く少女は何とも言えない魅力がある。「ちくま」の表紙絵だった頃から惹かれ、そのころの「ちくま」は今も残してある。
 2,100円だという。2,000円以上の本は気軽には買えない。迷い、心乱れ、忘れられなくなる。そして、思い切って買うか、諦めるか…。
 これは画文集だ。だからなおさら迷い、心乱れ…悩むことになる。本屋さんで実物を手に取り、実際に見てからにしよう。本心は、飛びつきたいほどに欲しいのだけれど…。

2017年7月25日 8:49 | コメント (0)

建替え

 マンションは30〜40年もたてば、建替えが検討され始める。歯も同じで60〜70年もたてば入替えが必要となってくる。ある人は入れ歯、ある人はブリッジ、またある人はインプラント…方法は行く通りかはある。あるにはあるが、それ以前に厄介な問題がある。私の場合はブリッジと差し歯だが、厄介な問題は不正咬合(下顎前突)、奥歯の先天性欠如だ。
 左右上下とも奥歯はブリッジになっているが、これが厄介な問題のもとなのだ。右を直せば次は左がダメになり、その次は上がダメになり、そして次は下がダメになる。その繰り返しである。長年にわたりそれを繰り返しているうちに、不正咬合が最悪の状態になってしまった。痛みはないし、モノを噛むことも可能だが、可能だというだけのこと。快適ではない。
 これを直す方法がないわけではないという。なんとかかんとか法(一度聞いても覚えられない難しい言葉が並ぶ。私は2度聞いたが覚えられない)というそうだ。つまりマンションの建て替えと同じ、歯を全部抜いて建替えるのだという。多くの費用も時間も根気も必要な治療法らしい。
 平均寿命まであと20年ほどあるとしても、それまであるいはそれ以上生きるとしても、これまで生きた年月に比べれば「あと少し」だ。マンションはあとに残すことができるが、私の歯は私でおわり。多額の費用や多くの時間をかけることなど無理である。結局、今の状態を我慢するしかないわけだ。でも…でも…、我慢するのは結構つらい。う〜ん、ツライ。

2017年7月24日 8:06 | コメント (0)

くるりんバス

 先日、立川市内を巡回する「くるりんバス(曙ルート)」に初めて乗った。歩いても私の足で20分程度の距離だが、暑い中を歩くのは辛い。小さなバスだが乗客はそれなりに多い。快適で便利なバスだった。
 千葉駅の工事が終わりエキナカも開業し、それに合わせてパルコと三越が閉店し、パルコバスも廃止された。代わりに登場したのがマチナカ巡回バス「C-bus」である。さびれた以前の中心街に人を呼び込むためのバスである。千葉市美術館前にも停留所がある。これまではパルコバスに乗りパルコから歩いていた(そのたびに道に迷っていた)が、これからは千葉市美術館前まで直行だ。まだ乗っていないが、ちょっとうれしい。最寄り駅そばの大型スーパーには、少し離れた地域からのお買い物バスが乗りつける。どれもこれも小さなバスではあるが、生活するうえでとても便利な存在だ。
 小さなバスは、なんだか楽しい。「ちょっとそこまで…」が楽しい。運転手さんの丁寧な運転もうれしい。くるりんバスには、私の好きなくるりんチャンの絵がついているのもうれしい。

2017年7月21日 12:23 | コメント (0)

読みたい本リスト

 気になった本は、とりあえず読みたい本リストに入れる。読みたい本リストのほかに、欲しい本リストというのもある。リストに書き加えるのはいいが、最近はそのまま忘れてしまうこともある。
☆「植物一日一題」牧野富太郎
「ちいさい言語学者の冒険 子どもに学ぶことばの秘密」広瀬友紀 
「大きな鳥にさらわれないよう」川上弘美
「串田孫一 ―緑の色鉛筆」串田孫一
「なぜ、猫とつきあうのか」吉本隆明
気になった本はもっとあったように思うが、リストに入れるのさえ忘れたか。(☆印は欲しい本)

 忘れないようにとリストを作っているのに、リストを点検することを忘れている。情けない…。何事もすべてを覚えていられるわけがないと思う私は、すぐになんでもメモする癖がある。それで安心していると、そのメモの存在を忘れる。情けない…。情けない、情けないと嘆きつつ、なんだったっけ?どこに仕舞ったっけ?何をしようとしていたんだっけ?を連発している。まぁいいか…としなければこの先生きていけないよぉと開き直って、ため息をつく。

2017年7月18日 8:31 | コメント (0)

ワンオペ

 ワンオペ(one man operation)とは、ひとりで何から何まですべてをすることを言うらしい。巷ではワンオペ育児というのが社会問題化しているらしい。…らしい…らしいばかりだが、私にはそこらあたりの事情がよくわからない。
 振り返って考えてみれば、私は結婚してからというものずっとワンオペ状態だったような気がする。しかも、家庭内のことであるから、年中無休昼夜営業である。さすがに疲れてきた。そこで考えた。私の営業時間は、朝は5時から夜は8時30分までと決めたのだ(宣言はしていないが実行している)。年中無休もやめた。「今日は出かけます」のひとことを残し、家を留守にする。あとは自分のことは自分でやってくださいな、ということである。
 『東京新聞/今日の運勢 ☆とら年…覚悟とは死を見つめる事。死を見つめるとは今を懸命に生き抜く事』その通りだと深く頷く。「懸命に」のなかには「賢く」も含まれると勝手に解釈して、だからワンオペ状態から抜け出す工夫をしているんだもん…ということにしておこう。

2017年7月17日 9:15 | コメント (0)

ヒアリ

 初めてこの言葉を目にしたとき、アクセントがどこにあるのかもわからず、当然意味も分からなかった。その後の報道等でこれはアリさんだとわかった。英語では、Red imported fire antというそうだ。漢字で書けば火蟻?恐ろしげな名前である。
 恐ろしいのは名前だけではない。「蟻さんは貨物船に乗って世界中を旅しました」といえば幼児向けのお話になるが、実際に貨物船の乗って世界中に移住するアリがいるとは知らなかった。私の住むマンションの敷地はレンガ敷きだが、今の時期は、レンガとレンガの隙間から盛んにアリが出入りしているのが見られる。土が盛り上がりてっぺんに小さな穴があるのですぐにわかるのだ。このアリさんたちは毒針など持たないから怖くない。
 アリが怖いのではなく毒針が怖いのだ。この暑い夏でも、長袖シャツに長ズボンで着用で肌を出さないほうがいいのかなぁ…。温暖化が言われるようになって久しい。あらゆることが様変わりしたのに、人間の意識はなかなか変わらない。意識改革は言うのは簡単だが、行うのはとても難しいことのようだ。習慣を変えるの難しいのと同様に…。

2017年7月15日 8:55 | コメント (0)

避けがたい堕落

 本日の東京新聞「きょうの運勢」を見る。とら年のところに「避けがたい堕落あり。」とあった。そして「人生の悲しさを乗り越えるべし」と続く。避けがたい堕落とはどういう堕落をさしているのだろう。避けがたい堕落はすなわち人生の悲しさだということか…。しかし、それを乗り越えろと…? う〜む、なかなか奥が深いぞ…。
 なにはともあれ、今日はこの言葉を頭の片隅に掲げておくとしよう。

2017年7月14日 9:18 | コメント (0)

八つ当たり、とばっちり、巻き添え

 「腹を立てて、関係のない人にまで当たり散らす」八つ当たりは迷惑だ。「飛び散ってふりかかる水。転じて、そばに居て災いを受ける」とばっちりもご免こうむりたい。「他人の起こした事件に引き込まれて損害をこうむる」巻き添えは絶対に避けたい。
 高齢男性が高齢の妻が乗った車いすを押して上りエスカレーターに乗り、降りる時にバランスを崩し車いすもろとも転落したという。そして、後ろにいた高齢女性が巻き添えとなって転落し、その後亡くなったそうだ。車いすを押していた男性は「エスカレーターがそこにあったので乗ってしまった」と話しているという。エスカレーターとはそういうものなのだろうか。
 私は混雑している場所では、巻き添えにあうのが嫌だから(できる限りだが)エスカレーターには乗らない。荷物が重くても疲れていても足が痛くても階段を使う。巻き添えにあえば自分の身を守ることなど到底無理だと思うからである。東京駅構内の、満員電車並みに混雑した長い長いエスカレーターは本当に怖い。ちょっとしたことからでも将棋倒しは起こりうる。将棋倒しになれば一番下の人は圧死は避けられない。
 八つ当たりには「うるさい!」とひとこと発すればいい。とばっちりからは逃げ出せばいい。しかし、巻き添えは…どうすればいい?「逃れる手段がない場所には近づかない」ことしかないのでは…?

2017年7月13日 19:45 | コメント (0)

井桁理論

 『ニコリでいちばん難しい数独本としてお楽しみいただいてきた「激辛数独」が、このたび2冊に分かれてパワーアップ。激辛数独では比較的易しめのもの中心の「難関数独」と、頭がシビれる超難問ばかりの「超激辛数独」です。あなたはどちらを選ぶ?』(WEBニコリ/お知らせより)と迫られ、悩んだ末に私が選んだのは頭がシビれる「超激辛数独」だ。いそいそと澄ました顔でお買い上げ。
 最初のページから超激辛の頭のシビれる問題が続く。これまで通りの考え方だけでは解けないぞと気づき「解くときの考え方」を見ると、「井桁理論」というのがあった。なるほど…。なるほど、なるほど、なるほど…と解いていくと、あっという間に43問やっつけた。
 激辛カレーなど辛いものは癖になるという。激辛数独では物足りなくなった人がたくさんいるのだろう。今度は超激辛である。頭がシビれる、シビれる〜と言いながらやめられぬ。刺激とは怖いものだったのだ。


2017年7月12日 9:38 | コメント (0)

大人買い

 考えてみれば不思議な表現である。通常人が1回に買う平均を大幅に上回る数量の物やサービスを購入することを大人買いというそうだが、それが良いことなのか、人に勧めることなのかは問題にされない。
 夏だ!読書だ!ということで、「新潮文庫の100冊」が始まった。今年は「大人買い全点セット(全104冊)」税込62,888円というのがあるという。人と人は出会うもの、人と本も出合うものだ。この人だ!というのと同様に、この本だ!というものに出会って読むのがいい。
 新潮社は誰に向かって大人買いを勧めているのだろう?62,888円は、若い人には難しそうだ。親が買い与えるのだろうか?「大人買い」というわけの分からない言葉を使って購入を勧める新潮社は、何を考えているのだろう?不思議な出版社である。


2017年7月11日 9:11 | コメント (0)

帽子の効用

 中高生の頃、校則に帽子着用の項目があった。制服だから好き勝手な帽子をかぶるわけではない。冬服には紺のベレー帽、夏服には白にブルーのリボンのついたクロッシェである。制服は誰にでも似合うようなデザインだが、帽子となると難しい。よく似合っていた人もいたが、私は頭の形がよくないので帽子は嫌いだった。
 近頃は、帽子をかぶっている人が多い。日除け、おしゃれ、薄毛隠し…目的は人それぞれ。効用もそれぞれ。帽子をかぶった高齢女性のあまりの多さに、私は少々?少々どころか大いに?戸惑っている。まるで高齢者の制帽のように感じるのだ。子どもの頃から属することに抵抗の強い私は、それが嫌で帽子はかぶらない。
 とはいえ、とはいえである。この暑さ、紫外線の強烈さは困ったものだ。これまでは日傘派だったが、日傘は荷物になるし、強風であおられる。さて、どうするか…

2017年7月10日 9:40 | コメント (0)

失敗

 誰にも失敗はある。大失敗やちょっとした失敗、その規模や周囲に及ぼす影響はさまざまだ。私が先日犯したちょっとした失敗とは、水加減を間違えてご飯を炊いてしまったことだ。炊飯器の3合半の米の目盛りまで水を入れてセットしたが、米は2合半しか入っていなかった。おかゆ寸前の水分大振る舞いのご飯を見たときのショックは言葉では言い表せないほどだった。しかし、コレは我慢して工夫して食べれば済むことだ。
 取り返しのつかない大失敗は恐ろしい。その大失敗を犯してしまったのが、「こんな人たち」と口を滑らせたあべサンだ。直前に天ぷらでも召し上がったのか、強烈な口の滑りようである。しまっておくべき本音を出してしまったのは大失敗である。
 認識が間違っていた場合は過失という。コレはまぁ取り返しがつくこともあるだろう。取り返しのつかない大失敗を犯してしまった時は、普通は、合わせる顔がない…ものである。
2017年7月 7日 7:26 | コメント (0)

40回

 約10年の間に献血をした回数である。成分献血であれば2週間後から可能になるが、体調や時間に余裕があるなど考慮しなければならないので決して多い数字ではない。先日、献血に行ったときに「これを最後としよう」と即決した。
 献血は自主的にするものだ。しかし、献血が可能かどうかを判断するのは当人ではない。だから、念入りな手順を踏んで判断される。自己申告の問診票と血圧測定の結果を見て医師が判断する。さらに、事前の血液検査をして判断する。そして、その判断には当然従う。
 先日、初めて出会った高齢の男性医師による問診で不快な思いをした。あたかも私が強引に献血をするんだと言い張っているかのように受け取られたのだ。とても不快に感じ、心底ばからしくなった。人によっては記念品だの表彰状だのを励みにして続けている人もいるかもしれないが、私はそういったものに関心はない。
 その医師の態度と言葉で、献血することへの関心も一気に失ってしまった。もういい。もうやめる。おしまい。
2017年7月 6日 13:09 | コメント (0)

中古本と古本 

 伊坂幸太郎の作品は中古本をBOOKOFFで買った。「ジャイロスコープ」に始まり、「重力ピエロ」「魔王」…、…、…と次々と読破した。買いあさった文庫本は全部で12冊だ。こんな買い方ができるのも、作品の価値など問題にしないBOOKOFFだからである。言ってみれば使いまわしだ。本を読む楽しみ方には、このような買いあさって次々と読破というのもある。
 古本は、とことん作品の価値を追及する。そうはいっても、必ずしも高価なものばかりではない。串田孫一さんの本が欲しくなったが、もう手に入れることは難しいだろうと思いつつネットで検索してみた。ある古本屋に、「串田孫一随想集 全6巻 完結記念サイン入りセット」があった。値段は半額になっていた。刊行は昭和52年(40年前?)である。数日迷ったうえ、…買ってしまった。外観には当然のことながら経年劣化があるが、中はきれいなままだ。愛おしみながらちびりちびりと読むのは、もうひとつの本を読む楽しみ方である。夜のしじまに40年の歳月などとけてしまい、私は作品の世界に浸る。
 
☆訂正と追加
 伊坂幸太郎著「ジャイロスコープ」についてはココに書いていた。その後、何かのきっかけで過去の作品を知り読んでみたら面白かったので、BOOKOFFで12冊となった。(ちょっと、作文しちゃった…。)
2017年7月 4日 10:12 | コメント (0)

東京駅で、東京駅にはどう行けば…?と尋ねる 

 JR東京駅は巨大だ。長い間工事中だったところが完成し、ここはどこ?という感じの駅になった。JR東京駅から東京メトロ丸の内線はすぐだ。その「すぐ」の距離で道に迷うのが私である。
 ある日、丸ノ内線の東京駅改札を出るとそこは異次元だった。だだっ広くて、人の姿はまばらで…何もないその光景は、私がよく見る「道に迷う夢」そのものであった。冷静に、冷静に…と頭の奥から指令が飛ぶ。見ると、目の前にメトロの駅員さんの姿があった。すすっと近づいて「東京駅にはどう行けばいいのですか…?」と尋ねたのである。「この向こうで反対側へ行けますから、そこをまっすぐに行けばすぐです」と親切に教えてくれた。
 私は反対側の改札を出ていたのだ。いつもと違う車両に乗り、階段ではなくエレベーターで改札階に上がり、そのままいつも通りの側の改札をぼぉ〜としたまま出たらしい。
 人は体内時計を持つという。たぶん普通の人は、一般的に体内磁石も持っているのだろう。そういう人は道に迷ったりしないのだろう。体内磁石が働いて、地図も読めれば案内板の矢印も理解できるのだろう。そうだ、そうに違いない…そうでなきゃ、どうして「東京駅で、東京駅にはどう行けば…?」なんて尋ねる…?きっとそうだ。
2017年7月 3日 8:24 | コメント (2)

感謝を込めて

 雑草が生い茂り、灯りもともらず、空き家同然になっていた我がブログを、足繫く訪れてくださる方がいらっしゃるようだとわかり、ひとことご挨拶をしなければと思いました。どんな記事を読んでくださっているのか…アクセス解析を見ながら、私も読み返してみました。我ながらその新鮮さ?読みごたえ?に、うん、悪くないじゃん?と思い直した次第です。
 1年以上も放っておいたのには、それなりの理由がありました。ひとことで言えば「隠居」です。さまざまな意味での隠居でした。世の中のことに口を出すことと、自分の思いを文章にする(時には主張する)こととは別のモノであるのに、その違いが判らなくなっていました。
 自分自身を振り返るきっかけを与えてくださった方に感謝の気持ちを込めて…、雑草を刈り、入口に灯りをともしておきましょう。
2017年7月 2日 17:23 | コメント (0)