テレビは何処へ

 ケーブルテレビ経由のデジアナ変換サービスは2015年3月末で終了する。我が家はコレを利用しているので、そろそろ買換えの検討も始めねばならない。ものいりである。「お早めにデジタル受信をご準備下さい」といわれても、コトはそう簡単ではないのだ。ケーブルテレビ専用デジタルチューナーというものもあるが、機器はレンタルで月々料金を払うようになっている。外付け地上デジタル放送チューナーでは、テレビが壊れたらそれっきりだ。となると、地上デジタル放送対応テレビを買うということになる。

 しかし、家電量販店へ行き「テレビをください」では済まない。テレビと表示はしてあっても、アレはデジタル受信機だ。録画をしたければ、録画機も必要だ。テレビをそれぞれの部屋で見たければ...と、必要な機器はどんどん増えていく。 カタログを集め、比較検討し、家電量販店で実物を見て販売員から説明を聞き、我が家の事情を考慮してまた検討し...と果てしない。

 結婚当初はテレビのない生活だった。最初のテレビは質屋で買った。その後、マンション購入時に新しいテレビを買った。それが壊れ、次のテレビを買った。そして、今に至る。さて、次のテレビはどうなることやら・・・。

2014年4月30日 18:33 | コメント (0)

1点戻し

 買物をするたびに、消費税が上がったことを実感する。スーパーなどで買物をしてレシートを見ると、外税商品金額計というのがあり、その下に消費税等というのがある。そして、やっと合計いくら、となる。消費税が8%になってからは、控えめな買物を心がけているが、もうひとつ心がけていることがある。レジに行く前に、かごの中の商品をみて、四捨五入して100円単位でざっと合計する。その金額が2000円以内なら1点買うのをやめる。3000円以内なら2点は買わないことにする。5000円以内なら4点の商品を棚に戻す。こういう方法を『1点戻し』というらしい。節約法のひとつだそうだ。これでやっと増税前と同じ程度になる。

 商品には税抜きと税込みとの両方の値段が表示されているが、税込みの値段を見ると延ばしかけた手が引っ込む。必然的に無駄な買物をしなくなる。そのうえで、「1点戻し」節約法をやれば、ほぼ万全である。その昔、「その一口が豚になる」などという言葉が流行ったが、今は「その1点が無駄買いになる」だ。前者が太らないための警句?なら、後者は生活防衛のための警句なのだ。

 コンビニは要注意だ。ついついあれやこれや買ってしまう。コンビニでは「アレとコレだけね」と、かたく誓ってから入る。これではコンビニとはいえないけれど。

2014年4月26日 12:06 | コメント (0)

献血

 献血マニアではないが献血をしている。今回は27回目だった。始めたのが50歳代になってからなので、たいしたことはないが、年に2回しかしないのでそれなりの年数ではある。毎回、ヘモグロビン量は「十分です」と「十分」のところに力を込めて言われる。基準値は、女性の場合「11.4〜14.6g/dl」だというが、私はたいてい13g/dlはある、この歳で・・・。つくづく、私は健康なのだ、と思う。

 この年齢になれば、病気になる人、持病がある人、薬が手放せない人も多い。それに、病気でなくなる人も...。それを思うと、あぁ、私は健康なのだ、と思う。そして、あと5年、献血ができるように健康でいよう、と思う。献血は、私にとっては、人のためというよりは健康に対する感謝なのである。

2014年4月24日 18:54 | コメント (0)

再開発

 千葉駅では西口再開発事業が進んでいる。私にはなかなか馴染めない「WESTRIO」という名称の3棟のビルが線路沿いに立ち並んでいる。外観は堂々としたものだ。しかし、そのひとつにはパチンコ店が入居した。それも2フロアである。そこには塾も入っている。新聞の折込チラシでそれを知って、唖然、呆然とした。

 新聞記事によれば、市は完成直後に不動産業者からパチンコ店の出店を知らされ、不動産業者に撤退を求めても「契約済みで違約金が発生する」とか何とか言って応じなかったという。してやられたものだ。コレでは済まぬとばかりに、市は9月の市議会で「計画に反した業者への罰則を科す条例改正」を提案するという。

 なかなか進まなかった西口の再開発もやっとここまできた。新しいビルが建ち、どんなお店が入るのか楽しみにしていた人は多いはず。幕張メッセができても、マリンスタジアムができても関心のなかった私でさえ楽しみにしていたくらいだ。よりによってパチンコ店とは。千葉のセンスのなさにはただただため息が出る。

2014年4月18日 14:26 | コメント (0)

はなしのついでに、

 「みすず書房ニュースレター」を送ってもらっている。新刊、近刊、復刊のお知らせなど、盛りだくさんなレターだ。それぞれのお知らせも役に立つが、何より楽しみなのは「菊坂だより」である。みすず書房のスタッフが交代で書いている、という。話題はその時々でいろいろ、人によってさまざま、そこがいいのだ。

 さて、昨日の(no. 145 )を読んでいると、トピックスに<『数学文化』第21号(4月)では連載「小数と対数の発見」もスタート、[近代科学誕生史〈三部作〉完結篇]山本義隆『世界の見方の転換』全3巻・・・>とあった。『数学文化』?・・・どこかで聞いたような?と思ったら、(私は購読してはいないが)あそびをせんとやさんから聞いた雑誌だと思い出した。

 ここを見ると、「エッセイ」があった。エッセイと名がつけば、とりあえず見たくなる私である。『機関紙「石垣」に、経営者のための数楽講座」といったタイトルで、日本数学協会の役員の先生方にエッセイをご寄稿いただいています』というものだった。10年も前のものであるし、「経営者のための〜」と銘打ってあるエッセイではあるが、経営者でも何でもない私が読んでもなかなか興味深い読み物だ。

 ○「本質を見抜く」(2005年1月号)  上野 健爾(京都大学)、などと書いてあると、私などはうずうずし出す。なぜなら、「本質を見抜く」(見極めると言ってもいいのだが)というのは、私の人生のテーマであるからだ。『グローバル化された世界では、論理に基づいた議論が重要になる』、『論理が屁理屈になってしまってはいけない。論理を活用するためには、物事の本質に基づいた議論が必要とされる』云々、そして『本質を見抜く力は、幾何学を学ぶことによって身につけることができる』...と続くのだが、幾何学に限らず「一般教養としての数学(高校で学ぶ程度の数学)」は、本質を見抜く力を身につけるために学ぶのだと言い切ってもいいくらいだと私は思っている。

 「みすず書房ニュースレター」から、話はずいぶん飛んでしまった。飛んだついでにもうひとっ飛びしてしまうと、「Linuxを勉強してみませんか?」と、我がパソコンのセンセイから言われている。はぁ?Linuxって何ですかぁ?と言ったのはいうまでもない。

2014年4月12日 9:41 | コメント (0)

古本、中古本

 ブックオフの棚ではなくワゴンに盛られた本は、中古本の中でも特に処分してしまいたい本なのだろう。2冊で100円という値段がついている。その中に、この手の店としては珍しい本が混じっていた。「日本の詩」(昭和54年、集英社、全28巻 編集委員:伊藤信吉・大岡信・中村真一郎)だ。ワゴンには全巻は揃っていなかったが、箱入りの布を張った本である。中野重治と伊藤静雄を読んでみたくて、その2冊を購入した。

 その本には蔵書印が押してあった。女性の名前だ。大切にしていた本だったでしょうに、処分されたのですねと、本に向かって話しかけた。これは中古本というよりは古本だ。もとの持ち主への思いが果てしなく広がる。あなたの大切になさっていた本を、私はこうして読んでいますという思いを本に伝えると、もとの持ち主へも伝わるような気がするのだ。このなんともいえないあじわいは、ただの中古本にはない。

2014年4月 7日 8:51 | コメント (0)

耳順

 論語に寄れば、60歳は耳順「六十(ろくじゅう )にして耳順(みみしたが )ふ」なのだという。60歳にもなれば、「修養ますます進み、聞く所、理にかなえば何らの障害なく理解しうる意」らしい。

 「人の言葉は助言にせよ諌言にせよ、なかなか素直に聞けないものです。その理由は相手との人間関係であったり、自ら恃(たの)むところが強過ぎるためだったりといろいろありますが、人の言葉を言葉の意味のままに理解するのは意外に難しいもの」という人もいるようだが、たしかにね・・・と思う。

 これまでの私は、なにごとも決断は早かった。決断の遅い人を見るとイライラすることもあった。しかし、この頃思うのである。決断は慎重にするのもいいのではないか、と。自分で自分にブレーキをかけるようになったのである。私としては、大きな変化だ。きっかけが何だったかはわからない。

 人の言葉を"言葉の意味のままに"理解するのは、直感でできたし、それで誤ることもなかった。でも、それで十分とはいえないかも・・・と思うようになった。その言葉を口にしている"人"を見るようになったということかもしれない。そんな自分の変化に、自分自身が驚いている。

2014年4月 6日 11:11 | コメント (0)

人がいいのも(善し悪し)

 通りすがりによくものを尋ねられる。たとえば道。これは知っていればここをまっすぐとかなんとか言えば済む。知らなければ、このあたりは不案内で、でよい。厄介なのは、たとえばこんな場合。

 銀行のATMコーナーというのだろうか、機械だけが並んでいるところで用を済ませ出ようとすると、隣の機械を操作していたおばあさんに声をかけられた。「1万円おろしたいのですが、教えてください」というのだ。見ると、通帳と、カード2枚を手にしている。すべて違う銀行名だ。その通帳の銀行は元の名前は何だったっけ?とぐるりと頭をめぐらせ、片方のカードを選び、操作手順を教えつつ、見守り・・・。と、今度はメモを見せながら暗証番号が2つあるんですけど・・・と言い出す。とりあえずどちらかを入力してもらうと、カードと暗証番号が一致しませんというの表示が出た。

 私の人のよさも、今日はここまでが限度だった。電車に乗り遅れてしまいますのでごめんなさい、さっきのようにしてもうひとつの暗証番号でやってみてください、と言いつつ逃げ出した。窓口もある銀行のATMコーナーで案内係がしている仕事と同じことをしていることに気づいて逃げ出したのだ。あのおばあさんの姿は明日のわが身と思いながらも逃げ出したのだ。そんなおばあさんでも、暗証番号をしっかり控えて通帳とカードを握りしめ、ひとりでATMでお金を引き出さねばならないのだ。その現実。重い現実なのだ。私はどうすればよかったのか...。電車に乗り遅れ遅刻しても最後まで見てあげればよかったのか。確かにそれは親切なことだけれども、他人の親切でしか成り立たない社会ではおかしいのではないか...。私はどうすればよかったのか...という思いが堂々巡りする。

2014年4月 1日 18:18 | コメント (0)