消費税アップあっぷ

 先週末は多くの人が買いだめに走ったという。「5% 別れの週末」という見出しの記事では、「ディスカウントショップも、両手に買い物カゴを持つ客らで芋の子を洗うような混雑ぶり」と書いてあった。こうなればもはや買いだめイベントのようだ。店側は「消費税増税直前!!まとめ買い!!ラストチャンス お急ぎください!!」、「増税前日、最終特価!!」、「お買い置きがお得!!」と盛んに煽りながら、その反動が心配だという。

 芋の子と例えられた人々は結局は群集でしかない。それぞれの人の思いや事情などは問題にされない。なんだかむなしい話だ。収入は変わらず消費税があがれば、今までのような買物はできない。ではどうするか?買物の量を減らす(無駄買いはしない)、質を落とす(質素に生活する)、などが考えられる。

 電気料金の値上げ、水道料金の値上げも待ち構えている。質素な生活をしながら、消費税の使い方に注目するというのもいいのでは?生まれながらに豊かな生活をしてきた人には難しいかもしれないが、人はいざとなればいくらでも質素な生活ができるものだ。それでも消費税が8%になって本当に生活していけなくなったら、みんなで国会議事堂前で座り込みでもしましょうか?

2014年3月30日 18:24 | コメント (0)

手を振る

  昨日は、用があって東京へ。食後の軽い散歩に、東京駅を丸の内側へ出た。なにやら人だかりができていた。駅の出口を取り囲んで、人々が人待ちをしているようだった。遠まきに見ていたのだが、さるお方が伊勢からお戻りになったようだと気づいた。

 さるお方はどの門からお帰りになるのかしら?などと話しながら、私たちは外苑での食後の軽いお散歩へ。夏まじかのような日差しを浴びながらしばし散策。ちょうど二重橋あたりにさしかかったところ、行く手を警官がさえぎり始めた。交通規制が始まったのだ。と、そこへ「お車」が・・・。

 首の筋がツルのではないかと思うような姿勢で「お手振り」をなさっているお姿が突然目に飛び込んできた。私は少々慌てた。心の準備ができていなかった。「アレ(車をさして、です)じゃない?」などと口走って、慌てた。私たちがいた場所は少し離れた歩道で人もまばらだった。なのに、沿道の人々にまんべんなく手を振っておられるのだ。私たちが立っていたほうへ、も。

 これは手を振り返さねば、目上の方に失礼じゃないかと思った。「ここは手を振っておいたほうがいいかな」などとまた口走って、ふた振りほどお返ししておいた。その様子を見ていた警備の警官は、私の方を見て笑っているようにみえたのは、気のせいか?

2014年3月29日 9:23 | コメント (0)

実は、わたし...

 実は、わたし...どうぶつの森に住んでいる。昨年暮れから2代目村長だ。スズランの咲く村を目指して、日夜奮闘中である。きょうは、桜並木を整備して、公共事業でお花見ベンチを設置した。費用は村の住人の寄付を募る。村の住人も寄付してくれるが、村長である私がお金をためて大部分を寄付する。たかがゲームの世界とは言え、よくできた設定だ。

 今年はちょっぴり勇気を出して、南の島ではよその村の人たちとも交流してみることにした。ところが、来るのは小中学生の子どもばかりだ。それはかまわないが、挨拶の次は、必ずといっていいほど「お金ちょうだい」と言う。いろんな体験をして村づくりを楽しむのではなく、人からお金をセシメテ手っ取り早くアイテムをそろえるのが目的らしい。そういう輩には、お金はありませんと私は言う。そして、お金の次は「彼氏いますか?」である。もう相手をしていられないので、そそくさと村へ帰る。

 楽しいのは海で泳いだり素潜りで魚や貝を捕ることだ。実は、私は全く泳げない。でも、ゲームの中で私の分身はすいすいすいと気持ちよさげに泳ぐのである。これは堪らなく気分がいい。ふと、泳げるようになりたいなぁ〜と、大それた考えも浮かぶ。

 やんちゃジジイは「金は残すな!自分で使え!」とばかりに派手に遊ぶのかもしれないが、おちゃめババァはどうぶつの森で遊ぶのだぁ〜!

2014年3月26日 15:49 | コメント (0)

やんちゃジジイ

 ちょい不良(ワル)オヤジも還暦過ぎればやんちゃジジイとなるそうな・・・。朝日新聞「ひと」に登場した「LEON」創刊編集長だった岸田一郎さんは、「人生の最終章をいかにワクワクして生きるか」をテーマに「やんちゃジジイのための雑誌」の創刊準備号を出したそうな・・・。

 「金は残すな!自分で使え!」とはずいぶん過激だなぁと思うが、今から「時計を買うなら形見になるものを」というのは確かに!と思う。とは言え、である。お金が無くては始まらない話ではある。

 今年度はマンションの管理組合の理事に抽選で当たった。やむなく私が引き受けることになったが、よそ様の事情はわからないが、4分の3は女性が占めている。ちょいワルオヤジややんちゃジジイはどこへ行った?という感じだ。

 

 「金は残すな!自分で使え!」とはいかないオヤジやジジイは、おそろいのジャンパーを着て、おそろいの帽子を被り、おそろいの腕章をつけてボランティア活動に励んでいる。一種の使命感に駆られているようにさえ見える。シニア世代はまだまだ元気・・・というのは共通していえることであっても、現実は?男って大変ね〜としか言いようがないわねぇ〜と、ため息が出た。

2014年3月24日 15:25 | コメント (0)

4月、新年度、新企画

 今日の朝日朝刊を見て驚いた。『1914年に朝日新聞紙上で連載された夏目漱石の代表作「こころ」が、100年ぶりに紙面に復活します。当時と同じ4月20日に始め、全110回連載します』とある。

 なんといえばいいのだろう?私の思う新聞とは、現代を切り取り掘り下げるところに存在価値がある。そう考えると、何を今さら・・・と思う。私は漱石さんが好き。すべての作品を読んだわけではないが、「こころ」は10年20年ごとに読み返す。私にとっては大切な1冊だ。

 これまでは10年ひと昔と言った。今は100年ひと昔である。100歳以上の人が5万人の時代である。たかだか100年前のものを復活させるとは、どういうことだろう。回顧?だとしたら、芸がなさ過ぎる。それとも・・・、100歳以上の人が5万人の時代であるからこその"新企画"なのだろうか?

2014年3月22日 13:49 | コメント (0)

ぶっくおふでほんをかう

 「ぶっくおふ」とは、おもしろい名前をつけたものである。いかにも和製英語っぽいが、なんとなくわかるところがおもしろい。近くにできてから、たまにのぞくようになった。2冊100円と、落ちに落ちた文庫本のワゴンを漁る。たまに、掘り出し物が見つかる...ことも、あるにはある。このあいだは、「本は鞄をとびだして」(群ようこ著・新潮文庫)と「秘事 半所有者」(河野多恵子著・新潮文庫)を買った。

 「本は鞄をとびだして」は、「鞄に本だけつめこんで」に続いて読んだ。読書エッセイというらしいが、なかなかおもしろいスタイルだ。

 「秘事 半所有者」の解説では、『本当に小説らしい小説』と評してあった。まだ読んでいる途中ではあるが、納得である。『本当に小説らしい小説』の意味するところは、たぶん若い人にはわかりにくいかもしれない。

 正規の書店では本を漁るとは言わない。本に出会う、と言う。しかし、ぶっくおふでは本を漁るという言葉がぴったりだ。レジでは、不用になった本を売ってくださいと必ず言われる。声には出さないが、「また今度ね〜」と答えてしまう。つまり、ぶっくおふなのであった。

2014年3月20日 8:30 | コメント (0)

わたしの3.11

 4姉妹のうち私を含めて3人が関東に住んでいる。東京湾を臨む1都2県だ。あの日、私は直後にそれぞれに安否確認の電話をした。3歳上の姉には留守電にメッセージを残しておいた。専業主婦の私と独身で仕事を続けていた姉とでは分かり合えないことも多く、いつの間にか疎遠になっていたが、数時間後、折り返しかかってきた電話では、久しぶりに姉妹にもどりいろいろと話をした。

 その3ヵ月後、その姉は突然亡くなった。

 それから3年...。

 あの地震が起きなければ、私は疎遠なまま姉を見送ることになっただろう。人は生まれて、如何に生きるか?と思い悩むが、いかに死ぬか?とはあまり考えないのではないか。

 3年たって、もしかしたら姉は最後に、私に大切なものを残してくれたのではないか、と思うようになった。

2014年3月13日 18:53 | コメント (0)