ほどほどにしましょうね

  「みらい」「ゆめ」「きぼう」「きずな」「ぎん」「きせき」「そら」「美羽(みう)」...と並べると「なんのこっちゃ?」と思うが、放鳥トキのヒナの愛称だそうだ。私は、どうしてもこういうのが好きになれない。何のために放鳥したのか?と思う。人間の手を離れ自然界で自力で生き延び、そして繁殖することを願って放鳥したのではなかったのか?

 着ぐるみのトキが「出生届」を出したり、市がトキの戸籍と住民票をつくり母子手帳も発行する(予定)だなんて茶番だ、といったら言い過ぎだろうか?

 市長さんは、「日本を元気にしてほしいという思いを込めて決めた。自然界で力強く生きてもらいたい」と言われているそうだが、私は拍手を送る気にはなれない。放鳥してもしばらくは関係者や専門家による観察は当然必要だろうが、日本を元気にしてほしいから愛称をつけというなら、それはあまりにも身勝手では?自然界で力強く生きてもらいたいというなら、そっと見守ればいいのでは? 「Nipponia nippon」というスバラシイ学名を持つトキである。私はそっと、そぉ〜っと見守りたい。

2012年5月24日 10:25 | コメント (0)

読みたい本、お薦めの本

 昨日、雨がひどくなる前に大急ぎで図書館へ。借りてきたのはつぎの4冊...

「半日半夜」(杉本秀太郎・著 講談社文芸文庫 2005年)

...29篇のエッセイ集、既読のものも含まれるが、

「美しい書物」(栃折久美子・著 みすず書房 大人の本棚 2011年)

...味わい深い本

「四百字のデッサン」(野見山暁治・著 河出書房新社 1978年)

...ちょっと読んでみようか?

「小さな天体 全サバティカル日記」(加藤典洋・著 新潮社 2011年)

...新着本の棚で発見、

2012年5月23日 9:33 | コメント (0)

ナニゴトモ経験?

 ついに東京スカイツリーが開業したと、昼のテレビニュースがニギニギしく伝えていた。ギョウギョウしくテレビカメラが待ち構えるなか、一番乗りの一団がエレベーターから躍り出てきた。その人たちの顔が一様に「選ばれし者たち」という表情だったのは、なるほどと納得もしおかしくもあった。すごい倍率だったというから当然かもしれないと思うが、なんだかおかしい。感想を聞かれた元気のいいオジイサンは、「もうこの年(年齢)だから早いとこ経験しとかないとね〜」などと言っている。ハシカじゃあるまいし...やっぱりおかしい。 

 開業初日は20万人の人出が見込まれているそうで、「混乱を防ぐため約200人の警察官を動員し警戒にあたっている」という。想像するだけでも恐ろしい人出である。日本一だろうが世界一だろうが、あの地は下町だ。整備された町並みではないだろうに。たとえタワーに登っていなくても、そんな人並みのなかで「もし大地震が起きたら?」.........考えるだけでも恐ろしい。

2012年5月22日 19:01 | コメント (0)

健康診断

 時々読む朝日新聞経済面「経済気象台」、今日のタイトルは「ない袖は振れぬ」。急速な高齢化に伴い、年金、医療、介護などの社会保障費が急増している、ということに関する話だ。下部消化管穿孔で手術しひと月入院した74歳の人の退院時の支払額は10万円ちょっとだったのでとても驚いた。退院後は要介護認定を受け(一番軽いものだけれど)週に1度ヘルパーさんが来てくれるという。保険料を払ってきたのだから利用する権利があるとはいえ、本人が支払うのは1割だ。

 退院しても人工肛門閉鎖手術までに、腸の内視鏡検査、透視・造形検査が控えている。そのうえ心臓のカテーテル検査もある。まぁね、このさいだから徹底的にとか、ついでにとかとも言えるだろうが、話を聞くだけでも私は具合が悪くなりそうだ。 

 「経済気象台」の筆者「堤琴」さんは、『作家の曽野綾子氏の「この3年間健康診断を受けていない」という小文を目にした』と書いている。そして、『ある年齢になれば、どんな病にかかろうと天命だから、ジタバタしないという潔さと英知』とも。曽野綾子さんのどんな発言にも行動にもその著作にもいっさい同意しかねる私ではあるが、健康診断を受けていないという点だけは、「おや、同じ考えをする人がこんなところにいた」と思った。私など3年どころかずぅ〜と受けていない。それでも、歯医者のお得意さんではあるがその他はどうしてもというときごくごくたまに医者にかかるくらいだ。 

 少なくとも、ちょっとしたことでも医者にかかることが必ずしも理想的な健康管理とはいえないかも、と思う。まぁね、人それぞれで一概には言えない部分もあるだろうけれど。この1年、人が年老いて心穏やかに死を迎えるってどういうことか...と、いつも考えている。

2012年5月22日 13:22 | コメント (0)

家の履歴書

 「家の履歴書 今は亡きあの人篇」(斉藤明美・著 キネマ旬報社 2011年)はふと手にとって、あまり期待もせず、でも少し惹かれるところがあって借りてきた1冊だった。「家の履歴書」という表現と、手書き風の間取り図がついていたところが私の気を惹いたのだった。

 当然といえば当然なのだが、家というのは単に雨風をしのぐ場所ではなかったのだ。人を育てもすれば縛りもする。著名人でなくても誰もが自分の「家の履歴書」を語れる。語りたいと思うか思わないかは別としても。

 読み終えてとても強烈に心に残ったのは淀川長治(映画評論家)さんだった。お母さんが大好きだったから、そして淀川家を潰すため一生独身を通したという。その凄まじいまでの一途さに圧倒された。

 私自身の「家の履歴書」はどうだろう...と考えてみると、それは私の「来し方そのもの」だと気づく。

2012年5月17日 19:02 | コメント (0)

本を読みましょ

 今年の誕生日もナニゴトもなく過ぎて、今日は母の日らしい。街の花屋の店先にはカーネーションがあふれていた。それを買い求める人の列は店の外まで続いていた。バスに乗れば、若いカップルがカーネーションの鉢植えを、もちろんきれいにラッピングされたものを抱えて仲良く乗り込んできた。

 私はそれを横目に図書館へ。久しぶりに大きな図書館へ行き、借りてきたのは次の3冊... 

「鞄に入れた本の話 私の美術書散策」(酒井忠康・著 みすず書房 2010年)

「家の履歴書 今は亡きあの人篇」(斉藤明美・著 キネマ旬報社 2011年)

「花森安治戯文集1」(花森安治・著 LLPブックエンド 2011年)

 2週間ではたぶん読み終えないだろうが4週間ではどうだろう...?このところ夜はもうすっかりツブレテいる。酔いつぶれてるわけではない。くたびれちゃってツブレテイルのだ、情けないことに。 

2012年5月13日 13:25 | コメント (0)

私の5月だョ

 やっと5月らしいさわやかさが戻ってきた。気がつけばもう5日だ。あわただしく過ごしているうちに、五月飾りを出すのを忘れてしまった。子どもが成長するに従い「ま、いいか...」で済ませてしまうことが多くなっていたのだが、子どもが独立して家を出てしまうと「飾ってあげればよかった」と思う。思うけれど、飾れば飾ったでそれはまたちょっと寂しいかも、とも思う。

 振り返れば去年の6月末以降、かつてないほどのあわただしい日々だった。去年の5月のことはもう思い出せない。我がブログを紐解くと、5月3日には「お天気はパッとせず、時に突風か?と思うほどの風が吹く。それでも新緑が鮮やかになり、私の5月だョとつぶやいてみる」と書いている。そうだった、私の5月だ。

 そして、またこの日は「アメリカがビンラーディンを殺害した」でもあったのだ。あれからまだ1年とは思えないのだが、まだ1年なのだ。その後あの国はどうなったのだろう。人々は平穏な日々を送ることができるようになったのだろうか。

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 なんだかんだいっても5月なのだ。花が咲き、鳥がさえずり、陽は輝く。ベランダにはスズメさんが遊びに来た。

2012年5月 5日 10:27 | コメント (0)