言葉に自由を!

 この世にはいろんな人がいて、いろいろな考え方があって、すべてはさまざまで、それが人間社会だと思う。でも…、「野呂姓の子どもたちが不要に嫌な思いをしなくていいよう、正確に『ノーウォークウイルスに感染』と言うべきだ」と主張して、呼び名の変更を学会や厚生労働省、報道機関に求めている人がいるというニュースを目にしてちょっと驚いた。

 日本語には同音異義語はいくらでもある。ノロウイルスの「ノロ」を「野呂」と結びつけるのは個人的なことだ。正確に「ノーウォークウイルス」と表現すればいいと考えるのも個人的なことだ。「ノーウォーク」は地名だというから、同じ論法でいえば「ノーウォーク」の人々は不要に嫌な思いをさせられる…ということになる。また、人に感染するものとしては、「サッポロ(札幌のこと)」を略した「サポウイルス」というのもあるそうだ。

 この「呼び名の変更」を訴えている人のブログもみたけれど、私は賛同できないなぁ〜と思う。何を主張し何を求めようが自由ではあるだろうが、人として基本的なことは忘れたくないと思う。基本的なこととは、同音異義語で人をからかったり悪口を言ったりすることは人として下劣で恥ずかしいことだという認識を皆が共有することだ。子どもを守るだけでなく育てることも大切だと、私は思うのだけれど…

 言葉には自由が必要だ。問題が生じたとしたら、その原因はその言葉を使う人の側にある。差別語としてその使用を禁じられた数多くの言葉を思い出せばわかることだ。どれもこれもひとつの表現でしかなかったのに、それを人を差別するために使ったから差別語になったのだ。
2011年11月29日 9:46 | コメント (0) | トラックバック (0)

今宵みる月は…

 『月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約』という長ったらしい名称の条約があるという。簡潔にいえば『宇宙条約』。第1条では、当然のことながら「宇宙空間の探査・利用の自由」が規定されている。続く第2条は、これまた当然のことながら「領有の禁止」の規定である。

 今朝の新聞では、「アメリカ航空宇宙局(NASA)は、人類が初めて月に降り立った米アポロ計画での着陸地点を「歴史的遺産」として立ち入り禁止にする指針を検討していることがわかった」と伝えている。「指針に法的な拘束力はない」が「米国の財産」保護のために、というのがその言い分らしい。しかし、「立ち入り禁止」とは裏返せば「領有の宣言」だ。これを是とすれば、世界は、宇宙は、早い者勝ち、力を持つものが勝ちということになる。そして、それはいずれば紛争、戦争の種となる。

 月旅行が夢でもSFでもなくなったので先手を打っておこうということかとは思うが、『宇宙活動を行うのが政府機関か非政府団体かに関わらず、自国によって行われる活動については国家が国際的責任を負う。打ち上げられた宇宙物体が他国に損害を与えた場合、打ち上げ国には無限の無過失責任が発生する』という規定が第6条、第7条にあるそうだから、あえて「立ち入り禁止」などと声高に言わなくてもいいような気がするのだが…。
2011年11月27日 9:15 | コメント (0) | トラックバック (0)

青虫の好物

 我が家の小さなベランダガーデンで、我が家の若い人が小さなプランターにミックスの花の種を蒔いた。日を浴び水を吸い、さまざまな葉が育った。ある日一羽の蝶がやってきた。そして、またある日、小さな小さな青虫が一心不乱に葉を食べていた。

 我が家の若い人は、僕の大事な葉を食べやがって、この憎っくき青虫め、あっちへ行け、グローバーでも食べろ、ヤイ!と追いやろうとした。
 そんなことしたらかわいそうよ、きっと蝶のママにここでしっかり葉を食べて大きくなりなさいと言われたのよ、このあいだ、蝶のママが見に来ていたでしょう…と、私はいい加減な作り話をして若い人の行為を諌めた。

 ところが、まんざらいい加減な作り話ではなかったようだ。『アゲハ、足で味見し植物見分け 幼虫のため好物に産卵』という記事があった。『前足にある小さな毛状の器官で植物の「味」を見分け、幼虫が食べるミカン科の植物にだけ産卵する仕組みをJT生命誌研究館などの国際チームが突き止め、15日付の英オンライン科学誌に発表』したという。モンシロチョウは、『幼虫の好物のキャベツ』を味見するそうだ。

 我が家のベランダガーデンに来た蝶の種類はわからないが、やはり幼虫の好物を味見して産卵したのだろう。青虫は、5〜6種類以上もある中で同じ葉ばかり食べつくしてグングン成長している。若い人の猛攻撃にも勇敢に反撃し、今も居座っている。
2011年11月16日 9:43 | コメント (0) | トラックバック (0)

秋のおでかけ

 鎌倉大好きの人には悪いが、私は鎌倉があまり好きではない。それでも唯一お気に入りの場所がある。それは北鎌倉にある東慶寺。境内に足を踏み入れ季節の花を見ながら山を登っていくと、一瞬にして別世界に迷い込む。山頂一帯はお墓ばかりだが、大きな木々のなかで野鳥の声を聞きながら、名の知れた人々のお墓を尋ね歩くひとときは不思議と私の心を和ませる。出かけたのは今月の2日。
秋の花 1  秋の花 2  東慶寺

 そして、12日はぐっと足を伸ばして高尾山へ…といっても本格的な山登りは無理。ケーブルカーで行ける所までだ。高尾山行きの目的は、千葉から高尾まで乗りかえなしのホリデー快速ビューやまなし号に乗ることだった。雨上がりの秋晴れにくっきりと姿をあらわした富士山を見ながらの2時間弱の旅である。
 うっかりしていたが、高尾山のケーブルカーは日本一の急勾配を登る。その怖さはジェットコースター並みだった。転がり落ちるかと思ったほどだ。でも、窓から眺める景色は秋色満載である。
 野草園をゆっくり散策し、土産物店をひやかし、天狗煎餅というのを期待もせずに購入した。「落花生煎餅とみそ煎餅が15枚ずつ入っていますよ」と、店番のおばあちゃんが勧めてくれたので買うことにした。これは思いがけずおいしかった。
高尾山 野草園   高尾山 展望

 何を思ったか、その後は寄り道をして深大寺でお蕎麦を食べることにした。京王線とバスを乗り継いてたどり着いた深大寺は、以前に来たことがあるはずと調べてみたら、すでに10年近く前のことだった。お蕎麦を食べ、そば饅頭とそばだんごとそば茶を買った。園芸店で、2種類のオキザリスも買った。もう花が終わってしまったのでと、230円の苗をひとつは100円に、もうひとつは150円にしてくれた。球根だからうまくいけばまた来年も楽しめるかも…。
 こうしてそうして秋の1日は暮れた。今年の残り日数を忘れたくて遊び歩いている気がしないでもないが、秋の1日が暮れ、年も暮れるのだ。去りゆく人の上着のすそをつかんで行かないでもう少し…と引きとどめるように、日々が過ぎ去るのを引きとめたい。無理なこととわかってはいても。
2011年11月13日 19:30 | コメント (0) | トラックバック (0)

霧の降る朝

 シュリンクの「逃げてゆく愛」(松永美穂・訳 新潮社)の『少女とトカゲ』の一節。
 
彼はためらいながら尋ねた。「どうしてお父さんと別れなかったの?」
「なんて質問なの」母は首を横に振った。「ある時期までは選ぶことができるかもしれない。これをするかあれをするか、この人と生きるかあの人と生きるか。でもある日、その活動やその人間が自分の人生になっているの。そうしたら、どうしてその人生を続けるのか、というのはかなりバカな質問でしょ。(後略)
 

 ひとつの短編のほんの数行の母親と息子の会話に、さらっと書かれた生きることの意味。なかなかの作家だと思うゆえんはこんなところにある。
2011年11月 6日 10:29 | コメント (0) | トラックバック (0)

得意技

 歩くのに最適な季節になった。ちょっと近くの図書館まで行って来ようと家を出た。せっかくだから大きな通りではなく住宅街を歩こう…なんて変な気を起こした。そして…道に迷った。図書館は5丁目にある。駅は2丁目だ。7丁目あたりから住宅街に入った。斜め右に歩いていけばいいはず…だった。
 ところが、いつの間にか9丁目に迷い込んでいた。まっすぐ進みすぎたと思い、大きく右へ進路を変えた。だが、行けども行けども大きな通りに出ないのである。困ったなぁ〜道に迷ったようだ…と思ったが、大きな木が生い茂り高い梢では鳥たちが歌っている。ちょっとした森に迷い込んだ気分だ。
 そこは隣町どころかさらにその隣町だった。必死に頭の中で地図を開く。先へ進んでいてはだめだと、さらに右へ進路を変えた。

 ようやく2車線の道路に出た。案内図も出ているではないか。駅は右へ進めとなっている。しかし右へ行く道はまだ細い路地だ。湧き上がる不安を押さえつけ、右へ右へと歩いた。やがてバスの通る大きな通りに出た。もう大丈夫…とは思ったが、右も左も見慣れない建物ばかりである。しかも道路はアップダウンの連続である。めげずに歩く。やがて、高校の前を過ぎ、公園を眺め、交番の前を通り、図書館に着いた。ゆっくり歩いても30分かからないはずだったのに、1時間も歩くことになってしまった。

 道に迷うのは私の得意技である。そんな人は、昔からの地元の住宅地に足を踏み入れてはならないのだ。朝(9〜10時)だったからいいようなものの、夕暮どきだったらどうなっていたことか………

 …というわけで、図書館で借りてきたのは次の3冊。いずれもドイツ文学。
「逃げてゆく愛」(ベルンハルト・シュリンク著 松永美穂・訳 新潮社 2001年)…「朗読者」が良かったので、同じ著者と訳者の本。
「遺失物管理所」(ジークフリート・レンツ著 松永美穂・訳 新潮社 2005年)…同じ訳者つながりで。
「蟹の横歩き ヴィルヘルム・グストロフ号事件」(ギュンダー・グラス著 池内紀・訳 集英社 2003年)…池内紀さんの訳なら安心して読めそうなので。
2011年11月 4日 19:44 | コメント (0) | トラックバック (0)

11月になって

 もう11月だ。いいじゃぁないの、時は流れて…と思うと同時に、時よとまれ、とも思う。来年になればすぐに春が来て、私は○2歳だ。それはそれでいい。平均寿命まであと何年、と考えると…、何ができるのだろう?何がしたいのだろう?と思う。そろそろ、妻でもなく母でもない「私」を生きたいなぁ、と思う。

 先日図書館で借りた「朗読者」(ベルンハルト・シュリンク著 松永美穂・訳 新潮社)は、久々に一気に読んでしまう本だった。確か映画にもなっていたと記憶するが、これは本で読むべきものだ。深く重い内容である。その深さ、重さゆえに、そして著者の作家としての書く力ゆえに、読む人をとらえてはなさないのだと思う。
2011年11月 1日 9:57 | コメント (0) | トラックバック (0)