ひとつの主義・ひとつの主張

 昨日の話題に続く…
 朝日夕刊の文化面に、憲法研究者・奥平康弘さんの君が代訴訟に関する批評が載っていた。それによると、判決には補足意見が数多く付けられているという。補足意見というのは、「多数意見の結論に賛成だが、争点について別の説明を加えるなどの方法で、多数意見の補強を試みる手法」なのだそうだ。それは、合憲とする多数意見には論議の余地がありすぎるということの表れだと、筆者は言う。これらの補足意見は、「理不尽で強圧的な行政の後始末を押しつけられた司法の側の悲鳴に近い」とも言う。

 職務命令により教員に対して起立して君が代を斉唱せよというのは、合憲だと判断されたとしても、だからといって単純に、大阪府知事さんの主張は正しいとはとは言えない。補足意見の数と内容が意味するところを十二分に考慮に入れる必要があるのでは…と思うのだけれど?

 さらに引き続いて…
 朝日朝刊の教育面には、学校現場ではどう受け止められているかという取材記事が載っていた。それによると、不起立の教師と生徒の意識にはずれがあるという。生徒側は「君が代の歴史なんて知らん」と言い、不起立の教師側は思いを伝える機会がない」と言っているそうだ。どちらも、今の(これまでの)教育の結果である。
 国が教えたい歴史ではなく、事実としての歴史を、さまざまな捉え方、考え方があるとしたうえで、生徒たちにも考える機会を与えるのが教育ではないのか…と思うのだけれど?
2011年6月29日 10:21 | コメント (0) | トラックバック (0)

世代間の意識のズレですむ問題か?

 九州でも梅雨が明けたというきょうは、朝からひとっ走り図書館へ。借りてきたのは、寝苦しい夜のための本3冊

「世の中にひとこと」(池内紀・著 NTT出版ライブラリーレゾナント 2009年)
「漱石の長襦袢」(半藤末利子・著 文藝春秋 2009年)
「自転車ぎこぎこ」(伊藤礼・著 平凡社 2009年)


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 今日の朝日朝刊オピニオン「論争」のテーマは、「君が代規律条例」だった。論争をするのは、野中広務さんと大阪府知事・橋下徹さんだ。ざっと読んでも野中さんの発言は論理的だしよく理解できるし同調もできるが、橋下さんの主張は納得しかねるところが多々ある。
 橋下さんはルールという言葉を何度も使っているが、ルールなどというものは作る(決める)のは簡単だ。言ってみれば、便宜的にいくらでも作れるものだ。そんなルールを、橋下さんは絶対視しすぎているように思う。「君が代」で常に問題になるのは、橋下さんが言うところの次の部分である。

 『日の丸・君が代を戦争の象徴だと思うのは自由です。 《思うのが自由なだけでなく、そう主張する自由もある》 でも、教師が何でもかんでも自由に教えていいかといえば、それは違う。 《そうともいえるが、どの教師も言われたとおりのことだけ言われたとおりにしか教えないなら、教師はロボットでいい》 学習指導要領で日の丸・君が代は「国旗・国家だときちんと教えましょう」となっている。 《それで?》 教育委員会が儀礼の所作として規律斉唱をやっていきましょうと決めたのに、不規律でもって自分の歴史観を子供たちに伝えるというのは言語道断。 《ここが問題だ。「日の丸・君が代を戦争の象徴だと思うのは自由」という前提では、上からの命令でも従えないものは従えないとする自由はあるはずでは?》 歴史観は一定のルールのもと、授業で教えればいい。 《これは危険な考え方だと思う。過去に学べば分かるはず》 』  *《 》内は私の腹の虫の声

 国歌斉唱のとき、私は起立はするが(それが国歌だから)、声を出して歌うことはしない(それが君が代だから)。「君が代」は大日本帝国の国歌だ。しかし、今は日本国である。国名は変えたのに国歌を変えないのは何故?
2011年6月28日 14:22 | コメント (0) | トラックバック (0)

世界遺産

 ユネスコ世界遺産委員会は、「平泉」を世界遺産に登録することを決めた、という。「浄土の世界を現世に表現したもので、浄土思想と日本固有の自然崇拝が融合している」点などが評価されたそうだ。ところが、その発表があったとたんに、平泉には観光客が殺到したそうだ。

 それは違うんじゃないの…と思う。世界遺産になれば、これまで以上にそっとしておかなければ壊れてしまうではないか。世界遺産とは秘して保護するものではないか。雨の中、傘をさしてまで我も我もと押しかけてどうするというのだろう?行ってきたよ、見てきたよ、世界遺産だってねぇ、それだけではあまりに貧しすぎる。
2011年6月27日 12:38 | コメント (0) | トラックバック (0)

キッチンの暑さ対策

 私は魚を焼くのが下手だ。何十年とやっていても、やはり下手だ。魚を焼くにはロースターという便利な調理器具があるのは知っていたが、置く場所がないとあきらめていた。焼き魚は食べたいが、魚を焼くのは苦痛。いつまでも部屋中から、魚を焼いたでしょ?という臭いが消えない。何とかならないか…とキッチンを眺め回した。

 目に付いたのが炊飯器だ。炊飯器は保温をするわけではないので、ご飯を炊くときだけ出てくればいいのだと気が付いた(今頃気が付いた!)。炊飯器はトースターの隣に引っ込んでもらうことにした。買ったのは、その名も「おさかなけむらん亭」(Panasonic)というロースター。
 魚を焼いたでしょ?という臭いがしないことが、こんなに快適だとは!今日は、さわらの西京味噌つけを焼いてみたが、焼きあがりも「これ誰が焼いたの?(ロースターのマイコンが焼いたの!)」というほどのできばえだ。裏返す手間も要らず、できましたよ!というブザーが鳴るのを待っていればいいだけのラクチンさ。もっと早くに買えばよかった!と、心底思った。

 味の素のサイトに、「今みんなでできること! 節電応援レシピ」といものがあるという。電気もガスも使わない簡単レシピとか、プロの節電レシピとか、コンビにめしなどが紹介されている。電力不足対策としての節電のためにそこまでしなきゃならないのかと疑問を感じるが、暑い夏はやはり手を抜きたいとは思う。美容室でたまたま見た「オレンジページ6月17日号」は、「忙しい日のラクチン晩ごはん」という手抜き対策が満載だった。この号だけは欲しいので、ネットで購入することにした。今年の夏は、「オレンジページ6月17日号」と「おさかなけむらん亭」と「電子レンジ」で乗り切るのだ。
2011年6月25日 22:10 | コメント (0) | トラックバック (0)

難しい問題

 臓器移植法(売買の禁止)違反と電磁的公正証書原本不実記録・同供用の疑いで、医師ら計5人が逮捕されたという。1千万円を支払って生体腎移植を受けたのが医師だったというのには驚いたが、お金があれば何でもできるというかのような事件にはげんなりした。
 医師といえども病気になることはあるだろうし、そのつらさは医師だから軽いということもないだろう。そうはいっても、所詮お金なの?というところがなんともやりきれない。お金持ちは国内で暴力団関係者を頼り、お金に余裕のない人は海外で腎臓を買うらしい。腎臓はなぜ2個あるのか、罪深い臓器である。

 先日、献血ルームへ行ったときに臓器移植意思表示カードをもらってきた。もちろん「私は、臓器を提供しません」と意思表示するためだが、なかなか記入できないでいる。それは、「親族への優先提供も可能」などという法律に変わったためである。
 我が子が臓器を必要とする状態であったなら、私が死んだら「私の臓器を」というのは、親の心情としては当然だろう。しかし、それは究極の親のエゴでもある。私の場合は、幸い今はそのような状況にはないが、この先のことは分からない。万一の状況に陥ったら、エゴだと言いつつもエゴを押し通したくなるかもしれない。我が子を含めていっさい臓器を提供しませんと言い切れるほど、私は強くはない。

 臓器移植が本当に治療法として確立しているならば、治療費(薬代と同様に臓器代として)という名目の代価を払って臓器提供を受けてもいいのではないかとさえ思えてくる。
2011年6月24日 14:54 | コメント (0) | トラックバック (0)

シンプルに、よりシンプルに!

 エコポイント制度(今振り返ってみてもあれは何だったのだろう?と思うが)で手にしたJCBギフト券を、先日やっと使い切った。手続きのあまりの煩雑さに、勧められるままにヨドバシさんで代行してもらった。そうして手にしたギフト券は、もちろん他店でも使えるが、ヨドバシさんで使えばポイントが付くという。なんのことはない、次の買物もヨドバシで…ということだが、そうそう次々と買いたいものがあるわけではない。

 そして先日、ええぃ!使っちまえぇ〜という気になった。つくづく眺めてみると、FAXは10年以上も使っていた。グリーンの地に黒の文字の表示がだんだん見えずらくなっていた。年を重ねるにつれ、機能は最小限でいいから操作はシンプルなものが欲しくなってきた。
 探してみるとそういう条件に合うものが見つかった。「おたっくす」の一番シンプルなものがぴったりだった。ええぃ!買っちまえぇ〜というわけで、ヨドバシさんへひとっ走り。30年近く使っているお気に入りの電話台に、ちんまりとおさまった。

 電話帳への登録はコキでやれという。見れば、確かにオヤキにその機能はない。どうやって…?と戸惑ったが、子機はまるで携帯電話のよう。私でも簡単にできた。非通知でかかってきたら、「名を名乗れ〜」とメッセージが流せるし、長話をする相手には、「ピンポ〜ン!」とチャイムの音を流して、「あっ、誰か来たみたいだから切りますよ」と騙すこともできるという。FAXやコピーの操作は音声で案内してくれるのも、いつもどうやるんだっけ?と言っている人には役に立つ。

 年をとるにつれて、身の回りのモノは減らし、家電は単機能で操作がシンプルなものに…というのが、これからの生活信条となる。
2011年6月17日 15:28 | コメント (0) | トラックバック (0)

梅雨明け、まじか?

 沖縄では、平年より2週間も早く梅雨が明けたという。と、いうことは、関東の梅雨明けも早い?梅雨が明ければ、普通なら本格的な夏だ。暑い夏だ。が、今年は電力不足、1に節電、2にも節電、あけてもくれても節電してくれ、という。善良な?国民ほど節電に励む。で、心配なのが熱中症。日本生気象学会は、ウェブサイトで「熱中症対策」を公表したそうだ。それによると、「健康な人は6月中に暑さに強い体をつくること」を勧めているという。

 言われるまでもなく、そろそろ暑さに慣れておかなきゃ…と思い、今日は献血をしてから図書館へ。日傘を差して、汗を拭きながら歩いてきた。借りてきたのは次の3冊…

「小雀物語」(クレア・キップス・著 大久保康夫・訳 小学館ライブラリー 1994年)
「装丁問答」(長友啓典・著 朝日新書 2010年)…読みたい本のリストに長らく名を連ねていた本
「串田孫一集2 智の鳥の囀り 思索」(串田孫一・著 筑摩書房 1998年)…私のお気に入り、串田さんの本

 「小雀物語」は人から薦められた。新訳本(「ある小さなスズメの記録」という題名らしい)は何かで紹介されたらしく、今話題になっているそうだ。私が借りたのは17年前の本だが、さらに古いものでは「スズメと私―愛の記録12年」という題名で1985年に今田惠・訳であったそうだ。
 当時ベストセラーとなった本が、時代を経て繰り返し復刊されるというのは、誰かが仕掛けているのか、時代が求めているのか、そこらあたりはよくわからないが、いまどきの新訳よりは大久保訳のほうが私の好みに合いそうだ。なんといっても大久保康夫さん(日本における英米文学専門翻訳家の草分け的存在)である。私にはおなじみの懐かしいお名前なのだ。
2011年6月 9日 18:52 | コメント (0) | トラックバック (0)

昨日のこと、今日のこと

 深夜の緊急電話はどきっとするが、緊急地震速報はもっとどきどきする。すぐに目覚めても、けたたましく鳴り続ける携帯に向かって、はい、はい、ただいま…と返事をするばかりで、体はすぐには動かない。このところまた地震が多くなったように感じるが、どうなのだろう。

 新聞の報道によれば、「東京電力福島第一原発1号機の水素爆発は、水素ガスが逆流したことから起きた疑いが強いことが分かった」そうだ。問題は、それをどのように公表するか?だ。東電の幹部だという人は、「排気設備の設計に問題があったと言われてもやむを得ない」と話したという。「ミスした」を「問題があった」と言い、自発的に「ミスをした」とは決して言わず、「そう言われてもやむを得ない」と言う。誰がミスをし、誰がそれを見過ごしたのか。主語を「誰某が」にして言わなければ、すべては他人事となる。

 「埼玉県に避難中の福島県双葉町は、町に直接寄せられる義援金を当分辞退することを決めた」という報道もあった。「避難町民の1人が逮捕されたことを受け、自粛する」というのだ。町長の独断に対して町民からは批判が出ているという。当然だろう。しかし、町長が独断でそう決めた裏には、「事件発覚以降、町には「役場ごと埼玉から出ていけ」といった苦情のメールが複数(多数ではない?)寄せられた」という事情があるそうだ。そういう事態になったのは、「児童買春・児童ポルノ禁止法違反容疑で逮捕された」ということが影響したのだろうと思われる。

 それぞれの段階で、それぞれが判断を間違わなければ、こんなことにはならなかっただろうに…、と思う。さまざまな風当たりは、私などには想像できないほど強いものがあるのだろうが、他県に集団で避難している人たちは、負けないでほしいと思う。卑屈にならないでほしいと思う。そして、「役場ごと埼玉から出ていけ」というような苦情を言った人たちは、八つ当たりをやめ恥じてほしいと思う。そうしなければ、あまりにも悲しいではないか!
2011年6月 4日 10:11 | コメント (0) | トラックバック (0)

思うこと、いろいろ

 今日から6月…だが、今朝の肌寒さといったら冬に戻ったかと思った。いずれ初夏という季節は無くなるのかなという気はしていたが、早春から一気に夏になるのだろうか。なんにしても、寒くて…夜は毛布が手放せない。

 先日図書館で借りた「堀文子画文集 1999〜2009」は、すばらしくスバラシイ本だ。以前に美容室で、たしかクロワッサンという雑誌だったと思うが、インタビュー記事を読んだときから、堀文子さんの最近の作品を見てみたいと思っていたのだった。
 ヒマラヤの標高5千メートルに咲くというく「ブルーポピー」の絵と文は、特にいい。その花は、『蕾にも茎にも葉も葉の裏まで全身が金色の刺にくるまれ』ているが、『気品に充ちた青い花はうす絹でできたように繊細』なのだという。そして、堀さんは、その花の『毅然とした生き方、よりかからず、媚びず、たった一人で己を律する姿勢に共感した』という。ひとつの花のありよう、姿に、人の、人生の真理ともいえるようなものを見出す画家の目に感服し素敵だなぁと思う。

 まわりの人の、私についての印象は、「大事にされている人、苦労なんてしていないような人」というものだ。そういわれるたびに「人の気も知らないで…」と、いやな気分がしていた。昨日もまたそういわれたのだが、どういう心境の変化があったのかわからないが、突然「もしかしたら、私はいい生き方をしているのかも」と思った。
 世の中には、社会に対するうらみつらみをその身に漂わせている人が結構多いように思う。たとえ実情はどうであれ、まわりの人に「あなたは幸せそうね」と思わせることができるというのは、イイコトかもしれないと思った。

 堀文子さんが『毅然とした生き方、よりかからず、媚びず、たった一人で己を律する姿勢に共感した』と表現した「ブルーポピー」の姿は、私の理想とする生き方そのものだ。孤独を友とし、自身で自己を守りながらも、まわりの人からは「あなたは幸せそうね」と言われる…、これでいいのかも。
2011年6月 1日 10:45 | コメント (0) | トラックバック (0)