あなたはどう思う?

 前回、「あなたはどうする?」と書いたが、実際はそれどころではなく「我が家はどうする?」である。調べてみると、一番古い扇風機はなんと17年も使っていた。たしかに、リモコンは利かないし首も振らない。エアコン設置の部屋で補助的に使用していたので、まぁいいか…と思っていた。30年、40年前製造の扇風機ほどには劣化が早くないとしても、17年はそろそろ要注意である。まぁ、私としたことが…、まぁいいか…と放置していた。だが、買い換えるとしても今は品薄、品切れ状態だというし、どうしたものか。

 みすず書房ニュースレター(no.76) の「菊坂だより」に、こんなことか書いてあった。
新宿のある書店で行われているフェアでのオススメ選書に、谷崎潤一郎・著『陰翳礼讃』を加えておいたそうだ。『あまり時間の猶予もなく、困った挙句、「計画停電もあるだろうし〔当時は〕今、暗さについて考えてみることも必要か……」などと、少々安易な思いつきで』…というのがその本を選んだ理由だったという。ところが、それが”よく売れている”のだそうだ。それを聞いてなぜ?と思い、久しぶりに読み返してみたところ、「やはり面白い」、だったという。そして、『そもそも、現代は明るく照らされすぎているのかも。とみに私のような地方出身者は、かつての夜の暗さを懐かしく感じることもしばしばあったななどと思いながら、その夜はあらためて名文を堪能した』と結んであった。

 昨夜の眠りにつく前の本は「父娘の銀座 ベスト・エッセイ2009」だった。その最初は、椎名誠「あかるい日本」だ。それによると、宇宙飛行士から聞いた話として「日本はその形がイルミネーションになってしまっているほどあかるい」らしい、という。それは、各国から集まってきた宇宙飛行士のなかではきわめて「恥ずかしい」風景であるらしい、という。そのあと、アメリカは全体は黒い闇で大都会の明かりはその中に点としてあるだけだという話とか、ヨーロッパではギラギラしたただ明るければいいという発想はないようだという話が続き、「人為的に明るすぎる夜を作っている日本の文化は、精神的には非常に不健全な現象を起こしている可能性がある」と結論付けている。そして、「夜更けになったら危険なので街を歩けない、という状態のほうがむしろ自然なのかもしれない」、という。「テレビは深夜放送をやめてもいいかも、コンビには本当はなくてもいいのかも」、ともいう。『事実これまでわたしたちはかなり長い年月、そういうものがなしでも十分満足して生活してきているのである』というのが、椎名さんの言い分だ。

 言うまでもないことだが、あかるさあっての闇であり、闇あってのあかるさである。『陰翳礼讃』はその認識あっての名文だろう。しかし、椎名さんのエッセイはあかるさと闇を対比させているように読める。私は闇夜に恋焦がれはするが、危険で歩けない街になるほどの闇はイヤである。「わたしたちはかなり長い年月、そういうものがなしでも生活してきている」というのは確かに事実だが、それを「十分満足して」してきているかどうかはわからない。極端に結論づけると、人間が何の変化も望まず常に十分満足してしまったら、人類は滅びるのではないか?
2011年5月27日 10:16 | コメント (0) | トラックバック (0)

あなたはどうする…?

 このところ、5月にしては肌寒い日が続いている。昨夜、うたた寝をしていたら寒さで目が覚めたくらいだ。今の気温は17℃。さわやかを通り越してチト寒いという感じ。

 それでも扇風機は売れているらしい。売れているを通り越して、品薄、品切れの商品も出始めているという。政府が、家庭での節電対策のメニューとして「エアコンから扇風機に切り替えれば50%節電」と呼びかけただけで、人々が家電量販店に殺到した?もしそうであれば、ちょっと怖い気がするのは私だけ?

 今年の夏が昨年同様の極暑になったとしても、扇風機だけで過ごせるのだろうか?一家に何台の扇風機で?たとえばマンションなら、ひと棟全戸が一斉にエアコンを止め扇風機に切り替えなければ、とても扇風機だけでは無理な気がする。外気の熱気を抑えなければ、室内でどんなに扇風機をかけても熱風には負けそうだ。

 「エアコンから扇風機に切り替えれば50%節電」という家庭での節電対策のメニューは、町内をあげて、地域一丸となって、市全体の取り組みとして、あるいは県単位で、取り組めという意味だった…?
2011年5月26日 9:46 | コメント (0) | トラックバック (0)

本、3冊

 雨がやんで、次の雨になる前の貴重な晴れ間。ドラッグストアの店員さんが、きょうはお洗濯日和、お出かけ日和、犬の散歩にも日焼け止めをお忘れなく!本日はお買い得です!と叫んでいたが、とりあえず私は図書館へ。

借りたのは次の3冊。
「堀文子画文集 1999〜2009」(堀文子・著 JTBパブリッシング 2009年)
「父娘の銀座 ベスト・エッセイ2009」(日本文藝家協会・編 光村図書出版 2009年)
「猫の文明」(赤瀬川原平・著 毎日新聞社 2002年)
2011年5月25日 19:30 | コメント (0) | トラックバック (0)

森林浴

 森林浴といえば武蔵丘陵森林公園(2003年5月に行った)を思い出す私だが、先日は都会で森林浴をした。目黒駅から歩いてすぐという都会の中なのに、そこだけが深い森である。それは、国立科学博物館付属自然教育園。あまりに気持ちが良くて、気がつけば3時間も散策していた。

 都会の騒がしさがふと消えたと思うと、木々のざわめきと野鳥の声(カラスは少々うるさかったけれど)、森の小道を歩くさくさくという音、それだけである。世俗のわずらわしさを忘れたひとときだった。また、新緑のもみじの美しさが心にしみた。

 森のところどころには池があり、水辺の植物や水鳥も…。カメさんと戯れ、カモちゃんと遊び、野鳥の鳴き声に耳を澄ます。カメさんは私の呼び声に応えて大急ぎで近づいてくるし、昼寝をしていたカモちゃんは、私の「起きて…!」という呼びかけに、急いで目を覚まし毛づくろいを始めるし…といった具合。

   
2011年5月21日 10:26 | コメント (0) | トラックバック (0)

実は話

 損害賠償の原資として電気料金の値上げもありうるということに対して、(朝日新聞社による全国世論調査の結果では)「納得できる」は48%で「納得できない」は43%だったという。まぁ、そんなものだろうと思う。

 東京電力は、東電福島第一原子力発電所1号機が燃料溶融に至ったのは3月12日だとしていたが、”実は”東日本大震災による津波到達後5時間半後だったという暫定的な解析結果を発表したそうだ。あらゆることが、東電が把握した時点よりまる1日早く進んでいたことになるらしい。これをどう判断すればいいのか…。
原発なんてそれほどわからないものだとするのか、東電の能力は所詮その程度とするのか、どちらにしても「ああ、そうですか」とも「まぁ、そうだったのですか」とも言えるものではないことは確かだ。

 事態の把握にあわあわし、その対処にうろうろし、未だに想定外のことが次々に起きている(未だに何ひとつ終息できていないし見通しすら立てられていない)とするなら、その責任はとてつもなく重い。それなのに損害賠償の原資として電気料金を値上げしたい…なんて言い出したら、私は…、やはり納得できない。
2011年5月16日 9:46 | コメント (0) | トラックバック (0)

セツデン

 毎日のようにセツデンセツデンと聞かされていたら、電気を使うことが面倒になってきた。そして、頭に浮かんだのは「晴耕雨読」という言葉である。私の朝は早い。好き好んで…ではないが、毎朝4時半に起きる。言われるまでもなく、早朝に電気を使う家事は済んでしまう。日中はリビングの照明もつけず、窓辺の明かりを求めて移動する。夕方の電機を使う家事は、4〜6時の間に済んでしまう。そんな生活を続けていたら、4月半ばから5月半ばのひと月分の電気使用量は前年度の36%減だった。

 政府は、東京電力と東北電力管内の今夏の電力需給対策として、ピーク時の最大使用電力の削減目標を一律15%減とすることを正式に決めたという。家庭には自主的な節電を促し、「家庭向け節電対策メニュー(11項目もある)」までつくったそうだ。ご親切なことである。

 また、「東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う損害賠償を支援する枠組み」も正式に決ったという。内容は結構ヤヤコシイ。「機構」を新設し、アレヤコレヤして、原発を持つ電力10社(日本原子力発電を含む)には、機構に負担金を拠出することを義務づけるそうだ。
 問題は、「東電を含む電力各社が機構に拠出する負担金分は、電気料金の値上げにつながる可能性がある」といわれていることだ。あの東電のことだから、たぶん…、いや、きっと…、値上げするだろう…と思われる。
 今現在は、電力供給量が不足しているというから仕方なしにセツデンしているだけだが、もしあれこれ理由をつけて値上げするといったら、ソノトキは抗議節電をしたいと思う。

 今日の夕刊の「原発事故での使用を想定し、国の予算30億円で開発・製造された遠隔操作ロボットが、東京電力などが「活用場面はほとんどない」と判断したために実用化されなかったことがわかった。という記事には心底驚いた。完全に言葉を失った。
 現実にこれだけの事故を起こしてしまった今も、その頃と何も変わってないのではないか。自分たちが悪いんじゃないもん、地震のせいなんだもん、津波が大きすぎたんだもん、…もん、…もん、…もん……と。
2011年5月14日 19:32 | コメント (0) | トラックバック (0)

履歴書

 昨夜、とっぷり夜も更けてから、「長谷川リン二郎画文集 静かな奇譚」(長谷川リン二郎・著 求龍堂 2010年)の「タローの思い出」を読んだ。タローの姿がはっきりと目に浮かび、リン二郎さんとその家族の姿がソレを鮮やかに彩る。猫と生活を共にする人は、いつの時代でも、どんな人でもみんな同じなんだとうれしくなった。
 素敵なねこさんがいて、出会いがあって、日常があって、そして別れがあって、思い出が残る。その思い出は、やがて別れの寂しさもつらさをも喜びに変える。
 
 リン二郎さんは、そんなタローのためにたわむれに「履歴書」を書いてやった。それを読みながら私は、私のねこさんのプロフィールを書いたことを思い出していた。
2011年5月 8日 10:23 | コメント (0) | トラックバック (0)

本から本へ

 きょうは立夏、夏の幕開けだ…といいたいところだが、気温の低い1日だった。そのうえ、どちらを向いても土下座ばかりである。土下座しろとつるし上げられて土下座するしかない人や、自らとりあえず土下座しているように見える人や、それ以上の謝罪の態度はないにしても、見るのはつらいものがある。
 もともとの土下座は、身分の低い人が身分の高い人に対してする最高の礼(最敬礼の上をいく)だったらしいが、建前では身分制度などない現代では謝罪・懇願の型になってしまったらしい。土下座したから許すのか…といえば、そうではないらしい。まさか、とは思うが、それなら次は切腹でも迫るのか…?

 アチラニモコチラニモ嫌気がさしたので、気分転換に図書館へ出かけた。ついでに足を伸ばし、モノレールと京葉線にも乗ってきた。モノレールは吊下げ式で、ロープウエー並に怖かった。よく揺れるだけでなく、レールはカーブが多い。カーブの度に、周りの人には聞こえないように体内で悲鳴を上げた。

 借りてきた本は次の5冊。
「変身」(高田宏・著 高田雄太・絵 TBSブリタニカ 1993年)
「本のある生活」(高田宏・著 新潮社 1979年)
「面白い本ならある 本から本へ」(高田宏・著 創拓社 1991年)
「還暦後」(高田宏・著 清流出版 2000年)
「長谷川リン二郎画文集 静かな奇譚」(長谷川リン二郎・著 求龍堂 2010年)

 相変わらず、高田宏さんづくしである。図書館の高田宏さんの棚を読みつくしそうな勢いである。「静かな奇譚」は、後ろのほうにある「タローの思い出」という文をぜひ読んでみて…と勧められた本だ。パラパラとのぞいてみただけでも、おぉ!!という声がもれた。読むのが非常に楽しみだ。最後の一粒の、チョコレートかマロングラッセか、…みたいに。
2011年5月 6日 19:52 | コメント (0) | トラックバック (0)

…そして、続く…

 先月末からのGWも前半が過ぎた。お天気はパッとせず、時に突風か?と思うほどの風が吹く。それでも新緑が鮮やかになり、私の5月だョとつぶやいてみる。そんな日々を過ごしていると、突然驚くようなニュースがラジオから聞こえてきた。アメリカがビンラーディンを殺害した、という。大統領が緊急のテレビ演説を行い、『「アメリカ当局による攻撃で殺害した」、「正義が成された」』と述べたそうだ。へぇ〜というか、はぁ?というか、ふ〜んというか、つまるところなんと言えばいいのか、言葉を失った。

 アメリカメディアの報道によると、急攻撃で殺害したのち遺体を回収し、DNA鑑定などで「本人」と確認した後、海へ投棄した」といわれているらしい。アメリカはにとっては憎っくきビンラーディンかも知れないが、あまりにも乱暴な…という気がする。敵だからといって、ごみのように扱っていいというわけではないだろうに…。敵といえども、人間に対する尊厳などこれっぽっちも持ち合わせていないのだろうか…。
 誰もが言っているように、これはテロとの戦いの終焉では決してなく、新たな戦いの幕開けでもある。ソレを承知のうえでの作戦実行であったのなら、アメリカという国はつくづく戦いの好きな国なのだろう…というしかないではないか。
2011年5月 3日 9:21 | コメント (0) | トラックバック (0)