消費電力次第?

 計画停電に煩わされずにすむようになり、少しは落ち着いて過ごせそうだ。今朝の新聞には、経済産業省の内閣官房・節電啓発担当の名で「節電協力に対するお礼」の広告が載った。毎日の「電力の使用状況グラフ」を見ていてもよくわかるが、本当にみんなが本気で節電に協力しているのだ。
 駅構内の天井の照明をみると、4つに1つの割合で点灯していた。薄暗いとはいえ、昼間ならこれでも大丈夫だ。エスカレーターは停止していたが、エレベーターは動いていた。これもOKだ。必要なものには使いながらも使い方には工夫をする、ここからもみんなが本気で節電に協力していることがわかるではないか。

 早めにノートPCを買ってしまったために、まだ使えるモニターの「その後」が問題になった。PC本体のほうはもとからの約束で我がパソコンのセンセイに引き取ってもらった。問題はモニターをどうするか?だ。
 我がパソコンのセンセイにお知恵拝借と相談にいくと、ケーブルでテレビにつないではどうか?と言う。ケーブルを買い足したりといった経費はかかるが、消費電力はモニター(HP 1859m 18.5インチワイド液晶モニター)は29Wなのに対し、テレビ(SONY WEGA KV−29DS1・2000年7月購入)は145Wである。節電になるうえに、ダイニングテーブルのそばの背の低い本棚に置くと「ちょっとニュースを…」というときに便利である。決断も実行も早い私のこと、すぐにやってしまった。

 東京電力のために節電をしているわけではない。自分自身のためだ。今年も去年のような極暑の夏になれば、停電は苦行となる。そんなのは耐えられない。だから今から…なんて、まるで私はアリさん、ね?
2011年3月31日 10:50 | コメント (0) | トラックバック (0)

うさこちゃんの2粒の涙

 小さな余震はひっきりなしにあるが、土日は停電もなく少しは心穏やかに過ごせる気がする。朝のコーヒーを楽しみながら朝刊を読んでいて、「うさこちゃんの2粒の涙」に、私は思わず涙した。

 天災に対しては誰を責めることもないが、人災となれば話は違ってくる。ミスを犯した人は、それが重大なものであればあるほど、責任を追及されて当然だし、責任を負ってもらわなければならない。汚染情報を共有することを怠り、福島第一原発3号機のタービン建屋内で作業していた3人を被曝させた責任は思い。「想定外のことで現場が混乱していて…」などとは口が裂けても言ってはいけない。

 1時間毎の「東電の電力使用状況」が発表されるようになったが、私はそれ(ヤフーのページの棒グラフ)の意味がよくわからなかった。今日の8時現在の使用率は78%で、黄信号である(40%までは青信号、80%を超えると赤信号)、…ということはどういうことなのだろうと思っていた。若い人に説明を求めやっと理解できた。黄信号あたりなら、もう少し使っても大丈夫。もし赤信号になっていたら、一段の節電に努めなければ、いきなり大停電になることもありうるかも。青信号なら安心していていい。東電のページの「電力の使用状況グラフ」はもう少し詳しい。

 こまめな節電とともに、省エネ家電への買い替えも効果的なはず。図らずも我が家では、2台のエアコンと照明器具を買い換えたばかりだった。大型の家電量販店は、省エネ家電への買い替えを促すためにそれらの製品を値下げしてくれればいいのに…、と思う。そうすることで消費も刺激されるだろうし…。地デジ対策の大型テレビはかなり値下げされたようだが、それはどれも消費電力が恐ろしく大きいらしいので注意が必要かも。

 ノートPCが欲しいと思いつつも、今のデスクトップPCはまだ使えるし…と先送りしていたのだが、停電中もノートPCならバッテリーで使えるのだ。即、決断し、発売開始日に「HP Pavilion g4-1000 Notebook PC (LQ871PA-AAAA)」を買ってしまった。ちょっとうれしいお買いもの、だった。
2011年3月27日 10:41 | コメント (0) | トラックバック (0)

停電の夜

 昨日は午後6時20分から停電する日だった。それまでにやっておくことは済ませ、よし!来るなら来い!…と待ち構えた。刻々とその時刻が近づき、気持ちがカウントダウンし始めた。ところが20分には何事も起こらず、30分になっていきなりブチッと電気が切れた。
 そのとたん、階段で「おかあさん!電気が消えちゃったよ〜!真っ暗だよぉ〜」というこどもの叫び声と大きな足音が響いた。思わず懐中電灯を持って駆けつけようか、と思った。ほどなく、玄関ドアが開く音と、こどもの落ち着きを取り戻した話し声が聞こえてきたのでほっとした。

 明かりを確保し、スターリング ターボにエネループをいれラジオをつけた。いつもどおりにNHKーFMを聴くことはできたが、あとは何をするでもなく…。まもなく8時となり、やっと1時間半、あと1時間半だ…とため息をついたとたんパァアアと電気がついた。3時間と覚悟を決めていたのに…、もういいの?と半信半疑である。
 どうやら1時間半の停電でお許しが出たようだ。そのとたんうれしくてカーテンを開き、近くのマンションの窓々に向かって手を振りたくなった。ついでに、バンザイもしたくなった。

 我がマンションのそばにはJRの高架が走っている。停電してもこうこうと明かりをつけた電車が通り過ぎていく。ベランダに出て埋立地の方向を望めば、高層マンションの明かりが見える。北側の部屋のカーテンを開ければ、ちょっと大きな道路の明かりと、その向こうには同じ区内なのに電気のついているマンションが見える。よく見れば、まわりはほどほどの明るさだ。暗いのは家の中だけ。

 停電すれば断水する。夜ともなればトイレ用の水も用意しておかねばならない。バケツに水を張り、手桶を添えてトイレに置いておいたところ、誰もがトイレのドアを開けたとたん「う、わぁ!」と声を上げた。バケツを置いた張本人である私でさえ「う、わぁ!」と叫んでいた。
2011年3月25日 18:50 | コメント (0) | トラックバック (0)

想定外をも想定する

 計画停電の合間をぬって図書館へ…というのが習慣になりつつある。いつもは本がどっさりある中央図書館へ行くが、さすがに今はそこまではできない。その中央図書館の近くには、最近オール電化のマンション(規模は小さい)ができた。このあいだ通りがかったときには、華々しく販売を開始していた(見学者は全く見かけなかったが)。由緒ある住宅地のなか、図書館のすぐそば、小学校もすぐ、もちろんJRの駅もすぐ、そごうや三越といったデパートへもパルコにも歩いて行ける場所だ。今の状況では、とても売れないだろう。オール電化はこんなにすばらしいんですよぉと宣伝に熱心だった東電さんは、日本では大地震などもう起きないとでも思っていた? 想定外のできごとで…などといっている場合ではないのでは?

 東日本大震災の影響を受けて、一部の地域で「電波時計」に誤差が出ているという。そんなことも起きていたのだ。「標準電波送信所が、東京電力福島第1原発事故の避難指示の対象区となり、無人化して運用できなくなっているから」だそうだ。あれ、まぁ…というほか言葉も出ない。

 「消費自粛」は誰のためにも何のためにもならないばかりか、その害は計り知れないものがある。というわけで、外出したときは昼食用に何か買って帰ることにしている。先日はおこわを買った。今日はハンバーガー(てりやきバーガー、チキンクリームチーズバーガー、ビーフコロッケバーガー、私が食べたのは1個半です)を買った。

 今日は18時20分から停電だ。それまでにアレをしてコレをして…。
夜の停電では本は読めないが、図書館で借りた本は次の4冊。

「花の水やり」(川本三郎・著 JDC 1993年)
「時のきれはし」(野口富士男・著 講談社 1991年)
「覚えていない」(佐野洋子・著 マガジンハウス 2006年)
2011年3月24日 14:00 | コメント (0) | トラックバック (0)

続く余震

 地震が苦手な(怖いというのが本音)私は、これまでなら少しでも揺れようものなら「ひぃぇ〜」と悲鳴を上げていた。今は、黙ってテーブルの下に這いずり込む。そして、揺れがおさまるのをひたすらじっと待つ。それを、日に何度繰り返していることか…。

 14階建てマンションの5階に住む我が家では、11日の地震で割れたのはグラス1個だけだったが、上層階ではかなりの被害があったのだろうか、自治会から粗大ゴミの集団回収実施のお知らせがあった。後日よく見ると、エントランスの階段と敷地の境には段差(隙間?)ができていた。

 計画停電は第1グループだ。これまでに一番数多く停電したグループらしいが、確かに日に2度の停電はつらい。今日は、2回とも実施が見送られたのでほっとした。

 テレビは見ないので知らないが、ラジオ(NHK−FM)では、やっと音楽が聴けるようになった。それはとてもうれしいのだが、ひとつだけ引っかかることがある。ニュース番組の冒頭で、アナウンサーが視聴者に向かって、「今日も聞いてくれていますか?」みたいな呼びかけをするのである。私はこれがとてもイヤなのだ。何のまねか知らないが、ニュース番組はニュース番組なのである。正確な情報、役に立つ情報を端的に伝えてくれればそれでいい。余計なものは不要である。多すぎる不要な言葉は空虚だ。なかにはあれがいいと思う人もいるだろうが、私はたまらなくイヤ…。

 先週の土曜日、停電がなかったので図書館へ行った。借りたのは次の3冊。
「日の匂い」(中村稔・著 青土社 1995年)
「音の細道」(群れようこ 幻冬舎 2005年)
「できればムカつかずに生きたい」(田口ランディ・著 晶文社 2000年)

 軽く読むつもりだったのに軽く読めなかったのが、3冊目の本。一番最後のところには、今の私の思いにかなり近いことが書いてあった。
2011年3月23日 14:19 | コメント (0) | トラックバック (0)

大地震

 ただただ恐ろしかった。精神的にはかなりまいってはいるけれど、私は怪我もなく大丈夫。しばらくはブログの更新はしません。

 いつも読んでくださる方々、どこにお住まいかわかりませんが、「とりあえず今日1日を」の思いでやっていきましょう。
2011年3月14日 8:32 | コメント (0) | トラックバック (0)

一番嫌いなオトコ

 こういう男(現都知事のこと)、私は一番嫌いである。周りの人々を散々振り回した挙句に、しゃしゃり出て来る。都知事選(4選)出馬するという。その理由というのが、「石原都政の継承が困難になるとの懸念を強めたから」と言われている。何人もの立候補者の顔ぶれを見てからそう思ったらしい。

 都知事は都民が選ぶもの、イシハラさんが選び決めるものではない。どんな都政が望ましいかを決めるのも都民、イシハラさんではないことも明らか。「石原都政の継承」が絶対であるなら、最初から出馬すべき。辞めるつもりであったのなら、新たな都政をも受け入れるべき。

 何はともあれ、すべては都民が決めること。多くの候補者がいることは悪いことではないはず。票が分かれて一度で決まらなければもう一度すればいいだけのこと。そこで東京都抱えている問題が明確になる。
2011年3月11日 10:06 | コメント (0) | トラックバック (0)

3冊で143人?

 なんとなく、なんとなくこれは…と思うときもある。今回は表紙を見たとたん気がつき、同じ本を2度借りる羽目にはならずに済んだ。確かに2009年末に借りていた。たびたびこういうことが起きるのはタイトルのせいだ、たぶんね。そういう本に限って、いかにも私好みのタイトルなのだ。困ったことだワね。

 昨日借りてきたのは次の4冊。今回は軽めに…
「あの日、あの味 食の記憶でたどる昭和史 月刊『望星』編」(東海教育研究所 2007年)…66人の筆者によるエッセー集。昭和はもう「昭和史」と括られる時代になったのだと思うとちょっと複雑な気分。

「半歩遅れの読書術U 私が本当に伝えたいこの1冊」(日本経済新聞社編 2005年)…30人の筆者の読書エッセー集。こちらはまだ読んでなかったはず。

「誤植読本」(高橋輝次・編 東京書籍 2007年)…47人の筆者のエッセー集。

「笑いの日本語事典」(中村明・著 筑摩書房 2008年)…?
2011年3月 5日 15:14 | コメント (0) | トラックバック (0)

ナンと言われようと

 あれもこれも”イマドキの…”で括ってしまうのがいいとは思わないが、変な様変わりが多すぎるように思う。例えば、私が気になってしかたがないもののひとつに「テープカット」がある。今更いうまでもないが、テープカットとは「落成式・完工式・開場式などで、完成を祝って、張り渡したテープを切ること」だ。「開く」ことを、張り渡した「テープを切る」ことで表す。

 それなりの人(ひとり)がテープカットをすれば、それでことは済む。そしてかつてはそうしていたはず。ところが、いつの頃からか知らないが、ずらっと並んだお偉いさんたちが手に手にはさみを持ち、テープを切り刻む。5〜6人でも変なのに、10〜20人も居並び、しかも二列に並んでテープカットだなんて、何を考えているのだろうと思う。昨日テレビのニュースで見たのがまさにそれ。何のニュースだったか忘れたが、各国の代表全員でテープカットしていたようだった。

 世の中の変化に伴って言葉も変われば、その意味するところも変わるものだと百歩譲るとしても、 変なことは変、それはおかしいと思うことはそれはおかしいと声をあげることを忘れたくないなぁ…と思う。そんなことにいちいち突っかからなくても…なんと偏屈な!と言われようとも…ね。
2011年3月 4日 10:01 | コメント (0) | トラックバック (0)

イマドキのカンニング

 各地の大学入試が揺れている。「ヤフー知恵袋」とやらに入試問題が書き込まれ、その解答を広く求めるという手口である。大袈裟に関係者が記者会見を開いた大学もあったようだが、所詮カンニングである。ただ手口がイマフウだというだけのこと。

 カンニングといえば、昔から試験にはつきものである。よからぬことであるには違いないが、それは当事者の問題だ。大学の関係者がずらっと並んで会見するほどのことではない。ましてや、メディアが騒ぎ立てることでもない、と私は思うけれど…?

 入試に限らず普段の勉強でも、数学などの問題の「解答を教えて!」という書き込みは日常的にあるらしい。私などはあほか…と思うけれど。
 メディアで問題とするなら、「ヤフー知恵袋」に入試問題の解答を求める書き込みがあったということより、あほが何故こんなに増えたのかということのほうが重要なのではないか、と私なら思うけれど?
2011年3月 2日 8:36 | コメント (0) | トラックバック (0)

春、三月

 きょうから3月、春本番…のはずだが、意外にも肌寒い日が続いている。そうはいっても、まもなく啓蟄。私もそろそろ起き出さなくてはと思う。ところが、このところ朝の目覚めがすこぶる悪い。日々悪夢に襲われている。
 たまにはうれしい夢、おいしい夢もみたいのに、実際には(目覚めて覚えているのは)ひどいものばかりだ。先日はねずみと火事の夢だった…

 我が家の浴槽下のガスの種火(実際の我が家は給湯式)がちろちろと変な燃え方をしている。おかしい、どうみてもおかしい、危険だ、火事になったら大変だ、と思いつつ浴槽下を調べていると、うさぎほどの大きさのねずみが、毛艶のいいねずみが、せっせせっせと箱を運び込んでいる。何をやっているのだ?と覗き込むと、そこには靴箱ほどの大きさの箱がいくつもいくつも積んであった。火のあるところに紙箱を置くなんて何を考えているのだ?と思う、思うより先に火事の怖さに追い立てられ、非難しなきゃ、消防車を呼ばなきゃ、きゃぁきゃぁきゃぁとパニックになった。
 ところが、家人は悠長に原因を究明しようとああでもないこうでもないと言っている。そんなことしている間に爆発したらどうするんだ?…と怒鳴り散らしたところで目が覚めた。ぐったりである。

 また先日は、家人が顔から血を流し息も絶え絶えに何か言おうとしている夢だった。確かに危険と隣り合わせの職場だとはいえ、実際に危険な目をくぐり抜けてきた人だとはいえ、何でまたそんな夢を…。毎朝、恐怖の目覚めである。一日も早く本物の春がやってきて、悪夢から解き放たれたい…そんな今日この頃なのである。
2011年3月 1日 9:24 | コメント (0) | トラックバック (0)