「無料貸本屋」?

  ひとりの小説家が、新刊自書の巻末に、新刊の売れ行きに影響が大きい刊行から半年間、公立図書館での貸し出しを猶予するよう求める一文を掲載した、という話がYOMIURI ONLINEに載っていた。その動機は、自書に「ある図書館で44人もの貸し出し予約が入っている」ことを知ったからということらしい。

 44人の予約など、まだカワイラシイものである。我が市の図書館では、2009年発行の村上春樹著「1Q84 BOOK1」の予約数は1134である。しかも図書館では73冊も購入しているのである。ばかげているし、腹立たしい。
 『日本文芸家協会は、図書館の貸し出し実績に応じた補償金を著者へ払う制度の導入を国に求めているが、実現していない』と記事にはあったが、なにがそれを阻んでいるのだろう。

 市図書館の蔵書は、市民の財産だ。その場限りの、一部市民へのサービスに目を奪われすぎている。73冊の「1Q84 BOOK1」より価値のある本がいくらでもあるだろうに…。

 その市民の財産である図書館の蔵書漁りは、私の楽しみのひとつである。先日、池内紀さんの本を借りたのだが、まだ読んでいないなんてありえないなぁ〜と思いつつも、すでに借りて読んだという鮮明な記憶もない。とりあえず借りて帰り、読み始めた。なんとなぁ〜く読んだような気がし始めたが、確信はない。さらに読み進んだ。ついに、これは前に読んだぞぅと思い当る文章に出会った。

 日日雑感で検索してみると、やはり以前に借りて読んでいた。2005年のことだ。すっかり忘れていても無理はない。忘れてしまっていたからとて恥じることはない。うん、うん、そうよねぇ〜と思いながら読んだものは、記憶されなくても体内の細胞に溶け込んでしまっているのだから。
2011年2月26日 12:32 | コメント (0) | トラックバック (0)

発見、驚き、戸惑いの渋谷

 魔の渋谷と決別してから、(コトの顛末は、ここここここに詳しい)はや5年近く経つ。その渋谷に、勇気を出して立ち向かったのだが、またもや…

 目的は、たばこと塩の博物館で開催中の、「小林礫斎 手のひらの中の美 〜技を極めた繊巧美術〜」だった。久しぶりの渋谷駅は、様子が変わっていた。思い浮かべていた改札がないのだ。とりあえずそちら方面の改札を出たら、そこは東急百貨店の南館3Fの伊東屋の前だった。何故?ここでどうしろと?
 地上に這い出したはいいが、ハチ公がいない。ハチ公はとっくに取り壊され、壁一面のレリーフとなっていた。これがハチ公だなんて! ことごとく記憶が塗り替えられる。

 ハチ公前を抜けて、公園通りに進み、西武を見てマルイを見てパルコを見れば、たばこと塩の博物館はすぐだ。展示されていたミニチュアの数々はどれも精巧で、作った人の楽しみが伝わってくるようだった。さまざまな生活道具や玩具があったが、知っているもの知らないものいろいろである。その中のひとつに「ぶりぶり」と解説のある江戸玩具があった。「ぶりぶり」なんて、聞いたことも見たこともなかった。調べてみると、「ぶりぶり」と引っ張って遊ぶから「ぶりぶり(振々)」と言うらしい。

 それらの江戸玩具のミニチュアコレクションは、倉田家の長男の妻となった長岡家の六女陽子さんとその娘が博物館へ寄贈したものだという。その陽子さんというのは、長岡輝子さんの妹だそうだ。複雑な人物関係にめまいがしそうになった。博物館のショップに「長岡家の4姉妹」という本が置いてあったのだが、表紙の4姉妹の写真をみて私は少々ショックを受けた。かく言う私も、実は4姉妹なのである。どんなに年老いても、4姉妹は4姉妹。
2011年2月23日 9:27 | コメント (0) | トラックバック (0)

吉田秀和さん

 比べるのは失礼だと思うけれど、串田孫一さんの次くらいに素敵な人である。土曜の夜(再放送は水曜朝10時、ちょうど今ね)のNHK−FM「名曲の楽しみ」でおなじみである。吉田秀和さんの、音楽をめぐる「お話の楽しみ」がある。

 その秀和さんの本についての記事をここで読んだ。音楽エッセー『永遠の故郷』(集英社)が全4巻完結したという。ちょっと読んでみたいなぁ〜という気になった。串田さんといい吉田さんといい、飄々としたおじいさんが案外好きな私なのである。
2011年2月16日 10:10 | コメント (0) | トラックバック (0)

冬の火事

 火事は悲惨だ。特に冬の火事は、寒空に放り出され、とこもかしこも水浸しなんて、なんと言ったらいいのか言葉もない。先週は近所で続けて2件の火事があった。近所といっても、歩いて15分くらいの距離のところだが、マンションから見えるもくもくと上がる黒煙は恐ろしい。どちらも鎮火までに1時間以上かかっていたようだ。焼け出された人たちはどうしているのだろう。
 
 しかし、火事の大部分はやはり不注意によって起きる。気をつけているつもりが、日常に紛れ注意が散漫になる。加齢とともにさまざまな自信を失いつつある私は、火を使っての調理中は電話が鳴ろうがインターフォンが鳴ろうが誰かが声をかけようが、すべて無視することにしている。ひたすら今していることに専念する。
 だが、それでも安心とはいかないのが困ったところだ。火が袖口についたとか…、フライパンをひっくり返したとか、何だって起こりうるのだ。

 昨夜突然に、左肩から二の腕にかけて痛み始めた。五十肩を二度も三度も患うなんてあるのだろうか。しびれるような痛みがある。インドメタシンを塗ってみたら、それが聞いたのかどうかは不明だが、無理して使っているうちに、痛みはあるものの腕が動かせるようになってきた。
 今日は昨日の繰り返しではなく、今日と同じ明日が来るとは限らない。「今日も一日どうぞご無事で…」という挨拶が、やけに重く感じる。
2011年2月14日 10:58 | コメント (0) | トラックバック (0)

ぶった切る

 朝の忙しい時間に、あまりにもヒドイ社説(もちろん朝日新聞の)にひとこと言ってくれ…と若い人から依頼があった。今では社説は読まない私である。面倒だったが、若い人からの頼みは断れない。少し長くなるが全文引用して、えらそうにぶった切ってみることにしよう。
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 タイトルの『元素戦略―資源の制約に知恵で挑む』は、当然その社説のテーマである。

 少し加えるだけで磁石の力を強めたり、光を出したり、レアアース(希土類)はまるで魔法のような元素だ。

 その魔法は、ハイブリッドカーのモーターやさまざまな電子部品など、日本が得意とするハイテク製品に欠かせない。だが困ったことに量が限られ、また主要な産出国である中国が輸出を制限し始め、価格が急騰している。天然資源が乏しい日本にとって、深刻な問題だ。

 もし、地球上で最もありふれた元素である鉄で、その魔法を実現できたらどうだろう。

 それこそ夢のような話だが、決して夢ではないかもしれない。


 *1<ここまでの導入部は不要である。テーマに即して書くなら次の部分から始めればいい。不要とした理由=科学は魔法ではない>

 科学者たちが「元素戦略」と銘打って、元素をとことん研究することで、新たな機能を引き出したり、希少な元素の代替をしたりする研究を進めようとしている。文部科学省、経済産業省なども後押しし、3月にはシンポジウムが開かれる。

 *2<これに続くのは、「元素戦略」の解説である。私のような、その方面に疎い読者のために必要である。もう少し補足する必要があるが、次の1文を続ける。>

 元素戦略は、日本の強みを生かしてさらに飛躍しようと、中村栄一・東大教授が2004年に提案した。

 *3<したがって、次の部分は不要である。不要とした理由=「中国が原料となるリン鉱石の輸出を制限し始めている」、「銅などのありふれた元素も盗難が相次ぐ事態になっている」などは政治的、経済的社会的問題である。元素戦略とは直接的関係はない。「論文の数」云々は問題ではない。資源の問題は、世界各国が時に競い合い時に協力し合って解決していくべき問題である。>

 大いに進めてほしい。決してやさしくはないが、困難だからこそ挑戦したいという研究者もいるはずだ。

 資源の制約は希少元素に限らない。

 たとえば、植物に必須の3元素である窒素、リン酸、カリウムのうち、空気中の窒素を使って工場で肥料にできる窒素を除けば、資源はやはり限られている。とりわけリン酸については、中国が原料となるリン鉱石の輸出を制限し始めている。

 液晶パネルに欠かせないインジウムなどのレアメタル(希少金属)も、むろん資源は限られている。銅などのもっとありふれた元素も代替が難しく、盗難が相次ぐ事態になっている。

 こうした材料をめぐる技術は、産業界も含めて日本のお家芸だ。たとえばハイブリッドカーにも欠かせない、レアアースであるネオジムを使った強力な磁石は1980年代、住友特殊金属(当時)の佐川真人さんが世界に先駆けて開発した。

 細野秀雄・東工大教授は、鉄を使って超伝導物質を開発し、世界的に注目されている。

 しかし、安閑とはしていられない。物質・材料分野の重要論文の数では昨年、中国に抜かれてしまった。


 *4<最後の結論であるが、以下の文章では何を言いたいのやら…である。もう少し、いや、もっともっとしっかりとした主張が必要である。 >

 大気中の窒素を肥料にする技術は19世紀末、「窒素肥料が足りなくなったら餓死者が出る。化学者は空気中の窒素を利用できるようにすべきだ」と英国の化学者が呼びかけた。

 東工大の細野さんは「意欲のある若い研究者にぜひ挑戦してほしい」という。地球の資源が有限であることを考えれば、元素をとことん生かす研究は人類にとって重要だ。資源小国の日本から、この花を大きく咲かせたい。


 *5<先に不要として切り取った部分から、下記のふたつの文を活かし具体的な提言なども含めて、タイトル(テーマ)の『資源の制約に知恵で挑む』に繋げて結論とすべきである。>

 「材料をめぐる技術は、産業界も含めて日本のお家芸だ」

 「地球の資源が有限であることを考えれば、元素をとことん生かす研究は人類にとって重要だ」

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 ………と、えらそうにぶった切ってみたが、「そうじゃない!アンタは読み間違えている!」と思われる方はどうぞご遠慮なくご指摘を。
2011年2月10日 10:42 | コメント (0) | トラックバック (0)

あまい!

 「千葉県が策定中の『第3次男女共同参画計画』について”男女平等の理念が後退している”として、市民団体や法曹団体などから見直しを求める声が出ている」そうだ。
 「男女平等のを否定するものではない」そうだが、「男女平等」という言葉は使いたくないらしい。「男女共同参画推進懇話会」新委員2名(知事の肝いりで就任したともいわれる)の意向が反映していると記事では断言している。この件に関して県知事さんが言うには、「基本的には”男女平等”と”男女共同参画”は同じ意味」なんだと。なんとまぁ、恐ろしくも甘い認識である。

 男女平等というのは、性差はあっても人としては同等に扱われる権利があるということだと私は認識していたが、そのことの重要性を全く理解しない人が男女を問わずいまだにいるということに、体中から力が抜ける思いがした。男女共同参画のなかに、あえて男女平等という表現を入れるのは、あらゆる人にその意味を理解し認識して行動できるようになってもらいたいからだと思うけれど…。
2011年2月 6日 9:20 | コメント (0) | トラックバック (0)

美術館から図書館へ

 きょうは昨日ほどには暖かくなかったが、盛りだくさんの外出日。たまった用事を済ませて、まず「武蔵野美術大学 美術館・図書館所蔵 ネフ・コレクション―ヨーロッパの木製おもちゃ」展(千葉市美術館)へ、それから図書館へ。

 地味な展示の日の美術館はひと気もなく、まるで私専用のよう。自由に触れるネフのパズルで一人遊びだ。展示品はどれもこれも欲しいなぁと思うようなものばかりだ。ミュージアムショップにも何点か売ってはいたが、とても手が出るような値段ではない。
 ひとつひとつのかたちはとてもシンプルである。その組み合わせも、ある意味ではシンプルである。形がシンプルなのだから当然かも。しかしそれらのピースをばらばらにすると、さまざまなかたちに変化する。しかも、とても美しく。

 美術館と図書館は駅をはさんで反対側にある。風は少し冷たかったが、もうすぐ春だよと鳴く鳥や、そこで春を見かけたよというねこさんたちに誘われて、久しぶりにたくさん歩いた。
今回借りたのは、次の3冊。

「小さな町にて」(野呂邦暢・著 文芸春秋 1982年)…眠りに落ちる前に読む本として
「夢うつつの図鑑」(吉田直哉・著 文芸春秋 1986年)…前に読んだかも、という気がしないでもないのだが
「新編 解剖刀を執りて」(森於菟・著 筑摩書房 1989年)…著者の名は最近知ったばかりだが、興味が湧いたので

 1冊目は開架であったが、2冊目3冊目はお蔵入り本だった。そういう本を掘り起こすには、つねにアンテナを張りめぐらせて、1本の糸から手繰りよせる必要がある。それは楽しみでもあるのだが、それがうまくいかなければ決して出会うことがない本である。書店ではなくて図書館なのだから、何とかならないものか…と、いつも思う。
2011年2月 2日 16:11 | コメント (0) | トラックバック (0)