来年に持ち越す

 今年もあと4時間をきった。いまさらあわててもふためいてもどうにもならない。ここはじっくりとHNK-FMでジャズでも聴きながら、問題は来年に持ち越すことにしよう。問題といってもたいした問題ではない。やり残した…くらいの意味だ。
 山田稔・著「特別な一日:読書漫録」定価2000円(単行本)と、同じく「マビヨン通りの店」定価2000円と、中村明・著「日本語 語感の辞典」定価3000円が欲しいのだけれど、まだ決断できないでいる、というだけの話。

 そんなこんなで…ことしはおしまい。

どうぞ皆様もよいお年をお迎え下さい。
2010年12月31日 20:10 | コメント (0) | トラックバック (0)

今年の〆

 とうとう明日を残すだけとなった2010年、以下は今年図書館で出会った本の数々である。こうしてみると、収穫の少ない1年だったようだ。

「特別な一日 読書漫録」(山田稔・著)
「老いの生きかた」(鶴見俊輔・編 ちくま文庫1997年)
「喫煙室 第21集 くつろぎの時間」(文藝春秋企画出版部 2010年)
「わたしのこだわり 仕事・モノ・コト・人生の流儀」(岩波書店編集部・編)
「続・私の部屋のポプリ」(熊井明子・著 河出書房新社)
「旅するノラ猫」(嵐山光三郎・著 浅生ハルミン・絵 筑摩書房)
「大学教授という仕事」(杉原厚吉・著 水曜社)
「絵の教室」(安野光雅・著 中公新書)
「犬と人のいる文学誌」(小山慶太・著 中公新書)
「都会の花と木」(田中修・著 中公新書)
「クレーの食卓」(林綾野 新藤信 日本パウル・クレー協会 講談社 2009年)
「気になる部分」(岸本佐知子・著 白水社 2000年)
「おさがしの本は」(門井慶喜・著 光文社 2009年)
「東京ひとり散歩」(池内紀・著 中公新書 2009年)
「野の花だより三六五日 下」(池内紀・著 外山康雄・画 技術評論社 2006年)
「老いたるいたち ベスト・エッセイ2007」(日本文藝家協会編 光村図書 2007年)
「日曜日の随想2008」(日本経済新聞社・編)
「永遠の故郷 真昼」(吉田秀和・著 集英社)
「幸田文 旅の手帖」(幸田文・著 青木玉・編 平凡社)
「雪の下の夢 わが文学的妄想録」(三木卓・著 ふぉんと叢書001 2010年2月発行)
「未知の人への返書」(内藤濯・著 中央公論社 1971年)
「サマセット・モームを読む」(行方昭夫・著 岩波セミナーブックス)
「人と出会う」(岡崎満義・著 岩波書店)
「自分だけの一冊」(北村薫・著 新潮新書)
「ちいさな理想」(鶴見俊輔・著 編集グループSURE)
「寄せては返す波の音」(山本夏彦・著 新潮社)
「漢字の楽しみ方 悪字の数々を弁護する」(辰濃和男・著 岩波書店)
「ありふれた思い出なんてないさ」(沢野ひとし・著 新風舎)
「一人称で語る権利」(長田弘・著 平凡社ライブラリー)
「えほんのスケッチブック」(いわむらかずお・著/絵 講談社)
「ぼんやりの時間」(辰濃和男・著 岩波新書)
「人生の色気」(古井由吉・著 新潮社)
「串田孫一集8 流れ去る歳月 日記」(筑摩書房 1998年 526p.)
「人生問題集」(春日武彦/穂村弘・著 角川書店 2009.3)
「ピアノを弾くニーチェ」(木田元・著 新書館 2009.9)
「串田孫一集 6 青く澄む憧れ 随想U」
「ドンナ・マサヨの悪魔」(村田喜代子・著 文芸春秋)
「十四分の一の月」(ささめやゆき・著 幻戯書房)
「串田孫一集 5 微風の戯れ 随想T」(串田孫一・著 筑摩書房)
「書肆ユリイカの本」(田中栞・著 青土社)
「父の石楠花」(原田康子・著 新潮社 2000年)
「森の奥の動物たち ロボットカメラがとらえた森の精霊たちの姿」(鈴木直樹・著 角川学芸出版) 

 あえてベスト3を選ぶとすれば、この3冊である。
「ぼんやりの時間」(辰濃和男・著 岩波新書)
「特別な一日 読書漫録」(山田稔・著 平凡社ライブラリー)
「串田孫一集」(串田孫一・著 筑摩書房)
2010年12月30日 19:48 | コメント (0) | トラックバック (0)

手元に1冊

 雑念がふつふつと湧きあがり眠れそうにない夜、「特別な一日 読書漫録」(山田稔・著)を手にベッドへもぐりこんだ。i-Pod shuffleで音楽を聴きながらページを開く。

 リズムがあり流れもあるその文章に出会い、いつの間にか雑念は消え去り私はページの中へと入り込み身をゆだねた。言葉のひとつひとつが、文章のひとつひとつが細胞にしみ込んでいく。朝一番にグラス一杯の水を飲むと、体の隅々までしみわたる、その感じと同じ。20ページほど読みすすむと心も穏やかになり、やがて眠りについた。

 単行本で買って手元に置いておきたい1冊。どこで買えるかなぁ〜。
2010年12月26日 10:14 | コメント (0) | トラックバック (0)

どうでもいいこと

 全国津々浦々に八百万の神がおわしますからには、お守りがごまんとあってもおかしくはない。ラジオを聞いていたら、千葉市モノレールがどうの、ワイヤーがどうの、落ちないがどうの、お守りがどうのと言っていた。初めは事故でもあったかと思ったが、受験生向けの合格祈願のお守りを作ったという話だった。

 千葉市モノレールは吊り下げ式で、ワイヤーのおかげでモノレールが落ちることはないということにあやかって、そのワイヤーを短く切断してカプセルに入れお守りを作り販売しているという。しかも、社員の手作りらしい。悪く言えばこじつけ、甘く言えばげんかつぎ?こちらは八百万の神とは関係のないお守りだ。

 なんとも他力本願的で私はしょうに合わないが、それを持つことで自信が持てる人もいるというなら、それはそれでいいのかも知れないと思ったりもする。信じるとはそういうことかも、と思ったりもする。八百万の神であれ唯一絶対の神であれ(私は何でもいいと思うけれど)、信じることで我に自信を持ち我が生を生き抜く原動力になるのであれば、それでいいのかもしれないと思ったりもする。 

 関心のある人にもない人にも、きょうはクリスマス。どうでもいいいけれど、クリスマスツリーに願い事を書いたカードをつるすのだけはやめよう、ね。クリスマスは人のためによいことをする日、自分がいい思いをする日でないことだけは確かだ。 
 どうでもいい私は佃煮を作ろうと、朝から椎茸をクツクツ煮込んだのだった。
2010年12月25日 10:52 | コメント (0) | トラックバック (0)

八百万の神

 八百万の神という言葉があるくらいだから、巷では、あちらにもこちらにも神がいてもおかしくはないらしい。キッチンはどうか知らないが、台所には台所の神がいるらしいし、トイレにもトイレの神はいるらしい。そして、まさにその「トイレの神様」が歌になり、なにやら賞も受賞しドラマにもなるそうだ。それだけでは足りないようで、絵本にもなったという広告が今朝の新聞に載っていた。

 「おばあちゃんとの別れを歌ったフレーズで涙した人も多いのでは」と書いてあるのだが、私はこの歌が大嫌いだ。物語風のその歌詞がとてもイヤだ。ラジオから流れてくるたびに、やめてよ、ね〜と思う。その昔、教育なのか道徳なのかわからないが、トイレの神様という言い方はしなくてもトイレを磨くことは心を磨くことだと散々聞かされた。 
 なぜことさらトイレを特別視するのか、床を磨くことも鍋を磨くことも窓を磨くことも、磨くことはすべて心を磨くことなのか?天邪鬼な私はいつもそう思っていた。現代でも「便器を磨けば、子どもが変わる!トイレ発! 学校改革のススメ」などという本があったりして、昔となんら変わらないコトを主張している人もいる。

 どこの家にもトイレのひとつやふたつはあるだろう。そこを掃除することは、他の部屋を掃除することとなんら変りがないはずだ。我が家ではトイレの掃除をするのは私だけだが、自分がきれいなトイレを使いたいから(汚すのは他の人でも)掃除をするのだ。それだけのコトである。
 「トイレの神様 〜絵本原画とパネル展〜」というイベントでは、「トイレそうじ体験コーナー」もあるという。何を考えているのか…私にはさっぱり理解できない。



 それはさておき、きょう図書館で借りてきたのは次の3冊。
「特別な一日 読書漫録」(山田稔・著 平凡社ライブラリー1999年)…解説は荒川洋治さん、それだけでもう期待が膨らむ
「老いの生きかた」(鶴見俊輔・編 ちくま文庫1997年)…魅力的な筆者の文章が集められている
「喫煙室 第21集 くつろぎの時間」(文藝春秋企画出版部 2010年)…これは軽く読みたい時のために

 そろそろNHK−FMでは「N響 第9 演奏会」の生中継が始まる。今日はもうこれでおしまい
2010年12月22日 19:10 | コメント (0) | トラックバック (0)

あまりにヒドイ……

 新聞広告はお金を払いさえすればどんなものでも載せるのが基本かもしれないが、しかし、しかし、しかし!だ。今朝の朝日新聞を開いて、とても不快だった。小学館の広告が、1面半も占めていたのだ。顔写真つきの単行本3冊(「日本を代表する論客」3人だというが、○○な人ばかり)と、週刊誌(どんな人が買って読むのか、顔を見てみたいものだ)である。どれもこれも月曜日の朝から目にしたくないような、○○なものばかりである。朝日新聞の見識はどこへ行ってしまったのだ?と言いたくもなる。

 折りしも東京都では青少年健全育成条例改正案が可決、成立したという。何もしないよりはいいという考え方もあるかもしれないが、そんなものあってもなくても同じという見方もできる。青少年を健全に育成したいというのは誰もが願うことだろうに、誰もがそんな社会をつくることができないでいる。

 今の時代、世はこぞって青少年に新聞を読むことを勧めている。しかし、今朝のような新聞なら子供に見せたくないと私は思う。
2010年12月20日 7:16 | コメント (0) | トラックバック (0)

年末はコンサート

 今年のお出かけのしめは、浜離宮朝日ホールのランチタイムコンサート『有田正広フルートリサイタル』だった。フルートの音色が特別好きというわけではなかったが、思いのほか楽しめる内容で時のたつのを忘れた。びっくりするようなハプニングもあり、楽器の話、曲の話、その他の話のどれも興味深いものだった。

 古楽器のフルートは木製だそうで、その音色はこれもフルート?というようなものだが、私は現代のフルートの少々高めの音色より気に入った。

 音楽家、演奏家といっても人それぞれなのは当然としても、演奏スタイルにはその個性が現れるようだ。有田正広さんは、1曲ごとに手の甲で口をぬぐい、その手をズボンのポケットのあたりで拭くのである(なんとも子供っぽいしぐさだ)。私は、それが気になって仕方がなかった。伴奏のチェンバロは奥様だ。「ちゃんとハンカチを使いなさい。ズボンがよごれるでしょ」…なんてことは言われないのだろうか。
2010年12月18日 9:37 | コメント (0) | トラックバック (0)

ワタシの意見

 市の人口がいくらか知らないが、政令指定都市だからそれなりの数だろう。そのうちの成人は何人かまったくわからないが、高齢社会であるからやはりそれなりにいるだろう。そんな中で無作為に選んだ3000人中の一人って、どんな意味を持つのだろう。
 市の市民局生活文化部文化振興課というところから、アンケート調査の協力お願いが届いた。生活文化部文化振興課といわれても、何をしているところかも知らない。調べてみると、「新しい千葉文化の創造や男女共同参画社会の形成に向けた施策をするところ」らしい。

 市内の文化施設をいくつか挙げて、利用したことかあるかとか、その満足度をたずねる項目があるのだが、そこに挙げられた12の施設の中で私が利用するのは市美術館だけである。その美術館にしても、おもしろくなってきたのはごく最近、若い市長さんになってからである。それまでは、いかにも市民向けの美術館といった感じの催しばかりだった。最近は、東京のあちこちにある美術館に負けないくらいの内容の美術展を開くようになった。市の美術館だからといって、目を市民にだけ向けていてはつまらない。市民が外に向かって誇れるような美術館であってこそ私たちの市の美術館であるといえるのだ。東京まで行かなくても市内で文化的活動ができるなんてコトを目指しているようではだめ…なんて、自由記入欄にこんなふうな意見を書いてもいいのかなぁ。
2010年12月14日 19:06 | コメント (0) | トラックバック (0)

漢字を使いこなすには

 毎日新聞のサイトの「毎日漢字」、きょうの問題は「嫉視」だった。三択で解答するのだが、一度で正解だった。読めないことはないが、実際に使われているのは見たことがないような気がする。
 朝日新聞のBeパズル「漢字あぶりだし」のカギに「乱麻快刀」というのがあった。確かに辞書にはあったが、聞いたことも見たこともない熟語のような気がする。「乱麻快刀を絶つ」と使うそうだ。誰がどんな場合に使う言葉なのだろう。

 手を伸ばせばすぐのところに漢和辞典も国語辞典もあるので、気になるとつい辞典を開いてしまう。朝のコーヒーを飲みながら、朝刊を読みながら…。そんなことをしているとすぐに時間がたち、頭が冴えわたる。ほんとうはもう少しぼぉ〜としていたかったのに、ということになる。

 先日は天使人語に「設える」という語があった。『世界に数あるクリスマスツリーのうち、一番有名なのはニューヨークのロックフェラーセンターのそれだろうか。今年は高さ22メートルの木が設(しつら)えられ、』と書いてあった。なぜわざわざ振り仮名がふってあるのかと疑問に思い、この日も辞典を引きまくった。

 いまだに大学入試問題に一番引用されると誇っている天声人語である。いまどきの若い人が天声人語で言葉の使い方を学んでいるとしたら、「クリスマスツリーを設える」と言ったり書いたりする人が続出するのだろうか。へんなの…。いろいろと制約のある漢字のようだったが、それにしてもクリスマスツリーに使うとは大袈裟な…と思う。間違った使い方ではないとしても、「高さ22メートルの木」は「設置された」で十分だ。感覚的には「設える」は、もっと細やかなことの感じがする。  

 先頃「日本語 語感の辞典」(中村明・著 岩波書店)という辞典?本?が出たが、購入するかどうかは思案中。
2010年12月11日 10:36 | コメント (0) | トラックバック (0)

冬の日

 ベランダから見上げた空はどこまでも青かった。典型的な冬の晴れた空だ。これまでの、冬とは思えないような陽気に惑わされ、少々軽めの服装で出かけたらしんしんと寒かった。手足の先から師走の寒さが我が身にしみ込んできた。

 駅のそばのATMには長い列ができていた。見ると2台のうちのひとつは使えないらしい。列は遅々として進まない。急いでいなかったので待つことにしたが、日陰の冷え込みが身にしみる。後ろに並んだ人がケイタイで話し始めた。聞く気はなかったが聞こえたので聞いていた。なかなか要領を得た話し方である。顔は見なかったが、仕事のできる人のようだ。用件が済んで、最後の「失礼します」は一段と声を落として(若い人なら、ここでもたぶん声を張り上げるのでは…?)電話を切ったようだ。ふむ、大人だなぁ…と感心した。お顔を拝見しなかったのがちょっと心残り。

 しばらくすると、ATMでは係りの人の点検が終ったのか使用不可の紙もはがされ、次に待つ人が招きいれられた。ところがもう一方のATMは次々と人が流れるのに、そちらの人は動かない。もしや…と見ていると、備え付けの電話でなにやら話している。そうこうするうちに長かった列もさばけて私の番になった。隣の人は電話で、「家の電話番号はこれこれで、ケイタイはふにふにで…」とか何とか言っている。聞きたくはないが聞こえるから聞いていた。

 考えてみれば、聞きたくもない聞く必要もないことをずいぶんと聞いている。雑踏の中であれば流れていくからいいが、囲われた場所では逃れることができない。人様の事情を聞いて楽しんでしまう日もあるが、聞いてくたびれてしまう日もある。先日も、電車の中でのケイタイをめぐる口論で、電車が止まったというニュースがあった。ストレスが更なるストレスを生んだのか…。

 行きつけの歯医者さんでのこと。時々あごで大きな音がすると言うと、先生曰く、「あごの軟骨が磨り減ってくるんです」。ひざの軟骨が磨り減ってひざが痛むという話はよく聞くが、あごの軟骨なんて初めて聞いた。「えぇ…っ?あごの軟骨ですかぁ?」と驚くと、「ストレスも関係します」と。そうかぁ…、ストレスかぁ…と変に納得する。何でもかんでもストレスのせいにすると、案外気が軽くなることもあるのは不思議。

 先日、半年振りくらいで献血に行った。その後の血液検査結果が送られてきたが、15項目の検査結果の数値はみな優等生である。脳や心臓はいざ知らず…。
2010年12月10日 18:40 | コメント (0) | トラックバック (0)

私のうさちゃん

 連日のこの暖かさはなんだろう?コートに手を通さないまま年末を迎えそうである。日が暮れればそれなりに気温は下がり、空には冬の星が瞬いているが、暖房がいるかいらないか微妙な日が続いている。食事も煮込み料理よりは何かさっぱりしたものを…などと、季節感が薄れていく。
 
 そんなことを言っていてもやはり月日は流れ、やがて2011年がやってくる。来年の干支は兎。そのせいかどうかは知らないが、「うさぎカフェ」が人気だという。私もたいていの動物は好きでさわりまくりたいほうだが、猫カフェやうさぎカフェに行く気にはちょっとなれないでいる。動物園にもふれあい広場などといって小動物に触れられる所があるが、カフェとなるとね…なんだかね…。

 犬・猫はもちろん牛・馬も触ったことがあるが、うさぎを触ったことは一度もない。そんな私が、うさぎのぬいぐるみのコレクションを始めた。私のうさちゃんたちはまだほんのわずか。一番のお気に入りは、ルシュクルのうさちゃん。白い子と茶色の子(身長31cmタイプ)がいる。ギンガムのシャツにコーデュロイの半ズボンをはいている。きょうは、いつもそばにいる茶色の子にセーターを編んでやろうと思っている。
2010年12月 5日 9:22 | コメント (0) | トラックバック (0)

地デジ狂騒

 今日から12月…ということで、本日より家電購入時のエコポイントがほぼ半分に減ったそうだ。そのPRが奏を効したか、「先月1カ月間の薄型テレビの販売台数が例年の年間販売台数の6割に達する見通しとなった」という。どう考えても異常事態である。製造が追いつかず、納品は来年までお預けという人も多いらしい。

 こんなすさまじいことになるとは思わず、我が家(夫の寝室専用TV)もそろそろ買っておくかと検討し始めていた。しかし、「地デジ完全移行の来年7月24日以降もケーブルテレビの加入世帯がアナログ放送を受信できるよう、総務省がCATV各社に要請したのを受けて、JCNは地デジ放送のデジアナ変換を2011年7月24日から2015年3月31日までの期間限定で導入する方針を決定した」…というニュースをちらっと小耳に挟んだ。それならそうと早く言ってよ!というわけで、購入は延期した。おかげで、この異様な狂騒に巻き込まれずにすんだ。

 「この反動による販売の落ち込みをメーカーや販売店がどう乗り越えるかが今後の課題である」などとわかりきったことをニュースは伝えているが、エコポイントも終わり事態が落ち着けば、たぶんそのときが買い時である。
 そもそも、この日を境にこれまでのテレビでは見られなくなるぞぅ、早く買い換えておくんだぞぅ…ということ事態がおかしい。なににしても、わけのわからないものに踊らされるのは嫌ナノデス。
2010年12月 1日 15:51 | コメント (0) | トラックバック (0)