さまざまなようでいて、実は…

 わからないようでいてわかること、わかるようでいてわからないこと、さまざまある。河出書房新社主催の新人文学賞「文芸賞」の受賞内定者が、インターネット上のアイデアを無断使用したとして、受賞を取り消されたという。
 これまでの私であれば、どういうこと?どうなってるの?と思っただろうが、先日の件があってからは、さもありなんと変に納得した。アイデアの流用だけでなく、「作家としての姿勢」なども問われて受賞取り消しとなったそうだ。一応まともな選考委員だったようだ。
 応募総数が2012点だというのには驚いたが、その中で一番と思われたものでさえコレである。ある編集者は「出版不況が続く中、話題性を求めすぎた影響もあるのでは」と話しているとする記事もあったが、話題性を求めすぎているのは誰?読者?出版社や編集者?はたまた作者?どちらにしろ、作者に関しては小説の技術以前の問題だし、編集者に関しては編集の姿勢以前の問題だと思える。

 女子柔道金メダリストの新人参院議員が、選手引退会見を憲政記念館でおこなったという。つくづくわからない人だと思う(私が理解できないという意味と、世の中のことがわかっていない人だなぁという意味と両方で)。誰に教わったかしらないが、ずいぶんとご立派な会見である。しかし、たかが選手を引退するというだけのことを、なぜ国会議員という肩書きを振り回し、憲政記念館などという場所で言う必要があるのか?内容からいえば、柔道関係者の立会いのもと、そちら関係の建物で会見すればすむことだ。

 つまるところは、オリンピックのメダル(しかも金だけ)にしか関心のない選手が、外堀を埋められたから引退を口にするしか道がなくなっただけのことではないか。本当に柔道が好きであれば、後輩の指導者という立場で選手の環境整備に尽くすこともできるはず。誰かさんのおかげでぽこっと国会議員になったところで、数年でどれだけのことができるというのか。
 参院選への出馬会見で現役続行を宣言したからには、外堀を埋められようが何されようが、何が何でもあらゆる手を尽くしてやり遂げなければすべては「無」である。世間にがむしゃらさを見せつけることもせず、あっさりと引退しますとキレイゴトを並べるのはどういう了見なのだろう。

 わからないようでいてわかること、わかるようでいてわからないこと…、昨今のこれらの現象の根は同じなのではないかという気してきた。
2010年10月17日 9:38 | コメント (0) | トラックバック (0)