これも本

 先日図書館で借りた「おさがしの本は」(門井慶喜・著 光文社)はつまらないというか何というか、読むに堪えず早々に投げ出した。光文社のサイトでは、「端正な筆致と、該博な知識に裏打ちされた、上質で爽やかな探書小説、待望の完成です」と宣伝されている。ふぅ〜む、そういう言い方もあるか…とは思ったが、それは言いすぎではないか?という気もする。
 
 「端正な筆致」とはどういう点をさして言っているのだろうか?「惑溺」「違(たが)える」「版面(はんずら)」「浅学菲才」「化外」「僻陬」「素志」「爆ぜる」「稀覯」「枉げる」「贅する」…等々、このような言葉というか漢字というか、このような表現をする必要性がどこにあるのか、全く理解できない。
 
 「該博な知識」とは、あぁ、この点をさして言っているのだなとわかるが、その部分は全体から見るとくどくどと説明っぽくて、何故そんな「該博な知識」をひけらかす必要があるのか理解できない。

 「上質で爽やかな」とは…ね。そう言う場合は基準が問題である。そして、「探書小説」とは何ぞや?
つまるところ、全体が非常にアンバランスだ。こんな本、…借りるんじゃなかった。失敗した。 

 …というわけで、近いうちにまた図書館へ行こう。借りたいのは、今朝の新聞の広告欄に載っていた「絵の教室」(安野光雅・著 中公新書)だ。出版社のサイトで見ると、「技術と想像力という視点に立ち、絵画の奥深い世界を案内するものである」と書いてあった。技術と想像力…ね、なるほど。
 「惑溺」「化外」「僻陬」「素志」「稀覯」等々の漢字を使えば主人公の性格なり気質なり特徴が表現できると思っているのだとしたら、小説の技術以前の問題かも。
2010年10月10日 10:16 | コメント (0) | トラックバック (0)