すっきりしない…

 昨日、改正脳死臓器移植法が施行されてから8例目の脳死判定がおこなわれ、脳死臓器移植がおこなわれるという。これまでの7例と違う点は、「家族の同意で提供病院名が公表された」ことと、「3日に主治医が脳死状態と判断し、家族に病状を説明した際、きょうだいから臓器提供に関し質問され、妻、きょうだい、両親を中心に親族の総意で10日に提供を決意したと公表された」ことである。それはそれとしても、やはり私には気にかかることがある。

 そのひとつは、「以前より臓器提供について知っており、当たり前のことと思っている」「当初は考えられなかったが、今はいいことだと思う」「誰かの中で生きて役に立ってくれることが、今後の家族にとって誇りに思える」との三人三様のコメントが公表されたことだ。
 この「誰かの中で生きて役に立ってくれる…」という表現はどうしてもひっかかる。臓器は生きない、機能するだけである。生きていくのはその臓器を移植された人だ。脳死と判定され臓器を提供してしまった人は、どんな形であれもう生き続けることはない。名実共に死んだと認識しなければ、その人は浮かばれないではないか。
 死をもって生は完結する。だからこそ、死をどう捉えるかが重要となるのではないか。臓器提供を承諾した家族の人たちの「誰かの中で生きて役に立ってくれる…」というコメントの主語は亡くなった人だと思うが、そうだとすれば、脳死の意味を十分に理解したうえでの承諾だったのだろうかと不安になる。

 もうひとつは、病院名の公表について、市立札幌病院の救命救急センター部長が「悪いことをしているわけではないので、出せる情報はできるだけ出すべきだと思う。(非公表について)家族も違和感を持っていたと聞いている」と話したとされる点である。
 出せる情報はできるだけ出すべきだという主張は、それはそれで結構だけれども、その根拠というかそう考える理由が、「悪いことをしているわけではないので」というのはいただけない。そういう問題ではないのに…と思う。、「悪いことをしているわけではないので」などとあたかも喧嘩腰のように言う人の、脳死臓器移植に対する認識を詳しく聞いてみたい気がする。
2010年9月12日 13:44 | コメント (0) | トラックバック (0)