関心、無関心

 東京スカイツリーの第一展望台までは東芝のエレベーターで50秒だそうだ。そんな高速エレベーターは、私にはとても無理だ、乗れない。ところで、あのスカイツリーは、単なる個人的な感想にすぎないが、見ていて美しいとは言い難い。
 今朝の朝日新聞の科学面に載っていた「数楽アート」は、とてもおもしろいし美しい。教育関連の展示会出品で数学ファンや教育関係者から大きな反響があり、売り出すことにしたという。数学ファンや教育関係者ではない私でもひとつ欲しいなぁと思うほどの美しさである。

 秋雨のなか、今日は開館と同時に図書館へ。借りたのは次の3冊。
「東京ひとり散歩」(池内紀・著 中公新書 2009年)
「野の花だより三六五日 下」(池内紀・著 外山康雄・画 技術評論社 2006年)
「老いたるいたち ベスト・エッセイ2007」(日本文藝家協会編 光村図書 2007年)

 東京など右も左もわからなかった私が「連れ」を得て、「東京メトロ出入り口便利帳」(いまではすっかりぼろぼろに。あちこち補強してある)を片手にあちらへこちらへと遊び歩くうちに、東京は「我が庭」となった。私の好きな池内紀さんの「東京ひとり散歩」、興味を引かないわけがない。同じく「野の花だより三六五日」は、花の名がすべて漢字で書いてあるのがうれしい。
 日本文藝家協会編の「ベスト・エッセイ」は「父娘(おやこ)の銀座 2009」もあったが、目次を見ると2007の顔触れの方が興味があったのでこちらを借りた。光村図書といえばたしか教科書を作っているところ…、その点はちょっとね…だったけれど。
2010年9月28日 20:21 | コメント (0) | トラックバック (0)

嵐の土曜日

 台風12号は思った以上に強烈だった。こんなに強い風が吹き荒れるとは思わなかった。早めに片付けておいたはずのベランダの鉢がひとつ、ごろんごろんと転がった。おまけにきょうは月に一度の廃品回収日である。雨が止むのを待って出しに行った(エレベーターを使って3往復)が、ソレはソレは冷たい強風にシンソコ震えた。ついこの間までのあの暑さを体はまだ覚えているというのに…。

 そんな土曜日、改正臓器移植法施行後10例目の脳死臓器提供者が出たとの報道があった。こんなことを言うと、待ち望んでいる人たちからは嫌味だなぁと思われるのだろうが、「週末は脳死臓器移植の日」と決まったか?と思うような出来事である。

 ここまで日常的になると、脳死を宣告される人が1日にどのくらいいるのか、そのうちのどのくらいの割合の人が脳死判定を受けているのか、子どもの割合はどうなのか、そういったことを知りたくなる。でも、そんなことは公表する必要はないとされているのか、話題になることはないようだ。でも、私は知りたいなぁと思う。
2010年9月25日 14:59 | コメント (0) | トラックバック (0)

月を愛でる

 昨夜の月は、地上の明かりをすべて消し去って眺めたいほどに美しかった。一転して今日は朝から雨。地域によっては大雨だという。朝日新聞朝刊の一面には、その昨夜の月の写真が乗っていた。一緒に写っているのはは東京スカイツリーである。そして、記事の文がふるっている。スカイツリー完成後の来年の十五夜には「串だんごのように」見えそうだ、というのだ。お月見は串だんごではなく、やはりまんまるのお団子でなくちゃ…。というわけで、今日はお月見だんごを食べよう。

 先日上野のシャガール展へ行った折、東西めぐりんという小さな循環バスに乗って浅草へ出た。ああ、ここがかっぱ橋なのね…などと車窓を楽しんでいると、バスの真正面にスカイツリーが出現した。思わぬところで建設中のスカイツリーを目にして、あら、ま?こんなところに?と驚いた。関心がないとはこういうことである。高所が苦手な私である。間違ってもスカイツリーには登らないぞと、かたく心に誓った。

 浅草がことさら好きというわけではないが、隅田川の橋めぐりがまだ完了していなかったのを思い出し、11月には循環バスの北めぐりんに乗って、言問橋と桜橋を散策しに隅田公園へ行く計画を立てた。
 やっと猛烈な夏の暑さも消え、楽しみな秋がやってくる。10月は三井一号館美術館へ、11月は隅田公園へ、12月はランチタイムコンサートへ…。
2010年9月23日 11:13 | コメント (0) | トラックバック (0)

千葉市美術館

 今日は、カルチャーセンターへ行く日。1時間半ほど早めに家を出て田中一村展(千葉市美術館で開催中)へ。案の定、先週出かけたシャガール展(東京芸術大学美術館で開催中)並みの人出であった。人の多さとおしゃべりにはちょっとばかり辟易したが、なかなかおもしろかった。さほど広くはない展示室に、250点もの作品が所狭しと展示されていた。この際なので、人をかき分けかき分け図々しく観てきた。

 奄美に行ってからの作品がよく知られているらしいが、私は「秋晴」が気に入った。こんな絵。また、数々の、さまざまな鳥のスケッチはとても興味深かった。

 千葉市美術館でこのような規模の大きい展覧会が開催されるのはうれしいのだが、人が多くて、ゆったりと観られないのはちょっとつらい。市長さんのブログでも紹介されているし、NHKの日曜美術館でも取り上げられたしで、イヤでも人出が増す。
 千葉市美術館には何度か行ったが、エレベーターに乗るのに行列、チケットを買うのにまた行列なんて初めてだ。千葉市美術館ごときで…とも思ったが、喜ぶべきことなのかもしれない。
2010年9月21日 19:12 | コメント (0) | トラックバック (0)

秋風が誘う、本の世界へ

 やっと秋らしい風が吹き太陽も肌に優しくなった昨日は図書館へ。ゆっくりする時間はなかったので、新着本の棚からひょいひょいひょいと選んだのは次の3冊。

「日曜日の随想2008」(日本経済新聞社・編)
「永遠の故郷 真昼」(吉田秀和・著 集英社)
「幸田文 旅の手帖」(幸田文・著 青木玉・編 平凡社)

さて、今回の本選びの成果は…?前回の「雪の下の夢 わが文学的妄想録」(三木卓・著 ふぉんと叢書001)はちょっとばかり期待はずれだった。

 「ゆめ半島千葉国体」がまもなく始まるそうで、千葉駅周辺はちーばくんだらけだった。知事さんは多くの人に来てもらいたいらしくて、ちーばくんのワッペンのついた白のポロシャツを着て議会を開いたとか。
ヘソマガリな私は知事さんがはしゃげばはしゃぐほどしらけた気分になる。おりしも千葉駅は大規模工事中である。よりによってそんな時に…。
2010年9月18日 9:58 | コメント (0) | トラックバック (0)

すっきりしない…

 昨日、改正脳死臓器移植法が施行されてから8例目の脳死判定がおこなわれ、脳死臓器移植がおこなわれるという。これまでの7例と違う点は、「家族の同意で提供病院名が公表された」ことと、「3日に主治医が脳死状態と判断し、家族に病状を説明した際、きょうだいから臓器提供に関し質問され、妻、きょうだい、両親を中心に親族の総意で10日に提供を決意したと公表された」ことである。それはそれとしても、やはり私には気にかかることがある。

 そのひとつは、「以前より臓器提供について知っており、当たり前のことと思っている」「当初は考えられなかったが、今はいいことだと思う」「誰かの中で生きて役に立ってくれることが、今後の家族にとって誇りに思える」との三人三様のコメントが公表されたことだ。
 この「誰かの中で生きて役に立ってくれる…」という表現はどうしてもひっかかる。臓器は生きない、機能するだけである。生きていくのはその臓器を移植された人だ。脳死と判定され臓器を提供してしまった人は、どんな形であれもう生き続けることはない。名実共に死んだと認識しなければ、その人は浮かばれないではないか。
 死をもって生は完結する。だからこそ、死をどう捉えるかが重要となるのではないか。臓器提供を承諾した家族の人たちの「誰かの中で生きて役に立ってくれる…」というコメントの主語は亡くなった人だと思うが、そうだとすれば、脳死の意味を十分に理解したうえでの承諾だったのだろうかと不安になる。

 もうひとつは、病院名の公表について、市立札幌病院の救命救急センター部長が「悪いことをしているわけではないので、出せる情報はできるだけ出すべきだと思う。(非公表について)家族も違和感を持っていたと聞いている」と話したとされる点である。
 出せる情報はできるだけ出すべきだという主張は、それはそれで結構だけれども、その根拠というかそう考える理由が、「悪いことをしているわけではないので」というのはいただけない。そういう問題ではないのに…と思う。、「悪いことをしているわけではないので」などとあたかも喧嘩腰のように言う人の、脳死臓器移植に対する認識を詳しく聞いてみたい気がする。
2010年9月12日 13:44 | コメント (0) | トラックバック (0)

季節が変わる気配

 ほんの、ほんの少し涼しさが感じられた朝だった。朝から皮膚科と歯科のはしごである。皮膚科ではもう一度、飲み薬と塗り薬を、歯科では歯茎の塗り薬をもらってきた。一気におばあさんになった気分である。合間に少し時間があったので、図書館へ。皮膚科のクリニックから信号を渡ればすぐである。

 借りてきたのは次の1冊だけ。
「雪の下の夢 わが文学的妄想録」(三木卓・著 ふぉんと叢書001 2010年2月発行)





 今朝のお客さまはつぶらな瞳のこの子。「キミ、だぁれ?」と聞いてはみたが返事はなし。
だれ.jpg
2010年9月10日 16:18 | コメント (0) | トラックバック (0)

台風

 天に向かって毒づいたのがいけなかったか、台風が熱帯低気圧になって私の住む地域にも大雨をもたらした。1時間に52ミリもの大雨である。マンションのすぐそばには水路がある。高台の方から埋立地を通り抜け海に注ぐ水路である。それが氾濫した。

 運悪くちょうど大潮だった。あれよ〜というまもなく氾濫した。水の怖さは頭ではよく知っているつもりだった。怖いということも理解しているつもりだった。しかし、実際は予想を超える勢いで氾濫した。氾濫したあと、さらに勢いを増してあたり一面を水没させた。浅いところで膝下くらい、深いところでは腰のあたりまで水没した。

 我が家で借りている駐車場は、水路のすぐそばである。マンションの管理事務所から、車を高台に移動するようにとの緊急連絡の放送が流れた。こんなときは自分の判断で行動するのではなく、指示に従うのが原則だ。即行動に出たのはいいが、私は運転ができない。管理人さんに頼もうかとも思ったが、それどころではないだろう。同じ階の知り合い宅へ走り、助けを求めた。

 水かさが増え始めてから1時間ほどで氾濫し、さらに1時間ほどしてやっと水は引いていった。夕方5時半から7時半にかけての出来事だった。もうあたりは暗く道路の段差がわからない。駐車場へ入るところの段差においてある鉄板?はぷかぷかと水に浮き、道の反対側へ流されていく。心の底から怖い…と思った。怖かったことと、手におえないことがらを処理しなければならないことで、胃が痛みだした。
2010年9月 8日 21:27 | コメント (0) | トラックバック (0)

9月だというのに…

 今日もやっぱり暑い。暑い暑いとはもう言うまい、そう思っても口をついて出るのは「暑い!」だ。意を決して皮膚科へ行った。医師の診断は「汗によるものと思われます」ということだった。飲み薬と塗り薬が出たが、あとは「ゆったりした服を着て、涼しい部屋でのんびりしていなさい」ということだった。

 思い当たることは、確かにある。浴室の換気扇の調子が悪く、ことあるごとに止まってしまう。マンションのユニットバスは当然窓がなく、天井裏に換気扇がある。掃除をするといっても楽ではない。楽ではないからとさぼっていると、すぐに埃がたまる。そして、止まる。10日ほど前もそうだった。仕方がないので汗だくになって掃除をした。それから痒みが始まった。

 誰も好き好んでこの暑いのに大掃除をしたわけじゃない。仕方なしに、だ。夕食の支度時のキッチンも地獄の暑さだ。でも、煮炊きをしなきゃはじまらない。誰のせいでもないにしても、いいかげん涼しくなってくれなきゃ、もうやってられないよっ!……と、天に向かって毒づいてみようか?
2010年9月 6日 18:53 | コメント (0) | トラックバック (0)

アレとコレとソレと…

 9月になってもこんなに暑い日々が続くとは予想だにしなかった。それ以上に予想だにしなかったのは、民主党の代表選挙にオザワさんが立候補したこと、そして、当選したら総理大臣になると公言したことだ。カンさんとオザワさんのどちらが総理大臣にふさわしいかなどという難問には答えられないが、オザワさんが勝って総理大臣になれば、あのどうしようもない女性柔道選手議員を大臣にする気か?と本気で心配になる。

 予想だにしなかったことはまだ他にもある。ジンマシンだか何かのアレルギーだかよくわからないが、手足から背中から体中に痒みが出た。赤いまだら模様がたまらなく痛痒い。見るに耐えない様相を呈している。自慢じゃないが私は色白だ。そこに赤い斑模様である。紅白の肌なんて…耐え難い。
 あれこれと痒み止めのクリームやローションを試してみるが、これといった効果はない。やはり皮膚科へ行かなきゃダメだろうか…と思い始めたところである。

 反対に予想通りにコトが進んでいるのは、脳死臓器移植である。改正臓器移植法が施行されてからすでに5人がドナーとなった。予想通りだからといって、それをよしとしているわけではない。どの家族も脳死を告げられてから短時間に臓器提供の決断していることが気にかかる。

 長崎医療センターでの臓器移植手術を担当した医師団の会見では、「提供された腎臓への血液の流れは非常によく、(心停止後の)献腎よりもいい状態だ」と評価したそうだ。「早ければ早いほど臓器が新鮮でよい」と言っているのと同じである。
 また、「提供には賛否様々な意見があるのも事実。移植を待ち望んでいる患者もおり、私たちの立場では、提供にあまり反対してほしくない」とも言ったというが、提供に反対する人は、それぞれそれなりに深い理由があるはずだ。それに対する聞く耳は閉じてしまって「提供にあまり反対してほしくない」と言うのはどうだろう?ご自分たちの主義主張を述べるのは自由だが、移植医という立場での発言としては問題だと私は思う。

 どこかで読んだが、脳死臓器移植に関しては4つの権利があるという。臓器を提供したいと言う権利、臓器を提供したくないと言う権利、臓器の提供を受けたいと言う権利、臓器の提供は受けたくないと言う権利。誰もがこの4つの権利を持つ。この考え方から見れば、「提供にあまり反対してほしくない」という医師団の発言は権利の侵害だ。
2010年9月 3日 10:29 | コメント (0) | トラックバック (0)