夏よ、さらば

 今日も暑い。8月も末になれば、9月になれば、やがて秋が訪れしのぎやすくなることを知っているから、8月の暑さも耐えられる…というのが普通の夏。今年は6月も7月も8月も同じように暑い日が延々と続き、9月にはいってもまだしつこく同じような気候が続くという。明日になれば、来月になれば、という希望があってこそ今日を生きられるのだ。それなのに……、もう、耐えられない!!

 昨年の8月30日は「一転して気温は低め」と書き記してあった。そして、「台風が近づいているという。強風で枯れた葉が舞い散っても困るので、朝から大急ぎでゴーヤの片づけをした」とも書いていた。毎年この日になると、私は記録を見たわけではないのに、同じコトをするようだ。今朝は、思い切りよく朝顔に見切りをつけた。昨年は「はさみで幹をじゃんじゃん切っては、ズイズイとネットから引っぺがしていった」が、今年はネットごとジョキジョキ切ってしまった。十分に花を楽しむことが出来なかったので、種の収穫もなしである。我がベランダガーデンでは、すでに「夏よ、さらば」である。秋の訪れを恋焦がれている私の気持ちは伝わっただろうか。
2010年8月30日 14:48 | コメント (0) | トラックバック (0)

つらつら思うところ

 図書館からの帰りに駅のホームで電車を待っていると、小さな男の声が聞こえてきた。「こんなしあわせなひがくるなんておもわなかったでしょう」?と振り返ると、母親と手を繋いだ就学前らしい男の子だった。「おかあさんがおやすみでもぼくがいないと………」と言っている。水筒をさげた男の子は久しぶりの母親とのお出かけだったのかもしれない。母親の返答やその続きを聞きたかったが遠慮した。たぶんこの男の子は電車の中で騒いだりして他の乗客に迷惑をかけることはないだろうと思った。

 今朝の新聞で、「新幹線に家族連れ優先車両を」という投稿を読んだ。身重の娘から、2歳の子どもを連れて京都から東京まで帰るときグリーン車の一番前の端の席を取ったにもかかわらず、子どもがうるさいと客から苦情があったからしずかにさせてほしと車掌から注意されたと聞いたおばあちゃまの投稿だった。『他の乗客の目を気にせず互いに気持ちよく乗るため、新幹線に「家族連れ優先車両」を常時設けてはどうか』と提案しているのだ。

 心情的にはわからないこともないが、それは何の解決にもならないのではないかと思う。言葉じりをとったり揚げ足をとったりするつもりは毛頭ないが、少し考えてみたいと思う。
 玄関を一歩でも出れば、そこはもう社会だ。社会とは、他人の目を気にしなくてはいけない場所ではなかったか?投稿者自身もそのことがわかっているから、娘さんにグリーン車の一番前の端の席をとらせたのだろう。またご自身の体験として、他人の子どもをうるさいと感じたとき「こっそりと席を替えた」ことがあると書いたのだろう。

 他人の目を気にしなくてはいけないは「お互いに」のはずだ。乗客からの苦情を受けた車掌が自分では何の対策も取らず注意しただけというのは、車掌として怠慢だと私は思う。うるさいと苦情を言った客だけでなく、子連れで気を遣っている身重の女性客も、どちらもが快適な旅が出来るように計らうのが車掌の仕事ではないのか?肝心のところを忘れていては何も解決しない。安易に「家族連れ優先車両」を設けるのには、私は反対である。

 2歳の子どもに分別を求めるのは無理がある。記憶は全くないが、繰り返し親から聞かされた話によると、2歳のときの私は大阪から長崎までの汽車のなかで走りまわり、他の乗客から叱られたらしい。もちろん遊びの旅行ではない、父親の転勤のための家族総出(7人)の大移動であった。
2010年8月26日 10:52 | コメント (0) | トラックバック (0)

また、本だ

 相変わらず暑い。…が、今日は図書館へ。借りたのは次の4冊。

「未知の人への返書」(内藤濯・著 中央公論社 1971年)…先に借りた「漢字の楽しみ方 悪字の数々を弁護する」(辰濃和男・著 岩波書店)で知った本。

「サマセット・モームを読む」(行方昭夫・著 岩波セミナーブックス)…サマセット・モームは若い頃によく読んだ。これを読んだら、また読み返すことになるかもしれない。

「人と出会う」(岡崎満義・著 岩波書店)…文芸春秋の編集者だった著者を通して、さまざまな人との出会いができるかも。

「自分だけの一冊」(北村薫・著 新潮新書)…おまけ
2010年8月25日 17:25 | コメント (0) | トラックバック (0)

ドナーカード改めドナーに関する意思表示カードを

 昨日、改正臓器移植法に基づく2例目の脳死判定が行われたとの報道があった。その度の記者会見がいつまでおこなわれるかわからないが、昨日の会見も問題が多い…と感じた。
 今回の場合は全くの家族の承諾のみでコトが進められたようだ。それはそれで法律がそうなったのだからどうということはないのだろう。だが、「もう助からないのであれば、どこか体の一部が生きていればうれしい。元気な体なので、たくさんの人の役に立ってほしい」というのが家族の言葉として公表されたが、家族の心情はそうであろうと思われるが、それをあえて公表する意図は何か?ある意味都合のよい情報だけが公表されていると思うのは私だけではないだろう。

 脳死というのは臓器は機能していてもその人格は死んでいるとする考え方だと私は理解しているのだが、臓器提供を承諾した家族といわれる人たちはどう捉えているのだろう。先のコメントを読み解いてみると、「もう助からない(その人格は死んでいる)のであれば」「どこか体の一部(臓器)が生きていればうれしい」と考えているのだろうと思われる。

 それは脳死移植法における脳死の定義どおりではあるが、「人格は死んだがその臓器は生きている」という考え方は私には理解しがたい。「臓器は(他の生命体のなかで)機能している」にすぎない。確かに他人の役にはたっているだろうが、その頃にはその臓器はドナーとは無関係のはずだ。ただの臓器、体を維持するための部品のひとつにすぎない…そう考えろというのが臓器移植法の脳死の定義だと私は理解していたのだが…。

 1日の交通事故の数がどの程度か正確には知らないが、その中には若い人も多いことだろう。家族の言葉として公表された「元気な体なので、たくさんの人の役に立ってほしい」ということからも、ドナーは交通事故で脳死になったのではないかと思われる。「もう助からないのであれば、どこか体の一部が生きていればうれしい。元気な体なので、たくさんの人の役に立ってほしい」という今回のドナーの家族の言葉は、公表されたことにより今後に大きな影響を持つと思われる。前例はやがて社会の規範となる。それが日本臓器移植ネットワークの意図するところなのだろう…と、私は感じた。
 臓器移植は生々しい人体操作なのに、それを数々の言葉でキレイゴトにしている。キレイゴトにしなければ、とても通常の人には耐えられないコトだからだ。そのことを十分に承知した上での臓器提供の承諾であればいいが、実際はどうなのだろう………?
 早々に、私はドナー拒否カードを所持しようと思っている。
2010年8月20日 8:57 | コメント (0) | トラックバック (0)

仮想現実

 仮想現実…こんな矛盾した言葉はありえない。ところが、朝日朝刊によればそんな言葉をひねり出した人たちがいるらしい。DSの「ラブプラス+」というゲームの話だという。観光地めぐりや関連グッズなどはマアマアとしても、ゲームのキャラクターと一緒に泊まるホテルに布団を2組用意するなどというのは気持ち悪いとしかいいようがない。ゲームのキャラクターが「女の子」というのも不愉快である。なぜキャラクターが「男の子」のゲームがないのか?(私が知らないだけである?)

 イマドキの若い人がこういうものを好み、喜んで遊んでいることはイマサラどうしようもないとしても、いい年をした大人がそれに迎合するのは決していいこととは思えない。たとえそれが熱海市商店街や温泉街に利益が転がり込むことになるとしても…である。
2010年8月14日 9:39 | コメント (0) | トラックバック (0)

明確にすべき点は

 改正臓器移植法が施行されてひと月もたたないうちに、その法律のもと脳死臓器移植が行われたのはちょっとばかりショックだった。その会見は、あれも言えないこれも言えないで、何のために会見をしているのかわからない。

 今回の場合、家族は本人が臓器提供の意思を口頭で伝えていたということを根拠に同意したというが、それは家族の問題である(家族が何を根拠に臓器提供を承諾しようと、それはあくまでも家族の問題とするのが今回の改正臓器移植法ではなかったか?)。「どのように男性の意思を確認したか」という点に質問が集中したそうだが、その詳細については会見で追及する事柄ではないように思う。

 明らかにして欲しいのは、「脳死判定に至る手続きについて、主治医のほうから家族に臓器提供についての情報提供をしたのか、それとも家族から申し出があったのか」ということについてだ。「どの時期に、どのような状況でそれがなされたのか」ということだ。
2010年8月10日 19:38 | コメント (0) | トラックバック (0)

夏の図書館

 連日連夜のこの暑さ、図書館通いも楽ではない。…と、バスの姿を見かけたことはないのだが、図書館のまん前にバス停があったことを思い出した。PCで調べてみると、近くの駅前から出ていた。ワンコイン(100円)で乗れるバスだ。
 これであの坂道を登らなくてもいい。本が重くても大丈夫。図書館へ行くのも楽になると、いそいそ出かけて借りてきたのは次の6冊。手当たりしだいではないが、どれも吟味して選んだものではない。

「ちいさな理想」(鶴見俊輔・著 編集グループSURE)
「寄せては返す波の音」(山本夏彦・著 新潮社)
「漢字の楽しみ方 悪字の数々を弁護する」(辰濃和男・著 岩波書店)
「ありふれた思い出なんてないさ」(沢野ひとし・著 新風舎)
「一人称で語る権利」(長田弘・著 平凡社ライブラリー)
「えほんのスケッチブック」(いわむらかずお・著/絵 講談社)

 なんとなく夏向きの選択のような気がしないでもないが…。
2010年8月 6日 9:23 | コメント (0) | トラックバック (0)

鬼さん、笑って

 8月になったのを確かめて朝顔がひとつ咲いた。次の日もひとつ、明日もたぶんひとつ咲きそう。8月になればすぐに立秋だ。暑さを忘れたくて、秋になれば…と先のことを考えた。

 まずは予定が延び延びになっているシャガール展(チケット購入済み)に行き、12月には浜離宮ランチタイムコンサートvol.83 有田正広フルートリサイタル(チケット購入済み)に行き、来年になれば2月に千葉市美術館の武蔵野美術大学 美術館・図書館所蔵ネフ・コレクション展に……と、目の前に楽しみをちりばめてみた。

 日々を生きていくのが少々つらくなったときには、鬼が笑おうが何しようがかまうものか…である。
2010年8月 2日 20:12 | コメント (0) | トラックバック (0)