次の本

 「串田孫一集 5 微風の戯れ 随想T」を読み終え、いそいそと図書館へ。借りてきたのは次の2冊。

「「串田孫一集 6 青く澄む憧れ 随想U」…1966〜1978年の作品。読むのが楽しみ。
「ドンナ・マサヨの悪魔」(村田喜代子・著 文芸春秋)…新刊書の棚から。表紙の絵はMark Ryden 。きれいなのに不気味なというか不思議なというか、変わった絵である。そんな表紙を持つ本の題名も、また変わっている。だが、著者はあの村田喜代子さん。ちょっと読んで見なければ…という気になる。
2010年5月28日 12:52 | コメント (0) | トラックバック (0)

この感覚

 少しずつ読み進めている「串田孫一集5」も、1961年初版の「古い室内楽」まで来た。最初に感じた少々の戸惑いやちくちくする心の痛み、いとおしさなどは影をひそめ、俄然楽しくなってきたのである。
まごいっちゃんのユーモアがここかしこに散らばっている。夜更けにひとりでクスッと笑ってしまうこともしばしばだ。

 時代がすこぅし落ち着いてきたことや、年齢的なこともあるのだろうか…。社会に対して突っ張ってみたり、人知れず涙してみたり、時には皮肉のこもったユーモアを発してみたり…。ますます、私のいとしの孫一さんとなっていく。

 その「古い室内楽」に、「こわれる」という随筆がある。それはこんな言葉で始まる。
『茶碗がこわれ、ガラスがかけ、上衣の肘に穴があき、私の生活に使う道具の中からは、考えてみると毎日のように落伍者が出る。電球が切れ、水道の蛇口が悪くなって水がきちんととまらなくなる。』

 ”落伍者が出る”というこの言葉の感覚。これこそが串田さんの串田さんらしいところ。そして、私が好きなところ。
2010年5月25日 18:41 | コメント (0) | トラックバック (0)

あっ、この本!

 日曜日の新聞読書欄から…読みたい本。
「ぼんやりの時間」(辰濃和男・著 岩波新書)

 「ぼんやりしている」と「ぼんやりと過ごす」では、その意味は全く違う。「ぼんやりと過ごす」のは意識的であるし、意思的である。ぼんやりさんにはぼんやりと過ごすことなどできない…というのが私の思い。

 「気になる本」のリストに書いておこう〜っと!
2010年5月23日 9:51 | コメント (0) | トラックバック (0)

人間とは摩訶不思議なもの

 先日蒔いた朝顔の種からもう芽が出始めた。この暖かさ、いや暑さだから当然としても、来週はまた気温が下がるらしい。順調に育つかちょっと心配だ。

 朝顔以上に心配なのは、近頃の若い国会議員さんたちだ。打撲で全治3ヶ月だの車椅子だのなんだかのと騒いでいる議員がいるかと思えば、首相に「ルーピー」とヤジを飛ばしてしてやったり顔をする議員がいたり、病気のために引退するという青木さんに対し、「長男に世襲させるために公募をせず、最後にわざと倒れるという芝居じみたことをやった」と言ったとか言わないとかいわれ、発言を撤回したと報道される議員もいたりする。
 どうなっちやってるの?と思うのは、私がもう若くはないからというだけではないだろう。なんというか、嘆かわしいという以前に不可解である。そんなことをして自分自身が恥ずかしくないのだろうか?と思う。

 また、こんな人も入る。あの勝間さんだ。交通事故に遭ったという。それはお気の毒に…と思うが、勝間さんはあくまでもどこまでもカツマさんである。テレビ局のインタビューに答えて、「事故の原因はデフレ不況」だと言ったらしい。この人は経済評論家という鎧を着て生きているようだ。鎧は重くないのだろうか?

 ???と思うことが多い毎日だが、だからこそ串田さんの本を読み始めると本から抜け出せなくなる。もう疲れたのに、もう眠いのに、本を閉じることができない夜が続いている。
 戦時中の日々、戦後の日々を淡々と綴ってある。だが、その淡々さの後ろにどれだけの深い苦悩があっただろうか…という思いが私をとらえる。

 ふと思い立って図書館で借りた全集だった。今読んでいるところは、1960年に出版された「花火の見えた家」。1960年といえばたかだか50年前だ。しかし、本の世界では古本の部類に入る。全集は重くて敬遠しがちだが、宝物が詰まっていることもあるのだ。ふと思い立つという不思議な心の動きが導いた、本との不思議な出会いである。
2010年5月22日 10:20 | コメント (0) | トラックバック (0)

あの日…

 「串田孫一集 5 微風の戯れ 随想T」(串田孫一・著 筑摩書房)は、「孤独なる日の歌」から始まる。解説によると、「これは作者が戦後においてはじめて問うた、文学表現による一巻であったといって差支えないものと思う」という随想作品である。

 読み始めてみると、少々の戸惑いと、ちくちくする心の痛みと、いとおしさとを感じた。それは、これまで読んできた孫一さんとはちょっと違う…という戸惑いであり、生き迷っている若い日の孫一さんの苦しみに対する共感の心の痛みであり、それでも自分らしく生きようとする人へのいとおしさであった。

 その中の1編に、「牝牛の赤い眼」がある。その内容は…、真夜中に著者が家に戻ると、「子どもが私の空の寝床の傍で眠っていた」。「私はその枕許に座って、伸びかけている子供の髪を横に撫でたり、逆さに撫でたりしていた」。(中略)「子供はもうそれをずっと前から知っていたように、暗い部屋の中で大きい眼をあけて言うのだった」。

『 オトウサンモ、モウネルンダヨ。
 今帰って来たばかりでねむくないんだ。
 フン、ソウカ。ナニシテタノ?
 赤い大きな月が昇るのを見ていたよ。
 イマデモマダアカイ?
 もう赤くない。それから、スバル星が昇るのも見て来た。それから、牝牛の赤眼も。
 イマデモマダアカイ?
 ずっと赤い。あれはいつまでも赤い。それから…。
 モウ、ネタホウガイイヨ。ボクネムイカラ。
 それじゃあ、黙っている。 』

 …と、続くのだ。そして、いっときのあと、また会話は続く。読んでいるうちに涙がでそうになる。

 変わらないのは孫一さんの自然をみつめる眼だ。いつものことながら、野草の和名が次々とでてくる。たとえば、風蝶草、花菱草、庭石菖…。そのひとつひとつを野草図鑑で調べながら読む楽しみ。図鑑の花の写真を見ると、大抵は本当に小さな花だ。その小さな花の中に宇宙の深みを感じとり言葉にするのは、詩人であり哲学者でもある著者ならではである。
2010年5月17日 15:23 | コメント (0) | トラックバック (0)

全集の楽しみ

 五月にしては肌寒いが、本を読むには最適。今回図書館で借りてきたのは、次の2冊。

「十四分の一の月」(ささめやゆき・著 幻戯書房)…著者については全く何も知らなかったが、表紙に引かれた。
「串田孫一集 5 微風の戯れ 随想T」(串田孫一・著 筑摩書房)…おなじみ串田さんの本。装丁も孫一さんだ。

 図書館のついでに住民票を取りに行った。厄介な手続きに必要だったからだが、住民票の請求もまた厄介だ。請求しに来たのは本人だと言っても身分証明の提示を求められる。私は運転免許はないので、健康保険証を見せる。すると、これには写真が付いていないからもうひとつ何か出せという。キャッシュカードでもいいというから、それを見せてやった。

 住民票は何に使うのだ?と聞くから、コレコレコレと説明する。やっとしばし待て…となった。程なく住民票が届き(そこは区役所の駅前連絡所)代金を払おうとすると、その用途の場合は無料だと言う。「無料?ふ〜ん」…と私。そんなことはどこにも書いてなかったのに…なぜ?同じ目的で使うために請求した戸籍謄本は有料なのに?対応は市によって違う?
2010年5月15日 10:03 | コメント (0) | トラックバック (0)

 ただの擦り傷だからたいしたことはなかったのだが、転んだ!ということの心理的後遺症は重い。転んだという言葉に敏感になってしまった。そんな折、年若い女性の議員が国会内で転んだという報道があった。転べば痛いのは当然としても、打撲ごときで車椅子とは…恐れ入った。採決時には、打撲に仰々しく包帯をぐるぐる巻きにして松葉杖だという。しかも、慣れない松葉杖で階段を下りる途中、またまた転んだというおまけ付きである。

 誰の指示か知らないが、みっともないったらありゃしないとはこのことである。恥じらいもなく報道陣に足を見せるというパフォーマンスまでやってのけるこの女性の心理は理解できない。それほどひどい怪我をしたというなら、足など晒さず医師の診断書を提示すれば済むことだ。救いようもなくみっともない。
2010年5月14日 6:37 | コメント (0) | トラックバック (0)

ついに?

 転んだ。誕生日から3日目の朝だった。いつものように、いつもの時間に可燃ごみを出しに行った。今朝は少々寒かった。風も強かった。いつもと違っていたのはその点だった。ゴミ置き場には段差がある。いつも躓かないよう転ばないよう、気をつけてはいた…が転んだ。

 足首にロープが絡まっている感覚と、両膝に発した猛烈な痛みと、ごろんと横倒しに転がっている己の姿を認識したのはほぼ同時だった。幸いというか、めずらしくというか、周りに人はいなかった。とりあえず急いで体勢を立て直したが、あまりの痛さにしばらくは動けなかった。

 ゴミ置き場は、烏やノラ猫対策としてネットで囲ってある。出入りはアコーディオンドアのように左右に開閉し、両端はマグネットで閉まるようになっている。問題はそのネットの下側である。床面に垂れ下がる長さで(下からくぐって進入するのを防ぐため?)、角には、まるで罠かなにかのように輪になったロープが垂れている。それが私の足首を捕らえた。

 右膝は膝頭を、左膝はそれより少し下を幅2cm長さ4cmほど見事に擦りむいた。皮を剥ぎ取ったみたいに、ズズズズ〜ッと。身はえぐられなかったようで出血はなかった。不思議なことに両手は無傷である。傷の位置が、体が横倒しになった理由をよく示している。

 常日頃、若い人から「転ばないように気をつけて」とよく言われる。自分でもわかっているのだから、ウルサイワネ、と思う。でも、…転んでしまった。それも、ひとつ年を重ねて3日後である。顔向けができないではないか。わかっていても、重々気をつけていても、このざまだ。この先……
2010年5月13日 13:15 | コメント (0) | トラックバック (0)

あなたは「OK」?

 雨宿りに軒下を貸すのはどうということはないが、それが軍事基地となると話は違ってくる。日本は、アメリカに軒下を貸しているようなものだ。アメリカ軍の基地があることで日本は守られているとか、抑止力になっているとか、そういう考えの人がいることは承知しているが、私の考えは違う。改めて言うまでもなく、抑止力は挑発力でもある。憲法で戦争放棄を宣言しながら、挑発力をちらつかせるのは矛盾である。

 アメリカが甘い言葉を浴びせて、時には脅しをかけて、日本に基地を置き続けるのは、地理的に日本はアメリカの盾となりうるからだ。防衛的であろうがなかろうが、日米安保条約により日本とアメリカは軍事同盟国だ。
 アメリカはショッチュウ戦争をするが、自国本土では決してしない。戦場は必ず他国である。そんなアメリカの盾に甘んじていていいものかどうか…。

 基地の負担を全国民で分担して負ってくれと言うハトヤマさんは、今日、関係閣僚と普天間飛行場の移設問題を協議し、政権内で検討している移設案の内容を確認するという。その移設案の中には、「国内外からアメリカ軍嘉手納基地に飛来するアメリカ戦闘機などの訓練を全国の自衛隊基地やアメリカ軍基地に振り分けて実施する」というのが含まれているらしい。日本全土が、日本人全員がアメリカの盾となれと言っているに等しい。どれだけの国民が「OK!」と言うのだろうか?
2010年5月10日 10:05 | コメント (0) | トラックバック (0)

誕生祝届く

 新しいノートパソコンが欲しいなぁ〜という思いが、いつからともなくふつふつと湧いてきた。そんな思いが沸点に達する頃には、この机に新しいHPのノートパソコンを置いて使っている自分の姿を妄想するまでになっていたが、突如冷静になって「そんな贅沢はできない…」と思い直した。今のパソコンはまだまだ使えるのに、新しいパソコンに10万円も出すのは贅沢というものよ…と。

 しかし、5月になって冬眠から目覚め生き返った私は、何か新しいものを手にしたいのだ。そこでモニターを新調することにした。HPのモニター(HP 1859m)だ。これなら1万円だ。
 そんな私をどこかからそっと見ていたのだろうか、我がパソコンのセンセイがキーボード(エレコムのTK-UP87MPSV)をプレゼント(誕生日祝いネ)してくれた。プレゼント用にラッピングしてメッセージカードまで添えて。思いがけない出来事に、私としたことが、うれしいな♪うれしいな♪と歌ってしまったのだ。

 明日の2010年5月10日という日は、足元の小石につまずいて思わず”お〜っとっと”と声をあげてしまうような日である。知らない間に干支が5周もしちゃってたりして。
2010年5月 9日 15:16 | コメント (0) | トラックバック (0)

言葉についての考察

 筑摩書房の「ちくま」に、とてつもなくおかしなものがあった。これから出る本の紹介にあった「絶叫委員会」(穂村弘・著 5月8日発行)だ。絶叫委員会は、去年の「ちくま」に連載されていた。

 その内容は、「不合理でナンセンスで真剣で可笑しい…言葉たちについての考察」だそうだが、そこに書いてあったのが、『でも、さっきそうおっしゃったじゃねぇか!』。
 文法的にはめちゃくちゃだが、近頃これに似たような言葉の使い方には頻繁に出くわしているようだ…と気がつく。

 全く歓迎されなかった沖縄訪問でのハトヤマさんの記者会見も、不合理でナンセンスで真剣で可笑しいのだが、こちらはとてつもなくおかしいとは思えない。ユーモアのかけらもないのだから。
2010年5月 6日 9:42 | コメント (0) | トラックバック (0)

お返し

 今日はこどもの日だから夕食はカレーね、と言ったら息子に笑われた。こどもの日が過ぎると、すぐに母の日、私の誕生日。忙しいことである。

 イマドキは、母の日にプレゼントをもらっても喜んでばかりはいられないらしい。プレゼントには必ず「お返し」が必要だという。母の日のプレゼントとはいえ例外はないらしい。いつからそんな風習が出来上がったのか…。
 プレゼントには贈る喜びというものがある。それでいいではないか…と私などは思うが、何とかにかこつけて売らんかなの魂胆に引きずられてしまう人が多いのだろう。

 想像がつくとは思うが私はそんなものに引きずられたりはしないタチなので、義理に包まれたプレゼントなどはチットモうれしくないけれど、お返しなしのプレゼントなら大歓迎だ。
2010年5月 5日 13:10 | コメント (0) | トラックバック (0)

単語帳

 連休中は曜日の感覚がなくなる。新聞をみて、今日は日曜日と確認する。さて、日曜日といえば書評が載る日である。朝日新聞読書面「著者に会いたい」は、「やすらいの花」の著者・古井由吉さんだ。私の気になる本のリストにはいっている。やはり気になる本である。近いうちに読んでみたい。

 古井由吉さんは、文芸誌の短編連載と古典ギリシャ語の文献を読む日々だという。古典ギリシャ語の文献は単語帳を作りながら読むそうだ。なるほど…。

 いつも一緒に遊び歩いている私の連れさんは、知らなかった言葉(日本語)に出会うと単語帳に記しながら本を読むのだと言う。その単語帳はこれに限るといって、伊東屋へ行くたびに「置いてないのですか?」としつこく訊ねるのだ。大きさがちょうどいいらしい。

 単語帳を作りながら本を読むなんて…。私はまだまだである。
2010年5月 2日 10:32 | コメント (0) | トラックバック (0)

MAY

 今日から我が月、5月である。そしてGW。その気になれば11連休となるそうだ。…で、その気になったらしい千葉県知事は県議会議長を道連れに、10日間の海外視察に出発したという。4日まではブラジルに、5〜7日はアメリカのウィスコンシン州に。ブラジルは日系人が多いからとか、ウィスコンシン州は姉妹県州であるからとか、体裁はなんとでも整えられるが、どちらも緊急性はなく、要はGWを目一杯使った海外旅行だ。
 11連休もあれば、かなりの量の本が読める。知事さんには別荘にでもこもってじっくり本を読んで勉強してもらいたい…と思う。あまり恥ずかしいことやみっともないことはしないで欲しい…と思う。

 さて、私のGWは…。やっと体が活動を開始したから、あれをしてこれをして、あれもしてこれもして…といった感じ。
2010年5月 1日 9:05 | コメント (0) | トラックバック (0)