古本ではなく、古い本

 12月の初めに図書館で借りた本が、貸し出し延長と年末年始の休館で約ひと月借りていられたにもかかわらず、なかなか読めずにいた。冬ごもりから本を抱えて出てきたその手で読めずにいた本を開くと、とたんにのめり込んだ。

 本を手に、前かがみになって活字を追っている私の姿を見た人がいたとしても、私はそこにはいない。体から抜け出したワタシは、本のページに溶け込んで活字を拾い集めているはずだ。

 その本とは、山田稔・著「八十二歳のガールフレンド」だ。そのなかに「書棚の片隅」という散文がある。1930年生まれの著者は、「新刊書を買って読む機会がめっきり減った」という。「新刊書までも読む時間と体力(視力)が無くなったのだ」という。「むかし読んで深く心を動かされた本を再読するだけで、精一杯である」、「好きな古い本を気分にまかせて、もっぱら自分の楽しみのために読み返せばよい」、「さいわい、中身はあらかた忘れていて、いま読んでも新鮮」、「そんな情けないような有難いような年齢に、やっと到達したのである」という。

 「その再読用の古い書物の場所が、書棚の片隅に何時の間にか出来ている」という。「ある日、ふと思い立ち、本棚の前の小さな書物のバリケードをよいこらしょと跨ぎ、手をのばす」という。

 そんな本の読み方にあこがれる私の蔵書は決して多くない。したがって、図書館の書棚が頼りである。書棚の間をそぞろ歩いていると、沈黙していた本がちいさなちいさな咳払いをする。あるいは、ふっとため息を漏らす。そんな瞬間がある。
 そんなわけだから、図書館にお願いしたいことがある。古い本をどうかしまい込まないで。
2010年1月 4日 18:31 | コメント (0) | トラックバック (0)