ハトヤマさんの不幸は私たちの不幸

 こんなことで今年も暮れてしまっていいのか…という気がするが、どうなのだろう。揚げ足を取るつもりはないが、ハトヤマさんの謝罪会見の言葉の数々は少々引っかかる。というのも、言葉の端々にその人自身のものの考え方や何やらが如実に現れるからだ。

 使っても使っても使い尽くせないほど財産があることといい、母親から多額の援助を受けていたことといい、それは個人的なことだからどうでもいい。信頼できる人に長年にわたりお金の管理を任せていたということもどうでもいい。問題なのは、当然報告を受けていただろうに、内容を十分に把握しないまま署名捺印をしていたらしいことだ。疑問があろうがなかろうが、把握していることがなにより重要だろうに、未だにそれに気がついていないようだ。

 『結果として、年老いた母親に大変な親不孝をしてしまいました』と言うが、そんなことを国民に向かって言ってどうする?(後ろからどやしつけたい気分)
 どんなに資産があっても社会の成り立ちを知らないハトヤマさんの母上は不幸だ。そんな母親に育てられたため、同様に知るべきことを学ぶ機会のなかったハトヤマさんも不幸。気の毒には思う。

 国民に対して「、理解し難いだろうができる限り理解してくれ」と言う。「理解してもらえるようできる限りのことをする」と言うべきではないのか。

 資金の使い道の内訳が最も重要なのに、そこは呆れるほど「どんぶり」である。そんな「どんぶり」では、ほんとうに私利私欲を肥やしていないと言い切れないではないか。さらに、何をもって「私利私欲」というかも問題である。

 読売新聞によると来年の日本は「家計に例えると…収入370万、生活費530万」なのだそうだ。ハトヤマさんにはその意味がお分かりだろうか?心もとない限りである。私たちの手には打ち出の小槌はないのである。
2009年12月26日 11:07 | コメント (0) | トラックバック (0)