なにごともほどほどに

 11月もまもなく終わろうというのに、この暖かさはどうしたことだろう。ウールのセーターなど、まだまだ出番がやってこない。重いコートは要らず、薄手のジャケットでも重く感じるほどである。だが、やはり寒さは必要だ。寒さがやってこないことの弊害は、やがて私たちにのしかかってくる。

 驚くほどの円高である。1ドル360円と決まっていた時代を知るものにとっては、こりゃどうしたことじゃいな?と驚くばかりである。海外へ遊びに行く人はホクホク顔らしい。ドル買いに走る個人客も多いそうだ。確かに、それはひとつの手だ。しかし、それらの行動が日本全体の経済にどういう影響を及ぼすのか、私にはよくわからない。海外を相手に1ドル100円で商売をしていたのが、いきなり1ドル84円になれば大きな損が出ることくらいは、経済音痴の私にも理解できる。それは直接的には私たちには関係がないかもしれないが、やがてはその影響は巡り巡って消費者にのしかかるはずだ。

 海外でのショッピングやドル買いに走ることを誰も非難しないが(もちろん私も、ね)、今ここで重要なのはやはり政府の対策や如何に?ということのような気がする。
 経済産業相は「円高が景気のリスク要因になることは間違いない」と言い、金融相は「米国や国際社会に対応を求めるべきだ」と言い、国家戦略相は「日本自身がどうするか、国際的な協調のなかでどうするかということはある」と言っているそうだが、具体的にどういう対策を採るのか、それを早く示してもらわないことには何も始まらない。
2009年11月28日 9:58 | コメント (0) | トラックバック (0)

虫の知らせ

 虫の知らせとは一種の第六感だ。それとは別に何と呼んだらいいのかわからないが、第七感としか思えないものもある。例としてはいろいろあるのだが、つい最近ではこんなことがあった。

 毎年買うカレンダーは決まっている。リビングには山種美術館のカレンダーを、玄関にはユネスコ・アジア文化センターのカレンダーを…というふうに。ところが、なんとなく来年の玄関用のカレンダーは何か別のものにしようかなぁ〜という気になった。なんとはなしに、私のなかではアジア文化センターのカレンダーは終わってしまっていたのだった。それでも、毎年来る案内がいつになっても届かないことを心のすみでは気にかけていた。
 そして数週間がたち、これは変だと思いアジア文化センターのサイトを見ると、「ACCUカレンダーは財政的理由から制作・販売を休止」というお知らせが出ていた。

 毎年、あんなに楽しみにしていたACCUカレンダーを、突然もうおしまいにしようか…という気になったというのは意識の深いところで何かを察していたとしか思えない。楽しみにしているのにいきなり休止をしらされたら、それはそれはとてもがっかりする。しかし、あらかじめ自分のなかでけりをつけていれば、休止の事実を知っても、それほどまでにはがっかりせず、そうなんだ…と納得する。ある意味では、この第七感は一種の自己保身の役に立っている、といえなくもない。とはいえ、「財政的理由から」というのは重ね重ね残念である。
2009年11月25日 9:57 | コメント (0) | トラックバック (0)

世はデフレ?

 世はデフレなのだという。それで…?私たちはどうすればいいの?…と思うが、その点に関しては人々の意見はさまざまである。ジーンズが1000円になったからといって、一度に5本買う人はいないだろう。結局、物価が下がっても物は売れていない状態と同じだ。デフレの原因はそういったところにあるのかと、あちこちの経済用語の解説を読んで思ったのだが、そもそもそういう状況にならざるを得なかった原因は…?と考えると頭は混乱する。

 「世界では富裕層による(宝石や時計の)希少品の購入意欲が高まっている」との報道(産経ニュース11/21付)がある。それによれば、「世界では今、現金が行き場を求めており、その場所が希少品や高級品だ。各国政府が大量の紙幣を増刷しているため、いつかインフレが到来するとの見方が広がっている」とみているらしい。

 国家戦略担当相とエコノミストとの「マーケット・アイ・ミーティング」で、あのカツマさんは通貨の大量発行などのデフレ退治策を求めたそうだ。「中央銀行のお金を大量に刷って、それを借金として政府がばらまく」のが一番だとあのカツマさんは主張したそうだ。また、あのカツマさんは、「国債の発行が悪いことのように国民は教育されているが、将来への投資と考えるべきだ」とも言い切ったらしい。(借金=投資?私に言わせれば、借金=負債である。カツマさんは生まれたときからクレジットカード世代なのね?)

 しかし、もし日本も通貨を大量発行すれば、世界のハイパーインフレーションの渦に巻き込まれる…ということもあり得るわけだ。国家戦略担当相は結局カツマ提言には納得せず、これまでの国債の発行が必ずしも投資にならなかった現実を踏まえて、「カネを使わないで需要がふえる方法を考えたい」と言ったそうだ。そう、国家戦略担当相には、夜も寝ずに考えに考えてもらいたい、と思う。
2009年11月21日 9:40 | コメント (0) | トラックバック (0)

『カレンダーの展望』

 「日々の非常口」(アーサー・ビナード著 朝日新聞社)はその装丁の軽さに似合わず、なかなか奥の深いエッセイが多かった。新聞に連載されたエッセイゆえの短かさ(各編は2ページ)が、思いがけず余韻を残すのである。その余韻のなかに、多くの書かれなかった言葉が満ちているかのよう…。

 さて、その中の1編「カレンダーの展望」はおもしろかった。内容を簡単に要約すると、

[来日して2年目の暮れに、新聞の1面ほどの大きさに365日が収まったシンプルなカレンダーをもらった。さっそく部屋の壁に貼って眺めていると、1年の短さを思い知らされ、自分の余生までも見渡せる気がしてすぐに壁から外してしまった。

 去年の暮れにもらったカレンダーのなかに、また新聞の1面ほどの大きさのカレンダーがあった。今度は心細くなるどころか、一種の心強さがわいた。1年を一望できるということは、振り返りさえすれば、去年も一昨年も一昨昨年でさえ、どうにか把握できるはずだ。

 マスコミの流すニュースの寿命は短くすぐに忘れ去られ、半年も経つときれいに葬られる。ニュースの歯車と一緒に回っていると、そんな健忘症的サイクルを権力者が悪用していても気がつかない。去年、一昨年、一昨昨年まで見据えようとする社会の一員になりたいものだ。]

…とこんな話。

 2ヵ月毎のカレンダーが残り1枚になったとき、「最後の1枚になってしまったカレンダーは、行く年来る年を嫌でも意識させる」と私は嘆いた。同じカレンダーの残り1枚も、もしかしたらまた違った見方ができるのかも…、ね?
2009年11月16日 9:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

ひとつの誇り

 韓国の繁華街にある室内射撃場の火災で、多くの死傷者が出たという。詳しい事情はわからないが、痛ましい事故である。韓国には室内射撃場という娯楽施設があり、日本人観光客に人気であるらしいということを、このニュースで初めて知った。若い人だけでなく、年配の人やストレス解消のためという女性もよく訪れていたそうだ。
 よその国のことであるので、許可があれば射撃場を開設できるということに関しては何もいうことはないが、日本人に人気の観光スポットであるということに関しては、ただただ驚いた。

 おもちゃの銃ではなく本物の銃で、しかも実弾を込めて撃つという。それが、遊び?ストレス解消の手段?
 そういう場所へ観光に行き、実弾での射撃(10発3千円という値段は、日本人観光客にとっては高いものではないのだろう)を体験する人というのは、どんな気持ちで銃を手にし的?を狙って撃つのだろう?私には全く理解できないことである。

 スポーツ射撃は、まぁスポーツとして理解できる。日本でも猟銃を所持する人はいるが一応免許が必要だ。日本人であろうが銃が好きな人は好きなのだということも、一応は理解できる。しかし、それ以外の人が、観光の一環としてかる〜い気持ちで実弾使用の射撃を体験するというのは、どうにもこうにも理解し難い。日本はアメリカなどのような銃社会ではないという誇りを持たない人が、そこまで多かったとは思いたくないのだが…。
2009年11月15日 9:38 | コメント (0) | トラックバック (0)

潔くない男たち

 このところ、言い訳にもならない言い訳をする人が多いようだ。そのひとりは、ハトヤマさん。「株や有価証券の記載漏れ」に関して、「恵まれた家庭に育ったものですから」と言ったそうだ。お金はあり余っていたから資産管理などしたことがないという。恵まれた家庭に生まれたことはどうということではない。資産管理などしなくても一生困らないこともどうということではない。さまざまな法的手続きや報告は義務だろうし、どんな境遇の人でも義務は果たさなければならないだけのことだ。それを果たさなかったことの言い訳に「恵まれた家庭」を利用するのは筋違いである。

 もうひとりは、脳科学者とやらの茂木サン。3年間分の約4億円の所得を申告していなかったことに関して、「仕事で多忙なうえに、個人事務所もアシスタントも持たない私の能力では(確定申告を)処理しきれない状況だった」と言ったと伝えられている。自分で処理しきれないことは、お金を払ってそれなりの専門家に頼むのは常識である。やってはみたができなかったのでそのまま放っておいた…というのでは、まるで子どもである。

 誰にも、時には弁明が必要なときはある。そういうときでも、どこに自分自身の非があったかをまず自分自身がしっかりと認識することが大切…と思うのだけれど。
2009年11月12日 10:21 | コメント (0) | トラックバック (0)

本4冊

 朝から大雨である。そんな雨にもめげず、図書館へ。借りたのは次の4冊…。

「空からやってきた魚」(アーサー・ビナード著 草思社)
「日々の非常口」(アーサー・ビナード著 朝日新聞社)
「風山房風呂焚き唄」(山田風太郎著 筑摩書房)
「散歩の学校」(赤瀬川原平著 毎日新聞社)

こういう組み合わせ、どうでしょう?
2009年11月11日 12:13 | コメント (0) | トラックバック (0)

ほんとうに大切なのは

 それぞれの事情はわからないが、人があまりにも簡単に殺されすぎる。つい最近も、立て続けに女子大学生が殺される事件があった。結婚詐欺だけでなく、何人もの男性がついでのように殺された事件もあった。無防備すぎるのがいけないのか、殺すことを厭わないのがいけないのか。新聞を開いてもニュースを聞いても、心が塞がるばかりである。

 「命を大切に」という言葉が巷に満ち満ちているが、それよりも大切なものがある、と思う。私たち人間は、必ず命を失う宿命にある。どんなに大切にしても、必ず失う。しかし、人間であることの尊厳は決して失わない。学校などでの「命を大切に」教育がいつから始まったかはもう忘れたが、それよりは「人間であることの尊厳を大切に」と教えるほうがいい。
2009年11月 9日 9:01 | コメント (0) | トラックバック (0)

黄色のコスモス

 苗から育てたコスモス(イエローキャンパス)が咲いた。夏の、風船カズラやゴーヤの花が終わり、日課のように毎日やって来ていたハチの姿も見なくなっていたが、今朝はコスモスに小さな小さなハチが1匹やって来た。
コスモス.jpg
 花の中心のところにとまって、蜜を吸っていた。あれはなんというものなのだろうか…口の辺りからストローのような?あるいは長い舌のような?ものを出して、ツィツィッツツィツィッツと丁寧に吸っていた。こんなにまじかで観察したのは初めてだ。「どうぞごゆっくり」と言ってみたのだが…。

 毎日新聞の記事によると、11月になるとハチは洗濯物のなかで巣ごもりするらしい。洗濯物を取り込むときは、よくはたいてからにしたほうがいいという。我がベランダガーデンにやってくるハチさんたちには、「花の蜜を吸うのはいいけれど、洗濯物で巣篭もりはお断り」と言っておいたほうがいいのかな?
2009年11月 7日 19:41 | コメント (0) | トラックバック (0)

懐かしの…

 NHK-FMでは、朝と夕に「にっぽんのうた、世界の歌」という番組をやっている。日本の歌ではなく「にっぽんのうた」としたところにどんな意味があるのか知らないが、このタイトルのままに支離滅裂的な番組である。いつもはほとんど聞き流しているが、今日は思わず聞き耳をたててしまった。

 「懐かしのフレンチポップスを…」と聞こえてきたからだ。う〜む、あの頃の曲は完全に「懐かしの…」なのか…と少々がっかりしたのだが、聞いていくうちに、困ったことに、ほんとうに、なつかしい…と思ってしまったのだ。

 シルヴィ・バルタン、ウムウム、フランソワーズ・アルディ、ウムウム、ミッシェル・ポルナレフ、ウムウム……、そう、私はミッシェル・ポルナレフがけっこう好きなのだった。
2009年11月 6日 18:47 | コメント (0) | トラックバック (0)

さて、

 あれよあれよという間もなく11月になってしまった。カレンダーも残りがなくさびしくなった。次のカレンダーを買えばいいだけのことだが、最後の1枚になってしまったカレンダーは、行く年来る年を嫌でも意識させる。たとえば…。両親同様平均寿命まで生きるとするとあと○十年、今日までの過去○十年を振り返ると驚くほどあっという間だったという気がする。すると、この先の○十年も、長いようでいて短いのかもしれない。もしほんとうに短いのであれば…などと考え始めると、心が揺れる。

 ともあれ、11月になってしまったのだ。今日は寒い。
2009年11月 2日 9:26 | コメント (0) | トラックバック (0)