秋晴れの1日

 東京ミッドタウンは何度行っても(とはいってもまだ2回目だが)好きになれないが、今日はサントリー美術館へ「美しの和紙」を見に出かけた。和紙というと、何とはなしにしなやかなものと思い込んでいたが、実際は思いのほかしゃきっとしたものだった。神仏に捧げる造り花の数々は、それはそれはみごとなものだった。たぶん、花びらの1枚1枚をつくるごとに祈りがこめられているのだろう。その祈りは果てしないものなのだろう…等々、出来上がったものの存在感よりも、人の手仕事の時間の方に意味があるような、そんな気がする作品が多かったように思う。

 ところでミッドタウンだが、何故好きになれないかというと、人間と溶け合わない(一体化しない)建物のように感じるからだ。そんな風に感じるのは私だけかもしれないが、そこでは人間は異物のようだ。

 早々にミッドタウンを離れ、いつもの銀座へ。いつものようにランチを済ませた後は、「フリーカフェ播磨屋ステーション」を覗いてみた。あまりの人の多さに恐れをなしたが、おかきの誘いには勝てない私たちである。ずずずいと奥まで乗り込んで、4種類ほどのおかきを試食した。まさに関西のおかきの味である。迷わずよりどり3パックを選べる「エコノミーパック」(1,000円)を購入した。
 常識の範囲内で…というアナウンスが流れていたが、チラリチラリと周りを見ると小さなトレイにおかきを山積にしている人があちらにもこちらにも…。そんなあさましさは、ちょっと悲しくもある。

 その後、さらに足を延ばして「茶・銀座」へ。7周年ということで無料試飲会をしていた。静岡の本山産釜炒り茶は独特な後味のお茶だった。
 意図したわけではないのだが、今日はあちらとこちらで無料のお茶をしてきた。時には私たちも思い切りオバサンになるのである。
2009年10月28日 21:07 | コメント (0) | トラックバック (0)

詩人の言葉

 忘れないように書きとどめておきたい言葉が、朝日夕刊(10/22付)の文化面に載っていた。それは、詩人の長田弘さんの文章のなかにあった。長田さんは、読書について次のように書いている。

 「読みとおすのでなく、読みさす(”さす”は”止す”、中断すること)。読み切るのでなく、読み余す。読みぬくのでなく、読み継ぐ。読み解くのでなく、読みとどめる。そうして、開いたまま本を伏せて、あるいは閉じて積んで、自分の日々の時間のかたわらに置く」………と。また、「読書というのは、本を読むというだけのことではないのだ。本を自分の日々のなかに置いて、自分にとって必要な本の置き場所をつくる、そういう日々のあり方をすすんでもちこたえてゆくというのが読書なのだ」………と。

 なんて素敵な言葉なんだろう! なんだかうれしくなってしまう。
2009年10月24日 9:08 | コメント (0) | トラックバック (0)

このおもしろさは…

 このおもしろさは何だろう…?と思うが、とにかくおもしろくてどんどん読み進めてしまった。すでに4分の3くらい読み終えた。「小沼丹全集」の話。

 何が、どこが、おもしろいかを言葉にするのは難しい。どれもこれも短編ではあるが、その言葉の、その文章の、何倍もの情景がありありと網膜に浮かぶ。活字が音を発し、風を呼び、香りを運んでくる。ついつい時を忘れて読んでいたら、あっという間に残り少なくなってしまった。とりあえず第1巻だけのつもりだったが、第2巻も借りることになりそうだ。
2009年10月20日 10:00 | コメント (0) | トラックバック (0)

秋の本 第2弾

 暑くもなく寒くもなくといえば良い気候を表すが、今日は暑いんだか寒いんだかよくわからない。天気が悪くなる前触れか、あまりすっきりしない気分。
 秋の本第2弾として借りてきたのは、たった一冊。しかし、重い本だった。
小沼丹全集 第1巻」(小沼丹・著 未知谷)
 752ページもあるが、月は冴え冴えと照り輝き、暑くもなく寒くもなく快適な夜…になると信じて読み始めよう。
2009年10月17日 9:09 | コメント (0) | トラックバック (0)

場違いな笑顔

 またしても派手なパフォーマンスをやらかしたものである。国土交通相と会談した千葉県知事は、なぜあんなに笑顔を振りまく必要があるのか。これでは思慮のなさを自ら露呈しているだけではないか。新聞(朝日)報道によると、大臣室で会うなりあの笑顔(新聞の1面)で、「元気?会いたかったよ」と陽気に声をかけたという。これでは、カメラのフラッシュを浴び、世間に注目され、新聞の1面に大きな写真が載るのがうれしくてたまらないというだけのように見えるではないか。一体、何をしに東京まで行ったのか…。

 会談したとはいっても、何が変わったわけでも、何がはっきりしたわけでもないのに、(報道によれば)「地元にも納得してもらえる」と笑顔で引き揚げたそうだ。東京まで行って大臣にガンをつけてきたら成田の地元の人たちが納得すると…?それこそ、冗談じゃぁない!だ。もう知事は引っ込んでもらって、後は成田市などの地元の関係者が国と交渉したほうがいい。

 千葉市長のブログを見ると、「羽田空港のハブ空港化発言に対して」と題して、よく考えがまとめられて書いてある。メディアからコメントを求められたらしいが、それに関しては、一部メディアで「不快感を示した」という表現がされたがそれは不本意であるとして真意も書き添えてある。”長”という肩書きがつく人には、こういった冷静な論理的な対応を期待する。
 「素粒子」氏に茶化されたり、時事漫画に取り上げられるようではダメである。それらは、その発言や行動が本筋からそれている証なのだから。
2009年10月15日 9:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

こういうこと

  国土交通相の「羽田空港の国際ハブ化」発言に対して、千葉県知事は怒りをあらわにしたと報道されている。ここは怒りではなく、冷静に県の言い分を主張してもらいたいと思う。また、県空港地域振興課は、「国内線と国際線の分離という、今まで国が進めてきた考え方を大きく転換するもの」と困惑しているという。私たちがそういうことに慣れていないだけで、コレが政権交代ということなのだろう。政権が変わるということは、国の方針が変わるということだ。だからこそ、怒ることより言い分を主張することが大事なのではないか…と思う。

 私としては、これ以上羽田発着便が増えるのはうれしくない。ひっきりなしに頭上を行き来する飛行機はちょっとうるさい。そのうえ、ここは自衛隊のヘリコプターも行き来する。これは非常にうるさい。これを地域住民のエゴと言われれば返す言葉はないが…。

 今日はまた歯を抜いた。これで何本目か…と落ち込んだ。思い起こすまでもなく、去年も1本抜いた。右、左と変わりばんこだ。麻酔が切れると、痛い。気力も失せた。何をする気にもなれず…。
2009年10月13日 20:41 | コメント (0) | トラックバック (0)

口が減らない

 口が減らない人である。東京五輪招致に失敗した都知事は定例の記者会見で、「招致活動に使った150億円は財政再建の余剰分であり、東京の財政は痛くもかゆくもない」、「余剰分で夢を見ようと思ってやったのは間違いじゃない」と言った…と報道されている。
 確かに、世の中には50万をジャンボ宝くじにつぎ込み夢を見る人もいるが、家族なり配偶者なりが承知し同意していなければ、揉め事の原因となりかねない。それと同じで、都民が承知し、同意していればそういうこともいえるかもしれないが、あの支持率の低さでは間違いだったとしかいえない。

 また、五輪開催地に決定したブラジルのリオにつけたイチャモンについても言い訳をしたらしいが、五輪にしろノーベル賞にしろ、現代では政治抜きでは論じられないものとなっていることは誰もが承知しているのではないか。言うべきでない場・時で言ったというのは、汚いね…と思う。「悪いといっているわけじゃない(東京ももっとそういうことをやっておけばよかった)」…と言いたいらしいが、何も考えずにお金ばかり使って人任せでやってしまった結果だろう。誰の責任かは自ずとわかることである。言い訳は、言えば言うほど見苦しい。
2009年10月10日 9:48 | コメント (0) | トラックバック (0)

臨機応変

 台風が通り過ぎて…。
我が家からは、居ながらにして電車の運行状況がわかる。昨日は、各停も快速も特急もみんな止まった。未明までは雨風ともに強かったが、時間がたつにつれて雨はやみ晴れ間も見えてきたが、風は終日強く吹き荒れていた。

 JRでは、首都圏のほぼ全線がストップしたという。風速の規制値をそれまでの秒速30メートルから25メートルに引き下げたため、晴れ間が出ても運行できなかった…ということのようだ。それはそれで仕方がないのかもしれないが、帰宅ラッシュの時の首都圏のターミナル駅では、カードで入場できるように処理を求める人々で混乱したという。その原因は、スイカやパスモの不正乗車対策のせいだそうだ。

 「(朝の)混乱を防ごうと、カードをかざさなくても改札口から出場させた」そうだが、それがそもそも間違いのもと。ガードをかざすのにさほど時間がかかるわけではないのだから、きちんと通常通りにしておけばよかったものを。カードで入場できるようにする処理には人手を要するとわかっていただろうに。これでは何のためのカード化だったのかわからない。臨機応変ということも必要だと思うのだが…。
2009年10月 9日 9:42 | コメント (0) | トラックバック (0)

書評より

 気がつくと10月になっていて、はやばやと十五夜もすぎ、木々は落葉を始め、秋の種まき時になっていた。2016年のオリンピックはめでたくリオデジャネイロに決定した。都知事が何といおうと、物事は落ち着くところに落ち着くのだ。東京には開催意義など何もなく、アレができるコレができると並べ立てていただけのような気がした。翻ってリオには多くの開催意義があったようだ。

 今日は10月初の日曜日、朝日新聞の書評をみると…。
 「森の奥の動物たち ロボットカメラがとらえた森の精霊たちの姿」(鈴木直樹・著 角川学芸出版)はおもしろそう、読んでみたい。豆粒くらいの人間になって、森の精霊たちの仲間になりたいなぁ、と思う。
 「振仮名の歴史」(今野真二・著 集英社新書)は、ちょっと興味深く、読んでみたい。表現としての振仮名…なるほどね、と思う。
 「日々の非常口」(アーサー・ビナード/著 新潮文庫)は、朝日新聞社(2006年発行)から出ている単行本出読んでみたい。朝日新聞に連載されていたエッセイらしいが、残念ながら記憶にない。
 「1968(上)(下)」(小熊英二・著 新曜社)は、読んでは見たいが、あまりの厚さに躊躇しそう。1962年生まれの著者が、この上下合わせて2100ページもの本を書いた理由を知りたい、と思う。著者は、『本書は、「1968年」に象徴される「あの時代」、全共闘運動から連合赤軍にいたる若者たちの叛乱を全体的にあつかった、初の研究書である。(中略)著者はあの叛乱を、政治運動ではなく、一種の表現行為だったとする視点から分析を試みた』、と言う。…なるほど、だが、この厚みは並ではない。ただただだらだらと長いだけなのか、中味がぎっしり詰まった厚みなのか、それをまず確かめないことには…。
 
 「ちくま10月号」からは、「ちくま日本文学 全40巻」を。「ちくま文学の森」、「新ちくま文学の森」のさらに新しいシリーズのようだ。明治から現代までの40人の作家の顔ぶれを見ると、フムフム…と思う。若い人にも買いやすいように、文庫本サイズで各924円というのはいい。装丁・装画がすべて安野光雅さんというのは私の好みではないが、ルビがついているのはいい。
 ちくまプリマー新書からは、「若いうちに読みたい太宰治」(齋藤孝・著)が出るらしい。『サイトウ流「座右の太宰」おすすめ18作品を紹介』だそうだ。『人の心の痛みに感応し、丁寧に掘り下げていくことで、自意識との葛藤や社会との距離感を、豊かに表現した太宰治。人生の壁に打ち当たった時に読みたい一八作品の魅力を、縦横無尽に語りつくす』というが、私に言わせれば「人生の壁に打ち当たった時」には太宰治だけは読んではいけない。
 目次は、次のようになっている。
1 生きる元気をもらいたいときに読む
2 社会に適応できないときに読む
3 女子の気持ちを知りたいときに読む
4 ほんとうの幸福について考えたいときに読む
5 言葉の豊かさを味わいたいときに読む
6 自分が人よりも劣っていると感じたときに読む
7 人生の美しさとはなにかを知りたいときに読む
8 愛の形について考えたいときに読む
読書感想文を書くときの参考にはなるかもしれないが、私としては、こんな本を読むよりは「ちくま日本文学 8巻 太宰治」を読むことをすすめたい。
2009年10月 4日 12:01 | コメント (0) | トラックバック (0)