一気に秋へ?

 今日で9月もオシマイ。…ということで、10月の本は次の3冊。

「読むので思う」(荒川洋治・著 幻戯書房)…おなじみ荒川さんの本。
「谷中、花と墓地」(E.G.サイデンステッカー・著 みすず書房)…いろいろと興味深い。
「福をよぶ中国の切り紙」(上河内美和・著 誠文堂新光社)…いわゆる剪紙、デザインがおもしろいので参考に。

 図書館へ行ったついでに献血ルームに寄った。受付でも問診でも体重を確認されたので、念のため計量すると思いのほか減っていた。いつの間に…という気がしたが、そういえばあまり食べていなかったかも。
 献血をするとちょっとした品をくれるが、いつもはこんなのもらっても…というような、どうしようもないもののことが多い。ところが今回は違った。

 以前、「あそびをせんとや」の「ひとこと(2009年2月26日)」で紹介されていたキーパズルを、いいなぁ、私も欲しいなぁ…と、指をくわえんばかりにして見ていた。今回のちょっとした品は、なんとそのキーパズルだったのだ。「あそびをせんとや」さんの言われているとおり、「易しすぎず難しすぎず」のよく考えられたパズルだ。ちょっとした時間にちょこっと遊ぶのにちょうどいい。思いがけないところで手に入って、ちょっとうれしい。
2009年9月30日 10:08 | コメント (0) | トラックバック (0)

演出

 東京五輪招致委員会は、「開催都市決定 東京応援ツアー(4日間)」なるものを企画したらしい。しかも、飛行機をチャーターして行くらしい。ところが、募集人員250名に対して、応募者は最初の締め切りではわずか80人。締め切りを1週間延ばし、あちらこちらからかき集めてやっと定員に達したというが、内訳を見るとその3割は都職員だという。つまり、桜…。盛り上がりゼロの、まるごと演出である。何を考えているんだか…と思う。

 自費での参加を求められた都職員が桜なら、ツアーに応募した一般の人も桜である。『団長には体操金メダリストの森末慎二さんとサッカーの解説でおなじみ、招致推進アドバイザーの松木安太郎さんのお二人が就任、ツアーを引率するとともにコペンハーゲン市内各所で実施予定のツアーイベントを盛り上げていただきます』というところをみると、そう思うしかないではないか。
 『このツアーが招致の盛り上がりをアピールする最後のチャンス。東京が開催都市に選ばれるよう、現地デンマーク・コペンハーゲンで、みんなで応援ましょう!』といったところで、関心のない人や五輪招致に反対の人にとっては、全く興味のないツアーである。

 本当に関心があったり招致を心から望んでいるなら、イベントにはリアルタイムで立ち会うことを重視するイマドキの人々は、ツアーなど組まなくても自発的に応援に行くだろう。なぁんにもわかっていないのは招致委員の面々なのか都知事なのかわからないが、「東京五輪支持率の低さ」の原因は何なのか?を、一度でも考えてみればいいのに…。
2009年9月29日 9:18 | コメント (0) | トラックバック (0)

関心を持つことから始まる

 なんだか…つまらないなぁ…時間に追われるように毎日同じことを繰り返して…と、思う毎日。私にとっては、秋は要注意である。
 そんななかで見つけた、ちょっとおもしろそうなブログがこれ「ぴょブログ」。この人の発想は、なかなか興味深い。とんぴょさんって、どんな人なのだろう?

 きのう、虹を見た。二重の虹だ。夕方の東の空に…。落ち込んでいた気分が、ちょっと晴れた。
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2009年9月26日 10:50 | コメント (0) | トラックバック (0)

毒づく

 昼時の、駅前のコンビニでのことだった。私はコンビニ利用常習者ではないが、時に利用する。今日は、有料の粗大ゴミの納付券を購入する必要があったため利用したのだった。そのときの出来事である。

 レジは3箇所あった。私は一番奥のレジに並んだ。そこからはすべてが見渡せるからだ。入り口に近いレジを1番とすると、そこは3番である。順番を待ちながら見ていると、入り口の方から来た人が2番レジに進んだ。小学生くらいの男の子を2人つれたイスラム教徒風のベールを被った女性だった。3番レジでは、お弁当購入の若い男性の番が済んだ。私の前に並んでいた、小さな子と幼児を連れベビーカーを押した女性がレジに進んだのと同時に、2番レジが空いたので私は2番レジに進んだ。
 すると、「2番目にお待ちのお客さま、どうぞ」と叫んでいた2番レジ担当の若い店員(女性)が、まるで詰問するかのように言ったのだった。「2番目に並んでいた方からです。ちゃんと並んでいたんですかぁ?」と。

 3番レジの方を指差し「あちらに並んでたんですッ」と言ったが、オバサンはこれだから困ると言いたげな顔をしていた。虫の居所が悪かった私は、そのときキレタ。「声をかけられる前に来てはいけなかったんですかッ?」と毒づいた。もっとも、声は出さずに、だったが…。

 たとえそんなものがあるとしても、私はコンビニルールなど知らない。知らないが、状況を見て判断し行動している。ベールの女性が並ばずに2番レジに進んだのを見ていたので、1列待ちルールで動いているとは思わなかったが、私の前に並んでいる人がレジに進んだのを確認してから、隣の空いたレジに移動したのである。
 よく見ていなかったのはレジの若い子のほうである。マニュアルどおりに仕事をしているかもしれないが、オバサンはすぐに割り込みをするという先入観を持っていた。

 コンビニといえども1列待ちルールでやりたいのなら、銀行のATMのようにロープを張るべきである。その余裕がないなら、床にラインを引くべきである。
 気がつかずに割り込んでしまったなら、私はすかさず謝る。しかし、今日は割り込んではいない。2番レジの人が「2番目にお待ちのお客さま、どうぞ」と言い終わらないうちに、2番レジの前に立っただけである。非難される筋合いはない。確認のためであるなら、他に言いようがあるだろうがッ、と言いたい。
 あのコンビニには2度と行かない。家の近くにも、駅前にも、駅までの道筋にも、コンビニはいくらでもあるのだ。
2009年9月24日 19:23 | コメント (0) | トラックバック (0)

異議にもいろいろありまして

 今日の朝日朝刊「オピニオン 異議あり」は、東京五輪招致はもっと盛り上がるべきだという、招致委員会理事でもある建築家の主張だった。この「異議あり」に対して、私は少々異議がある。

 「今、この国には大きな目標がいる、大きな目標に向かって、大人たちが一致団結し生き生きと働くことが子どもたちの目を輝かせるのだ」…と、建築家は主張している。
 私の異議・その1は、「国民が一致団結するために」というのを目標にするのは間違っていると思う、ということだ。なにか「事」がないと人々は一致団結しないのか?目標を定めて一致団結させることが、それほど重要なことなのか?規模はさまざまではあるが、災害が起きた場合でも人々は一致団結する。その場合は自然発生的に、である。国民を一致団結させるために行うことのなかで、最も効果的なのは戦争である。

 また、「日本の技術力を向上させるため」とも主張している。「理性だけでは物事は動かない、理性で動かないものは情熱で動かす」のだとして、炭素排出ゼロのスタジアムや施設をつくれと言う。
 私の異議・その2は、オリンピックのために太陽エネルギー利用の施設を新たにつくるほどのお金がこの国に十分にあるのなら、先にすることが他にあるでしょうに…ということだ。

 「人の心を呼び起こす(感動させる)ものが欲しい、それが生きていく力となる」とも言う。そういうものを目の前で見ることが大事だから({ナマでないといけません」と言っている)、ぜひとも東京でオリンピックを…と主張している。
 私の異議・その3は、ナマで見ることができるのはほんの限られた人たちである、ということだ。どこの国で行われようと、観たい人はそれを観るためにだけ海外へ行く時代である。言い換えれば、観ることのできる人は、日本でなくてもどこの国へでも観に行くことができる時代である(イチローを観るためにだけアメリカへ行く人たちがいるのはその一例)。ナマで観ることが大事とはいっても、たとえ日本で開催されても、ナマで観ることが叶わない人々は存在する。そのために、テレビやインターネットがあるのだと思う。ナマのものでしか本当の感動を得ることはできないという考え(ひと昔もふた昔も前は、それが定説だったかもしれないが)は、たぶん、もう、時代にそぐわないのだと思う。

 東京五輪招致はもっと盛り上がるべきだと主張するより、招致委員会の理事さんたちには「何故、盛り上がらないのだろうか?」と、その理由を考えて欲しいと思う。必ず、何らかの理由があるはずだから…。
2009年9月19日 10:21 | コメント (0) | トラックバック (0)

虫の音

 昨日から、キッチンの片隅で秋の虫が鳴いている。鳴き声から検索してみると、どうやらカネタタキらしい。どこから侵入したのかわからない。キッチンの片隅というだけで、はっきりしたこともわからない。耳をそばだてると、レンジ台の奥の方の壁との隙間あたりから聞こえてくるような気がする。昼も、夜も鳴いている。

 秋の夜長、虫の音をBGMに本を読もう…などと私が言ったからだろうか、そんなつもりではなかったのだけれど…、このカネタタキ、どうすればいいのだろう…
2009年9月14日 20:27 | コメント (0) | トラックバック (0)

 敬老の日を前に、厚生労働省が発表した百歳以上の人口は、4万人を超えたという。いつの間にそんなに?と驚いたのだが、2000年頃から急激に増えたようだ。70年代から90年代まではなだらかな増加なのに対して、2000年から2009年の増加は急激である。その原因を知りたい。生活の向上とか、医療の進歩とかいろいろあるだろうが、何かはっきりとした大きな原因があるのかどうか知りたい。もうひとつは、4万余りの100歳以上の高齢者のうち、どれだけの人が自力で身の回りのことができ、生活を楽しむことができているのか、それも知りたい。

 千葉市の場合、60歳以上で「ことぶき大学校」(興味のある分野の学習に取り組むとともに、自主的に運営するクラブ活動などでの仲間づくりや社会活動への積極的な参加を通じて、豊かで充実した生活を送ることができるようにする)と「老人クラブ」(高齢者の日常生活を生きがいをもって健全で豊かなものにするために、同じ小地域に住む人々が集まり、健康の増進や資質の向上などを目指し、地域社会との交流のなかでレクリエーションや社会奉仕活動を通じながら友達づくりの輪を広げていく)の対象となり、65歳以上で「はじめましょう!介護予防」(元気なうちから心身の衰えを予防し、できるだけ自立していきいきと過ごすために行)と「ミニディ銭湯」(公衆浴場やフィットネスクラブを会場に、健康チェック、健康相談や健康体操を行い、その後入浴を行うことで介護が必要になる状態に陥ることの予防と高齢者同士の交流を図る)の対象となるらしい。

 60歳から100歳までは40年、成人してから60歳までも同じく40年。ウム…
 10代向けから始まりそれぞれの年代向けの雑誌はあるが、それも50代向けでオシマイ。それ以上は十把一絡げ。ウム…
2009年9月13日 13:10 | コメント (0) | トラックバック (0)

節約・簡単・エコ?

 世間の流行には関心が薄いので知らなかったのだが、巷では「スープ飯」とやらがブームとなっているらしい。文字通りのスープにごはんを入れたものらしいのだが、”節約”、”簡単”、”エコ”がそのキーワードなのだそうだ。
 確かに、残りごはんの活用法のひとつには違いない。でも、おにぎりではなくてスープ飯。それが今風。好みで言えば、私はおにぎりがいい。雑炊ならいいけれど、こってり味のスープにごはんが入っているのは苦手である。

 調理は確かに簡単だが、節約という意味では必ずしもそうではないような気がする。たとえばクノールのインスタントスープ(1食分ずつのあれ)は必ずしも安価ではない。エコについては、何がエコなのかがわからない。

 私としては、せめてご飯くらいしっかり噛んで食べて(顎を鍛えて)欲しいと思う。最近の若い人は、ランチパックをよく食べるらしい。間食なのか食事なのかわからないような食べ方をするらしい。ああいった噛みごたえのないやわらかいものが好みなのかそういうものしか噛めないからか、そこらあたりのことはわからないが、もしかしたらどちらもが理由なのかもしれない、と思ったりする。スープ飯もその延長線上にあると考えれば納得がいくが、やはり私としては、もう少し噛みごたえのあるものをしっかり噛んで食べて欲しいと思う。若いときからそういったものを食べなくても、年をとって歯がだめになれば毎日毎食スープ飯になるのだから。
2009年9月12日 10:20 | コメント (0) | トラックバック (0)

新型インフルエンザ対策・国版

 どうにも納得がいかない。新型インフルエンザのワクチン接種は原則自己負担で、その金額が6千円から8千円だというのだ。「新型インフルエンザは新たな患者数が前の週のおよそ1.6倍と急速に拡大している」というのに、である。「この接種は、予防接種法に基づかない任意接種の扱いで、国は接種の勧奨はしない。生活保護世帯などの低所得者の負担軽減策として自治体が助成するよう、国が補助金を出す」のだという。

 この国にとって、国内で新型インフルエンザが大流行するかもしれないということは、何の問題でもないのだろうか。国としての対策が、「ワクチン接種を受けたかったらどうぞ、ただし自己負担でお願いしますよ」だなんて、信じ難いことである。接種の優先順位を決めても、これでは対象者の全員が接種を受けられるとは限らないではないか。一体、何のための優先順位なのだろう。
 
 厚生労働省は「新型インフルエンザの流行シナリオ」で、全人口の20%から30%が発症するとの試算を明らかにしたとの報道もある。それでも、国としては接種の勧奨はしないという。ワクチン接種を受けずに(理由は問わず)感染して、運悪く重症になって死亡しても、それも自己責任…。
 小学生と乳児がいて、ママは妊娠中で、パパは医療従事者、同居するバアちゃんには基礎疾患があり、ジイちゃんは高齢者…そんな3世代同居家庭があったとしたら、ワクチン接種に何万円かかるのだろうか。

 新型インフルエンザ対策も、つまるところは経済対策ということなのだろうか。すべては自己責任だからねっ!といわれれば、国民は自己防衛に走る。「新型インフル対策:在宅勤務や安否確認サービス 企業注目」などという記事(毎日.jp 経済)もある。マスクやうがい薬ハンドソープや消毒液などの特需もある。
 マスゾエさんは、「感染者が急増すると医療機関が重症患者に対応できなくなる恐れもある(言い換えれば、重症者しか治療は受けられないということネ?)」として、「患者数を抑えることが重要だ」と言っているらしい。だが、感染しないようにすることは自己責任だという。納得がいかないワ。
2009年9月 9日 21:08 | コメント (0) | トラックバック (0)

”差をつける”ことと”差をなくす”ことと

 毎朝、新聞にひととおり目を通すのは日課である。ついでにチラシにも目をとおすのだが、今朝は「朝日中学生ウイークリー」のチラシが気になった。そこには、”週1度、読めば差がつく!”と大書きしてあった。この”差がつく!”とは、何の差なのか?読んでいなかった頃の自分と読み出してからの自分に差がつくのか?たぶん、そうではないだろう。読んでない友達や同級生と差がつく…という意味と考えるのが妥当か?たぶん、そうだろう。
 いわゆる教育格差をなくすためかと思うが、今回与党となった民主党は「公立高無償化」を公言している。国は粒ぞろいのどんぐりの生産を目指そうとしているのに対して、世の中の動きはいかにして”差をつける”か?に熱心だ。

 何のために教育をするのか(教育を受けるのか)?といえば、人としてよりよく生きるためである。しかし、あなたと私は違うし、あなたの人生は私の人生ではない。粒ぞろいのどんぐりばかりでは、あなたも私も誰もみな、この世で生きてはいけない。とうの昔から、わかりきったことである。無償有償に関わらず、私が私となるための教育がなされているか?というと、かなり疑問である。

 東京都の区立中高一貫校では、「中学段階を終えた1期生の生徒のうち、1割強に当たる18人が「学習態度に問題がある」などとして高校段階に進まず、他の学校に入学していた」という。09年度の倍率は「区民枠」1.7倍に対し、「都民枠」10.0倍と大きな差があったため、高校段階に進まなかった18人のうちの16人は、「区民枠」選抜で入学した生徒だったそうだ。
 それについて、国際基督教大学教授は「学校の責任放棄」であるとコメントしていた。「入学させた生徒については責任を持って卒業まで面倒をみよ」ということだろうが、それはその状況で可能なことなのか?区民枠・都民枠などと分けなければ、起きなかった問題ではなかったか。さまざまな検証が必要な内容で、一概に「学校の責任放棄」とはいえないのではないか…と思う。

 千代田区教委の統括指導主事は「習熟度別の授業など、個々の生徒に応じた指導を充実させたい」といっているそうだが、そもそも公立の中高一貫校との意義は何か?その位置づけはどうなのか?といったことがあいまいなまま中高一貫校を作ったことに問題があるのではないのか。生徒の立場からいえば、習熟度別が一番いいことはわかりきっている。「公立校はすべて習熟度別」にする、それだけのことができない理由は何なのか?そこから考えていけば、この国がどのような教育を国民に施したがっているかが見えてくるかも。
2009年9月 7日 10:26 | コメント (0) | トラックバック (0)

9月の本

 朝一番に図書館へ。中央図書館は9時30分開館である。次の3冊を自動書庫から出してきてもらう。待つこと15分。迷わず貸し出し手続きを済ませ、暑くなる前に帰宅。
 
 「エッセイの贈りもの1」(「図書」1938-1998 岩波書店編集部編)
 「エッセイの贈りもの2」(「図書」1938-1998 岩波書店編集部編)
 「エッセイの贈りもの3」(「図書」1938-1998 岩波書店編集部編)

 執筆者は…というと、ぞくぞくするような方々である。秋の夜長…、虫の音をBGMに読もう。楽しみだなぁ…。あっ、そうそう、これもまた私のお薦め本、ね。
2009年9月 5日 15:04 | コメント (0) | トラックバック (0)

電波は受信するもの

 おもしろそうじゃないの…と、出始めてすぐに買った”ちょいテレ”と”ちょいラジ”であったが、やはりちょいはちょいでしかなかったのか…と、いつの間にか隅に追いやってしまっていた。
 「ちょいテレ」は電波の受信に問題があり、「ちょいラジ」は録音を予約しておくと、番組が終わってもPCの電源を切ってくれない(本当は自動で切れるはずなのに)という問題があった。

 パソコンデスクを新しくし周辺の整理をしたところ、我がパソコンのセンセイがちょいラジ用のケーブルにちょいテレ用のお手製のケーブルをつないでくれた。すると、何ということでしょう!である。リビングでもちゃんと受信できたのだ。2千円もする「ちょいテレF型変換コネクタ」など不要である。しかも、しかも壁を突き抜けて直にアンテナにつながるので何の手間もかからない。ちょこっとニュースを見たりするのに便利である。無用の長物となっていたちょいテレが、ちょいとはお役に立ちたちますよ!と胸を張っている。

 恐れ多いか?とも思ったが、我がパソコンのセンセイの頭を3回ほど撫でておいた。それだけでは足りないかも…と思い直し、雨傘(24本骨傘 高強度グラスファイバー仕様 【雨宿】 直径約105cmブラウン)を1本進呈しておいた(台風の日、しっかりした長傘がなくお困りだったようなので)。
2009年9月 3日 13:32 | コメント (0) | トラックバック (0)

どうする?新型インフルエンザ対策

 今日から9月。小学校の始業式は、各教室で放送を通じて行ったという。もちろん新型インフルエンザ予防のためである。家から外へ出ている限り避けようのないこともあると思うが、各教室での始業式にどれほどの予防効果があるのだろう。
 予防といえばワクチン接種しかないが、厚生労働省の検討案を見ると、私の分のワクチンはなさそうだ。運悪く感染しても運よく重症にならずに治癒すればいいが、そうでない場合は諦めるしかないようだ。

 10年以上前になるだろうか、後から思えばあれはインフルエンザ(普通の、だけれど)だったのだと思うのだが、40度近い熱がほんとうに1週間続いたことがあった。当然何も食べられず、水さえ喉を通らなかった。ただベッドに臥せっていた。飲まず食わずで、発熱のため体力を消耗すれば、1日に1kgずつ体重が減っていった。それでも元来丈夫なのだろう、1週間後には食べられるようになり熱も下がった。そしてまた元通りに…。

 そんな私だから、たぶん運悪く新型インフルエンザに感染しても大丈夫だろう…、そう思うことにした。でも、家族が感染したら…?それは、とても心配である。
2009年9月 1日 18:29 | コメント (0) | トラックバック (0)