アイリッシュ

 昨日の選挙の結果は、あまりにも予想通りで、その意味をはかりかねる。

 ウィリアム・アイリッシュ、本名コーネル・ウールリッチ。ミステリ作家である。「ちくま文学の森7 恐ろしい話」には、「爪」という作品が収録されている。一時期、この作家の短編作品を片っ端から読んでいた。とにかくおもしろいのだ。ミステリとはいってもオドロオドロシイところはまったくないのだが、最後の最後のひとことで(それもごく普通の表現なのだが)ぞわぁ〜っと恐怖が襲ってくる…、そんなミステリだ。

 開票する前から結果が予想され、予想通りの結果にしかならなかった今回の選挙は何だったのか?何かを見落としているような、そんな気がしてならないのだが…。
2009年8月31日 11:11 | コメント (0) | トラックバック (0)

変わる?変わらない?変わる?変わらない…?

 昨日は用があって朝から外出し、帰りは一番暑い時間だった。とにかく暑かった。日陰を探し、木陰を求め、日傘をさしていても干上がりそうだった。喉の奥がはりつきそうに感じて、初めて自分が水分不足に陥っていることに気がついた。家では気をつけて水分補給をするが、外出中は忘れてしまう。気をつけねば…。

 さて、今日は一転して気温は低め。それはいいが、台風が近づいているという。強風で枯れた葉が舞い散っても困るので、朝から大急ぎでゴーヤの片づけをした。はさみで幹をじゃんじゃん切っては、ズイズイとネットから引っぺがしていった。これはこれで、思い切りよくやるとストレス解消にいい。…というわけで、これにて本年度のゴーヤは終了である。

 そして、ついに今日は衆議院選挙の投票日。おもしろい選挙ではなくなったので迷ったが、とりあえず投票に行った。行って驚いた。人々が行列をしていた。どんな想いで投票するかは人それぞれだろうが、これが果たして関心が高いといえることなのかどうかはよくわからない。
 あそ〜さんの組が土俵際で寄り切るのもおもしろくないが、はとさんの組が圧勝というものおもしろくない。困ったね…。

 投票所は地元の小学校。子どもが卒業して以来、足を運ぶことはほとんどない。歴史のある古い小学校であるため、当然ボロになっている。体育館の工事中だったため、投票所は昇降口になっていた。かわいい靴入れの間を通り抜けて手続きをし、廊下で投票を済ませ、別の靴入れの間を通って外へ…。

 小学校では都合3年間もPTAに関わっていたため、何度も通った小学校ではあったが、久しぶりに入った校舎なのに何の感慨も湧いてこなかった。すべてはもう、過去のできごとになっていたのだと思い知った。子どもがお世話になった先生は、私とは担任と保護者という以上のお付き合いだった先生だったが、すでに亡くなっている。その悲しみにしっかりと蓋をしてしまったことが、それ以外の感慨も消失させたのかもしれない。

 選挙がすむと8月も終わり。どんな9月がやってくるのか、期待していいのか、それとも覚悟した方がいいのか。それは私たち次第?それとも、政党次第?
2009年8月30日 11:12 | コメント (0) | トラックバック (0)

すっきりしたい日々

090827.jpg この2日間で、大掃除と気分転換をかねて模様替えをした。私のPCコーナーはキッチン側のリビングの一角にあるのだが、たまには重い棚も動かして掃除をする必要がある。
 これまではキーボードはスライド式の部分に収納できるタイプのデスクを使っていたが、今度は1枚板(100X45cm)のデスクにした。デスクの上を飾る趣味はないので、この大きさで十分だ。とてもすっきり収まり、気分も少しすっきりした。

(写真右側が重い棚、上にはスピーカーとプリンター。写真には写っていない左側は、ペンやはさみなどとお茶を飲むマイグラスの置き場所があり、そのさらに左は高さ90cm奥行き20cmの棚に本やら何やらがぎっしり。カレンダーはみすず書房のもの、今年の絵はクレーの作品)


 さて、私のPCコーナーはすっきりしたが世の中はちっともすっきりしない。投票日まであとわずかとなったが、まるでもう結果がわかっているかのような報道ばかり。それもつまらないが、”大物”政治家とやらが”どぶ板”をしているだの、あの人もこの人もついに”土下座”しただの、本当につまらないことばかり。
 さらに、右を向いても左を向いても大判振る舞いばかり。どんなにお金をばらまいても、社会の制度が変わらなければ生活しやすくならないことはたくさんある。だからこそ、今、多くの人が苦労しているのではなかったか…?
2009年8月27日 11:15 | コメント (0) | トラックバック (0)

大人版・夏休みの工作

 HANDSONオリジナルペーパークラフトシリーズのCelloが欲しいなぁ。それぞれのパーツはカット済みだというから、私にもできるだろうか…?
2009年8月24日 15:22 | コメント (0) | トラックバック (0)

文学の森

 今日は、いつもの中央図書館ではなく近くの図書館へ。借りたのは次の2冊。いずれも閉架書庫入りの本である。奥の書庫から探し出してきてもらうのに、結構時間がかかった。

ちくま文学の森6 思いがけない話」(安野光雅・森毅・井上ひさし・池内紀/編 1988年)
ちくま文学の森7 恐ろしい話」   (同上)

 収録されている作品についてはそれぞれのリンク先で見て欲しいのだが、なかなかの品揃えである。文学全集ほど大げさではなく、それでいて中味は充実している。しかも、多くの漢字にふりがなが付いている。イマドキの中学生でも十分に読めるはず。夏休みの読書感想文に悩んでいる人がいたら、「ちくま文学の森」シリーズを薦めたい。

 それほどの本であるにもかかわらず、20年以上も前の本だからと奥の書庫にしまいこまれてしまう。暗い?書庫の片隅で本は泣いている。図書館は蔵書数を誇ってもしかたがない。図書館の本は多くの人に読まれてこそ意味がある。書庫の隅で泣いていた2冊の本が、今は私の書棚で微笑んでいる。
2009年8月22日 13:24 | コメント (0) | トラックバック (0)

ものごとの本質

 「日の丸を上下につなぎ合わせてつくられた民主党旗」が問題になっている。鹿児島での出陣式に、熱心な支持者が手作りの党旗を差し入れたらしい。それが、国旗をリサイクルして作ってあったために、一部の人たちの怒りをかったらしい。あそ〜さんは、今日も「民主党が日の丸の旗をひっちゃぶいた」と批判しているという。ハトヤマさんは、あそ〜さんの指摘・批判に対して、即座に「そんなけしからんことをやった人間がいるとすれば、大変申し訳なく思う」と陳謝したらしい。

 つまるところは国旗に対して不敬をはたらいたと言いたいようが、本当にそんなにいけないことなのだろうか。国旗を踏みにじったり焼いたりしたわけではない。リサイクルしただけではないか。国旗は、それが”然るところ”に掲げられて初めて意味を持つ。それまではただの布である。紙で作った歓迎の小旗など、用が済んだからとゴミ入れにポイと捨てると不敬になるのだろうか。後生大事に押し頂いて持ち帰り、末裔までそれなりのところにそれなりに保管しなければいけないのだろうか。

 その昔、出征する兵士に手渡した国旗には皆で寄せ書きをしたのではなかったか。国旗に字を書くなど、落書きそのものではないか(もっとも、それを落書きとはみなさなかったから、後に戦死した人たちを神として靖国に祀ることが正当化できるのだろうが)。

 皮肉をこめて言えば、国旗(日の丸)をリサイクルして作った民主党旗は、今の民主党そのものをよく表しているではないか…と思う。政権交代が現実もを帯びてくるにつれ、民主党は「なぁ〜んだ、やっぱり民主党は自民党の亜流だったか…」と思うしかないような変容を遂げつつある。今回の民主党旗は、ブラックユーモアとしては傑作である(こんなことを言うと、私もブラックリスト入りかも…ね)。
 繰り返すが、国旗はそれなりの意図を持ってそれなりのところに掲げて初めて意味を持つのだ。そこのところを忘れたくない…と私は思う。
2009年8月20日 14:40 | コメント (0) | トラックバック (0)

私の花

 毎朝ベランダに出て、朝顔の花の数を数えるのが日課となった。ゴーヤの花の数など数えないのに、朝顔は必ず数える。しかもそれが無上の喜び(ちょっと大袈裟か?)なのだ。小ぶりの朝顔だが、天井を這わせるという目的も達した。見上げては、ひとつ、ふたつ、みっつ…と数えている。昨日は12個、今日は11個である。うれしい。種が取れたら、来年は日比野克彦さんに倣って、まっすぐに天まで届けと伸ばそう…と、夢が膨らむ。

 ベランダガーデンがきれいになったのに気をよくして、秋まきの種を用意した。私が選んだのは「デルフィニウム(シネンシス スカイミストラル)」。憧れの「デルフィニウム」である。5月10日の誕生花である。
 種の入った袋の裏には、学名から原産地、育て方等々とともに花言葉が書いてあった。花言葉は「清明」。私の名前の漢字が入っている言葉だ。これは私の花だ!と、ますます確信を強くした。

 ”清明”とは、文字通りの意味は「清く明らかなこと。清らかで、曇りのないさま」だが、二十四節気のひとつでもあり、「万物清く陽気になる時期」という意味でもある。私は、秋から冬にかけては精神的冬眠状態に入り5月になると生き返るのだが、それはある意味とても自然なことなのかもしれない…なんて思ったりもして。

 ”デルフィニウムも、花屋さんの店先に立つ頃には記憶のかけらもなくなっていることだろう”と、数ヶ月前には書いていたが、私にしてはめずらしく記憶の片隅にしっかりと残っていたらしい。秋まきの種を…と思ったとき、真っ先に思い出した。不思議なこともあるものである。
2009年8月18日 9:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

ゴミを減らす

 10月から、我が市では家庭ごみの収集日と回数が変わるという。主な変更点は、可燃ごみ収集日の回数が週3回から2回となることと、古紙・布類が月2回から週1回になることの2点である。目的はもちろんゴミの減量化と資源になるものは徹底して資源に…ということだ。可燃ごみの収集は週2回で十分である。我が家の場合、30ℓのゴミ袋2回で足りるだろう。

 ちょっと問題なのが、「古紙・布類が月2回から週1回」だ。これが利用できれば、ひと月分の古新聞が廊下に山積にならなくてとてもいいのだが、我がマンションの場合、古紙・布類は集団回収(奨励補助金が交付される)をしている。ひと月分であるから、その量はかなりのものである。それを収集場所まで運ぶのが一仕事である。量が多いときは、5〜6回往復する。トラックへの積み込みは当番制(年1回)である。マンション住民の高齢化のため、これも楽ではなくなってきた。古新聞のひと包みは、高さ20cm程度にという決まりができた(それ以上あると重くて持ち上げられない)。

 「古紙・布類は週1回の回収」を利用できれば、一度に出す量が減りずっと楽になると思うが、なぜかマンションは集団回収だ。補助金を出してまで集団回収制度を残してあるということは、市の仕事は減らしたいということか…な?
 市民が自分たちで行うことにより市の仕事を少しでも減らすことと、手段が便利になることにより再資源化への意識がさらに高まることと、どちらがより重要なのだろう…か?

 こまめにゴミが出せることが分別収集を徹底させる近道だ。分別収集を徹底させることが、再資源化を進める近道だ。古紙類が週1回出せれば、雑紙を可燃ごみに混ぜてしまうこともない。だから、今回の収集回数の変更は大賛成である。だけど…だけど…、私は「古紙・布類は週1回の回収」を利用できないのである。
2009年8月15日 9:38 | コメント (0) | トラックバック (0)

探しものはどこに?

 図書館は掘り出し物を見つけるところ、ベストセラーの新刊書を借りるところにあらず…などというと、いやぁ〜な顔をされるかもしれないが、思いもしなかった掘り出し物を見つけたときのうれしさはなにものにもかえ難い。

 今回は、ノア叢書である。「火用心」(杉本秀太郎・著)は、ノア叢書15だった。編集工房ノアについてはよく知らないのだが、本の後ろに載っていた編集工房ノアの出版物の案内を見ると、読んでみたい本が何冊もある。たとえば、山田稔・著「影とささやき」「幸福へのパスポート」「再会 女ともだち」「特別な一日 読書漫録」、鶴見俊輔・著「家の中の広場」「再読」、庄野英二・著「新しい靴」etc.……

 ところが…なのだ。たとえば、山田稔・著「影とささやき」。市の中央図書館にあるにはあるが、書庫に奥深くしまわれている。その存在を知っていて、パソコンで検索して資料請求をしなければ、その本を手に取ることができない。図書館の建物がどんなに立派で広くても、書棚の森を何時間歩き回っても、その存在を知らなかったら出会うことは決してないのだ。

 「影とささやき」が出版されたのは1985年だという。24年前の本だから表紙は色あせているかもしれないが、中味が色あせているとは限らない。自動書庫にしまいこまずに、開架棚に並べておいて欲しいと思う。いつかはわからないが、必ずや誰かとの出会いがあるはずだ。
 図書館がIT化(変な言い方?)される前は、図書カードを手繰っていけば、知らない本と出会うことも容易だった。今さら図書カードに戻せとは言わないが、50年前くらいの本は開架書棚にずらっと並べて欲しい。最近の本や新刊書は、いくらでもどこででも目にすることはできるのだから、そんな本こそ書庫にしまっておけばいい…と思うのだけれど。
2009年8月14日 14:31 | コメント (0) | トラックバック (0)

私の生き方

 「しがみつかない生き方―ふつうの「幸せ」を手に入れる10のルール」(香山リカ・著 幻冬舎新書)の新聞広告を見て、思わず笑ってしまった。10のルールが1から順に書いてあったのだが、その10番目は「”勝間和代”を目指さない」というのだ。この著者の本は読んだことはないし、この先も読むことはないと思うが、もうこのひとことで読まずに本の内容が推測できようというものだ。

 その”勝間和代”さんプロデュースの、リファイル形式の新手帳「人生戦略手帳」なるものがあるらしい。ものものしいタイトルは、いかにも”勝間和代”的である。さらにものものしいのは、月額980円で「毎日勝間和代さんから、手帳を活用し続けるための“サポートメール”が受け取れる」ということだ。極めつけの”勝間和代”的である。○○啓発セミナー並みの恐ろしさである。

 「”勝間和代”を目指さないという」の次に、「”人生戦略手帳”は使わない」も付け加えたほうがよさそうだ…と思ったりもするが、「ふつうの”幸せ”を手に入れる10のルール」などという、いわゆるHow-to本を読むのも、見方を変えれば、人生戦略手帳”を使い”勝間和代”を目指すのとさほど変わらない。どっちもどっち、どちらも私の好みではないのは確か。
2009年8月12日 21:18 | コメント (0) | トラックバック (0)

週明け、あれこれ

 台風が近づいていたのは知っていたが、中国大陸の方へ向かっていると思っていた。ところが、昨日から大雨である。台風の雨だと言う。知らない間に、次の台風9号が近づいていたのだ。今日明日とまだ降りそうである。すぐそばの水路の水は、これまでになく増えている。あふれることはないと思うが、その流れの速さは見ていても怖いくらいだ。大雨洪水警報と雷注意報が出ている。おまけに昨夜は地震まであった。震度4である。怖かったのなんのって…。気をつけるべきことがあまりに多すぎると、かえって注意力が散漫になる。
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 裁判員制度PR用のDVDに出演していたタレントが、覚せい剤取締法違反で逮捕されたと言う。それはそれで、それだけのことである。しかし、世の中のそれに対する反応は異様である。「なぜ逮捕するのか」という”同情?する意見”や、「代わりに留置場に入る」という”熱烈な?メッセージ”等々が関係先に数十件以上もの電話があったらしい。このような反応を煽ったのはマスコミかも、と思う。
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 ローマで「もうろう会見」をして財務相を辞任した中川サンは、決起大会で「日本のために酒を断つ」と宣言したという。「断酒すればもっともっと大きな政治家になれる」と身内から言われたらしいが、だからと言って「日本のために酒を断つ」という表現はかなりずれている、と思う。
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 あそ〜さんは、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典のあいさつの中で、「傷跡」を「しょうせき」と読み違えたという。”挨拶”の中の言葉の一字一句など、人はさほど気にかけて聞いていない(ありきたり内容のの挨拶が多いから)だろうが、漢字に自信がないなら、もう少し準備をしておけばいいものを、と思う。あそ〜さんのまわりには、助けてくれる人がいないのね、とも思う。
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 京都大の教授らが「iPS細胞を作る際に、がん抑制遺伝子「p53」の働きを抑えると作成効率が大きく上がる」ことを発見したという。すごいね、と思う。
2009年8月10日 9:54 | コメント (0) | トラックバック (0)

真夏に本を仕込む

 暑い中、久しぶりに図書館へ。家を出る頃は雲行きが怪しかったので、折りたたみの雨傘を持って出た。図書館へ向かって坂道を登る頃には、無常にも日傘が欲しいほどに晴れてきた。この暑さの中で心を静めて読む本は、次の3冊。なんとなく、同じ本をまた借りてきたような気がしないでもないが…。

「火用心」(杉本秀太郎・著 ノア叢書15) 
「鏡のなかの世界」(朝永振一郎・著 みすず書房)
「妻に捧げた1778話」(眉村卓・著 新潮新書)

最近買ったニコリのパズル本jは次の2冊。
「てごわい数独」…どの程度のてごわさかな?試してみようじゃないの…と思って。
「漢字パズル2」(ペンシルパズル本132)…この手のパズル本は初めて。近頃漢字が思い出せないことが多くなった。これは、まずいよ…と思って。
2009年8月 8日 16:50 | コメント (0) | トラックバック (0)

失敗は許されない

 初の裁判員裁判が終わったが、”失敗は許されない”の一言に尽きたのではないか…と思った。47人の候補者から6人プラス3人の裁判員を無作為に選んだにしては、その結果には、年齢、性別、有職者無職者の比率、すべてにおいて、あまりにも偏りがありすぎるように思える。

 終了後の記者会見に裁判員全員が応じたというのも、あまりにも優等生過ぎて、私には意外に思えた。その会見の中で何人かの裁判員が、「集まったメンバーがとても話しやすく、今となっては、かなり前から知り合いだったような感覚を持って話せた」、「初めて会った方々だったのですが、前から知り合いだったような雰囲気の中で話ができた」と言っていることからも、人選には偏りがあったからではないかと思う。

 裁判員が発言した質問内容は逐一報道されていたが、そこから窺えるのは、「ご近所のトラブル」など身近に経験のない人ばかりだったのではないかということだ。大から小までさまざまではあるだろうが、今では「ご近所のトラブル」はどこにでもある問題だと思うのだが…。

 何はともあれ、”失敗は許されない”初の裁判員裁判は、関係者の周到な準備と優等生ぞろいの裁判員のおかげで無事に終了した、ようだ。果たしてこれは、めでたしめでたし、なのだろうか?
2009年8月 7日 9:05 | コメント (0) | トラックバック (0)

ヒロシマの日 in ヒロシマ

 今日はヒロシマ原爆の日。平和記念公園で市主催の「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が営まれ、5万人が参列し、犠牲者の冥福と世界平和を祈り、8時15分には遺族の代表と子供の代表が「平和の鐘」を打ち鳴らし、1分間の黙とうをささげた、という。

 広島では例年通り平和記念式典が開催されたが、人びとの関心は日々、年々薄れていくのはどうしようもない。私も、ニュースを聞いて、あっ、今日だったんだ…と思い出したほどだ。若い人たちに関心を持てというのは、酷かもしれないとさえ思えてきた。彼らにとっては、第二次大戦など私たちが第1次大戦や日露戦争に抱く思いと同じなのかもしれない。
 だからといって、知らん顔していていいというのではない。この「ヒロシマの日」に、何を思い、何を願い、何をするか、一人ひとりが考えられるような記念日にしていかなきゃならないのではないか。
  
 たとえば、「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」という名称を、「世界平和のための世界大会inヒロシマ」としてみたらどうだろう。主催はもちろん広島市である。当然毎年開催である。2020年までに核兵器の廃絶することを目指して、すでにさまざまな取り組みがなされているというではないか。
 「ヒロシマの日」では、多数の人が原爆投下を戦争を終わらせたのだからと正当化しているアメリカの人たちに注目させることはできない。「ヒロシマで核廃絶を考える日」とすれば、誰もが自分の問題と考えやすいのではないだろうか。問題とすべきことは、今後絶対に戦争を終わらせる手段として「原子爆弾」を使用しないことなのだから。もちろん世界中のどの国もが、である。
2009年8月 6日 17:21 | コメント (0) | トラックバック (0)

ゴーヤ

 うっかりゴーヤの収穫時を逃した。あっという間に黄色くなった。どうしてくれよう…。
まぁ、いいさ。他にもたくさん実ったことだし、ね。 
…と思っていたら、アオムシにかじられた。

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 まな板の上のゴーヤ。
今まさにきられようとしているところ?
まずはゴーヤのレシピを探してからだ。(”ゴーヤのおかか炒め”はどうだろう?)

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 何匹目のアオムシか知らないが、ゴーヤの実をかじったのはキミか?
そんなところに隠れてもだめ、
ゴーヤに取り付いてたのを引っぺがしてそこに置いたのはワタシだよ〜。

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2009年8月 3日 8:58 | コメント (0) | トラックバック (0)

日曜日の本

 朝日新聞読書欄より。読んでみたい本、「村のエトランジェ 」(小沼丹・著 講談社文芸文庫) 。新たに出た文庫本を買うか、それとも図書館で借りるか…どうしようか。図書館にあるのは、小沼丹全集(未知谷・2004年発行)と筑摩現代文学大系(筑摩書房・1980年発行)の2冊。

 朝日新聞本の広告欄より。こんなパズル本もあったのだ…、と気になったのが「アインシュタイン式論理脳ドリル」。この手のパズルは数独の次に好きである。さっそくアマゾンへ行ってみたが、カスタマーレビューによると、案外簡単な問題ばかりでつまらないらしい。確かに、表紙の表を見ると単純である。
 「学研の推理パズルでパズルタイム」がオススメだというカスタマーレビューに従ってそちらを見ると、表紙の表は本来の形になっている。論理パズルとか推理パズルとかさまざまに呼ばれるが、表の形はこうでなくちゃおもしろくない。さらに見ていくと、我が”ニコリ”にも「推理パズル」の本があったのだ。私の目は数独に釘付けになっていたものだから気がつかなかった。

 8月になって1週間もすれば立秋だ。少しは涼しくなることを期待して、今週あたり図書館と本屋へ行こう。
2009年8月 2日 9:28 | コメント (0) | トラックバック (0)

スッタ・モンダ

 今日から8月。衆議院選投票日まで29日、だそうだ。そして、天気はいまひとつぱっとしないが、今日は市の花火大会。なぜか先ほどから烏が騒がしい。
 
 あちらでもこちらでもスッタモンダの毎日だから、もういちいち驚きはしないが、わけがわからないのが「大阪府知事、横浜市長に大阪府特別顧問就任を要請」という報道だ。”府の特別顧問”って何?それって、市長を辞めたばかりの人が即就任するような役職?思惑や魂胆は山ほどありそうだが、こんなことがまかり通るのかしらね…と思うが、まかり通っちゃうのだろう、たぶん。「なんでもありますよ」はよろずやだが、「何でもあり」の社会は無秩序だ。横浜を放り出して大阪へ(?)では筋が通らない。筋金入りの人がいなくなったのは時代の趨勢だとしても、筋は通さなくては話にならないではないか…と私は思うが、目的のためには手段を選ばずの人ばかりなのだろうか。
2009年8月 1日 13:35 | コメント (0) | トラックバック (0)