考えてみよう

 私にしてはめずらしく外出する日が続いていた。気にかかっていたことはあるのだが、ゆっくり考える余裕もなく、考えもまとまらず今まで書けずにいた。今もまだ書けないのだが、忘れないように要点だけ書いておこう。

 まずは、6月17日付の朝日新聞「オピニオン」に寄稿された、辺見庸さんの死刑制度についての文である。数回読んだ程度では十分に理解できない文章なのだが、辺見さんの言うところの「ジャパネスクな”文化”」という言葉が気にかかっている。その部分を引用する。
 この問題を過度に詰めない、議論しない、想像しない、はやくわすれる、ことあげしないほうが、おのれの内面にも世間にも波風たてずにすむことを、じつはこの国のみんなが暗黙のうちに弁別している。そういったある種ジャパネスクなたちふるまいこそ、私たちの日常に滑らかな諧調と無意識のすさみをもたらしているのではないか。
 死刑制度とは、おもえらく天皇制同様に、この国のなにげない日常と世間の一木一草、はては人びとの神経細胞のすみずみにまでじつによく融けいり、永く深くなじんでいるジャパネスクな”文化”でもある。

 この問題はまた後でゆっくり考えることにして、もうひとつ気にかかっているのは、臓器移植法改正案の採決で、A案が賛成多数で可決されたことである。A案は臓器移植を受ける側、臓器移植を推進したい側からのみ考えられた案である。もちろんそれはそれでいいのだが、その案が賛成多数で可決されたということの意味が問題である。
 
 A案では「提供を拒む権利」を認めるとしているが、そういう人は社会においてどのように位置づけられるのだろう。「提供を拒む権利」を認めるというのは、「うるさい国民もいるから…」ということだろう。それを言い換えれば、ものを考えていないひとの臓器は全部もらっちゃおうということだ。さらにA案が問題なのは、死ぬべき命と生き伸びるべき命の選別を前提にしていることだ。多くの問題を覆い隠してでも、提供臓器が増え臓器移植を待つ人が死ぬことがないようにすることが絶対善なのだろうか。

 あれほど宣伝してもドナーカードが普及しなかった原因は何か?その意味を深く考えもせずに方法論だけが議論され、A案が第一の案として提案され採決された意味は何か?
 「命のリレー」や「命の贈り物」などといういかにも善意を装った言葉の前では多くの人は口をつぐんでしまう現実。これも辺見さんが言うところの「ジャパネスクな”文化”」なのだろうか?
2009年6月18日 19:46 | コメント (0) | トラックバック (0)