KEITH JARRETT

 久しぶりにキース・ジャレットを聴いた。お気に入りは「ケルン・コンサート」だ。やっぱりいい!いつ聴いてもいい!
 たまには別のも聴いてみようと「ブレゲンツ・コンサート」を聴いた。おぉ、これもいいなぁ!…と繰り返し聴いた。
 次はこれも聴いてみようと「The Melody At Night With You」。あぁ、あぁ、こんなCDも買っていたんだ。その日から繰り返し繰り返し繰り返し聴いている。

 今日は魔の金曜日。午後はずっとこれを聴こう。
2009年1月30日 11:07 | コメント (0) | トラックバック (0)

検定時代

 検定好きの現代人に人気の「漢字能力検定」をする「日本漢字能力検定協会」は、なぜだか知らないが多額の利益を上げているらしい。それだけでも謎だが、その財団法人では、京都市左京区に約3500平方メートルの土地と延べ床面積約1300平方メートルの日本家屋を、約6億7000万円で購入したといわれる。

 さらに不可解なのは、右京区にある寺の墓苑に「財団法人日本漢字能力検定協会」と刻んだ石碑などを建立していたということだ。『「協会の発展に貢献した理事、評議員の供養塔」と説明している』そうだが、理事や評議員であればそれなりの仕事をするのは当たり前のことだ。なぜ、寺に名を刻んだ(?)供養等が必要なのか、全く不可解である。富と名声に目が眩んだとしか思えない。
2009年1月29日 9:34 | コメント (0) | トラックバック (0)

狙われる

 千葉県は狙われている。そうとしか思えないのが、今度の千葉県知事選挙だ。関西大学の教授、社会福祉法人理事長、県会議員、元衆院議員の俳優が立候補を表明し、現知事も立候補するかもしれず、そのほかにもまだ経済界から推されて立候補する人が出るかも、という。

 なぜ千葉県の知事をやりたいのか、みなそれなりのことを語ってはいるようだが、つまるところは知事になりたいだけではないか。あんな…といったら本当はいけないのかもしれないが、やはり”あんな”としかいいようのない人が宮崎県や大阪府で知事となり、何かと話題に上る。そんな華やかさにひかれて立候補するなら、県民にとっては迷惑である。

 なかでも、この人だけは千葉県知事になってもらいたくないと思うのはM氏である。ちなみに、私は千葉県民である。
2009年1月27日 9:35 | コメント (0) | トラックバック (0)

まずは目的を明確に

 朝も昼も夜もコーヒー一辺倒だった私が、近頃は煎茶もおいしい、ほうじ茶大好き、紅茶はアールグレイがいい…と変わってきた。嗜好の変化は加齢と比例するらしい。毎朝一番にすることは、1リットルの保温ポットにいっぱいのコーヒーを入れることだった。それも1リットルが0.75リットルになり、それでも残るようになったのでコーヒーメーカーを購入することにした。手間が省けて、適量のコーヒーができる。忙しい朝の5分のゆとりはうれしい。
 
 あそ〜さんは、国民を消費に走らせるのが景気対策と考えているらしい。だから国民全員に支給するのだとがんばっているが、そのせいで次から次へと問題が生じる。全員というからには、住所不定のホームレスにも支給するのでしょうね?といわれ、定住している外国人も当然含まれるのでしょうね?となり、さらに今度は、受刑者(死刑囚を含む)も国民ですから支給されるのですね?となる。

 生活に困っている人に支給するのだと言ったばかりに、話はねじれにねじれ、もう解きほぐすことができないほどになった。受刑者は、一応屋根のあるところで寝ることができ食事も最低限は食べることができ、必要ならば職業訓練を受けることもでき、刑務所内の仕事でわずかでも収入を得ることもでき、少なくとも今現在生活に困っているとはいえない。しかし、生活に困って窃盗を働き受刑者となった人は少なくないだろう。本当に困窮していたときに助けることはせず、罪を犯し刑務所に入ったら「1万2千円の生活支援金です」といって支給するというなら、全く「ふざけている」としかいいようがないではないか。 

 まずは、定額給付金の定義、目的、対象を明確にすることだ。それができないなら、白紙に戻すしかない。あちらの声、こちらの声に右往左往しているようではダメである。

  [先週は、たくさんの「はてなスター」をありがとう。なんだかうれしくて…、次の更新を今日までできませんでした。]
2009年1月26日 9:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

近頃の芥川賞

 近頃の芥川賞受賞作品はとてももう読む気にはなれず、したがって今回のも読んでいないし読む気もない。しかし、今朝の朝日新聞文化面に、「芥川賞を受賞して」として津村記久子さんの「はじめてC席でかえった日」という文が載っていたので、どれどれ…?という思いで読んでみた。う〜む、なんと言えばいいのか…。

 「いまどきのブログそのまま」といえばいいのか、あるいは、「まるで小学生の作文」といえばいいのか、何を考えどのように読まれることを想定して書いたのか、とても疑問に思う。もしかしたら、何も考えず、誰がどのように読むかなどといったことにはまるで関心もなく、原稿(”受賞エッセー”というらしい)の依頼が来たから書いただけ、芥川賞を受賞作家は朝日新聞に「芥川賞を受賞して」という一文を書くことになっているから慣例に従っただけ…なのではないか?と思えるほどだ。

 あまりにもひどい内容だ。と、いうより、内容も何もないではないか。ざっと1000字ほどの文章は、初めから終わりまで、自分のことだけ自分の気分のことだけに終始している。
 芥川賞の前に太宰治賞も野間文芸新人賞も受賞しているというが、とてもそれだけの作家とは思えない”受賞エッセー”である。
 うっかりとてもまずいものを食べてしまったときには、お口直しにおいしいものを食べ直す。それと同様に、いい文章をを読んで目も頭も何もかもリセットしなければ!
2009年1月22日 10:10 | コメント (0) | トラックバック (0)

アメリカが変われば、世界が変わる

 アメリカ大統領の就任式は、日本時間では深夜2時だったにもかかわらず、テレビ中継の視聴率は高かったらしい。多くの人(日本に住むアメリカ人と日本人の比率はどうだったのだろうか)が、寝ずに、あるいはまた、起き出して見たらしい。

 初のアフリカ系云々が話題になっているが、確かに時代が変わったといえるが、何より期待できる変化はアメリカ大統領がブッシュさんではなくなったことだ。オバマさんが日本に関心がなくても、あそ〜さんがオバマさんに関心がなくても、アメリカの大統領がブッシュさんでなくなったことは世界にとって喜ばしいことだ。

 天皇陛下はさっそくお祝いの電報を送られたそうだし、スペインの首相は「就任演説はわれわれに希望を与えてくれた」と称賛したそうだし、ローマ法王も「諸国家間の理解と協力、平和を推進するよう祈る」と祝電を打ったそうだし、等々…、翻って我らがあそ〜さんは、歓迎の意向を示し首脳会談は「なるべく早い時期にしたい」が時期は交渉中…と素っ気ない。
2009年1月21日 15:03 | コメント (0) | トラックバック (0)

クールにいこう!

 さて、あそ〜さんは昨日の自民党国対メンバーとの懇談(約40名が出席したとか)の席で、当選1回の国対委員を前に「1年生の仕事は選挙に通ることだ。義理と人情とやせ我慢が大事だ」と挨拶したという。いくら目前に選挙が控えてるとはいえ、なんだかねぇ…。
 1年生議員が次の選挙で当選するかどうかは、目的ではなくて結果のはず。1年生議員といえども、あるいは1年生議員だからこそできる活動・仕事というものもあるだろう。それをやってこそ、次の選挙での勝利があるのだと思うのだが…。

 「義理と人情とやせ我慢が大事」だなんて任侠の世界じゃあるまいし、誰に対する義理?、何に絡んだ人情?、何をやせ我慢?
 一昨日の自民党大会の年頭演説では、「オレたち」を連発したとも報道されている。一体ここはどんな世界なんだ?!…と思う。
2009年1月20日 10:57 | コメント (0) | トラックバック (0)

wonderland

 浦安市舞浜に東京ディズニーランドが出現して、はや25年だという。その東京ディズニーランドでは、25周年記念の早春イベントのショーが開始5分後に中止になるトラブルが起きたそうだ。装置の故障が原因らしいが、ディズニーランドはワンダーランドを売り物にしているのだから、ショーの中止など絶対にあってはならないことのはず。アレほど完璧を目指すディズニーランドなのだから、あまりのも現実的な装置の故障で中止など許されないはず。何重にも準備をしておくべきだ。たとえ装置が故障しても、別の手段でショーが続けられるようにしておくべきだ。

 不思議というか、私にとって理解不能なのはお客の反応だ。約2千人もの人たちが怒りもせず、残念そうに席を立っただけだというのだ。混乱などはなかったともいう。
 ディズニーランドはワンダーランドなのだから、夢を壊さないためといってお客に対し、あれしちゃだめ、こうしてください等々さまざまな制約をする。それに馴らされたお客たちは、楽しみにしていたショーが突然中止になっても残念そうに席を立っただけ。不思議というか…、そんな人間にはなりたくないなぁ、なって欲しくないなぁ…という思いがする。
2009年1月19日 19:13 | コメント (0) | トラックバック (0)

アリorキリギリス

 ある経済ジャーナリスト(女性)は、定額給付金は全額貯蓄にまわすべし、ぱぁ〜と消費するなど愚の骨頂だと言っているそうだ。近い将来に向けて少しでも現金を増やしておけば、少しは安心だという。片や政治家は、ぱぁ〜と消費するのが政策の目的にかなっているとして、使っちゃえ〜ぃ!とそそのかす。
 なんだか、アリとキリギリスみたいではないか。多くの国民は、たぶんアリさんだ。そのアリさんたちにキリギリスになれと言っているのである。

 政治家のいうことはにわかには信じられないが、経済ジャーナリストのいうこともあまり信じられない。どの程度の将来を見通しての発言なのかは疑問である。ほんの少し前は、資産を現金で持っているなんていまどき遅れてますよ、といわんばかりであった。ところが今は、経済状況が大きく変化したとはいえ、現金を溜め込んでおくのが賢明だという。

 現金を銀行に預けたところでスズメの涙ほどの利息さえつかない今、ものとして所有するのもひとつの手である。そう考えた私は、このところ少々消費に走っているのである。消費に走るとはいっても、間違ってもおいしいものをぱぁ〜と食べるとか、ほんの一時の娯楽のために使い果たすなどということは考えられない。私もやはりアリさんなのだ。

 あそ〜さんは、昨日の自民党全国幹事長会議で挨拶し、「景気対策から考えても、所得の低い人たちにとっても、大きな意味を持っている。これだけはやり抜かなければならない」と述べたという。国民の多くがやめたら?と言っても、野党が反対しても、財政制度等審議会が再考を求めても、それでも何が何でもやり抜くのだという。いったい何のために?誰のために?
2009年1月18日 9:32 | コメント (0) | トラックバック (0)

イヤなもの

 その昔、春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて…と、清少納言は一番いいものを挙げていった。冬の早朝、キイィーンと空気も澄んで、これ以上磨きようがないというほどに磨かれた鏡のような月が未明の空に残っていたりするのは、確かに見ていて気分がいい。…が、今、私は、これだけはイヤというものを挙げたい。もう察しはついただろうが、節分の恵方巻きだ。

 節操がない、としか言いようがない。そもそも恵方巻き自体が邪道なのに、それにあやかって売らんかなぁ〜とばかりに、巻き→ロール→ロールケーキ→ロール状の菓子なら何でも…と、とどまるところを知らない。
 山形市の製菓原材料販売会社では、「恵方ロール」の審査会(県内各地の菓子店から36点が出品)
が開かれたという。グリコは、「かぶりつきコロン」(長さ26.5センチのロングサイズ、恵方巻きのように食べる)を発売するそうだ。

 長いものは切り分けて食す。これは基本である。
2009年1月16日 11:07 | コメント (0) | トラックバック (0)

バロック

 今日のNHK-FM7時30分からのベストオブクラシックは、「ラ・プティット・バンド演奏会」だ。さっきからずっと聴いているのだが、こんなヴィヴァルディの「四季」は聴いたことがない。 なんといえばいいのかわからないが、浮き浮きするほどおもしろい。久々にFMラジオに聴き惚れている。
2009年1月15日 20:49 | コメント (0) | トラックバック (0)

お金の使い方いろいろ

 フランスの大統領は、25歳未満は国立の美術館、博物館の入場料を無料にすると発表したという。無料化により、美術館の収入が減ると懸念する声に対しては、「美術館に行く習慣がついた若者は、大人になっても通い続ける」として、将来的に収入は増えるとの見方を示しているそうだ。…なるほど。

 秋田県では、新車を買うと消費税分を補助する制度を盛り込んだ補正予算案を県議会に提案したという。経済対策ではあるが、年式の古い車から環境に配慮した新車に買い換えてもらうことで環境への効果も狙っているのだそうだ。…なるほど。

 文部科学省は、教材整備の「緊急3ヵ年計画案」を作り新年度から3年間で2460億円を投入するので、小中学校の授業で必要なものを買い揃えてもらいたいという。財政難に苦しむ自治体は、教材購入に当然のことながら消極的だというが、…フム、この金額はどう読み取ればいいのだろうか?
2009年1月14日 18:50 | コメント (0) | トラックバック (0)

成人の日も過ぎて

 そういえば、昨日は成人の日だった。相も変わらずというか、より一層というか、各地で新成人となった若者たちが、破目をはずして…などというなまやさしいものではなく、暴れまくり荒れ狂ったようだ。まるで、この日1日しか主役になれる日がない、と思っているかのようだ。

 千葉県柏市では、新成人で構成された実行委員会がイベントを企画したそうだが、中学時代のジャージーを着てファッションショーをしたという。「みんなに懐かしがってもらえるように」と企画したというのだ。
 やっと二十歳になったばかりで、「懐かしがること」がそんなに重要?重大?なことなのだろうか。なぜ、未来に目を向けないのだろう?未来といってもそんな遠い先のことでなく、明日のこと、これからのことだ。

 暴走する若者は論外だが、あの頃は〜あの頃は〜という若者も情けない。極端な言い方かもしれないが、大人になるとは子ども時代を捨てる、あるいは封印することだ。それは容易なことではないから、「この日を境に…」という節目が必要となる。それが成人の日だ。
 ミッキーやミニーちゃんと浮かれるのも情けないが、中学時代のジャージー・ファッションショーも情けない。実行委員長さんは「すごく盛り上がって感無量です」と胸をなで下ろしていたそうな…。あぁ、情けなやぁ〜。
2009年1月13日 9:25 | コメント (0) | トラックバック (0)

買う

 朝日新聞が実施した全国世論調査によれば、63%の人が定額給付金は「やめた方がよい」と回答したという。低所得者の生活支援なのか景気対策なのか知らないが、どちらにしてもそれで景気が回復することはないだろう、と誰もが思っているということだ。
 ハウス栽培された早出しのサクランボは、一粒あたり2千円前後だという。この値段では、あそ〜さんのような人の口にしか入らないだろう。今日の夕食の買い物をして、あら、おいしそうなさくらんぼ!デザートに買っていきましょうか…と誰もが一品余分に買い物をするようになれば景気も回復するかもしれないが、1万2千円を支給されて飛騨牛でも食べましょうかなどと言えるのは、もともとお金に余裕のある人だ。

 私は、いつでもいい買い物を今せっせとしている。それは、私ももうさほど若くはないので、今我慢することにあまり意味がないからだ。欲しいものがあれば、それが買える値段のものであれば、今すぐ買って意味のある日を過ごせるほうがいいからだ。平均寿命までの残り時間と自由になるお金とを計りにかけて決めればいいことだ。しかし、私ごときがせっせと消費をしたところで景気がよくなるわけではない。

 どうすれば景気がよくなるのか、そんな難しい問題は私にはわからないが、もしかしたら、それは簡単なことなのかもしれない。働きたい人には仕事があって、働けばそれに見合ったお金が手に入って、欲しいものがそれなりに買えて、たまにはちょっと贅沢をして、そして子どもの教育や老後の蓄えもそれなりにできて…と、人びとが望んでいることはそんなに難しいことではないのかも。
 難しいのは、歪みに歪んだこの社会を、どう修正していくか…だ。ボキッ、ボギッと音を立てて直さなければならないほど歪んでしまったのかも。
 
 あ、そうそう、何がいいたかったかというと、デジカメを買い換えたっていうこと。中古だけれどNikonのCOOLPIX S600。オリンパスのCAMEDIA X-250をまだまだ使うんだと今日まで使ってきたが、シャッターボタンが固くて大変になってきていたのだ。佐川さんがまもなく届けに…、…?、(ピンポーン♪)、あっ!今届いた。
2009年1月12日 10:00 | コメント (0) | トラックバック (0)

最後の機会

 当然のこととはいえ、どんどんおかしなことになってきた定額給付金である。そもそもはお金をばらまいて人気を得たかっただけのことに、あれやらこれやらもっともらしい意味をつけては見たものの、それらには統合性も合理性も何もないわけだから、まわりからあれやこれやと口を出されるたびに、あっちに手をつけこっちをいじりして、すっかりわけのわからないものにしてしまったあげく、では高額所得者や政治家はもらうのかもらわないのかと聞かれると、もらうだのもらうべきでないだの、好きにすりゃいいだの、あらゆることを言ったあげく、そんなばらばらなことではいけないと言い出す人がいて、政治家ももらうべしとお達しが出て、困ったあそ〜さんは「高額所得者がもらった場合は盛大に消費していただくのが正しい」などと言い出した。

 こんな詭弁を恥ずかしげもなく口にできたものだ、と呆れた。そのうえ、最大の売り文句であったはずの年度内支給開始は困難であるという。ここまでくればもう白紙に戻すのが最良であるし、今がその最後の機会でもある。あそ〜さん!定額給付金支給は白紙に戻すと、潔く言ってみては?

 高額所得者や資産家がどんなに豪遊したところで景気回復にはつながらない。多くの人たちは1万2千円や2万円を支給されたところで、そうそう気楽に消費する余裕はない。生活支援でもなければ景気回復策にもなり得ない定額給付金とは一体なに?いまこそ、冷静になってもう一度足元を見つめ直すときである、と思うけれど?
2009年1月 9日 9:05 | コメント (0) | トラックバック (0)

見知らぬ人に声をかけられたら

 JRの□□(市の中心地)駅前でのこと、見知らぬ男性が声をかけてきた。「JRの□□駅はどっちですか?」、と。駅はすぐそこだ。いまどきの小学校の「知らない人に声をかけられたら不審者と思え」ではないが、私のことをからかっているのか?と、一瞬思った。

 もしかしたらこのあたりに不案内な人なのかもしれないと思い直し、目印になるビルの看板を指し示し、「JR○○駅はあのビルのあるところです。ここからは見えませんが歩いてすぐです」と、私にしては丁寧に教えてあげた。
 男性はお礼を述べた。それはごく普通のことかもしれないが、なんと関西弁のアクセントで「ありがとう」と言ったのだった。それだけなら、やはりこのあたりに不案内な人だったのかもしれない…で済んだのだが、「ありがとう(関西弁アクセント)」を3回も繰り返したのだ。やはり、からかわれたのではないか。そんな疑念が再び湧いた。

 「ハイ」という返事は、1度なら気持ちのいいものだが、2度も繰り返すと不快感が生じ、3度も繰り返せば完璧な嫌味となる。「ありがとう」という言葉も同じだ。1度なら気持ちよくどういたしましてと返せるが、2度も繰り返せばもういいよ〜という気分になるし、3度ともなればおちょくられていると確信する。
 感謝の気持ちを最大限に表したければ、「どうも」をつけるとか、「助かりました」とつなげるとか、表現法はいくらでもあるだろう。

 あの男性は何ものだったのだろう。本当に道に迷っていたのだろうか。人通りの多い銀行の前だった。すぐそばの人に尋ねるのが普通だと思うが、その人は2〜3メートル先から私をめがけて声をかけてきた。私は重度の方向音痴ではあるが、道を尋ねられることは多い。わかる限りは丁寧に教えることにしてはいるが、あまりにも目の前のものを尋ねられたので、余計な詮索をし疲れた。
2009年1月 8日 9:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

民の力(タミのチカラ)

 総務政務官という立場にある人が、総務省の仕事始め式のあいさつで、「年越し派遣村」について苦言を呈した?あるいは批判した?らしい。「『厚生労働省の講堂を開けろ』『もっといろんな人が出てこい』と要求された』状況を、「学生紛争の時に『学内を開放しろ』『学長よ出てこい』と学生が要求した」状況と同じだとして、「そういう戦術、戦略がかいま見える気がした」と語った、と報道されている。

 驚いたというか、呆れたというか、おやまあ…である。総務政務官という立場にありながら、民主主義が何たるかをご存じないようだ。もしかして、例の大学紛争を知らない(実体験のない)人なのかと思ったが、1950年生まれの人だという。ならば、当然知っているはず、というか、自分の目で見てきたはず。あの時、学生たちは角材や鉄パイプを振り回したため、盾やこん棒?や催涙弾を持った機動隊によって制圧されたが、行動そのものを否定すればそこに民主主義はないではないか。

 いわゆる派遣切りをされてやけを起こした人が、六本木ヒルズかどこかでナイフを振り回したのは許されないし、批判されて当然だ。しかし、「年越し派遣村」はきちんと指導者が立ち、組織立って行動し、当然の権利を行使しただけである。「大学紛争時と同様の戦術、戦略がかいま見える気がした」というが、人びとが集まってひとつとなって行動を起こすときには、当然指導者が生まれさまざまな戦術、戦略が生まれる。あたりまえじゃないか、と私は思う。

 この人が総務政務官という職務にどのような意識でついているのかは知らないが、”民”をバカにするんじゃぁないよ!と、啖呵をきりたくなる。
 国の指導者であるはずの総理大臣が、本当の意味での指導者の資質を持ち合わせていないから、こういうことを言う人が出てくるのだろうか。 

 「民」という言葉には、「国家・社会を形成する人々」と、「君主・帝王に統治されている人々」というふたつの意味がある。ここで私が使っているのは、当然1番目の意味である。念のため…。
2009年1月 6日 10:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

さぁ!

 日曜恒例の朝日新聞読書のページ、「著者に会いたい」は荒川洋治さんだった。『読むので思う』の紹介だ。読書やことばについての短い文章を集めた本だという。今年の読み初めにしたい本である。

 話は変わって、桃栗3年柿8年ではなくて…、掃除機洗濯機8年エアコン10年…、気がつけばリビングのエアコンは今年の5月で丸9年使ったことになる。洗濯機を買い換え、次はエアコンか。このエアコンは1年目にして故障し、5年目にまたもや故障し、2度も修理を依頼した世話の焼けるエアコンだ。この次は間違ってもシャープ製は買わないぞというくらい、厄介なエアコンだった。

 家電製品は買い換えればまた新品を使えるが、人の体はそうはいかない。ここが、あそこが、ここも、あそこもと、次々に性能が落ちてくる。
 自分自身を客観的に見るのはなかなか難しい。若いつもりはないが、そんなに変わっていない気はする。しかし、他人が見れば年相応だ。そのギャップには時々戸惑うが、できる限り自覚よりは他人の目を意識しようと思う。いたわられたら、はいありがとう、気遣われたら、はい気をつけます、そういうことが素直にいえるようにならなくちゃぁ〜ね?
2009年1月 4日 11:00 | コメント (0) | トラックバック (0)

お正月の絵

 除夜の鐘を聞いた人にも聞かなかった人にも、初詣に出かけた人にも出かけなかった人にも、等しく年が明けた。今日も晴天、凧揚げ向きの強風である。

 我が家はこれといってお正月らしいことはしないが、元旦の昼食にお雑煮と真似事のようなおせちを少々食べる。元旦の夕食は半分普段にもどり、2日ともなれば生活はほぼ普段どおりである。しかし、世間には絵に描いたようなお正月を過ごす家庭もあるようだ。

 富山県では、一人暮らしのおばあさん宅に3人の子どもが家族連れで帰省し、総勢10人で大晦日の夜を楽しんでいたらしい。しかし、未明の火事で6人が亡くなり4人が重軽傷を負ったという。痛ましい限りである。日常とは違う生活の中で、何かが狂ったのだろうか。
 石川県では、一人暮らしの男性がお正月を共に過ごそうと高齢の父親を呼び寄せたらしい。しかし、食事の後片づけをしなかったことに腹を立て、殴り死なせてしまったという。哀れである。だいの大人が、正月だからと親孝行ごっこをしても、無理があったのだろうか。

 悲観的な見方とみえるかもしれないが、年をとればとるほど日常を変えないほうがいいように思う。「いつもどおり」こそが、平穏無事につながっているように思う。
 どちらの場合も、政府が推奨しているような家庭のあり方だ。このふたつの事故や事件について、あそ〜さんはどう思ったか、聞いてみたいと思う。
2009年1月 2日 10:20 | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年元旦

2009年、明けましておめでとうございます。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。


 『心配を表現することがどうして事態を改善するのに役立つであろうか。』
(「朝永振一郎著作集1 鳥獣戯画」―鏡のなかの世界 「父」―より)

 父親は、子どもの頃体の弱かった著者をずいぶん心配したが、それを顔に出したことはなかったという。しかし、医者と相談し、綿密な子どもの生活設計を立て、また学校の先生とも相談して、学校生活を通じて子どもの健康を改善することを試みたのだという。

 親としてだけでなく、今の時代を生きていくうえでも、心にとめておきたい言葉である。
2009年1月 1日 9:23 | コメント (0) | トラックバック (0)