2008年大晦日

 泣いても笑っても大晦日。できることなら誰もが笑っていたいだろうに、新聞には「夜逃げ屋大忙し」という見出しがあった。今でも夜逃げ屋が繁盛しているとは…。ちょっと昔までは、年が越せないと夜逃げする、というのはよく聞く話だった。それは昔の話だと思っていたのに、そうでもなかったのだ。

 昨夜は「日曜日の随想2007」(日本経済新聞社編)を読んだ。9月30日は荒川洋治さんの「文学談義」だ。荒川洋治さんは、そこにこう書いている。
『すぐれた文学作品は、想像と思考の力を授けてくれる。人の心をつくる。人間の現実に、はたらきかける。「文学は実学である」とぼくは思う。いまは文学をだいじにしなくなった。本らしい本を読む人も少ない。人が集まると、何人かは文学談義をしたものだが、いまは見かけない。』

 すぐれた文学作品は、想像と思考の力を授けてくれる。人の心をつくる。人間の現実に、はたらきかける―――なんと鋭い言葉であることか。小学生でも読めるやさしい言葉、漢字しか用いていないのに、的確に本質を述べている。私が荒川洋治さんが好きなのは、こういうところである。

 今夜からは「朝永振一郎著作集1 鳥獣戯画」(みすず書房 1981年発行)を読む。物理学に縁のない私は、朝永振一郎という名前は聞いたことがあってもお顔は知らなかった。この立派な著作集には、肖像写真が付いている。撮影は1977年。ということは、71歳頃の写真ということだ。うむ、なかなか”いい男”である。OTTAVAでクラシックを聴きながら、この”いい男”と過ごす大晦日も悪くない。

 …ということで、皆々様もどうぞよいお年を!
いつも読んでくださるあなた、時々覗いてくださるあなた、ひっそりと、また時には大判振る舞いに[]を付けてくださあなた、それから、通りすがりの一見さん、この1年どうもありがとう!
 (壁掛式CDプレーヤーで、Luther VandrossのSongsを聴きながら)
2008年12月31日 10:00 | コメント (0) | トラックバック (0)

今日と、明日と、

 今年もとうとうあと2日を残すのみ。年の瀬にしては暖かいが、それもここが温暖な気候の土地ゆえのこと。寒々しい年の瀬であることには変わりない。多くの人が職を失い路頭に迷う今、とりあえずは平穏な生活を保て、一応の健康にも支えられて1年を終えられそうなことは、少なくともシアワセなこととしなければならない。

 新聞では、1年を振り返る記事が写真入りで掲載される。今年亡くなった人も、また多い。1月には片岡球子さん。103歳。3月には広川太一郎さん。69歳。4月には石井桃子さん。101歳。7月には大野晋さん。88歳。8月には赤塚不二夫さん。72歳。11月には筑紫哲也さん。73歳。12月には加藤周一さん。89歳。海外では、8月にアレクサンドル・ソルジェニーツィンさん。89歳。9月にはポール・ニューマンさん。83歳…。時代の歯車が、大きくガタンと回った感じだ。

 NHK-FMラジオも年末年始体制に入った。今年は、はやばやと壁掛けCDプレーヤーとOTTAVAに移行したからいいが、NHKの職員?が休むためなのだろうが、何故こうもつまらない番組のセレクトと称した再放送ばかりなのだろう。時報とニュースと気象情報以外の時間は、ただただクラシックでも流していればいいものを。そのくらいのことは機械がやってくれるだろうに。

 ほんの気持ちばかりの鏡餅も飾ったし、お正月用の食品も冷蔵庫にぎっしり用意できたし、窓ガラスも磨いたし、あとは明日の大晦日を無事に過ごすだけ。はてさて、2009年はどんな年になることやら。

 『今年もあと2日。年が明ければ、数えで数えようが満で数えようが、ひとつ年をとる。今できないことが、来年にはできるようになるということはもうないのだ。ひとつずつ、ひとつずつ、「ハイ、コレデオシマイね」といわれるのだ。ひとつがふたつに、ふたつがみっつに、みっつがよっつに…加速度的に増えていくことだろう。それは受け入れるしかないから受け入れるとしても、その後はどうすればいいのだろう。あれもできないこれもできないでは寂しすぎる』と、昨年の30日に書いた。

 この1年で「ハイ、コレデオシマイね」といわれたことは、確かにいくつもあるように思う。『あれもできないこれもできないでは寂しすぎる』と昨年は思っていたが、今年はそれをさほど寂しいこととは思わなくなった。諦念が頭をもたげてきたようだ。還暦?を前にして、あらゆるものを整理したいと思うようになったせいもある。持ち物もそうだが、生活も、生き方も、すべてのことで少しずつ整理していきたいと思う。そんな年の瀬である。
2008年12月30日 9:28 | コメント (0) | トラックバック (0)

ペット税?!

 『自民党の動物愛護管理推進議員連盟(会長・鳩山総務相)は、犬や猫などの飼い主に課税する「ペット税」の導入に向けた議論を近く開始する』という記事に、寝不足で痺れていた頭もすっかり目覚めた。自動車を保有する人には自動車税が課されるように、ペットを飼う人にはペット税を…ということなのだろうが、自動車はモノだがペットは(ペット=所有するものとはいえ)イキモノだ。無責任な飼い主を減らすのが目的、というのだが、なんだか釈然としない。『ペット税導入には、動物愛護団体からも前向きな声が寄せられている』というが、本当に? 

 猫も犬と同様に登録を義務付けて、登録時(毎年登録更新?)にそれなりの登録料を課し、その上で捨てたとか虐待したとか正当な理由もなく処分を依頼したとかいった場合にはそれなりの罰金を科す、というなら納得がいく。また、登録時に講習を義務付けるとか、やれることはいろいろと考えられるのではないか。

 犬や猫はペットと呼ばれるが、私にいわせれば生活を共にする相棒だ。相棒がいることに税金を払わなければならないというのは嫌な気分である。子どもが生まれたからといって子ども税というのはないし、要介護の親と同居するからといってジジババ税というのもない。当たり前である。ならば、犬と暮らすからといってペット税というのもなしでいい。猫と同棲するからといってペット税というのもなくていい。
2008年12月28日 10:26 | コメント (0) | トラックバック (0)

冬ごもり

 今年もあと5日。そろそろ冬ごもりのしたくも始めなければ。冷蔵庫内を整理整頓して食料を蓄えて…、読む本はもう借りて来てあるし、チョコレートも買い込んだし…、みかんも箱で買ったし…、あとは…。冬ごもりする場所は私の殻の中。”お〜い”と呼ばれても、”ママァ”と呼ばれても、”母上ぇ〜”と呼ばれても、”も〜しもし”と呼ばれても聞こえないところ。

 そう書いたのは、昨年の12月27日。今年も同様、そろそろ冬ごもりしたいなぁ…と思ったけれど、そうもいかない。朝からレースのカーテンを洗濯した。カーテンをはずすと窓ガラスの汚れが目立った。仕方がない、とガラス磨きをした。すると、今度は網戸の汚れが許せない。ついでに洗った。なぁ〜んだ、人並みに大掃除なんかしちゃって…。

 去年の27日の記録を見ると、私はお風呂を済ませてからキッチンの引き出しの整理なぞを始めていた。今年は間違ってもそんなことはしないぞぅ〜、昨年はそうも書いている。今夜はなんとなくキッチンを磨きそうな、予感がしないでもない。
2008年12月27日 10:51 | コメント (0) | トラックバック (0)

あなた次第

 新聞の首相動静を読むと、昨日あそーさんはご家族と共に東京カテドラル聖マリア大聖堂(余談だが、私はいわゆるミッションスクールに行っていたので、修学旅行の帰途にできたばかりのここへ立ち寄ったことがある。)のクリスマスイヴのミサにお出かけになったとか。そういえば、あそ〜さんはカトリック信者であるとか、かつてどこかで読んだような記憶がある。

 そこで、なるほどね、と変に納得がいったことがある。あそ〜さんの経済政策がなぜか施しに見えて仕方がなかったのだが、やはりあそ〜さんの心の奥底には貧しい国民には施しを…という意識があるのではないか…、と思った。
 この暮れの寒空に放り出された数多くの派遣社員の人たちに、あそ〜さんの私財をなげうって施しをするというなら道理が通るが、国のお金は国を運営していくためのお金のはずだから、そのお金を使うことによってより大きな効果が出ることに使うのが筋だ。施しをするためのお金ではない。

 あしなが育英会も危機的状態だという。あの評判の悪い定額給付金をやめて、今、教育資金に困っている人を助ければ、国の資産となりうる若い人を育てることができる。いったん決めたことを取り消すには勇気がいる。特に権力者にとっては大きな大きな大きな大きな勇気がいる。…が、あとは、あそ〜さんの決断次第。支持率を上げるも下げるも、あそ〜さんの勇気次第。
2008年12月25日 9:19 | コメント (0) | トラックバック (0)

きょうは、

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2008年12月24日 18:33 | コメント (0) | トラックバック (0)

あと10日?

 今年もあと10日?とはとても思えないような、異様な暖かさである。午前3時の気温が19℃とはこれ如何に?と聞けば、天気予報のおねえさんはそれなりの原因を説明してくれだろうが、ここにこれがあるからこうなるんです的な解説を聞いたところで、何の役にも立たない。そのうえ軽めの服装でよいとか、夜は雨になるかもしれないからカサをもってけとか、余計なお節介ばかり聞かされても、何故にこの時期に19℃なのか、納得いかない。

 冬は寒いものとして、新しいコートが欲しいのだが、気に入って目を付けているのもあるのだが、清水から飛ばなくては買えない値段なので、とりあえずポイント5倍デーに買いたいと思っている。しかし、それまで売れずに待っていてくれるだろうか…?

 そうそう、昨日の「村上祥子のレンジで主役のおかず」で作るカレーのことだが、結果は聞かぬが花、ということで…。
2008年12月22日 9:15 | コメント (0) | トラックバック (0)

反省の多い…

 反省の日々である。太宰治は人間失格のなかで、「恥の多い生涯を送って来ました。」と書いたけれど、私は「反省の多い生涯を送って来ました」である。昨日も、お風呂に入りながら反省した。ひとり反省会である。行き着いた結論は、「珍しいこと新しいことにはむやみに手を出してはならない。慣れないことはできないと心得よ」だった。

 あるポイントが貯まったので商品と交換することにした。ポイント数とぴったり合ったので、パイレックスの「村上祥子のレンジで主役のおかず」と「村上祥子のごはんとパスタ」を選んだ。付属のレシピ集をみていたら、カルボナーラなら私にもできそうである。

 材料は、オリーブオイルににんにくみじん切り、赤唐辛子にベーコン、卵と牛乳少々である。材料を合わせて「村上祥子のごはんとパスタ」に入れ、新調したレンジにセットしてスイッチを入れる。所要時間は4分である。鼻歌1曲である。もっとも、私は歌わないけれど。
 出来上がりはかなり本格的風な味になったが、卵の固まり具合はもうひとつである。何故だ?と、思い当たることを順に考えてみた。原因は簡単なことだった。卵を常温に戻さずに使ったせいだ。冷えた卵では、熱が下がってしまうではないか。後から気づいても、後の祭りである。

 ひとり反省会を開き、深く反省した。「新しいことにはむやみに手を出してはならない」。ところが、一夜明けると、今度は「村上祥子のレンジで主役のおかず」でカレーを作ってみたくなった。野菜の下ごしらえも含めて18分ほどである。アレほど反省したのに、懲りずに「今日の昼食に作ってみよう…」などとまたやる気だ。こうして、「反省の多い生涯を送って来ました」となるのである。
2008年12月21日 9:01 | コメント (0) | トラックバック (0)

本を仕込む

 年末年始に備えて、今日は図書館へ。借りたのは次の3冊。

「日曜日の随想2007」…日本経済新聞社日曜付朝刊文化面に掲載された、48人の随筆をまとめたもの。楽しみなのは、加賀乙彦・中村稔・荒川洋治・原田康子・馬場あき子・松浦寿輝・秋山駿の各氏。

「日本の色辞典」(吉岡幸雄・著 紫紅社)…先日の「千年紀 −源氏物語の色−染織家 吉岡幸雄の仕事 」の影響で、日本の色についてさらに知りたくなった。

「朝永振一郎著作集1 鳥獣戯画」(みすず書房 1981年発行)…解説は串田孫一。いまどきうれしい布を張った装丁である。カバーがかけてあって、手触りを楽しめないのが返す返すも残念。

もう一冊、「堀田義衛上海日記」も借りたかったのだが、貸し出し中だった。またこの次に…。
2008年12月19日 16:58 | コメント (0) | トラックバック (0)

矜持

 「今の時代を見つめている。明日のあなたを変えていく」。これは、今朝の朝日新聞に載っていたディスカヴァーの本の全面広告にあった言葉だ。

 言葉も表現も大きく異なるが、言っていることは、本質的には前回書いた『過去と未来に等しくまなざしを向け、つねに関与的観察者として、「本の世界」の確実な一員でありたい』と同じだと思う。しかし、読んだときの印象は全く違っていた。

 どんな言葉を使おうが、どのような表現を用いようが、意味が伝わればいいようなものかもしれないが、どんな言葉・どのような表現にその人自身が現れるとしたら、いいかげんにはできない。それこそ、(あそ〜さんが何かというとご使用になる)”矜持”の問題である。
2008年12月18日 10:11 | コメント (0) | トラックバック (0)

過去と未来に等しくまなざしを向け、

 みすず書房から「図書目録2009」が届いた。去年は全く気がつかなかったのだが、最初にページに「本社の創立と出版方針」という1文がある。それを読んでいて、なんだかずいぶん久しぶりに「文章を読んだ」という気分になった。文章とは、こうでなくちゃ、と思ったのである(どんな?と気になった人はみすず書房の図書目録をご覧くださいな)。

 思えば、新聞の社説が読むに耐えなくなって久しい。そのうえ、さまざまなものをネット上で読むようになってから、いっそう文章というものが粗雑になってきたと感じる。感じながらも、知らず知らずそれに慣らされてしまったようにも思う。

 これではいけない、そう思わされる文章だったのだ。きちんとした文章で書かれた本を読みたい。そう思わされる文章でもあった。そして、私自身もきちんと思いが伝えられる文章が書けるようになりたい、そうも思わされる文章であった。
 
 ――過去と未来に等しくまなざしを向け、つねに関与的観察者として、「本の世界」の確実な一員でありたい――みすず書房図書目録2009 【出版方針】より抜粋
2008年12月16日 18:44 | コメント (0) | トラックバック (0)

何が何でも?

 驚いた!なんてことを考えるのだろう!と、まずは、そう思った。レインボーブリッジを4時間通行止めにして、5000人が橋の上を歩いて楽しむ「東京レインボーウオーク」を開催するのだそうだ。もちろん、東京都が、である。2016年の五輪招致機運を盛り上げるためだという。

 橋は渡るものでイベントを開催する場所ではないと思うが、都知事は使えるものは何でも使い、使えないものでも何としてでも使えぃ!と言うらしい。通行止めにするということは、車が通らないということだと思うが、5000人もの人が押しかけて、急病や怪我や事故があったどうするのだろう。参加資格が16歳以上というのも解せない(車いす利用者は介添者がつけば可)。また、都では、「イベントは今回限り。東京の大パノラマをゆっくり楽しんで」とPRしているらしいが、橋の上で立ち止まることはまかりならんそうで、当然ビデオやカメラの撮影は禁止だという。

 参加料が3000円もするのに、強風などで中止になっても返金されない(読売新聞の記事によればそうなっている)というのは、どこぞの悪徳業者みたいじゃないか。参加費の一部は「緑の東京募金」に寄付するというが、五輪招致機運の盛り上げと、ウオークイベントと、「緑の東京募金」とは、どういう関係にあるのだろう。スタート地点や橋の途中などの沿道で募金活動をすればいいじゃないか。なぜ、寄付金付の参加費にする必要があるのだろう。しかも、一部(一人当たり10円でも100円でも1000円でも一部だ)を寄付しますなどと曖昧である。やっぱり、悪徳業者みたいだ。
2008年12月14日 9:30 | コメント (0) | トラックバック (0)

色を楽しむ

 お誘いを受けて、「千年紀 −源氏物語の色−染織家 吉岡幸雄の仕事 」を見に出かけた。日本橋タカシマヤで今日から開かれている。10時の開店と同時に入って、即、8階のギャラリーへ。お花が飾ってあったりして、いかにも初日という雰囲気だ。11時と5時にはご本人の解説付きだというが、初日だったせいか、10時からご本人がお出ましになっていた。会場を回りながら、ここかしこで解説をしてくださった。

 源氏物語にはかなり疎い私だが、日本の色にはとても興味がある。どの色も美しく、どの色も身にまといたいという思いをかきたてられる。平安時代には都会のネオンやイルミネーションなどはなかっただろうから、色は自然と呼応し合うものだったのだろう。それがよくわかる展示だったように思う。
 現代人である私たちでも、個々人にとって好きな色というのはある。でも、その色を生かす自然というか背景は破壊されているように感じる。色を楽しむことは自然を楽しむことだったのだと気づかされた。

 展示場では、『「現代の暮らしに合うものを」をモットーに、伝統色を用いて作り出された現代感覚あふれるファッションやインテリア、呉服作品なども展示即売』されていた。あれもいいな、これもいいなぁ…とため息ばかり出た。勧め上手な人がたくさんいて、ついついその気になってしまった。連れさんと二人して、清水から飛び降りてスカーフを買った。私は、紫根でグラデーションに染めたものを買った。”一生もの”である。値段も当然”一生もの”である。

 16日(火)まで日本橋タカシマヤで開催。東京駅からもすぐだから、ちょっと足を伸ばして立ち寄ってみても損はない。お薦めです。
2008年12月11日 15:07 | コメント (0) | トラックバック (0)

壁掛式?!

 無印良品の「壁掛式CDプレーヤー」が最初に発売されたとき、そのデザインと機能のシンプルさが気に入って欲しいなぁと思ったが、1万円するのかと、ため息と共に諦めた。そして、先日。やっぱり欲しいなぁ、1万円、買っちゃおう、となった。近頃の食品の値上がりを思えば、発売以来値上がりしていないものが安く思えたのだ。
 
 ぽちっとCDをセットすると、あとはくいっと紐を引くだけ。BGMは気軽に聞けなくては意味がない。この「壁掛式CDプレーヤー」は驚くほど気軽である。年もおしつまったこの時期に突然買ったのは、FMラジオのつまらなさのせいである。年末年始のことを考えて早めに手を打った。クラシックが聴きたくなったらOTTAVAで、軽いBGMを聴きたくなったら”ぽちっと&くいっ”である。

 本当はBOSEのウェーブミュージックシステムが欲しいのだけれど、気軽に買っちゃおうというお値段ではないのが何ともね…。
2008年12月10日 19:56 | コメント (0) | トラックバック (0)

どう読むか…

 「日本語が亡びるとき ─英語の世紀の中で」(水村美苗・著 筑摩書房)を読み終えた。どう見てもベストセラーになるような本ではないと思うが、アマゾンでもよく売れているらしい。本来は誰もが飛びついてよむ本ではないのに、ブログで祭り上げられたせいで多くの人が読んだようだ。問題は、読んで、それでどうか?ということだ。
 著者はそれぞれの言葉を定義し、この本の中ではこの定義で論を進めると繰り返し断り書きを入れている。論を進める上での問題点も、限定している。そこのところを常に忘れないようにして読まなければ、何言ってんだい!ということになってしまう。

 著者の定義に従い問題提起の範囲内で読めば、非常に興味深いし共感もできる。最後の章の「英語教育と日本語教育」は、いってみれば付けたしだと、私は思う。<話し言葉>をそのまま書き表したところで、それが<読まれるべき言葉>になるとは限らない。あそ〜さんの例を挙げるとわかりやすいが、あそ〜さんは総理大臣でありながら<話し言葉>でしか話さないので、いつも意味不明である。総理大臣であるなら、話す時でさえ<読まれるべき言葉>で話さなければならない。そうしなければ、思考の過程や内容が伝わらないからである(あそ〜さんの場合は、思考そのものが存在しないから、<読まれるべき言葉>で話すことができないだけなのだろう)。
 
 <読まれるべき言葉>を守ることが如何に重要であるかを言いたいがために、著者は「誰もがバイリンガルのなる必要はなく、一部の優れたバイリンガルを育てればそれでいい」と言うのだと思う。話題になっているからと読んでも、何だ、こんな本、と古本屋へ売ってしまってはそれだけで終わる。多くの問題提起を含んだ本であるから、読んで何を考えるか?と言うところへ繋げば価値のある本となる。
2008年12月 8日 9:21 | コメント (0) | トラックバック (0)

意識の差

 朝のコーヒータイムに読んだ新聞(朝日・文化面「月並みに」)に、夜も更けた10時半ごろの新橋駅構内で、若い女性が利殖向けのワンルームマンションの営業をしていた話が載っていた。ノルマのためにやらされているのではなく、女性は、自発的に「がんばれば、いいことある」と信じてしているのだと語ったという。
 「がんばれば必ずいいことがある」と金八先生が言ったからというのにも驚くが、10時半にもなって路上で行き当たりばったりの営業をするというのにも驚いた。この女性にとって、10時半という時間はどんな意味があるのだろう。

 アマゾンで買い物をした商品が、「通常配送でいいよ」としたばっかりに、1週間たってもまだ手元に届かない。正確に言えば5日目に配達はされた。しかし、来たのは夜も更けた10時(私にとっては就寝時間)だったと不在票に記入されていた。翌日、わけのわからない(カトーレック便の)画面から再配達を希望したが、それには全く反応がなかった。夜も更けた10時に届けに来る宅配業者は、この時間をどう捉えているのだろう。10時配達を指定していたならともかく、である。

 夜の10時や11時なんてまだ宵の口…という人もいるかもしれないが、少なくとも行き当たりばったりの営業をする時間ではないと思うし、他人お家を断りもなく訪れてよい時間でもないと思う。眠らない都会に住む人は、他人も眠らないと思っているのだろうか?それとも、たんに私が歳をとっただけなのだろうか?

 確かに、歳はとったとは思う。FMラジオが楽しめなくなった。音楽が聞きたいのに、どの番組もおしゃべりが多く、そのうえうるさく感じる。土曜・日曜の番組表をみていると、私など相手にされていないと感じる。と、なれば、こちらから見捨てるだけである。さらば、我がFMラジオよ、である。

 そうして聴き始めたのがOTTAVAである。朝から深夜まで、丸ごとクラシックのBJMだ。PCの電源を入れておかなければ聴けないというのはちょっとナンだけれど、つまらないFMラジオよりはずっといい。i-Podにも入れてナイトミュージックもOTTAVAしたら、あっという間に夢の中。10時5分前に就寝すれば、10時に宅配業者がチャイムを鳴らしても気づかない。
2008年12月 7日 9:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

いつもの…

 道で親子がキャッチボールをしていた。男の子が取り損ねたボールが転がった。男の子は「おばさぁん、ボールとってぇ」と叫んだ。どうやらおばさんとは私のことのようだ。「いいわよ」と拾ってあげたが、投げるのは自信がない。転がして渡した。そこは、京都の、とある路地。おばあさんが打ち水をしていた。「この路地は通り抜けられますか?」と聞くと、「ええ、大きな通りに出られますよ」と言う。「では、ちょっと失礼して…」と言うと、植木の剪定をしていたおじいさんが、「さぁさぁ、どうぞ」と道をあけてくれた。

 路地を抜けると、確かに大きな道路に出た。しかし、それは山道だった。右手は山に登っていく道でカーブミラーまでついている。左手は下りである。途方に暮れていると、同じように途方に暮れている男性の二人連れがいた。どちらの道を行くかでもめていた。私は、迷わず下り道を選んだ。町へ出るには下らなければ…。

 鬱蒼と木々が茂る山道を下っていくと、少し開けた場所に出た。バスの停留所もありそうだ。やれやれ、と思った瞬間、血の気が引いた。「こ、これは!前に見た夢の続きではないか!?」…と思ったとたん、目が覚めた。

 そう、いつもの夢だった。
2008年12月 5日 15:38 | コメント (0) | トラックバック (0)

年の瀬までに

 ブッシュさんはアメリカのTVニュースのインタビューに答えて、「大統領の職にあった中で、最大の痛恨事はイラクの情報の誤りだった」と述べたという。ブッシュさんにとって「最大の痛恨事」で終わらせることができても、事はもっと重大な影響を世界中に与えた。だが、その誤りの責任は誰が取ったのか?

 定額減税が定額給付金に様変わりし、今度は「地方が自由に使える1兆円交付金」がなにやらわけのわからないものに化けそうだ。お金をばらまけばみんなが喜ぶなんて、政治はそんな単純なものではないでしょうに。いずれ近いうちに辞めることになるだろうあそ〜さん、せめて御自分がまき散らしたタネだけはきれいに拾っていって。
2008年12月 3日 9:17 | コメント (0) | トラックバック (0)