???な?

 浦島太郎さんって、もしかしたらこんな気分だったのだろうか?…と思うような”今日この頃”である。わけのわからないことばかり…。どうなっちゃってるの?ということばかり。

 アメリカの新聞ニューヨーク・タイムズが、25日付社説であそ〜さんを「けんか好きなナショナリスト」と評したそうだ。あの所信表明演説を聞けば、まぁ、そういうこともあるだろう。ところが、である。しかも、さっそく、である。こともあろうことか、外務省が日本政府として同紙に反論したという。『日米同盟を基本に中国や韓国など近隣諸国との関係も強化し、地球規模の問題にも取り組む、非常にバランスのとれた外交姿勢だ』と、外務省の人は反論したという(あの所信表明演説では、私にはそうは解釈できなかったけれど)。

 とにかく、である。そんな社説にいちいち外務省が反論するところが(たぶん、あそ〜さんが激怒して、反論させたのでは?と勘ぐっているのだけれど)、あそ〜さんはけんか好きなどと評されるゆえんである。どうしてもっとで〜んと構えていられないのだろう?よほどの名誉毀損行為があれば反論でもなんでもすればいいけれど、たかが新聞社の批評ではないか。

 あえてあのような所信表明演説をしたのだから、それに対する反応は、どんなものが出てこようと謙虚に受け入れるべきだ。そのうえで、日本は世界から何を望まれているのか、あそ〜さんは国民から何を望まれているのかを知るべきである。
2008年9月30日 18:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

練りに練って、これ?

 あそ〜さんの所信表明演説をテレビで見た。場をわきまえないという点では、この人もあの人と同じである。民主党批判をする場は他にあるはずで、今日の場はあくまでも所信を表明する場である。やんやの喝采とやんやの野次との掛け合いで、それはそれは騒々しい演説であった。

 あの場で何故そこまで民主党批判をしたのか?あそ〜さんという人は目先のことにしか目が行き届かないからだろう。世界の中の日本という意識も乏しく、重要なのはアメリカとの関係強化だけというのはいただけない。所信表明演説とは誰もができるものではない。ならば、格調高くとまでは望まないにしても、少しは歴史に残るような、世界の中の日本の総理大臣としての所信の表明をして欲しいものである。演説の締めくくりは、例の、してやったりという”ニンマリ”であったのは、あまりにも品がなさ過ぎる。これをあそ〜流とかあそ〜カラーというのであれば、声を大にしてNO ! である。聞こえた…? NO !
2008年9月29日 15:20 | コメント (0) | トラックバック (0)

インスタント内閣

 国連で演説をするために0泊3日でアメリカへ行ったあそ〜さんを見習ったか、国交相はたったの5日で大臣を辞任するという。その5日間に何をしたかといえば、就任の会見をして、あちこちで問題発言をして、抗議をされて、表向き謝罪をして、軽く頭を下げて、これっぽっちの反省もなくて、騒ぎになった責任は取るとにこやかには記者に答えただけだ。
 こんな人であることはとうの昔からわかっていただろうに、所詮似たもの同士だったのか。こんな人を大臣にしたあそ〜さんの辞任もさほど遠くはないのかも。

 似たもの同士だと思ったのは、どちらさんも自民党だけが大切で、自民党さえ力を盛り返せばすべてがうまくいくと考えているかのようなところがあるからだ。しかも目指す自民党は進化した自民党ではなく、以前の古い自民党だ。すべては戦後教育のせい、戦後教育が悪いと言い放った人は、いったい戦後をどのように生きてきたのだろう?と疑問に思う。今あるご自分をどう捉えているのだろうか?と不思議に思う。良くも悪くも今存在する社会は、戦後教育が生み出したものだ。そこに生きていながら、それを否定するとは、これ如何に?である。

 明日に予定されている、あそ〜さんの所信表明演説の原案の全容が明らかにされた。「明るく強い日本」という政権運営の基本姿勢を強調した後は、徹底して民主党批判だという。つくづくあそ〜さんという人は小物だと思う。「所信表明」の意味さえわかっていないのではないか、と危惧する。
 「明るく強い日本」というのが政権運営の基本姿勢であるとするなら、そのための具体的な政策課題について自分自身の考えをを述べるのが所信表明である。民主党批判に基づく民主党への質問が大部分を占める所信表明演説を世界中に発信するなんて、(国民としては)こんな恥ずかしいことはない。
2008年9月28日 9:50 | コメント (0) | トラックバック (0)

秋になったら

 ほんの少しずつだが季節は確実に変化している。9月もあと少しだ。10月になれば一気に秋めくのかもしれない。10月になれば、あれをしてこれをして、あれもしなければこれもしなければと、何とはなしに忙しない。

 まずは、歯の治療だ。歯医者さん怖い…などと、子どものようなことは言っていられないほど歯が傷んできた。数少ない奥歯が、上下左右どれも役立たずになってきた。モノが噛めなくなってきたのだ。気がつくと、牛のような食べ方をしていた。困ったね…、歯医者さんきらいだし。30歳代から通っている歯科医院で、歯医者さんもほぼ同年代の人だ。久しぶりに行くと、あぁ、年をとったなぁ…と、相手を見て自分の年齢を再確認する。それも足が遠のき、気が進まない原因のひとつだ。しかし、そんなことを言ってはいられないほど切羽詰ってきた。覚悟して、行くことにするか…そのうちに。

 電子レンジを買い換えようかどうしようかと迷っている。ターンテーブルが回るときに、異様に大きな音がするようになった。しかも突然だ。不愉快な音だし、不安な音である。どうするかなぁ〜と迷いつつ、電気店でレンジのカタログを集めてきた。あれこれ見比べ、購入候補を何点か選び出した。さぁて、どうしたものか…と迷いつつ、寝た。
 翌朝、朝食の準備に電子レンジを使うと、静かである。あの耳障りな音は消えている。私が処分する気になりかかっていたのを察したか?まだまだ働きますとアピールしているかのようだ。気分はかなり買い替えに傾いていたのだが、もう少し様子を見たほうがいいかもしれない。

 私が欲しいのは、いまどきのスチームがどうのとか、あれもできます、これもできます、というような大型の電子レンジではなく、解凍とあたためとトーストとクッキーができればいいシンプルな機能のものだ。しかし、時代は変わってしまったようで、そういう商品はあまり多くないようだ。前回買い換えたときは、電子レンジは、まだまだ高価なものだった記憶があるのだが、今ではシンプルな機能のものは2万円以下である。それも、気分がかなり買い替えに傾いていた理由のひとつである。でも、今の電子レンジが、ちょっと待てと言っている。しかたなないので、待ってやることにするか…もうしばらくは。
2008年9月26日 9:40 | コメント (0) | トラックバック (0)

明るく強い国?

 明るく強い国って、なに?どんな国のこと?明るくって、国につける形容詞?国が明るいだの、国が暗いだの…というのは、私にはイメージできない。強い国って、軍事力か強いということ?それとも、経済力が強いということ?あるいは…何?わけのわからないことをいう人だ。
 そう思って、昨日の会見の報道をさがす(テレビは見なかった)と、asahi.comには要旨しか載っていなかった。たいして内容がなかった…ということか。一方、毎日jpには全文が載っていた。毎日jpに載った「全文」をみても、「明るく強い国」のイメージは浮かばない。単なる言葉のあやか…。
 言葉といえば、失言癖はいまさら直らないとしても、会見で「オレ」はやめたほうがいい。やめたほうが、というよりみっともないからやめなさい、である。会見で話し言葉を使うから失言するのである。こういう人は、会見はすべて書き言葉で話すのが無難である。とはいっても、この人には無理だろうなぁ。
2008年9月25日 15:02 | コメント (0) | トラックバック (0)

最悪の日

 あ〜ぁと、ため息をついている間にあそ〜総理大臣が誕生し、恐ろしい内閣ができあがる。小渕さんのお嬢さんを少子化担当相に起用するとは、一体何を考えているのやら…と言うよりは、何も考えていない証拠ではないか。このお嬢さんはあまりにも経験がなさ過ぎるではないか。大臣という役職はお勉強の場ではないのだから。少子化問題を軽く見ている結果なのか、小渕さんのお嬢さんに今から箔をつけておくと何かいいことでもあるのか、メディアからサプライズを期待されるからそれに応えただけなのか…考えるのもあほらしい。自民党総裁として、内閣総理大臣として、その責務を果たすにつれて、あそ〜さんという人の底の浅さが顕になる。

 漫画を蔑視するわけではないが、漫画は所詮漫画である。漫画オタクであることを恥じらいもせず公言するなんて、車内には漫画本が常時山積みになっているなんて。本来なら、おとななら、恥ずかしいことだから隠しておくものなのに。
 選挙に勝つというのは自民党の問題でしかないのに、あそ〜さんの頭の中には国民の影さえなく、あるのは自民党、そして総理大臣になったオレ(あの名高い吉田茂の孫だぜぃ!と言わんばかりの…)、それだけ。総裁に選出されて以来の発言を聞いていると、そう思う。
2008年9月24日 18:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

ウソのようなホントの話

 "高齢者の医療の確保に関する法律"により医療保険者に実施が義務付けられた、特定健診(いわゆるメタボ健診、ね)に行ってきたという人から話を聞いた。健康保険組合から検診を受けるようにという通知が来たという。なぜか、その人はまじめに行ったらしい(私は、まじめではないので、通知が来ても絶対に検診は受けない、頑固ものである)。健診には予約が必要だし、その日の朝は絶食しなければならぬという。そのうえ、当然、有料だという。
 行った先は、毎年健康診断を受けている所だという。医者はよく来た!よく来た!と大歓迎したらしい。健診の内容といえば、血液検査とメタボ腹の測定だけだ。毎年健康診断をしていれば改めて血液検査の必要はなさそうだが、よく来た!よく来た!と血液検査をして、それから「これは、決まっているので…」と言いつつおへその周りの測定をしたという。

 私はそれを聞き、思わず冗談はやめてください!と叫んだ。と、いうのも、その人は小柄で痩せていて、脂肪などどこを探しても見つからないという体型である。メタボ測定の結果は、60cmもなかったという。念を押しておくが、ウエストではなくておへそまわりの一番太い部分である。医者も医者である。メタボ健診をして、一人あたりいくらもらえるのか知らないが、ふざけているとしか思えないではないか。

 悪評まみれの後期高齢者医療制度も"高齢者の医療の確保に関する法律"だ。驚いたことに、今になってそれを見直すと言う。しかも言い出したのは厚生労働大臣だ。舌の根も乾かぬうちに…とはこのことか。なんじゃい?なんじゃい?と思っている間に、自民党と公明党は、自公連立政権合意に後期高齢者医療制度の見直しを盛り込む方針で一致したという。あそ〜さんもその気だという。ふざけんじゃねぇ!!などというハシタナイ言葉が飛び出しそうだ。
 最も悪評な、年齢による線引きや年金からの保険料天引きなどの問題点を見直すのだそうだ。それならついでに、あまりにあほらしすぎて話しにならないメタボ健診は廃止してもらいたいものだ。
2008年9月23日 13:28 | コメント (0) | トラックバック (0)

誰のために?

 もうとっくに決まったようにいわれていた次期自民党総裁は今日決まる。あそ〜さんが総理大臣?あ、そー、としか言いようがない。オタク人気を国民的人気と勘違いしたり、口を開けば失言を繰り返し、考える前に口が開き、無思慮な言葉がこぼれ落ちる。こんな人を総理大臣にして大丈夫なのだろうか…?などとは、誰も考えないのだろうか。自民党総裁なんで順繰りなんだから、とりあえずなればそれでいいのだろうか。ほんの半年でも1年でもやれば、”元総理大臣”の肩書きは一生ついて回るのだから、それでいいというのだろうか。そして内閣はまた、変わり映えのしない顔ぶれで組織される。やれやれ…。

 本当は、やれやれ…どころではない。いいかげんにして下さい!だ。本当に、いいかげんにして下さい。
2008年9月22日 9:05 | コメント (0) | トラックバック (0)

アール・デコ

 東京都庭園美術館で開かれていた「舟越桂 夏の邸宅」展は、会期が残り少なくなっていたせいか、あるいは私が知らなかっただけで、舟越桂さんはけっこう人気があるのか、思いのほか人が多かった。ホストカードはすでに完売で残念だった。彫刻は絵画よりは関心が薄かったのだが、美術館の建築の室内装飾と合わせて展示するという方法には、かなりの興味を覚えた。

 アール・デコ様式の室内装飾はいかにも日本の洋館らしくて、見ていて楽しい。…と思っていたら、次回は開館25周年記念「アール・デコの館−庭園美術館建物公開−」だという。ぜひとも見に行かなくちゃ、ということになった。今度はゆっくりとアール・デコ様式というものを観て来たいと思っている。
2008年9月20日 9:25 | コメント (0) | トラックバック (0)

旧朝香宮邸

 これはどこでしょう?
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きょう、出かけた場所は…
2008年9月19日 19:47 | コメント (0) | トラックバック (0)

釈然としない

 サッカー部の試合中の落雷で視力を失い、手足が不自由になった男性と家族が損害賠償を求めた訴訟の、差し戻し控訴審の判決が出たという報道があったが、その金額についてはわからないが、その内容については、私には少々わからないところがあった。

 男性が事故にあったのは高校生の時だという。幼稚園児や小学生ではないのだから、自分で判断することが必要な場合もあるだろうし、それができて当然だともいえるのではないか。学校側に安全配慮義務があるのは明らかだが、「教諭は試合中止や延期を申し入れたり、周囲のコンクリート柱の近くに避難させたりして事故を回避できたのに、漫然と生徒を試合に出場させた過失があった」というのは結果であって、運良く落雷にあわず障碍を負うこともなかったとしたら、たとえそのとき雷が鳴っていたとしても、同じ判断をしていたとしても、何も問題にならなかっただろう。

 もし、この事故に関して「約3億円の損害賠償の支払いを命じる」のであれば、個々の事例についてとるべき判断の基準・方法その他が明文化され、それが個々の教師に徹底されていなければならないのではないか。それは、どうなっていたのだろう。
 また、高校生ともなれば、本当に身の危険を感じたなら、教師に逆らうことも必要だし許されるのではないか。

 考えがまとまらず、的確に言いたいことがいえないのだが、「一般に知られている避雷の知識を当然持つべきだ」とか、「雷鳴は遠くても危ないことを記した、入手可能な資料が当時すでに多数あった」ということが判決の前提になっているとするなら、この先は多くの人が「知らなかった、無知であった」ということで罰せられることがあり得るということだ。それって、なんだか、釈然としない。
2008年9月18日 12:30 | コメント (0) | トラックバック (0)

”米”が躓けば、”日”が転ぶ

 頭が痛いといえば、実際にアタマがズキズキガンガン痛む病気の症状という意味と、解決しなければならないのにそれが容易にできない問題を抱えている状態という意味がある。首が回らないといえば、四十肩五十肩で実際に首を左右に動かせない状態という意味と、借金がどっさりあってどうにもならない状態という意味がある。腹が痛いといえば、お腹がシクシク痛む腹痛の症状という意味と、自腹を切る(人の分まであえて自分で負担する)という意味がある。
 
 風が吹けば桶屋が儲かるということわざがあるが、アメリカが躓けば日本が転ぶということわざはない。しかし、アメリカ証券4位のリーマン・ブラザーズが経営破綻したら、日経平均株価が急落した。なんと605円も下がって1万1609円72銭だ。
 私のやっている投資信託はもう目も当てられない。解約したくても、こんなに損をしたままで解約するのはしゃくである。だからって、どうにかなりそうな目途もない。かつてはノートパソコンが買えるくらい上がったときもあったというのに。
 今日の私は、ふたつの意味で頭が痛い。
2008年9月16日 19:30 | コメント (0) | トラックバック (0)

本をもらう

「コルシア書店の仲間たち」(文春文庫)
「ヴェネツィアの宿」(文春文庫)
「ユルスナールの靴」(河出文庫)
「ミラノ 霧の風景」(白水Uブックス)
「トリエステの坂道」(新潮文庫)
「地図のない道」(新潮社)
「文藝別冊 追悼特集 須賀敦子 霧のむこうに」(河出書房新社)

 以上すべて須賀敦子さんの著作と追悼特集だが、図書館で借りてきたのではなく、ある人からそっくり譲りうけた。「霧のむこうに住みたい」を読んだあとその話をしたところ、よかったら譲ってもよいという。ではでは、と譲り受けたという次第。古希も過ぎたその人は、少しずつ身の回りの整理を始めているらしい。大切にしますと言って、蔵書印入りの7冊を譲ってもらった。

 先日来ずっと同じ人の本を読んでいる。さすがに、疲れた。でも、少しだけと読み始めると、ついつい読み耽ってしまう。イタリア関係というだけで、これまで手を出さずにきた本に、これほどまでにとらわれることになろうとは…。
 体験をそのまま書くのではなく、長い時を経てから書かれたせいか、それらは時を超え、エッセイでありながら物語に昇華しているかのようだ。 
 「ミラノ 霧の風景」を読み終えて、「コルシア書店の仲間たち」を読み始めたところ。文春文庫本のカバーには舟越桂の彫刻が使われている。そうとは知らずに、金曜日には東京都庭園美術館の舟越桂展へ行く予定を立てていた。
2008年9月15日 10:00 | コメント (0) | トラックバック (0)

計り知れない長寿国

 孫が古希、娘が米寿で 私は茶寿…これは養命酒の広告に載っていた。20歳で産んだ娘が18歳で子を生んだ結果だ。寿命が延びれば十分にありうることなのだ。しかし、それはそれで、大変な社会だろうなぁと思う。

 カツオ、36歳。ワカメ、34歳。タラオ、28歳。イクラ、26歳。これはグリコの広告にあった。漫画ではいつまでも年をとらないが、実際に年をとれば、36歳のカツオもいるわけだ。しかし、相変わらず、野球のボールで窓ガラスを割ったのはカツオだ!というのがおかしい。

 明日は中秋の名月、その翌日は敬老の日。ますます日本人は長寿となる。喜ばしいばかりではない現実を、次期総理大臣はどうするのだろうか。
2008年9月13日 18:10 | コメント (0) | トラックバック (0)

結果優先?

 わぁ〜、なんてさわやかな天気だこと!と喜んだのは夢だったのか、今日はまた暑い。秋の虫も鳴き始めたというのに、ね。
 光文社古典新訳文庫の、ドストエフスキー・原作/亀山郁夫・訳「カラマーゾフの兄弟」が全5巻合わせてミリオンセラーとなったらしい。101万部だという。へっ?という感じ。asahi.comによれば、それは「父親殺しをめぐるミステリーの中に哲学的な問いを織り込んだ、19世紀ロシア文学を代表する大長編」なのだそうだ。私はてっきり、「生についての哲学的な問いの中に父親殺しというエピソードを織り込んだ、ドストエフスキーの代表作」だと思っていた。ものの見方は人それぞれ、ものは言いよう…といってしまえばそれだけのこと。

 「イラクで空輸支援活動をしている航空自衛隊を年内に撤収させる」という降って湧いたような報道。ゴリゴリゴリと論理にならない論理を振りかざしものものしく海外派遣させた自衛隊を撤収するには、論理も何もいらないようだ。さまざまなことがいわれているようだが、つまるところは「アメリカはイラクの駐留米軍を来年2月までに約8千人削減するらしい」から、それじゃぁ日本の自衛隊も…と?
 航空自衛隊が首都バグダッドに多国籍軍を空輸していることについて、「憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」と判断した名古屋高裁の判決内容も、イラクに派遣されている航空自衛隊が撤収されれば、済んだこととしてあっさりと水に流されるのだろう。
 私たちは、ご苦労様でした、お疲れ様でした、と労をねぎらって自衛隊員を出迎えることを求められるのだろうか?悪いけれど、私はとてもそんな気にはなれない。
2008年9月12日 10:30 | コメント (0) | トラックバック (0)

月の裏側

 つい先日までは暑い!あつい!アツイ!といっていたのに、このところ秋らしいさわやかな天気が続いている。今朝の風は少々肌寒いくらいだ。昨夜の月は、酒井抱一 の「秋草鶉図」に描かれている月のようだった。そういえば満月も近い。今年は14日が中秋の名月だそうだ。輝く月はきれいだけれど、じっと眺めているとなんだか怖くなってくる。宇宙の広さを想像すると、私が月を見ていることが怖くなる。

 大型ハドロン衝突型加速器(LHC)とかいうもので、小さなブラックホールを作ろうとしている人たちがいるらしい。宇宙の起源を解明したいと思うのは科学者にすれば当然のことかもしれないが、もし実験によって小さなブラックホールを作ることが可能となれば、より大きなブラックホールを作ることも不可能ではないとなるのかもしれない。それってなんだかとても怖いことのような気がする。
2008年9月11日 9:20 | コメント (0) | トラックバック (0)

祭りの後先

 あれよあれよというまに、総裁選に立候補する人が5人にもなった。普段の国会では起きているのか寝ているのかわからないような人々が、突然生き生きと動き出す。どの顔にも、自分こそが総理大臣になるんだという野望がぎらぎらしている…ように、私には見える。
 
 イヤになるほど次から次へと問題が生じている今の社会をどうするのか、どうにかする知恵や英知や決断力や実行力があるのかないのか。今現実にある問題のひとつひとつについて、自分はこう解決していくという具体策を述べて欲しいものだ…と、私は思うのだが。

 アソウさんが本命視されているといわれているが、あのような人が総理大臣では心もとない。では誰ならいいのか…といわれても、魅力的な政治家はいない。困ったね…
2008年9月10日 9:05 | コメント (0) | トラックバック (0)

夢見る年頃

 9月になったばかりだというのに、東京ディズニーランドでは年越しイベントの「カウントダウン・パスポート」の販売受け付けを開始したというのにも驚いたが、その料金が4歳以上均一で1万5千円だと知ってあきれ果てた。4歳といえばまだまだ幼児である。そんな幼児に1万5千円も払えと言うディズニーランドのどこが夢の国だというのだろう。暴利をむさぼる…といっては言い過ぎだろうか。そもそも4歳の幼児が、年越しパーティーに参加するなんてどういうことなのだろう。「とっとと寝なさい」という時間ではないか。

 そんなことをうじうじ考えていたら、夕刊には「夢見るおとなに、なりましょう」という広告が出ていた。45才以上の仲良し3人以上なら、期間限定平日限定でひとり4500円(通常より1000円引き)にするという。45歳以上のいい年をした大人がグループでディズニーランドに遊びに行くなんて、私には到底想像することすらできない。
 娯楽の少なかった時代、私とて子どもの頃はディズニーの映画を楽しんだ。でも、大人になってまでディズニーランドという仮想空間(作られた夢の国)で遊びたいとは思わない。

 「ジュリアナ」が先日、東京都内で一夜限りの復活をしたという。40歳代の女性たちが、再びお立ち台に上がったそうだ。思い出は、過去に置き去りにするからこそ思い出となり永遠に残るのだ。ところが近頃では、思い出は作るものであるらしく、さぁ思い出を作りに行きましょうとばかりに、「夢見るおとな」になったり思い出を再現したりするらしい。なんとも、おかしな話だこと…。
2008年9月 9日 15:25 | コメント (0) | トラックバック (0)

お遊びの時間

 占いというほどのものでもない、軽いお遊びがいろいろある。そのひとつ、「ウラ県民性診断」なるものをやってみた。結果は…

 * あなたの県民性は、「洗練されてセンスがいい○○の女性」 ○○は私の出身県
 * 性格からみたウラ県民性は、…北海道タイプ 「実は、わたし、開放的で好奇心旺盛な、北海道の女性でした」
 * ウラのあなたと相性の良い男性は、1.スマートだけど頭でっかちな東京都の男性 2.知的で新しいものが好きな神奈川県の男性 3.親切、温和でマイペースな埼玉県の男性  (う〜ん、早まったか…)
2008年9月 7日 8:35 | コメント (0) | トラックバック (0)

気になる事柄

 昨日の午後は、BSテレビで映画「白夜」(ルキノ・ヴィスコンティ監督 1957年)を見た。原作はドストエフスキーの短編小説(読んだ記憶はない)だというが、映画の舞台はイタリアの小さな港町である。ほとんど動きのない映画だった。運河に架かる橋とわずかな店、細いさびしい通り…それだけだ。
 物語の筋は他愛ないといえば他愛ないのだが、映画としては、それが1950年代のものだと思えばけっこうおもしろかった。何に関心を持って観ていたかといえば、特別イタリアに関心があるわけではないのだが、街並みや人びとの様子である。

 夜は、「地図にない道」(須賀敦子・著 新潮社 1999年)に収められた「ザッテレの河岸で」を読んだ。そのなかに、『どこに行っても大小の運河やカッレと呼ばれる暗くて細い石畳の路がせせこましく入りくんでいて、迷路にまよいこんで出られなくなったような気にさせられてしまう(後略)』という描写があった。また、『ヴェネツィアには、土地の人がリオと呼びならわしている細くて小さな水路に架かった、反り橋というのだろうか、舟が下をくぐって通れるようにやさしくふくらんだ形の、そして上を通る人のためにゆるい段々のついた橋が無数にある』という描写もあった。それらは、昼間に観た映画の世界そのものだった。

 本はさらに続く。そんな橋のひとつのそばに、細い水路の名前が書かれていたという。その名前は「リオ デリ インクラビリ」、”治癒の見込みのない病人”という意味だという。著者はその名が心に引っかかり、その由来を探し求めていくことになるのだが、そのなかで、著者は次のように書いている。
 「本を読んだり道で見たりしたその瞬間には、あ、そうか、ぐらいで済むのだが、どういうものか、それからまもなく、たとえば数日とか数時間、ときには数週間をおいてから、こちらの意志とはまったく関わりなく、ふたたびおなじ事柄に別の本のなかでばったり出会ったりして、自分ではほとんど忘れかけていた興味なり感動なりが、再度、喚び覚まされるのだ」と。

 テレビで古いイタリア映画を観る気になったのが偶然なら、その夜「地図にない道」の最後の部分の「ザッテレの河岸で」を読んだのも偶然なら、それがリオと呼ばれる小さな反り橋に端を発した話だったのも偶然だ。だが、それらはすべて私のなかで繋がり、映画の印象がより鮮明になり、本のなかの世界がよりありありと目に浮かぶようになり、1950〜1960年代への関心がより強くなっていった。
2008年9月 6日 9:53 | コメント (0) | トラックバック (0)

Neverland

 東京ディズニーランドでは、今月から「他のお客様のご迷惑となるおそれのあるものは持ち込みをご遠慮ください」というもののなかに、三脚等の撮影機材が追加されたそうだ。「安全のためパーク内への一脚・三脚・ハードケース等の撮影機材の持ち込みはご遠慮いただいております」のだという。

 「 東京ディズニーランド/東京ディズニーシーからのお願い 」を読むと、まぁ、次から次へとアレはダメ、コレもダメ、と書いてある。私は東京ディズニーランドは嫌いだし、行かないからどうでもいいのだが、「すべての方に楽しく快適にお過ごしいただく」ためというより、「夢のディズニーランドを維持するため」にとはっきり言ったほうがいい。食べ物や飲み物を持ち込むな、携帯電話の使用は遠慮しろ、子どもを迷子にするな、入園にふさわしくない服装はするな、キャストへ贈り物はするな、刺青をしている人は上着を着用せよ…etc.あるはあるはというほどある。

 どんな場所にもマナーは必要だろうし、礼儀も必要だろうし、常識も必要だろう。そんなことはいうまでもないことで、いちいち皆様へのお願いと書き連ねる必要などないはずなのだが…。いっそのこと、入園者は皆ディズニーのキャラクターの扮装をすべし、なんてことにしてしまえば?写真は、ディズニーランドのスタッフが注文を受けます、ということにすれば、一脚・三脚・ハードケース等だけでなくカメラそのものを持ち込み禁止にできるではないか。ついでに、ディズニーランドにけちをつける者、ディズニーランドが嫌いな者は入園お断り、とすればいい。
2008年9月 5日 13:36 | コメント (0) | トラックバック (0)

好み

 けっこう気に入っていた時計が壊れた。イケアで、驚くほど安かった(たしか150円だったかな)。いわゆる100円ショップにあるようなかんたんな時計だが、手ごろな大きさでデザインはかなりおもしろい。色違いで2個買って、洗面所とトイレにかけてあった。壊れたのはブルーの洗面所で使っていたほうだ。

 我が家にはかなりの数の時計がある。洗面所、トイレ、キッチン、リビング、各個室に掛け時計があり、そのうえ各自が2個の目覚まし時計を所持している。目覚まし2個というのは必需品(時間差で鳴るようにセットする)だし、洗面所、トイレ、キッチンの時計も必需品だ。リビングにはやはりひとつは欲しい…となると、こういうことになる。
 時計は時間を知るためのものであるが、それ以外にも時間を計ることにも使えるし、何よりインテリアとしての意味も無視できない。

 早急に必要な洗面所の掛け時計を買った。「CASIO 掛け時計 IQ-68-8JF アナログタイプ」というもの。直径が35cmというのは少々大きすぎるのだが、デザインが気に入ったので良しとした。他人からみれば、このデザインはいかにも私好みなのだそうだ。「ktsさんってどんな人なのだろう?」とちょっとでも興味をもたれた方は、この時計をみれば少しはイメージできるかも…。もっともそんなこと知ったところで、何の役にも立たないけれど。
2008年9月 4日 12:44 | コメント (0) | トラックバック (0)

余韻を書く(つづき)

 また、須賀敦子さんの本の話。余韻を表現する文体の話。

「地図のない道」を、昨夜から読み始めた。「1943年、10月16日」(ジャコモ・デベネデッティ 著)――ローマのゲットからユダヤ人がナチに連行された事件について書かれた記録ふうの作品――について書いているところに、次のような1文がある。少し長くなるが引用すると…
(前略)権力を手にしたひとにぎりの人間が、おなじ人間仲間を死に追い詰めていく状況が、切りつめた、格調の高い文体で記されている。文章がとぎすまされているだけ、悲劇の大きさが客体化され、状況の救いのなさに胸がふさがる。究極的にいって、デベネデッティの文章のすばらしさは、この迫害の記録が、政治批判のレベルや個人的な創作の基準をこえて、貧しいローマのユダヤ人をおそった悪夢のような不幸を悼む、無数の人びとの悲しみの合唱となっている事実にあって、そのことが読むものに深い余韻を残す。(後略)

 須賀敦子さんという人は、自分の文体を確立することを真剣に考えていた人のようで(別のところにそのような意味合いの記述がある)、それだけに、他の人の作品を読んだときにも、その文体に関して敏感だったのだろうか。
2008年9月 3日 9:15 | コメント (0) | トラックバック (0)

白昼夢

 またしても首相辞任。やる気がなくなったからやめますというのも、もうできないのでやめますというのも辞任の理由にはなるだろうが、他の職業や役職とは違って日本の総理大臣なのだから、命の限り、命がけで責任を全うしようという気概がほしい。
 次の総理大臣がどのように選ばれようと、どのような人がなろうと、また同じことの繰り返しだろう。なぜなら、住みよい社会を作ることが目的ではなく、権力者になることが目的(いずれは総理大臣に…と政治家を目指すのは、つまりそういうこと)の政治家ばかりが出てくるのだから。

 民主党が与党になったところで同じこと。ここは、大胆に、ばっさりと、これまでのものを切り捨てて、文字通り一から出直すしかないような…気がする。どちらを向いてもどうにもならない、どうしようもない、この社会を変えるためには。

 たとえばだが、こんなのはどうだろう…。
今ある政党はすべて解散して、新しい政党をいくつか作る…というのは? 新しい政党には、なだいなださんの老人党、20代30代で構成する若者党、まだまだ低い女性の社会的地位向上を目指す女性党、2世3世政治家ばかりの世襲党、なんでも変えたいと考えている改正党…など。そして、与党野党という構成ではなく、すべての党の中から代表者を選んで総理大臣とする(この場合は単なる代表者、実質的にいろいろなことを決めていくのは各党の合意でということに)…とか。

 そんなふうにすれば、無意味な勢力争いなどにうつつを抜かす間などなくなるし、国会は本来の議題中心の議論ができるだろうし、いいのでは?…………などと、朝っぱらから白昼夢をみた。
2008年9月 2日 9:18 | コメント (0) | トラックバック (0)

余韻を書く

 「トリエステの坂道」(須賀敦子・著 みすず書房)を読み終えた。なんと余韻に満ちた文章なのだろう。読み終えた後の充実感にひとり驚く。ひとつひとつの随筆はせいぜい10数ページから20ページくらいのものなのに、そのひとつひとつの向こうにはその10倍も数十倍もの世界が広がっている。

 著者が暮らしたイタリアの、そこで出会った人々の暮らしの、ほんの一端を描いているだけのはずなのに、その誰彼の、人となりから一生までがくっきりと浮かび上がってくる。取り立ててどうということのない、ごく普通の、多くの人がまだ貧しかった頃の誰彼が、近づきすぎることもなく突き放すこともなく、程よい距離を保ちながら描かれている。

 チェロの演奏をホールでまじかに聴いたとき、余韻もまた演奏されるものなのだと知ったが、余韻はまた書き表わされるものでもあったのだ。
2008年9月 1日 15:15 | コメント (0) | トラックバック (0)