サンヤツ

 朝刊を見るとはなしに見ていると、見慣れない言葉が目に付いた。”今日のサンヤツ”って、サンヤツってどういう意味?…と思ったら、3段8割広告の通称だという。そんな業界の通称をアタマにもってくるなんて、もはや内も外もないではないか。
 朝日新聞の”今日のサンヤツ”は4月から始まったそうだが、この私は今日初めてサンヤツという言葉の存在に気がついた。なんてこった!!

 その”今日のサンヤツ”にあった、「カレンダーから世界を見る シリーズ:地球のカタチ」(中牧弘允・著 白水社)がおもしろそうだ。図書館にあるだろうか。読んでみたい。「生る(なる)―生命誌年刊号 vol.53-56」(中村 桂子・編 新曜社)も気になる1冊だ。

 ところでその”サンヤツ”だが、検索してみると出るわ出るわである。白水社の「クラブ白水社」という社員のコラムのバックナンバーにも、”かんたんサンヤツ講座”があった。なんてこった!!今日の今日まで知らなかったのは私だけか?最近の新聞は活字が大きくなり段組も変形しているというのに、読者にまで業界用語を使わせてどうするつもり?なのだろう。私はこういうのがとてもいやなのだ。業界用語をなぜ巷に出まわらせるのだろう。何の必要があって…?
2008年7月31日 12:14 | コメント (0) | トラックバック (0)

流されず、足を踏ん張って

 昨日は、昼に横浜で雷雨、夜には東京で…と局地的に大雨が降ったのに、私に住む地域にはなかなか降らない。それでも、今朝は少し気温が下がっているようだ。北側の窓からは意外に冷たい風が吹き込んでいる。もういい加減にしないと、本当に怒るよっ!とでもいいたくなるような暑さ続きだった。もう1週間もすれば立秋だ。本当にいいかげんにしないと、怒るヨ。
 
 いいかげんにして欲しいものが他にもある。何かというと、関係者によって設置される献花台である。「四十九日」が過ぎたからと、千代田区が設置していた秋葉原の献花台が撤去されたそうだ。路上に献花していく人が後を絶たないから区が献花台を設けたのだろうが、こういう慣例はもういいかげんにして欲しいと私は思う。被害者の家族がその場に献花するのはわかるが、赤の他人(というのが言い過ぎなら一般人と言うが)までがその場に献花するのは理解できない。そういう人々は、マスコミが注目していなくても、わざわざその場に出向き献花するのだろうか?世間から注目されたいとだいそれた事件を起こす人たちと、根は同じではないか…と私には思えてならない。

 千代田区は慰霊碑の設置を検討しているという。事件を忘れ去るのがいいとはいわないが、慰霊碑もいいかげんにして欲しいと思う。「事件が風化するのを少しでも防ぐよう、何か別の形でも献花台の代わりになるものを設置してほしい」という人(40歳の会社員)もいると産経新聞の記事にはあるが、私たちがすべきことはそのような事件を起こす人が出ないような社会を作っていくことだ。誰かに何とかして、何かしてというのではなく、「事件が風化するのを少しでも防ぐ」(…というより、類似の事件が起きないようにするといったほうがいいような気がするが)ため何かをするのはあなたの役目ですよと、その会社員には言いたい。

 8000を超える花束、1万本以上のペットボトルや缶ビールなどの飲み物、段ボール26箱分の手紙や折り鶴など、それらは区の職員が片付けたという。花や飲み物を供えた人たちは、それらの行く末を考えたうえでのことだったろうか?献花台を設けたのは区なのだから、区が片づけをして当然…といってしまえばそれまでだが。
2008年7月30日 8:44 | コメント (0) | トラックバック (0)

クラシカル

 猛烈に暑い。どのみち早起きをしているのだからと、家事はさっさとせっせと8時半までには済ませる。その頃には、南向きのベランダはすでに33℃を越す。大雨で洪水が起きたりしている地域もあるのに、このあたりは一向に雨の降る気配がない。ベランダの花は朝には瀕死状態である。慌てて水をどっさり与えると、やっと息を吹き返す。
 夏休みだ、海だ、山だ…というのは、もう終わりにした方がいいのかもしれない。突風でテントが飛び、川は急激に水かさを増し、人々に襲い掛かる。そうでなくても、暑さで熱中症になる人が多い。きっと、地球は変化してしまったのだろう。それにあわせて生活の仕方、季節の過ごし方を変える時がきたのかも。

 今日の朝日新聞be Extra Booksは、1968年生まれの作家と1981年生まれの女優の対談だ。その年齢を見ただけで、読むのをやめてしまった私はもうトシだなぁ…。対談の次は、「小説にみる愛のかたち」というテーマで恋愛小説の紹介だ。人間そのものを描くなかでの愛のかたちであればいいが、恋愛だけを扱った小説は好きではない私は、やっぱりもうトシかもねぇ…。
 その次のテーマは、北京オリンピックが10倍(誇大広告だねぇ?)楽しめる「読む五輪」だ。オリンピックはもちろんスポーツ全般に関心のない私は…パスしよう。

 最後のテーマは、書店員に聞く!クラシカル文学への誘い(”さそい”ではなく”いざない”と読んだ?)だ。クラシカル文学という呼び方に、のけぞってイスから落ちそうになった私は完全にトシだぁ…。
 出版社が本の宣伝をする時代から、書店員が本の宣伝をする時代に変わってしまったのか。出版社が宣伝するのは「良い本作ったから読んでね」ということだと思うが、書店員が宣伝するのは「この本おもしろいから買ってね」ということだろう。意味がかなり違うように思うが、最近では同等に扱われるようだ。
 それにしても、それにしても!クラシカル文学だなんて…!!なぜ古典文学といわないのだ?

 クラシカル文学などと口にする書店員さんの本の紹介文は、内容にも驚くものがある。たとえば、谷崎潤一郎の「 痴人の愛」。「ナオミはサドに河合はマゾに…もはやギャグ」であるとか、「直情的な変態をめでる気持ちが透けて見えるよう」であるとか書いてあるのだ。こういうふうに書くと若い人は、ひとつ読んでみようかという気になるのだろうか?
 be Extra Booksで紹介されていた数多くの本のなかに、1冊として読んでみたいと思うものがなかった私は、かび臭い古典文学の中でしか生きられぬのか?
2008年7月29日 8:32 | コメント (0) | トラックバック (0)

毎日が同窓会

 長年聴き続けてきたNHK-FMがつまらなくなった。まるで毎日が同窓会のよう…。せっかくの日曜日の朝も同窓会的番組である。その名もミュージックメモリー。あの頃はどうだった、こうだったばかりだ。あるいは裏話の披露。いまどきラジオ(特にNHK)を聴くのは中高年と決め付けているかのように、思い出の〜、懐かしの〜、昭和の〜ばかりである。

 月に1度になってしまった日曜喫茶室も、今日のテーマは「思い出の黒澤明監督」。ここもまた思い出の〜である。なんとかならないものだろうか…。午後の番組サンデークラシックワイドは、特選アラカルト(N響と共演したソリストたち)だというから少し期待できる。

 …が、夜7時のニュースの後のサウンド・ミュージアムはまた懐かしの〜である。10時まで延々とグループサウンズだ。『今、定年退職を期にあらためてギターを買い青春時代の音楽を再発見する60台の人が増えています。そうした音楽ファンのみなさんの期待にお応えするべく云々』、『進行は、当時まさに青春時代を過ごした誰某誰某…、彼らでしか話せない当時のエピソードなどを振り返ります』って、同窓会そのものではないか。
 「ブルー・シャトウ」は、私の記憶の中では修学旅行の列車のなかとしっかりと結びついている。これでは私も同窓会の仲間ではないか。私は、毎日が同窓会なんて嫌だ。今日を生き、明日を想い、過去はトランクにつめて鍵をかけておきたい。
2008年7月27日 9:20 | コメント (0) | トラックバック (0)

朝刊は5時には配達されている

 モノは言いよう…というが、千葉商科大の来年開設予定の新学部では、1限時の開始時間を10時40分にするという。10時40分といえば、4時半起床の私にとってはひと仕事もふた仕事も終えたお昼前だ。そんな時間に開始することにした理由というのが、いかにも…と思わせるものである。
 「新聞をじっくり読んで、メールをチェックをして、朝食もきちんと摂って、遅刻などということがないように余裕を持って講義に出てもらいたい」のだという。「甘やかすなという批判もあったが、学生が4年間しっかり勉強できる環境を優先した」というのが学部長になる予定の教授の言い分だそうだ。

 「しっかり勉強できる環境を優先」と言えば聞こえもよく良いことのように思えるが、はたして本当にそれが学生のためになるのかどうか、もう少し慎重に考えたほうがよさそうに思える。
 前夜のアルバイト疲れで居眠りをする学生がいるからとか、朝食抜きで来る学生がいるとか、講義に必要な新聞をじっくり読むという時間を確保するためとか、いかにも「学生のためになるよう考えています」ということのようだが、その「学生のためになるよう考えています」ということ自体が、本当はとても重大な問題をはらんでいるのではないか。
 
 近頃流行の若い人による犯罪は、乱暴な言い方をすればほとんどが、なんでも自分のためにしてくれて当たり前と思っていることが原因になってはいないだろうか。なんでも自分のためにしてくれて当たり前のはずが、親も、先生も、上司も、社会もそうしてくれないということに対するいわれのない逆恨みが、犯行の動機になってはいないだろうか。「学生のためになるよう考えています」ということ自体が、本当はとても重大な問題をはらんでいるのではないか…という観点を忘れたらどういう結果になるか、想像力を働かせてみる必要がありそうだ。
2008年7月26日 16:09 | コメント (0) | トラックバック (0)

こんな時期にトウキョウへ?

 朝の9時過ぎに駅へ行くと、プールにでも出かけるような親子連れや、若い人たちのグループがあちこちに見られた。そうだった、世の中は夏休みなのだ。夏休みといえば、さまざまなイベントがある。それはそれでいいが、どれもこれも自由研究の助けになりますよぉ〜と言っているみたいなところがちょっとね。

 FUJIFILM SQUAREの1Fギャラリー「PHOTO IS」では、『栗林 慧写真展〜躍動する小さな生命たち〜』を開催しているという。これも夏休み子ども向けイベントのひとつかもしれないが、ちょっと興味を引いた。「見てみたい」という気にさせるものがある。ここにその一部が紹介されているが、とてもおもしろそうだ。ミツバチの写真はとても迫力があるし、コスモスの花の上を飛ぶウスバカゲロウの写真はなんとも神秘的だ。

 観に行こうかなぁ…と本気で心が動いたが、こんな暑いときに東京の、しかもミッドタウンまで行くのはねぇ…、8月も20日を過ぎれば少しはしのぎやすくなるだろうか?どう思いますぅ〜?
2008年7月25日 15:26 | コメント (0) | トラックバック (0)

きょうも晴れ

 夜中の地震は怖かった。震源地からはかなり離れているはずなのに、けっこう長く大きく揺れた。すぐにラジオをつけたが、緊迫した声が震度6強だと伝えていた。怪我人も多数出たもよう。気象庁自慢の緊急地震速報は、揺れの特に大きかった多くの地域で役立たずだったかも。緊急地震速報は理想であり目標ではあるだろうが、まだまだ実用的とはいえないようだ。

 そんな夜が明けると、またまた暑い1日が始まった。この日差しの強さは何なのだろう。全く人の気配ない都会の真昼は、なんと不気味なことか。暑さのせいだと思うが、毎日のように耳鳴りがする。そろそろ限界かも。ほんの1日でも、ほんの少しでも気温が下がればひと息つけるのに…。
2008年7月24日 14:59 | コメント (0) | トラックバック (0)

コピペの時代

 すばらしくというか、すさまじくというか、驚くほどというか、想像を絶するというか、連日の暑さをどう形容すればいいのか…、とにかく暑い。夏は暑いに決まっているでしょ?と言っていられたのは、いつの頃までだったろうか。
 暑さのせいで思考力が落ちるのは仕方がないにしても、もう少ししっかりと自分の頭を働かせて考えたほうがいいのでは…と思うようなことが多い。「また」とは言いたくないが、八王子の駅ビル内で無差別殺人事件があったという。

 新聞の報道によれば、容疑者は「仕事がうまくいかず、両親に相談したが、のってくれなかった。無差別に人を殺そうと決意した」と言っているというが、自分の人生をどう考えているのか聞いてみたい気がする。33歳にもなって、「ああ、よしよし、ぼくちゃんなにも悪くないのにねぇ〜、悪い会社だねぇ、世の中が悪いんだよねぇ、よしよし、パパが(あるいは、ママが)何とかしてあげますよぉ〜、ほんと、かわいそうにねぇ〜」とでも言ってもらいたいのだろうか?

 「仕事がうまくいかない→両親が相談にのってくれない→誰でもいいから人を殺してやれ」という思考パターンは、どこからどのようにして引き出されるのだろうか?
 そこには自身の思考などまるでないように、私には思える。最近は大学生のレポートも小中学生の読書感想文もコピペ(他人のものを丸写し)だらけだという報道があったが、近頃は自分の人生までコピペで済ませてしまう人が増えたのだろうか。
2008年7月23日 8:41 | コメント (0) | トラックバック (0)

もう要らないわ…

 このところの食品の値上げは尋常ではない。日に日に値上がりするものが増え、その値上がり率も上がっていく。この間までは特売日には100円だった竹輪5本入りが250円だなんて、もう要らないわ…と言うしかない。毎朝1枚ずつ食べる食パンは、6枚切りではなく8枚切りのものを買う。

 先日、ハウスのレトルトカレーを食べたのだが、新製法とやらでカロリーを抑えました云々と書いてあったが、何のことはない、原材料高騰にかかわらず値段据え置きで製造販売するための奥の手に過ぎない。健康志向のあなたにぴったりでしょ?と言いたげだが、あれではカレーではなくカレーもどきだ。
 値上げをしていないものは、内容量が微妙に減量していたりする。ひとりでは食べきれないほどだったポテトチップスが楽に食べてしまうくらいの量に減っていたりする。

 あからさまに値が上がっているものは「もう要らないわ…」と思い、値段据え置き内容量減量のものは「なぁに?これ…」と不満が残る。1本あたり5g(約17%も?!)も減量した竹輪だなんて、竹輪にダイエットさせてどうするの?…だ。
2008年7月21日 13:09 | コメント (0) | トラックバック (0)

暑さのせい?

 今日も暑い。梅雨も明けた。ジメジメからは開放されるが暑さには変わりない。暑いのは苦手…。夜中に3度も目が覚めた。3度目に目が覚めた後、まだ早いのでもう一度寝たのがまずかった。寝起きに夢を見た。いつもの道に迷う夢ではなく新種の夢だった。バッグを電車に置き忘れた夢。駅員に届け出ても見つからず、銀行へ走る夢。銀行4行、カード会社2社、健康保険証カードに市民カードにエトセトラ。考えてみれば、私は全財産を持ち歩いているようなものだ。血の気が失せた。
 家に置いておけば空き巣の心配がある。持ち歩けば紛失の心配がある。困った。どうすればいいのだ。確かに、カード類をすべて持ち歩く必要はないかもしれない。持ち歩くのは半分にしようか…。

 暑さのせいではないだろうが、世の中がどうもおかしい。あちらで子が親を、こちらで親が子を、またあちらでは祖父母が孫を、孫が祖父母を、またこちらでは夫が妻を、妻が夫を、殺し合っている。明確な原因がある場合もあれば、そうでない場合も…。本人がそれなりの動機を述べたとしても、本当にそれが原因なのかどうかは誰にもわからない。

 私はあなたを殺さないからあなたも私を殺さないでね(また、私はあなたの物を盗まないからあなたも私の物を盗まないでね等々)という関係で成り立つのが社会だ。殺すか殺されるかという関係しか存在しないなら、それはもう社会とはいえない。そういう意味では、現在の社会はもう完全に崩壊している。どうすればいいのだ。

 とりあえずは誰もが正直に生きることくらいしかないかも。なかなか難しいことではあるが、自分自身に対しても人に対しても正直に…。勝手にうねりだす社会の波に身を任せていてはだめということかも。

 そういえば、エコ!エコ!エコ!というのも勝手にうねりだした社会の波のひとつ。「本から広がる、私のエコチャレンジ」という「eco読」キャンペーンがあるらしい。エコに関する本を読んでエコを実践しようということらしいのだが、新聞に載っていた「eco読キャンペーン」対象の本のなかに武田邦彦さんの著書はなかった。やはりね…。
2008年7月20日 9:59 | コメント (0) | トラックバック (0)

逆らう

 家庭ゴミ排出量の減量ために、『リデュース(発生抑制)への転換の象徴的な存在としてレジ袋に着目した』というのが環境省の言い分だ。ここには、「レジ袋は持ち帰ったらすぐにそのまま捨てられてしまうものだ」という認識がある。そして、一人当たりの1日の利用枚数などから計算して、レジ袋を撲滅したらこれこれこれだけのゴミの量が減るという結論に達したのだろう。しかし、実際にはレジ袋はさまざまな用途に再利用されているという認識が欠落している。
 このように、ただの計算にだけ基づいて考え出された施策を政治的という?政治の話なのだから効果のほどは問題ではない?やりましたよ!ということに意義がある?

 未成年者の喫煙防止対策の一環だというタスポにしても、政治の話でしかないようだ。振り込め詐欺防止のための携帯電話の契約数量の規制もそう。サングラスや帽子を深くかぶっている人はATMを利用できないようにしようというのもそう(いずれは、監視カメラに顔を向けてニコッとするなり手を振るなりしてからでなければATMが使えない…なんてことになるかもね。以前のように、窓口でお金の出し入れをすれば解決するのにね)。

 本気で社会をよくしたいとか環境をよくしたいとか思うなら、国に逆らうしかないかも…?
2008年7月19日 9:56 | コメント (0) | トラックバック (0)

暑い?暑い!

 暑い!
 ばてた…。
 頭の回転、停止
 感性、錆びつく。
 食欲、消滅
 気力、減少。
 アイスクリーム、山ほど食べたい。
 野良ねこさん、げっそり夏痩せ。
※ ※ ※

 「毎日jp」の記事:<特集ワイド>そのエコ、本物?! 「数値で効果」検証を…に関して
 やっと「最近流行のエコはエゴ」という話題が取り上げられるようになったか…という感がある。環境省がいうところの「1人当たりの家庭ゴミ排出量の減量」が目的なら、20ℓの指定ゴミ袋を作って販売した方が、レジ袋削減(撲滅)よりもっと効果的である。可燃ごみの収集は2日に1度である。20ℓの指定ゴミ袋があれば、我が家の1回に出すごみの量は20ℓに抑えようなどといった目標が立てやすい。目標が立てやすいということは、実践しやすいということでもある。今の指定ゴミ袋の主流は45ℓである。少人数の家庭や一人暮らしには、あまりにも大きすぎる。
 政治の話と理論に基づいた話は確かに次元は違うが、「環境問題」を政治の話だけで片付けていいものなのかどうかということでは…?
2008年7月18日 8:46 | コメント (0) | トラックバック (0)

不具合

 iPodを充電するためにiTunesを開こうとすると、「iTunes 7.7をアップデートできます」という表示が出た。インストールしなくてはいけないものかと思い、さっさとインストールすると具合が悪くなった。よく読みもせずインストールしたことを後悔してもすでに手遅れ。iTunesが終了できないのだ。ウンともスンともいわない。仕方なしに強制終了したのだが、毎回これでは困る。

 検索してみてわかったのだが、「iTunes 7.7」は例の“iPhone”のためのものらしい。私には必要なかったのだ。『v7.7のバージョンアップ内容は“iPhone”“iPod touch”関連のみなので、“iPhone”“iPod touch”を利用していない場合はアップデートを控えた方がよいだろう』と窓の杜には書いてあるそうだが、窓の杜など見ない私が悪いのか…。慎重さを欠いた自分自身は棚に上げておいて、困るわねぇ…とこの文句をどこへ持っていこうか。
※ ※ ※

 “iPhone”に続けとばかりに?タッチパネルを搭載した製品が増えているとか。「電子機器の操作を簡単にするタッチパネルはメカに弱いシニア層にも便利」と言われているそうだが、私は嫌いだ。きちんと手ごたえのあるボタン式がいい。銀行のATMのタッチパネルがまともに操作できたことがない。荷物が画面に方にはみ出すと荷物をどけろといれるし、画面が見にくく前ががみになって操作すると頭をどけろといわれる。メカに弱いシニア層にも便利…って、どこが?と思う。
2008年7月14日 12:47 | コメント (0) | トラックバック (0)

言葉の”新”使い方

 経験値なる聞きなれない言葉が、郷秋の独り言にあった。その土地に住んだ事があるか、泊まった事があるか、通過した事があるかというこというらしい。それを数値化してランキングを出すというちょっとお遊びっぽいものだった。どんなもんだろうかと試しに私もやってみると、86点程度だった(程度というのは、子どもの頃の記憶はあいまいで正確ではないから)。

 ほとんど旅行というものをしない私にしては点数が高いのは、生まれは関西、幼児期に長崎に2年ほど住み、学生時代は京都、結婚してからはふたつ(中部地方と関東地方)の県を流れ住み…、私立中高に行ったせいで修学旅行は九州半周、東北横断とけっこう豪華だった…ということなどが影響している結果だろう。全く縁のないのは、山陰地方と東北地方の日本海側と北海道・沖縄である。
 私にはあまりというより全く関心がないが、旅行好きな人は経験値を調べては全国制覇したいと思うのだろうか。BIGLOBEトラベルの狙いは、当然そこらあたりにあるようだが。

 近頃は次々と目新しい言葉が出現するが、「知恵袋する」という言葉をたまたま目にして、これはナンだろう?と思った。知恵袋というのは、ヤフーのアレだろうと見当はついたが、「知恵袋する」とはどういう意味なのだろう?というわけだ。知恵袋と巨大掲示板というものとの違いもよくわからない。
 わからないことは若い人に聞くに限る…というわけで、若い人に聞いてみた。「知恵袋する」とは、知恵袋の質問にあれこれ回答を書くことをいうらしい。常連さんがいるそうだ。知恵袋と巨大掲示板の違いは、知恵袋の方が掲示板より質が上ということか?と聞くと、そうだという。知恵袋の常連さんたちはそう思っているということらしい。なるほど…納得。

 電車内での痴漢行為で逮捕された東京都立高校の副校長が、当初の懲戒免職から停職6か月に軽減されたという報道があったが、その理由というのを聞いて呆れた。「接触は極めて短時間で、悪質であるとはいえない」として処分を減じた…というのだ。
 痴漢という犯罪に、悪質とか良質などの差があるとでもいうのだろうか。長時間なら悪質で短時間なら良質だとでもいうのだろうか。冗談じゃない。「電車の減速で身体がよろけてたまたま女性にぶつかった」などという言い逃れができると思って行う行為が良質なわけがないではないか。短時間であろうが一瞬であろうが悪質な犯罪である。
2008年7月13日 10:50 | コメント (0) | トラックバック (0)

文化の違い?

 岐阜市立女子短大がどういう大学か詳しくは知らないが、その短大の学長が、イタリア旅行中に世界遺産である建物に落書きをしたという学生を伴って関係者に直に謝罪したというニューには驚いた。何故驚いたかというと、過保護にもほどがある…と思ったからだ。短大生とはいえ、もう子どもではない。自分に責任を持つことを知るべき年齢だし、まわりの大人はそれを教えなければならないはずだ。

 ところがこの短大では、学長をはじめとして誰一人それを学生らに教えようとしないばかりか、「うちの学生がとんでもないことしでかしまして、まことに申し訳なく…」と、のこのこと謝罪に出かけたという。学生を引き連れて謝罪に出かけることを「教育的」と考えているとしたら、大きな間違いである。
 若い学生たちにとって何のためにもならないばかりか、かえって間違ったことを教えていることにもなりかねない。間違いをしでかした学生たちにとって必要なのは、自分は今後どうすべきかを自分で考えさせることだ。

 短大も含めた大学の幼稚園化が、ここまできたかと思うと空恐ろしい気がする。この短大の学長の判断やその結果としての行動は、子供同士のけんかなどで、怪我をさせてしまった子の親が相手の家へ「うちの子がとんでもないことをしでかしまして、まことに申し訳なく…」と謝りに行くのと同じである。そのことをまず大人が自覚しなければ、教育などできはしないではないか。

 相手方の対応については何ともいいようがないが、謝罪の気持ちの表れとはいえ寄付を申し出られて断れなかったとしても、「寄付金で落書きを消した個所に、学校名入りのタグを作りたい」というのはちょっと理解しがたい。国々のそれぞれの文化の違いやそれに基づく意識の違いは、やはり容易には理解し得ないのだろうか?
 件の短大の学長や学生は、この校名入りタグについてはどのように受け取ったのだろうか。知りたい。
2008年7月11日 7:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

気分がぁ…わ・る・い

 整理整頓は嫌いではないし、いらないものをポイポイ捨てるのは好きなほうだが、スプレーのガス抜きだけは苦手で貯めに貯め込んでいた。キッチンの整理整頓をしていて、また見なかったことにして貯め込んでおこうかと思ったが、それではいつまでたっても片付かないしその量もそろそろ限界にきている。覚悟を決めて、ガス抜きをした。

 ベランダに大きなチラシを何枚も広げて、大きな丈夫な紙袋も用意して、穴あけ器具も準備して、「さぁ、やるぞぉ〜」と深呼吸した。最近はガスの入ったスプレー式のものは買わないように気をつけているが、少し以前はガスの入ったスプレー式のものが多かった。貯め込んでいたのはその頃のものばかりだ。
 最後の最後まで出し切っているか確かめつつ、紙袋の中で穴を開けていったが、それでも少々中味が残っていたものもあって、さまざまな臭いが混じり合い気分が悪くなってしまった。それでもがんばって、最後のひとつまでしっかり穴を開けた。今後は貯めこまないようにしようと決心したが、はてさてどうなることか。それにしても気分が悪い…。

 別の意味で気分が悪いのは、都知事がオリンピック招致に皇太子を利用しようとしていることと、「政治的要素が強く、(招致運動の段階から)かかわることは難しい」と発言した宮内庁の職員に対しても暴言を吐いたといわれていることだ。
 先日、新川公園で隅田川を眺めていたとき、ちょうど通りかかった水上バスにもオリンピックを東京に呼ぼうという横断幕がかかっていた。いい気分で隅田川を眺めていたのに台無しである。
 昨日、皇太子が視察した東京都下水道局の下水処理施設にも、五輪PR用のぼり40本やポスター20枚を設置したという。ちなみに普段の日は、それぞれ15本と10枚だそうだ。これもまた、本当に気分が悪い。
2008年7月10日 9:06 | コメント (0) | トラックバック (0)

そもそもの問題点は?

 問題点がどんどんずれていっているように思えてならない。素粒子「死に神」の件である。あすの会が再質問状を出したという。各紙の報道で見る限りでは、「何人なら問題ないと考えているのか」とか「死に神の意味を明らかにせよ」というような質問内容らしいが、素粒子さん個人に対する質問状ならまだしも、新聞社は答えようがないのではないかという気がする。

 「死に神」がひとつの言葉であり表現である以上、書き手と読み手でその意味の捉え方が異なるのは当然である。そもそもはそこから発している問題であったはずなのに、質問状云々では、すべてが「ケシカラン!」という発想・感情・思いなどから発しているように思えてならないのだ。

 犯罪被害者を忘れているわけではないし、必要な補償なり何なりはなされてしかるべきだと思っているが、犯罪被害者であるが故に真綿でくるまれる(又は、それを要求する)ことが当然だとは思わない。

 「死に神」の意味は、たぶん誰もが同じように捉えていることだろう。死刑は誰かによって死がもたらせるわけだから、「死刑囚に死をもたらす人」=「死に神」と素粒子さんは表現したに過ぎないのではないか。なんともお粗末な表現ではあるが…。
 そんなお粗末な表現に、法務大臣が名指しされたからといって激怒した?ところに、この騒動?の発端があるとしたら、大臣は一体何を目論んで抗議したのか…?私はそこが気になる。
(繰り返しておくけれど、私は朝日新聞社の肩を持つわけでも、素粒子を支持するわけでもありません)
2008年7月 8日 9:22 | コメント (0) | トラックバック (0)

本にもいろいろありまして

 今日は、気になる本のことを書いてみよう。まずは、「田村はまだか」(朝倉かすみ・著 光文社)だ。新聞にかなり大きな広告が出ていた。著者については何も知らないし、読んでみたいと思う本ではないのだが非常に気になる点があった。題名の異様さもだが、その小説の設定が非常に気になる。40歳にもなった大人が小学校のクラス会の三次会に5人も集まっているという設定は、私には理解し難い。

 この本はあちこちで取り上げられ、それなりにかなり評判になっているらしいことから考えると、この設定に疑問を感じず、それどころか共感して読む人がかなりの数でいるということだ。推測するに、この小学校のクラス会というのは、これが初めてではないだろうと思われる。40歳になるまでに何度も何度も小学校のクラス会を開いてきたのだろう。

 小学校は子ども時代だ。その子どもの世界をいつまでも抱え続け、繰り返し開いて覗きたがる感覚が、私には理解しがたいのだ。人は、それまでに過ごした時代をひとつひとつ置き去りにすることによって成長していく。私はそう思うのだが、いまどきの若い人の多くはそうではないらしい。
 朝日新聞に、「忘れ去られる恐怖」について書いてあった。「忘れ去られる恐怖」とは、マリー・ローランサンの「鎮静剤」という詩の一節だそうだ。

 40歳にもなった男女の、小学校のクラス会の三次会という設定は、いまどきの若い人は本当に「忘れ去られる恐怖」を強く感じているということの表れなのだろうが、私には納得できるものではない。「忘れ去られる恐怖」のために、目を向けるべきところに目が向かず、新しく手に入れられるべきものまでみすみす失っているとしたらどうだろう。それでも、忘れられないようにするために、小学校のクラス会を開き続けるのだろうか。

 次の気になる本は、ぜひ読みたい本なので早速BK1に注文した。「ひっつき虫」(杉本秀太郎・著 青草書房)である。今朝の朝日新聞読書欄に小高賢さんの書評が載った。
 「杉本秀太郎さんの文章は、ゆっくり楽しんで読む」とか、「さりげない文章でありながら奥行きが広い」とか、「読みながら、あるいは読み終わって、うまいなぁ、と立ち止まることが多かった」等々、そうなのよ!そうなのよ!という思いが湧きあがる。明日には届くかなぁ…、待ち遠しいなぁ。
2008年7月 6日 10:20 | コメント (0) | トラックバック (0)

ナンといえばいいのか

 この人は相変わらずだなぁ…と呆れた。云わずと知れた都知事である。オリンピック招致に皇太子を利用しようという魂胆(ご協力願うといえば聞こえはいいかもしれないが、つまるところは利用したいんでしょ?としか思えない)もナンだが、「宮内庁ごとき」というのもかなりのものだが、それは難しいと発言した宮内庁のなんとか大夫さんを「こわっぱ」呼ばわりしたとかしないとか。「たかが都知事ごとき」が、「たかがオリンピック招致ごとき」でえらそうなことを言うこともないでしょうに。

 それにしても、突然の真夏日は応える。ネコさんじゃないけれどぐったりである。暑い中、特別警戒中の警官はご苦労なことである…が、そこらじゅう警官だらけというのはそれはそれでうっとうしい。そこまでして開催されるサミットでは何が話し合われるのか。警備の話や会議場の様子などのニュースには目がいくが、テーマに関しては私はよく知らない。

 洞爺湖に潜って不審物がないか調べたという新聞記事に、「レスキュー部隊もサミット会場のザ・ウィンザーホテル洞爺周辺の山間部をロープで下りながら点検。不審物は見つからなかったという」と書いてあった。「不審物は見つからなかったという」という表現を私は変だと感じたが、”ある”ということを前提に探しているのだから「見つからなかった」でいいのだという人もいる。私にはよくわからないが、そういうものらしい。

 サミットが終了すれば平穏な日々が戻ってくるかというと、そうでもない。テレビやラジオのニュースや新聞は「もういい」といいたくなるような日々である。能天気に明るい話があればいいというのではないが、近頃は息が詰まるというか気分がささくれ立つというか気持ちがなえるというか、どうしようもない話ばかりだ。だからといって、オリンピックを日本に招致して一致団結して盛り上がればいいというものでもない。 ところで、あなたは今、生き難くありませんか?
2008年7月 5日 12:15 | コメント (0) | トラックバック (0)

警官

 久しぶりに行った銀座は警官だらけだった。ペアを組んだ警官がいたるところに立っていた。しかも警棒を握り締め、今にも飛び掛ってきそうな気配である。これが特別警戒というものか…と、辻々に立つ警官の顔を盗み見ると、若い警官にはあまり緊張感は感じられなかったが、少し年のいった警官はかなり厳しい顔をして目を光らせていた。

 銀座へはいつもの連れさんと出かけたのだが、警官は自分のことを言うとき、私とか僕などとは決して言わず、「本官」と言うのねという話になった。連れさんが若い頃、不審な電話や手紙に悩まされたことがあり、知らない人からの「いついつどこどこで会いたい」という手紙を持って交番へ相談に行ったそうだ。すると、警官は「その人に会いに行ってください、本官も一緒に行きますから」と言ったそうだ。

 連れさんはその「本官」という言い方に驚いたそうだが、考えてみれば警官にも自衛隊員にもその職についている間(職務中)は、(極端な言い方かも知れないが)人格も人権もないのだから「私」ではなく「本官」となるのだろう。そこで「私」を使うと、私情が絡んでしまうのだろう。公務員というのは、「私が」とは言ってはいけないのだ。私たちは、何気なく「私」と言っているが、「私」と言うとき、その私は非常に私的な「私」という人格なのだ。当たり前といえば当たり前のことだが、これまでそんなことを自覚したことは一度もなかった。
2008年7月 3日 18:56 | コメント (0) | トラックバック (0)

特別警戒中

 関東地方のある私鉄の小さな駅でのこと。あらゆるゴミ入れが封印してあった。封印といっても、粘着テープをべたべた貼って中にモノが入れられないようにしてあっただけだが、なんということだろう?まさか?!ねと思ったが、そのまさか?なのだろうか?来週から始まる洞爺湖サミットのため?

 まさか?だが、ほかに理由が思いつかない。これもテロ対策なのだろうか…、ゴミ入れを封鎖したところで、どれだけの効果があるのだろう。本気でテロを起こそうとすれば、ゴミ箱など問題ではないだろうに。粘着テープなど、はがして爆弾を仕掛けてまた貼っておくことは簡単だろうに。しかも、サミットの開催地は北海道のはず。
 首都圏も警戒が必要ということらしいが、東京の隣の県の私鉄の小さな駅にまで必要なのだろうか。念には念を入れてということもあるが、過ぎたるは及ばざるが如しということもある。
2008年7月 2日 8:50 | コメント (0) | トラックバック (0)

苦手だったはずの○○が…

 スイカを食べたい…と、毎年思う。でも、欲しいのは一切れだけ。近頃は、六つ切りくらいのも売ってはいるが、スイカはやはり丸ごとでなければ。そして、冷蔵庫ではなく井戸で冷さなければ、などど思い込んでいるので、切り売りのスイカは買う気になれない。しかし、この季節になると「スイカを一切れ食べたい」と思う。

 昨日は、家族のリクエストに応えてけんちん汁を作った。ずいぶん久しぶりである。実際は、けんちん汁は得意ではないし、手間もかかるしできれば作りたくないのだが、味噌を切らしていたので作ることにした。豆腐の水切りをしっかりしておいたら、われながらけっこううまくできた。ありあわせの根菜と鶏肉と豆腐と油揚げ(お揚げさん、ね)で、冷蔵庫の整理までできてしまった。

 asahi.comでは普段はニュースしか見ないが、「食と料理サイト」には実にさまざまな情報が載っている。「我が家のお弁当じまん」などは、見てビックリだ。「おかず100選」をみると、「夏けんちん」があるではないか。ご親切なことに、「15分で朝ごはん、30分で夕ごはん」というのまである。私の場合は、夕ごはんの支度には45分から1時間、朝ごはんの支度は、コーヒーを入れるのも含めて25分だ。

 お菓子作りなど好きでもなければ得意でもなかった私が、毎週クッキー作りをしている。週末に生地を作り冷凍しておき、週の初めと半ばの2回に分けて焼く。その時々で、レーズンを入れたりゴマを入れたりアーモンドをいれたりする。最初は焼きすぎたり焼き足りなかったりすることがあったが、回を重ねるうちにうまく焼けるようになった。生地を棒状にしてラップに包み冷凍しておくと、3ミリの厚みに切るのも難しくない。上手に作るポイントは、均一に3ミリ厚さに切ることだとわかった。今ではけっこう上手にできるようになったし、掃除や洗濯の片手間にやっているからかもしれないが、不思議なことに面倒と思わなくなったのだ。別の見方をすれば、何々の一つ覚え的なところもあるのだが…。
2008年7月 1日 10:07 | コメント (0) | トラックバック (0)