センスを磨いて

 明日からは6月なのに、なんという寒さだ。今朝は北風がピープーと吹いていた。まるで冬みたいに。こんなはずじゃなかった…。先日の、ぐっと気温が上がった日に、冬用の掛け布団はしまってしまった。調子に乗って毛布もしまってしまった。あぁ、しまった…と後悔した。かといって、もう一度出してくるのもしゃくだし、薄い掛け布団をひしと体に巻きつけ、じっと寒さに耐えながら寝た。

 『国立国会図書館の食堂で、「国会丼」が新しいメニューに加わり、評判になっている』…という。牛丼とカレーが半々になっていようが、それにさらに半熟卵がのっていようが、ごちゃまぜ丼が好きな人が多いならかまわないが、なぜそれを「国会丼」と命名する必要があるのだろう?場所が国会図書館だから?
 たとえば、下町の食堂で今の国会を揶揄して…というならまだわかるが、自分で自分を揶揄するなんて洒落にもならないセンスのなさである。

 福島県では、県民向け講座のチラシに「メタボ、SASをめった刺し」という表現を使ったらしい。センスのなさを通り越して、何を考えているのやら…である。不適切ではないかという指摘を受けて、「学んで防ごうメタボリックシンドローム」という無難な表現に差し替えたという。
 通行人を無差別にめった刺しだの、誰それが誰それをめった刺しにして殺害しただの、そういった事件が巷に溢れているのが現実かもしれないが、そしてそういった事件がこと細かに報道されているのも現実かもしれないが、自分は絶対に使わない言葉・表現というものはあるはずだ。自覚して使わないということ、それもやはり自分はどう生きるかという事柄の範疇のことではないのか。

 「禁煙ファシズム」なる言葉があるそうだ。タクシーの禁煙化や路上禁煙条例の制定など、つまり喫煙者を追い詰める諸々のことを正義と信じて主張することを指すらしい。「吸うか吸わないかは個々人が判断すべき」とか「人の生き方や好みを監視し排除するのはおかしい」というのは確かにそのとおりだと思う。
 有害な煙や嫌な臭いをいっさい出さないならお好きにどうぞ!と言えるが、まわりの人に不快感を与えていいわけがないし、他人の健康を害することもあるかもしれない(喫煙者本人の健康被害は自己責任?)。喫煙者クラブでも作って隔離した場所で存分に吸ってくださいと言いたいだけ。お酒を飲みたい人が集まるバーのように、タバコを吸いたい人が集まる専門店をつくればいいではないか。

 「タバコ1箱を千円にして税収増を目指そう」と主張している人がいるという。千円にすればタバコをやめる人も増え、病気も減り、医療費の抑制にも繋がる…ということらしいが、ちょっとたぬちゃんの皮算用的かも。私も時として禁煙ファシズム的な発言をするが、「喫煙店をつくってそこで同好の人たちと楽しんで」とも言っている。駅のホームの隅っこで、灰皿の周りにたむろして喫煙している人々を見ると哀れだと思う。どんなにおいしいコーヒーを出す店でも、タバコの煙が充満していては入れない。誰か本気で喫煙店をつくる気はないかなぁ。
2008年5月31日 9:47 | コメント (0) | トラックバック (0)

牛乳

 あらゆる食品の値上げが、じわじわと身辺に忍び寄ってきたのを実感する毎日だが、今度はバターに次いで牛乳が品薄になる恐れが出てきたという。牛ちゃんが乳を出さなくなったわけではない。牛ちゃんが逃げ出したわけでもない。牛ちゃんの餌代が高騰したため、酪農家が牛ちゃんの数を減らしたり廃業したりしたからだという。
 嗜好品であれば我慢するなり何なりすればいいが、牛乳は育ち盛りの子どもを育てるのに欠かせない栄養分だ。品薄なんでスイマセンではすまないじゃないか…。

 大切な牛ちゃんの飼料高騰の原因はエコである。エコだのリサイクルだのというと、それは絶対善で最優先すべきもの…みたいに思われがちだが、人々が生きていくうえで必要とする基本的な食料を削ってまで優先すべきものかというと疑問がある。農作物の生産者はより高く売れるほうへ売るわけだから、牛ちゃんの飼料よりはバイオエタノールの原料としての方が高く売れるということだ。
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 牛ちゃんの飼料になっておいしい乳をたくさん出してもらい、それを子どもにたっぷり飲ませ、元気な子どもを育て丈夫な大人にすることと、バイオエタノールの原料となって、いわゆる”地球にやさしい”といわれる燃料となり、二酸化炭素排出削減に役立つことと、どちらがより重要か(目先のこととしてではなく遠い将来的なこととして)?…なんてことをいってみたところで、農作物の生産者自身も、生きていくために(食べていくために、元気な子どもに育つようたっぷり牛乳を飲ませてやるために)より高く売りたと考えるのは当然のことだ。

 牛乳が品薄になるという事態の問題点は、いったいどこにある?
2008年5月30日 8:38 | コメント (0) | トラックバック (0)

あれとこれと合わせて

 若い人から不思議なものの話を聞いた。「ファンタ ふるふるシェイカー オレンジ」というらしい。ファンタといえば炭酸飲料だ。それをふるふると振ってから飲むそうだ。「ゼリーのプルンとした食感と炭酸のシュワシュワを同時にお楽しみいただけます」というしろものだそうだ。若くない私はゼリーはゼリーとして味わい、炭酸のシュワシュワは飲み物として味わうのがいいと思うが、今の若い人は「何とかと何とかをあわせると何々」というのが好きらしい。先日もドンクでパンを物色していたら、もちもちの黒ゴマ入り白パンの中にカスタードクリームとサツマイモが入っているパンがあった。しかし、その味を想像するのは難しい。

 その、想像を絶するパンを買って食してみた。たしかに、それぞれの味が喧嘩をしてるということはなかった。では、想像を絶する味に出会えたかというと、そうでもない。また食べたいかと聞かれれば、否である。ふかし芋や焼き芋にカスタードクリームをのせて食べる人がいるのだろうか。きなこ揚げパン育ちの人ならお芋にカスタードクリームもあり得るかもしれない…?
2008年5月28日 18:48 | コメント (0) | トラックバック (0)

本、2冊

 五月晴れはどこへ行ったぁ?といっていたら、これでどうだぁ?とばかりに青空が戻って来た。確かに洗濯物はすぐに乾きお布団干しにももってこいだが、少々暑い。ベランダに出ただけでもじりじり焼けそうだ。お出かけには日傘が欠かせない。

 暑いじゃないかぁ…と日傘をさして出かけた先は、いつもの図書館。借りてきたのは次の2冊。
「パリの電球」(杉本秀太郎・著 岩波書店)…装丁は安野光雅さん。1990年発行。久しぶりに杉本秀太郎さんを読む。
「老楽力」(外山滋比古・著 展望社)…「少年記」を借りようかとも思ったが、こちらを先にした。やけに大きな活字の本だ。

 夢うつつで深夜2時のラジオのニュースを聞いていたら、火星がどうの着陸がどうの氷がどうのと、何のはなしだぁ?と思うようなことを言っていた。「火星の上空を周回中のアメリカの探査機マーズ・リコネサンス・オービターが、探査機フェニックスが火星に軟着陸するようすを高解像度カメラで撮影した」ということだったようだ。「浅い土壌層の下に氷の形で大量の水が存在しているので、その水を採取して生命に必要な成分があるかを調べる」のだそうだ。確かに火星と着陸と氷の話だったが、非日常的なニュースは夢うつつで聞いても理解できない。それに、「これが火星の北極付近の初の写真です」といわれてもねぇ…?
2008年5月27日 13:18 | コメント (0) | トラックバック (0)

Villeroy & Boch

 ポイントを貯めてお得に使うというのは、今では当たり前のことらしい。数えたことはないが、この私でも数種類のポイントを貯めているような気がする。上手に使っているかというと、さぁどうだろうか…。意識して使い出したのはごく最近のことだ。
 駅ビルのポイントカードは、500ポイントで500円のお買い物券になる。これは私のお菓子代となる。ちょっと上等なお菓子を買う。クレジットカードなどのポイントは、ほどほどに貯まったところで商品と交換する。今回交換した商品は、ビレロイ&ボッホのマグカップだ。
 実は、「ビレロイ&ボッホ」というブランドについてはまったく何も知らなかった。「ドイツのすぐれたテクノロジーとフランスの繊細なファッションセンスを融合」したブランドだという。カタログを見たとき、一目でこれにしよっ!と思った。商品が届いて実物を見てすっかり気に入った。私のはこれこれとでペアになっていた。
 新しい食器は、心の中のろうそくの1本にポッと炎がともったような気分にしてくれる。ちょっとうれしく、ちょっとしあわせ。
2008年5月25日 9:04 | コメント (0) | トラックバック (0)

一体、これは何だ?

 「マスコットキャラクターは嫌い」ということは以前も書いたが、又候マスコットキャラクターが出現した。今度は裁判員制度PRのマスコットキャラクターだ。なんとその数は60を越すという。「堅いイメージからの脱皮に懸命」だというが、裁判は堅いものである。その堅い裁判に、ネコも杓子も参加しろと言っているのだ。ヘンテコリンなマスコットキャラクターを次々と作ったところで裁判がやわらかくなるわけじゃなし、もしやわらかくなったらそれは大変である。

 このような無意味なふざけた安易なマスコットキャラクターを見ていると、吐き気がしてくる。国民に大変な思いをさせて「義務を果たせ」と迫っているのに、こんなチャラチャラしたマスコットキャラクターまで見せつけられると私は吐き気がする(マスコットキャラクターの着ぐるみを着て見せる法務大臣にも吐き気がした)。

 どうしても作りたいなら、裁判員の役目を果たした人に配るピンバッジでも作れば…?ヘンテコリンなマスコットキャラクターの絵ではなく、裁判の意味、意義を表現したまじめなデザインのものを作れば…?私はそんなものも欲しくはないが、あなたは立派に裁判員の役目を果たしましたという気持ちを表してもいいのでは…?義務なんだからつべこべ言わずやれ!というだけでなく。
2008年5月24日 18:48 | コメント (0) | トラックバック (0)

我が街、○○

 新築マンションの広告で「駅徒歩2分」とあれば”それは便利だ”と思うだろうが、目と鼻の先に駅があるということは、ホームの案内放送が四六時中聞こえるということだ。道を隔てた隣は病院である。これもいざというとき心強いと思うかもしれないが、ひっきりなしに救急車がやって来る病院である。「365日オーシャンビュー」といえば”おおっ、見晴らしがいいんだ”と思うだろうが、晴れれば遥か向こうに富士山も望めるが、見えるのは海というよりは東京湾と工業地帯だ。「37階建てタワーマンション」といえば聞こえはいいが…はたして?
 
 新築マンションの広告をみているといいことずくめである。しかし、環境は変わる。見晴らしの良かった我がマンションも、20数年もたてばすっかり様変わりする。目の前にマンションが2つも3つもでき、かつては子どもがバッタを追った原っぱにもマンションが2つも建ち、ぽっかりと取り残されたようにあった畑ではまもなくアパート(2棟)建設が始まる。

 この環境の変化は発展なのか、それとも…?
2008年5月23日 16:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

いやぁ〜な感じ

 総合的な高齢者対策、「高齢者の『安心と活力』を強化するための緊急措置」の原案ができたそうだ。そのうちのひとつに、「3世代同居世帯への減税」というのがあるらしい。同居する住宅の固定資産税や世帯主の所得税の軽減などを考えているという。世代間の助け合いを支援するため、3世代同居世帯を対象に減税するということらしい。同居していなくても世代間の助け合いは可能だろうに、何が何でも3世代同居させたいようだ。

 6畳二間のアパートに3世代同居でも広いお屋敷に3世代同居でも、同様に減税の対象にするのだろうか。90歳代の老夫婦に70歳代の息子(妻はすでになく)と50歳代の独身の息子が同居している場合でも、世代間で助け合うことは良いことだと奨励するというのだろうか。

 一人暮らしでも、老夫婦だけの暮らしでも、安心して毎日生きる気力を持てる社会を作ることが、本当は必要な高齢者対策ではないのかなぁ。どうのこうの(今回は”3世代同居”)すれば減税してやる…というようなのは、本当にいやぁ〜な感じ!
2008年5月22日 9:35 | コメント (0) | トラックバック (0)

 昨日は、雨もさることながら風の凄まじさは尋常ではなかった。普通の傘でもそんな風にあおられればひとたまりもない。あえなく骨は折れ曲がる。普通の傘でもそうなら、ビニール傘など当然無残な残骸となる。それでも、多くの人が台風の中でビニール傘を使う。
 私の場合は、ちょっとそこまで行くとき小雨が降っていればビニール傘を、普通の外出で普通の雨なら普通の傘を、大雨や台風の時やあらたまった場所へお出かけのときはしっかりした(骨も作りも値段も)傘を、というふうに使い分けている。雨が降るかも…というときの折畳み傘もある。
 
 台風の中、へしゃげたビニール傘はポイ捨てだ。そうでなくても強風で物が飛ぶというのに。お手軽な価格で使い捨てできるビニール傘は一見優れもののようではあるが、打ち捨てられた残骸はゴミでもあり危険物でもある。そんなビニール傘を捨てた人はマナーが悪い、というのは簡単だが、マナー以前の問題のような気がする。
 そもそも傘など持っていないのではないか、必要が生じたらビニール傘を買う、壊れたら捨てる、また必要が生じる、買う、壊れる、捨てる…、その繰り返し。生活そのもの、生き方そのものが、たぶんそうなのだろう。そう思えば、マナーの問題ではない、となる。

 先日、そろそろ普通の傘をもう1本買いたいと思ったが、普通の傘があまり売っていないのに気がついた。コンビニでは、雨が降り出せばビニール傘がどっと店頭に出る。高級なブランド傘は常に売っているが、日常的に買うものではない。普通の傘は、売れないから売ってないのだろう、たぶん…。
 「大雨や台風のときはビニール傘ではだめだ」と考えるのはマナーではない。常識とも言わない。「自分は今どうすべきか」ということだ。……となると、それってどう考えても人の生き方の問題だとしかいえないでしょ?
2008年5月21日 8:51 | コメント (0) | トラックバック (0)

クッキー

 料理は得意ではないし好きでもないし、やらなくて済めばそれにこしたことはないと思っているほうなので、当然お菓子作りなどというものにもあまり関心はない。そもそも、こねこねすることが好きじゃない。小学生の頃も粘土は嫌いだった。粘土のこねこねとハンバーグのこねこねやクッキーのこねこねは違うかもしれないが、手つきや手触りは似ている。

 そんなわけでめったにしないクッキー作りを、昨日は突然やってみる気になった。ホットケーキミックスの袋に作り方があった。簡単そうである。よっしゃぁ!と腕まくりした。材料は、ホットケーキミックスと卵と砂糖とバターだ。バターはすっかり店頭から消えたので、バター分が50%のスプレッドを探してきた。バターと砂糖を合わせ、クリーム状にして卵を加える。そこへ粉を入れゴマも入れて混ぜ合わせるだけだ。少しだけこねこねして冷蔵庫で寝かす。薄く延ばして適当な大きさに切り分け、180℃のオーブンで13分ほど焼く。たったそれだけ。思いのほかおいしいクッキーができた。

 お味見にひとつつまむと、意外においしい。ではもうひとつとつまむと、なかなかおいしい。う〜む、私にもできたじゃん…とさらにつまむと、たまらなくおいしい。こうなるとやみつきだ。次ぎから次へと、手が出る手が出る手が出る。もうやめとかなきゃ…と言いつつ最後のひとつをつまむ。味を占めた私は、今度はレーズン入りクッキーだ!と、はりきってレーズンを買ってきた。
2008年5月19日 14:03 | コメント (0) | トラックバック (0)

NHK

 もう少し(…少しじゃなくて本当は根本的に)どうにかならないものか、といつも思うのが近頃のNHK。FM放送にはFMらしさが欲しいのに、近頃はAMの第一かと思うような番組ばかりだ。日曜日も、朝からミュージックメモリーだ。メモリーというだけに、思い出話に”懐かしい”を押し付ける曲の数々。今日のゲストは萩本欽一さん。つくづく嫌になり、ラジオを消した。

 毎金曜日の「U-18ユーガタM塾」なる番組など、何を意図して作られたのかがわからない。「現役高校生のDJが、週代わりで”世代を超えて愛される音楽”を紹介していく音楽番組」だというが、校内放送みたいな番組をなぜNHK-FMで全国放送しなければならないのか。言葉の使い方(特に敬語)は間違っているし、現役高校生でありながら英語の歌詞はわからないとしゃぁしゃぁと言ってのけたり、今の自分との関連も何もないまま、自分には興味のない”親や先生の世代の曲”をただかけているだけで、DJ自身がその番組の意図を理解しているとは思えない。とても聞いていられるものではない。

 夕方の番組「歌謡スポットライト」は週代わりでゲストが出演するが、文字通りのゲストではなくまるで生徒だ。司会者がアナウンサーでありながらシングルを5枚出した歌手でもあるというヘンテコリンな人で、ゲストの駆け出しの歌手に対して鷹揚な話し方をする。分をわきまえない司会者は聞いていて不快だ。

 毎朝9時20分からの「ミュージック・リラクゼーション」は深夜の番組の再放送だ。選曲は悪くないのだが、DJ(本職は女優・声優だそうだ)が夜向きに話すのが大きな難なのだ。早起きして、一通りの家事を終え、さあ一息ついて…というときに、夜向きの声で夜向きの話を聞かされては気分はめちゃめちゃである。再放送をするにしても、もう少し時間帯を考えて欲しい。あの再放送は、徹夜したり深夜に仕事をしている人が朝から眠るための番組なのだろうか。
 
 テレビはほとんど見ないのだが、NHK総合では星新一さんのショートショートをアニメや実写の番組にしたらしい。どんな風に好評なのか知らないが、今後も張り切って作っていくつもりらしい。星新一さんが好きな私としては、やめて頂戴!といいたい。星新一さんのショートショートは文字で読んでこそ面白みがあるというものだ。安易にアニメにして欲しくない。
 
 キリがないので、今日はここまで。
2008年5月18日 9:23 | コメント (0) | トラックバック (0)

美術館

 好きな絵を好きな時に好きなだけ観られるのが美術館…のはずだが、ときとしてそうでないのが日本の美術館だ。東京国立近代美術館で開催中の「生誕100年東山魁夷展」を観に行こうかと思ったが、あまりの人出の多さに嫌気がさし取り止めた。残すところあと1日だという。

 どんなにいい展覧会でも、行列して観るのは嫌だ。ミロのビーナスが日本で初公開された頃から、日本では美術も行列して観てあたりまえ、などという変な常識ができてしまった。なぜか人気のある東山魁夷さんだが、だからといって行列して観ることを強要されるのは嫌だ。3月29日に始まって、4月26日に10万人突破、5月12日には20万人を突破、最初の29日間で10万、次の16日間でさらに10万…、それが?という気分だ。「過去最大の回顧展」と聞けば観たくなるが、落ち着いて観られないなら諦めようと思う人も少なくないだろう。
 過去最大とか、入場者数何10万とか、そういうことばかりか話題になるような展覧会は何か違うんじゃないかという気がする。「生誕100年東山魁夷展」を諦めた私たち(私といつもの連れさん)は、冬になったら市川市東山魁夷記念館へ行く予定にしている。

 秋には「巨匠ピカソ 愛と想像の軌跡」展が国立新美術館で、「巨匠ピカソ 魂のポートレート」展がサントリー美術館で開催される。ピカソは好きな画家だし観る機会があれば何度でも観たいと思うが、この大きなピカソ展もたぶんだめだろう。落ち着いてゆっくり観たいと思えば、パリまで行くしかないのかもしれない。ピカソに会いにフランスへ、ムンクに会いにノルウェーへ…?

 飛行機嫌いの私にはちょっと無理なので、来月は身近なところでここへ行く予定。
2008年5月17日 12:51 | コメント (0) | トラックバック (0)

おニュー

 やっと、やっと、買い換えた新しい洗濯機が張り切る天気になった。ビートウォッシュというのは、なかなかおもしろい。洗濯機に手はないけれど、まるで押し洗いの手つきで洗っている。脱水が終わっても残り時間が3分も残っている。何が始まるのかと興味津々見ていると、クオックオッとからまった洗濯物をほぐしている。なんておりこうさんな洗濯機だこと!と褒めてやった。

洗濯が終了したときだけでなく、始まるときも音で知らせてくれる。それがブザーではなくメロディーなのだが、あれは確か…モーッアルトの…。朝から陽気な洗濯機である。お風呂の残り湯をバケツでくみ上げる必要がなくなったのが、何よりうれしい。洗濯に必要な水量も控えめで、お風呂の掃除と拭き掃除分くらいの湯が残る。拭き掃除はできれば手を抜きたいのだが、やんなさい!といわれているかのようだ。

 たかが洗濯機だが、新しいものは刺激的だ。新しい食器も日常に刺激を与える。中華皿を新調した。これで冷し中華を食べよう…と、ちょっぴり食欲も沸く。縮こまっていた気分も、クオックオッと少しはほぐれるかもしれない。
2008年5月16日 7:07 | コメント (0) | トラックバック (0)

時にはお節介も

 5月とは思えない寒さに気持ちまで縮こまる。そこへ中国四川省の大地震である。1万以上ともいわれる死亡者と、それを大きく上回る行方不明者の報に胸が塞がる。

 大きな自然災害に人的災害が上乗せされるかどうかは、政治的問題である。日本政府は5億円相当の緊急支援を行うと発表したが、レスキュー隊の派遣などの支援は要請がなければできないという。日本は大地震の被害の経験国として、この場合はもう一歩踏み込んでお節介をしてもいいのでは…と思う。中国にもそれだけの能力も技術も人員もあるだろうが、行方不明者の数の多さを考えると、いっときも早く世界各国の支援を要請して欲しい…と思う。どの国も自国の政治的意味合いばかり重視せず、大災害における世界規模の救援方法の良い前例を作ることに、心を砕いて欲しいと思う。

 「具体の要請があれば、日本としては最大限の対応をする用意がある」と伝えるだけでは不十分だ。一刻も早い要請を中国に求めてもいいのではないか。日本の失敗を繰り返さないために。
2008年5月14日 9:36 | コメント (0) | トラックバック (0)

洗濯機購入

 洗濯機ごときに、何故こんなに悩まされなければならないのか…と思う。早めに買い換えようなどと殊勝な気をおこしたばかりに、こんなに悩まされるとは。どれでもいい、いくらでもいい、というなら問題はないのだが、現実にはサイズはこれこれ、予算はこれこれと、いろいろと我が家の条件がある。しかし、世間の主流は違っている。大型のドラム式が人気らしい。ドラム式は欲しくない、熱風乾燥機もいらない、などというのは、世間では少数派のようだ。

 悩みに悩んで、迷いに迷って選んだのは、東芝のAW-70DE-W と日立のBW-7HV-Aだ。つぶさに比較してみるとあまり大きな違いはなかったが、『大小2種類の羽根をもつパルセーター「ダブルビートウィング」を搭載』『節水循環水流』『ナノチタン消臭フィルター』(日立)が「抗菌濃縮バブルパワー洗浄」「Ag+イオン」(東芝)より少しばかりよさそうに思えた。また日立か…という気はするが、仕方がない。ナショナルは、糸くずフィルターが内蔵型ではなくネットを取り付けるタイプだったため、あえなく候補から落ちた。
 
 明日には新しい洗濯機が届く。これでバケツで残り湯を汲み上げる作業から開放される(使用中の洗濯機はお湯取りポンプが動かない)。これでボタンひとつで「あとはよろしく」と任せることができる。なんたって全自動洗濯機なんだから。
2008年5月12日 13:36 | コメント (0) | トラックバック (0)

読む本と眺める本

 土曜日だったが時間があったので図書館へ。借りたのは次の3冊。
「虫瞰の風景」(小林史明・著 東興通信社)…予備知識なしで読む
「初山滋 永遠のモダニスト」(竹迫祐子・編 河出書房新社)…私の記憶の中で、初山滋と「ききみみずきん」の挿絵がしっかりと結びついている。絵も資料もたくさん。
「日本刺繍の美しい図案 NHKおしゃれ工房」(草乃しずか・著 NHK出版)…とにかく綺麗、見ていて楽しい。

 土曜日は普段は出歩かないのだが、今日は思いついて出かけた。街は母の日前日だった。花屋の店先は色とりどりの花籠があふれていた。雑貨屋さんでは、若い男性がエプロンを物色していた。ケーキ屋さんでは、オジサンがケーキを選んでいた。
 右を向いても左を見ても、母の日にはお花を、スイーツを、まだ間に合う…などと煽り立てている。お花もスイーツもいいけれど、ネコちゃん大好きのママにはこんなのはいかが?
2008年5月10日 13:52 | コメント (0) | トラックバック (0)

分別

 「分別」と書いて「ぶんべつ」とも読むが、ここでは「物事の是非・道理を判断すること。わきまえること。また、そのような能力」という意味の「ふんべつ」と読む。さて、その分別があることが大人であることの証である。無分別、無鉄砲は、若気の至りといって許される場合もあるが、大人になればどんな場合でも許されない。

 つらつらとインターネットでニュースを見ていると、67歳の女性が84歳の女性を自転車でひき逃げし重傷を負わせたという記事があった。そして67歳の女性が言うには、「女性が痛いと言っていたので、けがをしたのは分かったが、カラオケへ行くのに急いでいたため、逃げてしまった」と。この女性は分別をどこへ置き忘れてしまったのだろう。怖くなって逃げたというなら人間の心理としてわからないでもないが、”カラオケへ行くのに急いでいたため”とは…。

 辞書によれば、「分別(ふんべつ)」のもうひとつの意味は仏教用語で、「虚妄である自他の区別を前提として思考すること。転じて、我(が)にとらわれた意識」とある。大人になって身に付けたはずの分別が、いつの間にか我にとらわれた意識、簡単に言えば自分本位の考え、いまふうにいえばジコチュウ、に変化してしまったのだろうか。

 67歳も、84歳も、長生きをすればいずれ自分にもおとずれる年齢だ。その年齢になったとき、私は分別を失わずにいられるだろうか。なんとしてでも分別を失わないようにするにはどうすればいいか、それを意識し自覚し続けることもまた分別なのかもしれない………なぁんて、○○歳を前にして思ったりしている。
2008年5月 9日 13:59 | コメント (0) | トラックバック (0)

昨日のできごと

 大きな揺れだった。大きな円を描くような揺れだった。飛び起きようか、揺れてるぅ!と叫ぼうか、と一瞬迷ったが、とりあえずラジオをつけた。緊張した声が緊急地震速報を伝えていた。揺れた後に「千葉県北東部などで震度5弱程度の揺れが予測されます」といわれても時遅しである。
*

 何かと問題の多い高級料亭「船場吉兆」の新たな不祥事は、「食べ残しの使い回し」だそうだ。成金のお金持ちほど吝嗇だというのと同じで、自ら高級と謳っている料亭ほどみみっちぃい了見をしているようだ。社長は会見で「手つかずの料理は食べ残しとは違う」と開き直ったらしいが、人様に料理を提供する料亭と自分ちの晩御飯は違って当然のはずだが。
*

 誕生日前後は千円引きというサービスにつられて、昨日はヘアカットに行った。またまたショートヘアである。もう誕生日を祝うほどの年齢でもないのだが、SATY VIVREカードからバースデーパスポートという名の割引券が届く。バラの花束も母の日のカーネーションもいらないから、上等な羊羹かうぐいすもちがほしいなぁ、食べたいなぁ…。あのぉ〜、こんどの土曜日が誕生日で日曜日は母の日なんだけれどなぁ…。
2008年5月 8日 10:00 | コメント (0) | トラックバック (0)

なにがなにやら

 いよいよ、とうとう、やっと、どんな形容をつけようが、今日でGWはおしまい。4万7800人もの人が成田へ帰国するという今日、ミャンマーではサイクロンで大きな被害が出ているという。チリでは数千年に1度という火山の噴火で数千人が避難しているという。中国・上海では路線バスが爆発炎上し3人が死亡したともいわれている。

 いまどき中国で路線バスが炎上と聞けば、すわテロか?と思うのが悲しい。しかし、中国のことはよくわからない。爆発したという報道もあれば、爆発音など聞かなかったと目撃者は話しているという報道もあり、警察当局は「乗客が引火しやすい品物を持ち込んでいた」と発表したという報道もある。一番信じられないのがこの警察当局の発表だというのも悲しい。事実はどうだったのだろう。上海ではバス火災が相次いでいたという報道もあるが、しょっちゅう路線バスが炎上する中国ってどういう国なのだろう。

 日本はどうかといえば、車上暮らしの男が車上荒らしで1万円を盗んで捕まったり、職探しの自転車旅行をしていた男が無銭飲食で捕まったり、俄かには信じがたいのだが「雨が降ってきたので家に送って欲しい」と110番する人がいるとか、「ゴキブリが家の中に出てきて、気持ちが悪いから来てくれ」という人がいるとか、この世の中はどうなっているのだろうと思うようなことばかりだ。ゴキブリが出たらゴキちゃんホイホイを置くとか新聞紙で叩き潰すとか、何とでもすればいいじゃぁないか。闇夜の深夜に一人で帰宅しなければならない事態になれば、私でも警官に「送って」と頼むかもしれないが、雨が降ったくらいなんじゃい!濡れればいいじゃぁないか。

 …と、書いている私の頭の中も支離滅裂。
2008年5月 6日 12:29 | コメント (0) | トラックバック (0)

ポチットナ

 GWも残すところ後1日となった。高速道路はそろそろUターンラッシュだそうだ。遠出をしない私はNHK-FMで三昧三昧だ。今日は、東京国際フォーラムで開催される「熱狂の日」音楽祭の中継だ。今年のテーマは「シューベルトとウィーン」、ちょっと楽しみ。
 三昧の始まりは「DJサミット三昧」、番組で意気投合したバラカンさんと児山紀芳さんの司会だった。昨日は「ボサノバ三昧」、ボサノバは結構好きなのでこれも楽しめた。そして、今日は「ラ・フォル・ジュルネ三昧」で、明日は「ギタリスト三昧」。三昧三昧はいいのだけれど、今日は月曜日とはいえ祭日なのに、しっかりと「きまくら」の再放送があったのにはうんざりした。

 さて、今日のラ・フォル・ジュルネでは、演奏曲を『i Tunes Music Store』で視聴、購入できるという。ポチットナと簡単に購入できるって…うれしいのだか困ったことなんだかちょっと複雑な気分。
2008年5月 5日 9:52 | コメント (0) | トラックバック (0)

2500円が意味するもの

 「中央アフリカ共和国で栄養失調に陥っている子どもを援助しようと、1人につき3カ月分の食費2500円の募金を」という記事が、asahi.comに載っていた。長崎大などの学生でつくるNGO「BOAT」の企画。援助を短期間で少額にすることで負担を軽くし、学生も参加しやすくするそうだ。具体的には、「子どもに援助する「里親」を約40組募り、里親には子どもの顔写真や体重のデータを送り、その子の親たちが歌ったアフリカの歌を携帯電話の着信メロディーにして配布する」というものだ(なぜ、見返りが要るのか)。

 確かに、確かに、2500円あれば一人当たりの3か月分の食費になるかもしれないが、私はこういう計算の仕方自体にすっきりしないものを感じる。ごちゃごちゃ考えるよりもまず行動を…という言い分ももちろん理解しているが、それでも…だ。
 2500円で人道援助ができ国際貢献ができる、この金額なら学生でもできる、確かに、確かに、そうだろうけれど、私はすっきりしない。これも、「あたまの目 人生の見かた」(外山滋比古・著 みすず書房)にある「不幸を食う幸福」じゃないか…と思うからだ。

 「音楽CD1枚よりも安く始められる国際協力」という言葉の向こうに「不幸を食う幸福」が透けて見えるのは、私が天邪鬼なせい?
 アメリカという大国は、戦争をしてはその国土を破壊し一般の人々までをも殺害し、そうしておいて孤児をアメリカに連れ帰り養子する。そしてそれを人道援助、善意の行為という。はっきり言えば、私はそういうアメリカの考え方は嫌い。もっといえば、偽善としか思えない。
 
 「今、中央アフリカ共和国で人々は飢えている、だから、金を出せ!」といえば、すっきりする。出せる人は出すだろうし、出せない人は出しようがない(仕事もなく、全財産が100円しかない人は出せない)。なぜ、「音楽CD1枚よりも安く始められる国際協力」などといわなければならないのか。そこに優越感はないといいきれるのか。
2008年5月 3日 9:05 | コメント (0) | トラックバック (0)

洗濯機がインバータ?

 朝から雨、しかもシトシト雨だ。雨の音を聴きたくて、ラジオを消した。雨音に混じって鳥の声も聞こえる。車が水しぶきを上げて走り去る音も聞こえる。うん?あのけたたましい笛の音は…?そうだお湯を沸かしていたのだった。お茶を入れよう。朝から煎茶だ。

 朝日新聞の全国緊急世論調査によると内閣支持率は20%になったそうだ。また、60%の人が衆院を解散して総選挙をすべきと考えているという。ところが当の自民党は「これではしばらくは選挙ができない」といっているらしい。支持している人がほんの少数でしかないのに、あくまでも自分たちの都合が優先するようだ。国民は、あっちでもこっちでもため息をつき、悪態をつき、怒りの声をあげているというのに、ね。

 さて、梅雨の前に洗濯機を買い換えようかと考えているのだが、これが結構頭を悩ませる問題なのだ。今使っているのは9年前に購入した日立の白い約束だ(風呂水ポンプが機能しなくなった)。イオンがどうのこうの、という洗濯機だった。最近の洗濯機のカタログを見ると、脱水だけでなく風で乾かす機能が当然のようについている。リサイクル熱で乾燥させるというのもある。それにインバータタイプのものもある。洗濯機がインバータ?だなんて、私には理解できない。

 「洗濯機がインバータって、どういうこと?」と、小さな声でそっと若い人に聞いてみた。しばしの沈黙の後返ってきた返事は、音が静か、消費電力が少ない等々とその効用を並べたてたものだった。私が知りたかったのはインバータって?ということだったのだが。インバータとかハイブリッドとかいう言葉は苦手だ。どんなに説明されてもよく理解できない。理解する必要はないのかも知れないが、インバータタイプの洗濯機とそうでない洗濯機があった場合、どちらを選べばいいか?というときどう判断したらいいのかわからない。洗濯機ひとつ買うのも大変である。

 日立はもういいという気がするし、シャープはいやだし、ナショナルも気が進まないし、となると東芝か三菱である。三菱は冷蔵庫がとても気に入ったので洗濯機も…とも思うが、どうだろう?
2008年5月 2日 9:17 | コメント (0) | トラックバック (0)