代替品

 オリンピックは戦争の代替品である。戦いを好む人間は、時代が変わってもいるものだ。しかし、昔のようにやたらと戦争をしていては互いに損失が大きいと気づいた人々が、その代替品として考え出したのがオリンピックだ。そして、聖火リレーはオリンピックの象徴である。今回の騒動をみれば、その意味がよくわかる。

 選手個人の競技の成績よりもメダルの数が各国間で競われる。メダルの数は戦争の成果である。そのために、出場選手の選考は必ずしも成績によらない。前段階の大会で負けたとしても、その国の顔である選手は選出される。オリンピックが純粋なスポーツの祭典などではない証である。開催地選びも戦争だ。開催地に選ばれれば、戦争時の特需と同様に経済効果が期待できる。

 開催地を獲得した中国が勢いづくのは当然だし、中国の人たちが愛国心を丸出しにするのも当然だし、また、それに反発する人たちがさまざまな抗議活動をするのも当然だ。それぞれがそれぞれの主張を精一杯するのは、悪いことではないかも知れないではないか。逮捕者や怪我人が出ることくらい、仕方がないではないか。人々は腕力以外に武器を使わないのだから、人々は戦争をやめられないのだから。
2008年4月27日 8:39 | コメント (0) | トラックバック (0)