難問

 今朝の起床もいつもどおりの4時半だった。朝一番に窓を開け、ベランダに出ると「山の朝」のような空気だった。深呼吸をして胸一杯に空気を吸い込みたくなるような山の朝の気配がした。見まわすと、新緑の季節が始まっていた。私はこの季節が一番好きだ。5月生まれということもあるが、生き返ったような、命の始まりが戻ってきたような、そんな気分になる。冬はできることなら冬眠したいと思っていたのに、体の隅々が、い・き・て・い・る・よとつぶやいているかのようだ。簡単に言えば、異様にハイになるのだ。明日からは我が季節、5月である。

 「あたまの目 人生の見かた」(外山滋比古・著 みすず書房)をちょいちょいと拾い読みしている。「不幸を食う幸福」と題した節に、次のようなことが書いてあった。
 「知り合いが病気になっても見舞いに行かない人がいる」、と。「その人が言うには、見舞いは病人の弱味につけこむ自己満足だとなる」、と。「われわれには人の病気によって自分の健康を実感し、幸福だと思う不都合な心情がある」、と。またこの人は、「ひとの葬式にも、よくよくのことでない限り、行かない」、と。「人の不幸をよろこぶ不埒な気持ちをのさばらせない方が、故人をしのび、冥福を祈る、より大きな哀悼になるといって、不義理をするのをおそれない」、と。

 私もどちらかというと、というより、まったく、この”不義理をおそれないひと”と同じ考え(生き方)をしている。でも、こういうのは理解されないだろうなぁ、とも思う。変わり者扱いだろうなぁ、とも思う。
 近頃の現象として、何か事件があって人が亡くなったりすると、その現場に赤の他人がどっと押し寄せ花を手向けたり手を合わせたりしている、ということがある。そういう人たちを、他人の不幸を食って幸福を実感している人たちだと声高に言うつもりはないが、私には理解できない行為ではある。

 今朝の朝日新聞の一面は、「細切れ雇用の果て 39歳、全財産100円」という記事だった。まじめに生き、働く意欲もあるのに仕事に就けず、特定非営利活動法人・自立生活サポートセンター「もやい」に助けを求めに来た人の話だ。読んでショックを受けたのだが、それよりも強く感じたのは怒りだった。それは、私がまだ子どもだった頃、もう敗戦から数年はたっているというのに、傷痍軍人といわれる人たちが独特の白装束で物乞いをしていたのを見たときに感じたのと同じ怒りだった。
 どうしてこういう社会になってしまったのか…。どうすればそれを是正することができるのか…。なぜ国はこの人たちに手を差し伸べないのか…。何をどう考えればいいのか…
2008年4月30日 12:36 | コメント (0) | トラックバック (0)

雑念、雑感、雑用

 気がつけばGWが始まっていた。GWだといっても普段と変わりない生活が続く。そして、はて?今日は何の日だったっけ?と思う。4月29日は…天皇誕生日、じゃなくて、みどりの日、じゃなくて、そうそう、昭和の日というのだった。

 昭和の日は、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日と位置づけられている。続いて、5月3日の憲法記念日は「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」日であり、5月5日のこどもの日は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日だそうだ(父母に感謝…ではなく母に感謝…とはね)。そしてその間の5月4日の、ついでに休みにしてしまえぃとばかりに祝日となったみどりの日は、「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」日となっているそうだ。

 こうしてみていくと、いつも感じることだが、祝日は本来の意味の記念日だけでいいじゃぁないか!と思う。その出来事、事柄を、後々まで忘れないために、あるいは後世に伝えていくために記念日としたものだけを祝日(休日)するのがいいと思うのだが、今では祝日の大安売りである。はっきりいって、バカみたい…と思う。
* * * * *

usa.jpg 先日衝動買いしたiPod shuffleは重宝している。この写真のうさ君の、妹分の白いうささんがベッドの上で、シャツにiPod shuffleを付け耳にイヤホンをかけ待機している。毎夜聴きながら寝るのだが、幸いなことにというか呆れたことにというか、気がつけばまともに2曲は聴いていないのだった。1曲半くらいでスゥーと寝てしまっているらしい。ひと眠りしてはっと気がつき、OFFにして改めて寝るらしい。それじゃ最初から聴かなくてもよさそうなものでは…とも思うが。

 iTunesで曲を購入するという、なんとも不可思議な恐ろしいことにも挑戦してみた。前から気になっていたアルバムが1500円である。ケースも解説書もなしだとこういう値段になるということか…などと思いながら、恐る恐る購入した。購入したといっても、「このアルバムをダウンロードしたい」というだけである。いくつかの事柄を確認されて、いいよぉと答えると曲が次々にダウンロードされる。あっという間である。あっという間に1500円である。その1500円はどうやって支払うのだろう???などと思っていたが、何のことはない、あっという間にクレジット払いになっていた。あまりの手軽さに身震いした。CDを購入したという実感がないままに、私のパソコンに入っているのである。
 1曲単位では200円だ。ロト6と同じ値段である。あまりにも気軽過ぎる値段だ。ホイホイと購入するのは怖い気がする。もっとも、私には欲しい1曲を見つけるのが容易ではないから心配はいらないが。
2008年4月29日 9:15 | コメント (0) | トラックバック (0)

何かできる、何でもできる…という思い

 「福井県小浜市のオバマ候補応援」も恥ずかしいと思ったが、「チベットに平和を」と主婦ら400人が御堂筋をデモ行進した、というのも恥ずかしいなぁ〜と思う。インターネットを使った呼びかけや口コミが悪いというわけではないが、政治的意味を含まない「チベットに平和を」という主張は、いったい何なんだ?と思う。
 「命の尊さや信仰の自由を訴えるため」という名目らしいが、チベットにとっての今現在の問題は、中国の支配から独立できるかどうかということだと思うのだが…。そんな難しい問題は抜きにして、私たちにできることを何かしましょうよ…とでも言って集まったのだろうか。

 よほど勉強をしない限り、日本で、ある意味のほほんと暮らしていける私たちに、少数民族の存続を懸けたチベットの問題など理解できないように思う。チベット騒乱で亡くなった人々の追悼の意味もあるようだが、「命の尊さ」や「信仰の自由」を叫べば済む問題ではなさそうだ。
2008年4月28日 8:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

代替品

 オリンピックは戦争の代替品である。戦いを好む人間は、時代が変わってもいるものだ。しかし、昔のようにやたらと戦争をしていては互いに損失が大きいと気づいた人々が、その代替品として考え出したのがオリンピックだ。そして、聖火リレーはオリンピックの象徴である。今回の騒動をみれば、その意味がよくわかる。

 選手個人の競技の成績よりもメダルの数が各国間で競われる。メダルの数は戦争の成果である。そのために、出場選手の選考は必ずしも成績によらない。前段階の大会で負けたとしても、その国の顔である選手は選出される。オリンピックが純粋なスポーツの祭典などではない証である。開催地選びも戦争だ。開催地に選ばれれば、戦争時の特需と同様に経済効果が期待できる。

 開催地を獲得した中国が勢いづくのは当然だし、中国の人たちが愛国心を丸出しにするのも当然だし、また、それに反発する人たちがさまざまな抗議活動をするのも当然だ。それぞれがそれぞれの主張を精一杯するのは、悪いことではないかも知れないではないか。逮捕者や怪我人が出ることくらい、仕方がないではないか。人々は腕力以外に武器を使わないのだから、人々は戦争をやめられないのだから。
2008年4月27日 8:39 | コメント (0) | トラックバック (0)

証明書のための証明書

 住民基本台帳法と戸籍法が改正されたらしい。それにともない来月から、住民票や戸籍に関する届出や証明書の交付申請をするときの本人確認が義務付けられたそうだ。自分の住民票を申請するにも、窓口で「私が私です」という証明をしなければならなくなった。運転免許証もパスポートも持たない私は、複数の書類を持参しなければならない。カードタイプになった健康保険証は常時携帯しているが、年金手帳などふだんは持ち歩かない。これからは持ち歩かなければならないのか…、厄介なことである。

 不正請求の防止、個人情報の保護といえば、誰も文句はないだろうということかも知れないが、そのためになら本人に(市民に)多くの不便を強いてもいいというのだろうか。なんだかおかしな話だ。たった1枚の書類を忘れた(持参しなかった)というだけで、必要な証明書の交付が受けられず、門前払いされることもあるのだろうか。

いろいろなこと(もの)の発達は、人々の生活を楽にしてこそ価値がある。…と、思っていたのに、何かと不便な社会になってきたように思う。いっそのことICチップでも埋め込みますか?と皮肉のひとつも言いたくなる。私が私ですの証明など、どこまでやれば完璧だというのか…。
2008年4月26日 10:03 | コメント (0) | トラックバック (0)

元はといえば

 昔の新聞には人生相談は付き物だった。今でもあるのは、YOMIURI ONLINEである(名称は人生案内と変わっているが)。それを見ていると、「元カレが近況聞き回る」という30歳代の女性からの相談が載っていた。
 元カレだの元カノだの、いつからそんな変な言葉が使われるようになったのだろうか。人は生まれて生きていくうちには、多くの人に出会い、別れ、また出会い、また別れ、するものである。元カレや元カノなどという言葉を使う人は、生きていくということをどう捉えているのだろうか。

 理由はどうあれ別れてしまえば赤の他人である。赤の他人に戻るために別れる、といってもいいくらいだ。それをいつまでも元○○といい続けるのは、別れていないのと同じである。最後の糸をまだ切っていないのだ。関係を絶っていないから(自分にとっての)元○○という言い方をする。
 
 政治家は、元○○大臣などという肩書きをいつまでもしっかりとつけている。役職を退いても決してただの政治家には戻らない。何故か?
 元カレが…といつまでもいっている人も、元○○大臣などという肩書きをつけている人も、思いは同じ。私はそういうのは嫌い。常に自分自身でありたいと思えば、「今」を大切にすればいい…、と思うのだけれど。
2008年4月25日 13:56 | コメント (0) | トラックバック (0)

旧安田庭園

 もう少し遊んでいこうと向かったのは、両国にある旧安田庭園。日本橋からどういうルートで行こうかと迷ったすえ、「都バスに乗って隅田川を渡ろう」ということになった。渡った橋は永代橋だ。誘うように流れる隅田川を垣間見て門前仲町へ。ここでバスを降り、今度は地下鉄大江戸線で両国まで。両国といえば国技館や江戸東京博物館がよく知られているが、ほんの少し歩けば旧安田庭園もある。
 池を中心にぐるりとひとまわり散策できる。ちょっとした食後の散歩だ。
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 歴史の勉強不足で知らなかったのだが、関東大震災で大きな被害を受けた場所だという。近くの公園には慰霊堂もあり、そうか…そうだったのか…ふ〜むと勉強不足のわが身を恥じた。
 私のデジタルカメラの腕はチットモ上達しないが、最後の青空に向かって咲くハナミズキの写真はチットは”まし”かなぁ〜と思っているのだが、どうでしょう…?
2008年4月24日 9:55 | コメント (0) | トラックバック (0)

三井さんちの贅沢品

 今日は久しぶりに日本橋へ出かけた。行き先は三井記念美術館。「−数寄の玉手箱−三井家の茶箱と茶籠」を観た。期待以上におもしろく、興味津々で見ていたら2時間が過ぎていた。三井さんちの贅沢品は見ていて飽きることがない。茶道の心得はないが、その道具の数々は見ていて興味深い。
 仕覆もいくつか展示されえいたが、その裂の模様や色使いが思いのほか現代的なので驚いた。やはり贅沢なのだと、改めて感じ入った。

 はじめて見たもので魅了されたのが、剪綵(せんさい)という細工物(工芸品)である。どんなものかという説明は私には難しくてできないのだが、それはそれはきれいで手の込んだものだった。もとは中国の工芸なのだそうだが、今でも作られているのか、現在の日本にも入ってきているのか、他にも保存されているものがあるのか、いろいろ知りたいことが出てきた。

 三井記念美術館は派手な美術館ではないが、なかなかおもしろい美術館である。ちょっとお勧めの美術館でもある。
 10時前に東京駅八重洲中央口でいつもの連れさんと待ち合わせ、メトロリンク日本橋で美術館へ、2時間遊んで、ランチは日本橋タカシマヤにある資生堂パーラーで…。これでやっと午後1時すぎだ。帰るにはまだ早い。というわけで、次に行ったのは…(明日に続く)
2008年4月23日 19:44 | コメント (0) | トラックバック (0)

本を借りる

 図書館で借りた本4冊…。
「精神科医のモノ・グラフ」(大平健・著 岩波書店)…著者は先見日記でおなじみ
「あたまの目 人生の見かた」(外山滋比古・著 みすず書房)…あたまの目ってどんな目?と思ったら読んでみよう
「作家の犬」(平凡社 コロナブックス編集部)…猫も好きだが犬も好き
「仕覆 ものの命を包む」(蜿子・著 文化出版局)…明日はこれを見に行く予定なので
2008年4月22日 18:34 | コメント (0) | トラックバック (0)

適切な言葉と不適切な言葉

 いつもの朝のようにラジオをつけっぱなしにしていた。NHK-FMである。ニュースが終わると変な声が…、いけない、今日は月曜日だった。あわててラジオを消した。それにしても、朝にはふさわしくない声である。その声が、ヒロコちゃんを連発する。確かにお相手は幸田浩子さんだが、いい年をした大人の女性をちゃん呼ばわりするのは聞き苦しい。大人をちゃん付けで呼んでもいいのはプライベートな場面だけである。この「きまくら」という番組は嫌いだ。それなのに、ご丁寧に月曜の朝に再放送がある。ほかに再放送して欲しい番組がいくらでもあるのに、よりによって…。

 自衛隊のイラクに派遣に関して、名古屋高裁が違憲判決を出した。自衛隊の航空幕僚長は会見で、「私が隊員の心境を代弁すれば『そんなの関係ねえ』という状況だ」と発言したという。こういう場面で「お笑いタレントの流行語」を引用するのも、大人を「ちゃん付けで呼ぶ」のと根は同じである。立場上納得のいかない(あるいはできない、またはしてはならない)判決であったとしても…である。
 
 どちらの例も、そんなのどうでもいいじゃん…などと思っていたら、知らない間に自分にも同じ根が生えると心しておかねばならない。どうでもよさそうにみえて、どうでもいいことではないのだ。たぶん…。
2008年4月21日 8:43 | コメント (0) | トラックバック (0)

定規の常識

 「コドモのどうぐばこ コドモといっしょに暮らしとモノとデザインと」(荻原修・著 オレンジページ)を読んでいると、定規の話があった。特に興味を引いたのが定規のデザインの話。たとえば5角形の定規。これは50cmだ。四角形の定規なら40cm。定規の写真はこちらを。これを見たとたん、”これ欲しい!”になってしまった。ドリルデザインの商品だそうだ。

 『長さに限らず、面積や、重さや、体積などをはかることで、何が見えてくるのか。オトナでも難しいことを、コドモにどうやってわかりやすく興味をもてるように伝えていくのか。まだまだ、工夫の余地があるように思います』という言葉で定規の話は終わる。なるほど…、定規ひとつで奥深い話になってしまっている。はかることで何が見えてくるか?なんて、そんなこと…、ほんとにひとことでは答えられないくらい難しい。第一、そんなこと、あまり考えたこともないし…。たかが定規ではなかったのだ。
2008年4月18日 8:48 | コメント (0) | トラックバック (0)

国の意識、あなたの意識、私の意識

 内閣府が実施した「社会意識に関する世論調査」で、国を愛する気持ちが「強い」と答えた人が57%(前回調査比:4.9ポイント増)だったそうだ。へぇ〜というかほぉ〜というか、まぁそんなもんでしょというか、意外だというか…つまるところよくわからない。社会への貢献意識に関しても、「個人の利益よりも国民全体の利益を大切にすべきだ」と回答した人が4.3ポイント増の51.7%で、過去最高なのだという。

 これをどう考えたらいいのだろう。「国を愛する気持ち」については、何を愛国心と捉えているかによるから一概にどうとも言えないが、「個人の利益よりも国民全体の利益を大切にすべきだ」については内容が明確であるから、その言葉どうりに受け取るとかなり怖い気がする。本心なの?と聞いてみたい気がする。本当にそういう意識を持った生き方をあなたはしているの?と聞いてみたい気がする。

 たとえばいま問題の後期高齢者医療制度にしても、本当に「個人の利益よりも国民全体の利益を大切にすべきだ」と考えているなら愚痴もこぼさず不平不満も言わず従えるでしょうに。国が言うところの「国民全体の利益」とは、私たちみんなの、ひとりひとりの、すべての人の、という意味ではないことくらいわかりきっているでしょうに。
 「国を愛する気持ち」といっても、この私だってこの国は好きだ。でも、戦争など始めたらすぐにでも捨ててしまいたいと思う。こういうのはどうなのでしょうね。
2008年4月17日 14:59 | コメント (0) | トラックバック (0)

私のiPod

 衝動買いといえなくもないが、iPod shuffleを買った。もちろん自分で…だ。驚くほどの小ささで、まるでおもちゃのよう。色はブルーだ。おしゃれなケースの中で鎮座していた。問題は使い方である。小さな説明書がついているだけだ。これを読んで理解しろと?少々無茶である。若い人に助けてもらいながら、どうにかこうにか音楽を取り込むことができた。
 ひどい音がするかも…などといわれていたので恐る恐るイヤホンで聴くと、心配するほどではなかった。私の場合は長時間聴くわけでなく、寝る前の睡眠導入剤代わりである。先日PCに取り込んだCDから、寝る前に聴きたい曲を選んで入れておけば、あっという間にスゥ〜と寝てしまう…だろう。真夜中に目が覚めても、また聴けばスゥ〜だ。
 iTunesからダウンロードするというのは、難しそうなのでまた明日にしよう。なんだか本当におもちゃのようだ。たぶん本当におもちゃなのだ。音楽を聴くにはステレオ装置という機器が必要だった時代とは違うのだ。すごいね。
2008年4月16日 10:28 | コメント (0) | トラックバック (0)

音楽を聴く

 先日のこと、電車で向かいに座った女性(どう見ても私より年上に見えた)が、手馴れた手つきでiPodを操作していた。すごいなぁと、思わずお顔を拝見した。私など、あれがiPodというものなのねとやっとわかるようになったところだ。
 負けちゃぁいられないとCDをPCで聴く方法を教えてもらい、PCにCDを取り込んでいるところである。聴くのはPCのスピーカーからではなく、MDステレオシステム(Panasonic SC-PM77MD)というヤツのスピーカーからである。

 MDステレオシステムは、CDが5枚も入れられるなんてすご〜い!と買ったが、いつの間にか音がビュンビュン吹っ飛ぶようになってしまった。BGMだといってもそれでは聴きずらい。困っていたら、USBケーブルを持ってお助けマン…じゃなかった、若い人が助け舟を出してくれたというわけだ。
 よくよく見れば、リモコンにちゃんとUSBというボタンがあるではないか。改めて取扱説明書を開くと、「パソコンと組み合わせて使う」という項目があった。これは、目次の「もっと使いこなす」のところだ。この私も、一歩進んで「もっと使いこなす」のだ。

 さて、CDを取り込むという作業だが、1枚のCDを取り込むのにかかる時間はほんの3分ほどだ。30分で10枚、1時間で20枚…、ホイホイと取り込まれていくが、単純作業で1時間も続けてするのはつらい。チビリチビリと取り込んでいるところである。
 というのも、4月になってNHK-FMは一段とつまらなくなったのでCDを聴く時間が増えたからだ。月曜の朝っぱらから、落語家特有のおしゃべり(しかも関西弁混じりの)は聞きたくはない。

 ところで、iPodといえば高価なものと思い込んでいたのだが、「iPod shuffle(1MB)」は5800円だという。「クリップひとつで身に付けられる」「片手で簡単に操作できる」等々、私でも使えそうだ。もうすぐ母の日だし誕生日だし、「これ欲しいッ!」と言ってみようか。
2008年4月14日 9:12 | コメント (0) | トラックバック (0)

思考する言葉

 「ことばには、意味がある」「一家に信頼の1冊を」、これは広辞苑に冠されたことば。朝刊の広告では、「大学生も使っている。小学生も使っている」となっていた。方や三省堂の辞書の広告には、『いま求められる、「学力」を支える「言葉の力」。辞書は三省堂』となっていた。広辞苑の「大学生も〜小学生も〜」というのは、家族で使えるとか、一生使えるとか、万人向きとか、そういったことが言いたいのだろうと思うが、漢字が読めない書けない大学生は小学生と変わりないという今の時代では皮肉に聞こえてしまう。
 
 朝日朝刊の一面は、「公立高校入試で、推薦による選抜を廃止して筆記試験に一本化する動きが各地で相次いでいる」という記事だった。受験競争の過熱に対する懸念や、生徒の意欲や中学での生活態度を重視したいという思いから始まった推薦入試が、いつの間にか学力が低くても合格できる自己推薦だらけになってしまったようだ。
 「自己アピール」ならわからないでもないが、考えてみるまでもなく、「自己推薦」というのはヘンテコリンな言葉である。臆面もなく、自分で自分を人様に推薦する?

 「後期高齢者医療制度」も、制度そのものより後期高齢者とは何ぞな?と言うことが話題になっているが、意味はわからないではないが変な言葉をひねり出したものである。老齢期という期間を前期後期と区分することは可能だが、一人の人間を前期後期に区分することなどできない。若年高齢者・老年高齢者とでもすればもう少し受け入れられたかも。
 そんな名称とは別に、「患者の望む医療ではなく、ただ医療費抑制の観点から考え出された制度だ」として、各地の医師会が反対を表明しているという。メタボ健診然り、何が何でも医療費を抑制したいのね?
2008年4月13日 9:55 | コメント (0) | トラックバック (0)

輝く星

 このブログに「はてなスター」を設置してから、ちらほらとをつけてくださる人が現れとてもうれしい。このブログは華やかにコメントがあふれるブログではないが、シャイなアナタとシャイなワタシのあいだに、ひそかな共感の糸が繋がったことが実感できてとてもうれしい。
 はてなスターはトップページにだけ設置してあるので、1週間の命だ。はかない星ではあるが、私にはとても輝いて見える。アリガト!
2008年4月12日 9:20 | コメント (0) | トラックバック (0)

入学式は門出

 雨が降り気温も低かった昨日は、近くの幼稚園の入園式だった。まだまだ赤ちゃんっぽい子どもが、着飾った若い両親に連れられて歩いていた。両親そろって式に出席というのは、今では当たり前のことのよう。若いパパは義務感からというより楽しんでいるように見えた。時代は変わった…と、つくづく思った。
 幼稚園だけはなく、小学校も中学校も、高校も、そして大学も、両親共々入学式に出席というおかしな習慣ができたのはいつの頃からなのだろう。

 今日は、かの東大の入学式があったらしい。ニュースによれば、特別栄誉教授の安藤忠雄さんは祝辞のなかで、「親離れをしてほしい」と新入生と父母双方に自立を促したそうだ。例にもれずというか、東大だからこそというか、入学式には新入生の人数を上回る数の保護者が押しかけたという。
 どんなに言葉で自立を促しても聞く耳がないのだから、入学式は新入生だけで、保護者のための席は設けませんと大学側が宣言すれば済むことだ。学長の挨拶はインターネットで聞ければ十分である。何でもかんでも、親子いっしょにその場にいなければ気がすまないというのは、実は重大な問題なのだ。「今日はどうだった?」「学長はどんな話を?」等々後で話を聞く機会を、親がみすみす子どもから奪っているのである。

 入学式は門出である、せめてそこからは自分の足で歩いていこう…と言いたい。入学式に出たい言う親には、恥ずかしいからやめてくれ…と言おう。祝う気があるなら、式が済んでからご馳走して…と言おう。親は、自分の入学式ではないのだから出しゃばるのはやめよう。私は、そう言いたい。
2008年4月11日 15:41 | コメント (0) | トラックバック (0)

惹句

 奈良県の、平城遷都1300年祭のマスコットキャラクターは、「シカの角を生やした童子(菩薩)」という非常に奇奇怪怪なものだ。かわいいと言う人は少なく、不人気というよりは批判の的になっているらしい。千葉市のマスコットキャラクターは「ちはなちゃん(大賀ハスのイメージ)」という。これもよくよく見れば奇奇怪怪、かわいいとは思えない代物だ。マスコットキャラクターの必要性とかその効用については、私はよくわからないが、好き嫌いでいえば私は嫌いだ。

 キャッチフレーズというのもある。たとえば…古いところでは「明るいナショナル」、「スカッとさわやかコカ・コーラ」、ダサいといわれた「彩の国さいたま」など。4月になってNHK-FM夜7時の「NHKきょうのニュース」を聞いていると、何か変なのだ。よぉーく聞き耳を立ててみると、「NHKきょうのニュースです」というところにキャッチフレーズがついていたのだ(どんな?と思った人は、ここで聞いてみてくださいな)。その後もニュースを淡々と読むのではなく、まるで掛け合い漫才のように会話をするのだ。なんとも聞きづらいニュースである。
 わかりにくいニュースをわかりやすく伝えたいということだろうが、ラジオの場合は正確に淡々と読んだほうが聞きやすい。聞きやすいというのがわかりやすいということの第1歩だと思うのだが、NHKは視聴者の能力を低く見積もっているのだろうか。キャッチフレーズ付のニュースも、好き嫌いでいえば私は嫌いだ。嫌なのだ。何とかしてほしいのだ。ねぇ、NHKさん、何とかして…
2008年4月10日 18:37 | コメント (0) | トラックバック (0)

桜の花びら、ひとつ…

 誰が運んできたのか、玄関に桜の花びらがひとつ。昨日はすさまじい春の嵐だった。さすがに○○な私でも本の返却に図書館まで行く気になれず、インターネットで貸出延長の手続きをした。明けて今朝は晴れ。さて、図書館へ行ってきましょ。(続きは後ほど)

………というわけで、続き。あまり時間がなかったので、手近な新着本の棚から適当に見繕って借りたのは次の2冊。
 「コドモのどうぐばこ コドモといっしょに暮らしとモノとデザインと」(荻原修・著 オレンジページ)
 「茶箱のなかの宝もの わたしの昭和ものがたり」(鶴田静・著 岩波書店)

 「コドモのどうぐばこ」は、とてもシンプルなイラスト入り。著者はここの人。ちょっと興味を覚えたので読んでみようか…と。「茶箱のなかの宝もの」は、表紙の装丁も、イラストも、タイトルのつけ方も、すべて私の好みではないのだが、そうは違わない時代を生きた人の書いたものなので読んでみようか…と。たとえば最後の方に出てくるガリ切りの話。ガリ切りというのはガリ版の原稿作りのこと。私もガリ切りは得意だった。そんなところからも、同じ時代を生きた人なのだなと思う。しかし大きく違うのは、過去とは、特に学校時代の過去とは、キッパリと決別した私には茶箱のなかの宝ものなど何もないことだ。
2008年4月 9日 8:42 | コメント (0) | トラックバック (0)

技術の進歩と意識の変化が相俟ってこそ

 日本では皆様のご理解ご協力でしかないが、欧米では白熱灯を段階的に禁止する動きが出ているという。この違いはどこから来るのかよくわからないが、他国でできることが日本ではできない訳は何だろう。
 白熱灯から電球型蛍光灯へ、電球型蛍光灯からLED照明へ、時代は移り変わる。照明の進化にしたがって消費電力は減り、寿命は伸びるが、価格だけは反対に高くなる。そこで問題になってくるのは政府の役割だ。遠慮がちに電球型蛍光灯を使ってねとお願いするか、太っ腹に補助するから即刻電球型蛍光灯に取り替えよとおふれを出すか、さて…。

 難しいことはわからないが、LEDというのはかなりの優れものらしい。我が家の冷蔵庫の野菜室にはLEDがついている。そのせいで野菜は傷みがないどころか、冷蔵庫の中で日に日に育つのである。普通は根っこの部分から痛み始めるものだが、野菜の中心部から育つのである。レタスもキャベツの白菜も、最後の最後まで新鮮である。安心して丸ごと買うことができ、経済的でもある。

 環境問題の解決策は、お金の使い方にあるのかもしれない。古い家電製品を10年も15年も使い続けるのは、現代では美徳ではない(しかし、そう思っている人はまだまだ多いはず、そういう私だって…)。ならば、8年くらい使った家電を買い換える場合には補助するとかして、買い替えを促進すればどうだろう?8年以上では補助はなしとしておけば、適当な時期に買い替えが進むはず。
 我が家の洗濯機もそろそろ8年を越す。風呂の残り湯のくみ上げポンプがだめになったがまだ使える状態なので使っている。そろそろ買い換えようか…とも思うが、踏ん切りがつかない。モーターがだめになるまで…などと思っていると、10年12年と使い続けることになりそうだ。8年目の買い換え時に補助があるというのは、そういう人にとっては踏ん切りをつけるのに効果的だと思うのだが…、どうでしょう?
2008年4月 7日 8:57 | コメント (0) | トラックバック (0)

どうする?

 南極大陸(ベルナツキー基地)の年平均気温は半世紀で3度近く上昇しているという。へぇ〜といったらいいのか、ほぉ〜といったらいいのかよくわからないが、ペンギンさんたちがぬかるみや水溜りの中で生活していると聞けば、それは大変…と思う。
 
 2012年までに、すべての白熱電球を電力消費量の少ない蛍光ランプに入れ替えようと経済産業相が言ったという。消費電力5分の1の蛍光ランプにすることで、温室効果ガスの排出削減を目指すという。本当に効果のあることなら、「国民の皆様、どうかご理解ご協力を」ではなく、きちんと強制力のあるものにすればいいと思うのだが…。レジ袋にしてもそうである。使わない(すなわち使い終えた後、ゴミとしない)ことではっきりとした効果が出るのなら、強制力を持たせ「本日よりレジ袋は廃止する」とお触れを出せばいい。
 我らが地球のために、本当に効果があり本当に必要なことであれば、国を挙げて即実行…ということがあってもいいのかも、と思ったりする。
2008年4月 6日 9:05 | コメント (0) | トラックバック (0)

機密保持

 シュレッダーを買った。これまでは卓上手動式シュレッダーを使っていたが、刃が引っかかるようになったので買い換えた。今度は電動式である。最大裁断枚数はA4が5枚まで、連続使用時間は15分まで、ダストボックスの容量は9リットルという優れもの(現在の製品は、「REV」「OFF」「AUTO」の3段階のスイッチではなく、「裁断」「停止」「逆転」となっており、その他に電源の「入」「切」のスイッチもある)。

 これで大抵のものは処分できるが、困るのは使用済みの銀行の通帳だ。そのまま捨てる気にはなれず、かといってあれをバラバラにしてシュレッダーにかけるのも面倒だ。結局捨てるに捨てられず、何十冊としまいこむことになる。
 片付けをしていると、とんでもない所から出てきたりする。見ると、驚くような金額の給料で生活していたことがわかる。そんなことがわかるくらいのことにしか役に立たない古い通帳はどうすればいいのだろう。バラバラにして1日がかりで裁断するしかないのだろうか。1日では無理かも…、3日かがかりになるかも…。
2008年4月 5日 9:23 | コメント (0) | トラックバック (0)

辞書を引くということ

 まぁねぇ〜、いろいろな考え方はあるとは思うけれど…。情けなくって腹立たしくってやりきれなくって…。何の話かといえば、「高校の教科書 広がる難易度」という昨日の朝日新聞の記事の話。
 高校の教科書であるからある程度の難易度の差があるのは当然とは思うが、難易度の高いものは難関大学受験向きというのもどうかと思うし、難易度の低いものはひたすら平易追求型担っているというのもどうかと思う。

 たとえば英語の教科書では、難関受験型は受験対策の内容ばかりで(したがって文学はほとんど扱っていないそうだ)、平易追求型は目も当てられないようなお節介教科書(辞書なしで読めるようにと英単語には訳語が添えてあり、発音記号の後にはカタカナで読み方まで載せてあるそうだ)になっている。そうしておいて、大学でのテキストは中高レベルのものになっているという。

 根本的なところで大きな考え違いをしているとしか思えない。辞書を引くということの重要性がわからないのだろうか。学ぶとは辞書を引くことだと極言してもいいくらいである。ピッポッパッの電子辞書はだめである。昔ながらの分厚い辞書でなければだめである。英語の辞書も国語の辞書も、である。

 中高レベルの内容を復習しなければついていけないような学力(何を学力というかの議論はちょっと置いておいて)しかない人は、本来は大学にいく必要はないのである。大学側も単に生き残りのために(経営の問題としての)そういう人でもいいからと合格させてはいけないのだ、本来は…。

 本当は多くの選択肢があるはずなのに、それを無くしてしまったところが問題なのでは?本当は…。親も子も、せめて高校くらいは出なければ、せめて大学くらいは出なければ、せめて大学院くらいは出なければ…と思い込まされている。目を向けなければならないところには目を向けず、後手後手に対応策ばかり練っても仕方がないと思うのだが、高校の教科書が難・易二極化してしまうところにまできてしまった。なんだか世も末だ…という気がしてきた。
2008年4月 3日 8:53 | コメント (0) | トラックバック (0)

じわじわと

 4月になったと実感するのは、ラジオの番組変更がじわじわと見えてきたとき、食料品の値上がりがじわじわと身近に迫ってきたときだ。
 NHK-FMの「日曜喫茶室」がとうとう月1回に成り下がった。代わってのし上がったのは「トーキングウィズ松尾堂」だ。「日曜喫茶室」が高齢化してきたのは確かだが、月1回は寂しい。「松尾堂」の店主の話し方には馴染めない。内容も日曜喫茶室の二番煎じで面白みがない。
 
 ガソリンは値下げしたらしいが、食料品は軒並み値上がりである。伸ばした手をいったん引っ込めるほどの値上がりである。そればかりでなく、品薄の商品まである。バターが無い。大型スーパーでも、確かここにバターがあったはずと思う棚がガラガラである。トーストにはマーガリンで済ませるが、料理に使うのはバターだ。それが無い。バター炒めなどしなけりゃ済むことではあるが、バターが無いということは、バターを使った商品は必然的に値上がりするということだ。

 あまりぱっとしない4月の始まりだが、そのうちに楽しいこともあるかも。真新しい制服の子たちの姿が見られるのもまもなくだ。一昨日の大雨にも昨日の強風にも負けずにしがみついている桜の花は、その頃までもつだろうか。
2008年4月 2日 9:17 | コメント (0) | トラックバック (0)

扨又

 ラジオのリクエスト番組には、必ずといっていいほど常連さんがいる。たとえば、NHK-FMの「サンセットパーク」という番組(東京で夕方6時から)では「さいたまのしまださとしさん」だ。よく知っている人と同姓同名なので自然と興味がわく。幅広いジャンルからリクエストする人である。音楽に詳しそうでもある。あんな時間に欠かさず聞いている(再放送はない)というのはどういう人だろう。若い人だろうか…それともお年を召した人だろうか…。まったく知らない人なのに、よく知っているような気になってくるから不思議だ。

 新聞の投書欄にも常連さんがいる。たとえば朝日新聞の声では「千葉市の主婦 萬濃その子さん」だ。取り立てたことを書いているわけではない。ごくありふれた身辺雑記だ。しかし、何故かしばしば採用される人である。つまり常連の投稿者だ。読むほうも、また萬濃その子さんか、もう80歳ですって?とかなんとか、内容よりも久しぶりの投稿だとか、もうそんなお年になられたのかとか、余計なことばかりに興味がわく。
 常連さんがいるのは当然だが、常連さんの投稿ばかりが採用されるというのはどうなのかはよくわからない。まぁそれはどうでもいいことなのだが、「声」欄の見出しの活字は良くない…とケチをつけたかっただけ。

 さて、今日からは4月である。新年度である。朝日朝刊には、「外山滋比古さんから、新社会人になる君へ」という文が載っていた。先日図書館で借りた「中年記」(外山滋比古・著 みすず書房)が予想以上におもしろかったので、『予定のない日記は予算のない決算のようなものだ』という今朝の文もふむふむふむと読んだ。
 80年代に出た「思考の整理学」(ちくま文庫)がまた注目されているらしい。ちなみにこの文庫は私も持っている。意外な人がまた注目され始めたようだ。この世の中、どうなっちゃったのだろう…と思う。

 やはり…と思ったのが、ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止である。愚かにもほどがある!と思うが、やはり愚かなのだろう。トラブルや嫌がらせを警戒してのことだというが、おかしな話だ。万人が同じ感想を持つわけはないのだから、トラブルを起こす人もいるだろうし嫌がらせをするひともいるだろう。だが、それが何だ!である。それを恐れたり、あらかじめ避けたりすることは大きな間違いだ。物事の根幹の根幹、本質の本質のところを忘れている。「中止は残念」という自民党議員のコメントはしらじらしいかぎりである。
2008年4月 1日 9:22 | コメント (0) | トラックバック (0)