国を憂い、世界を憂う

 中国には「国家安全危害罪」というものがあるらしい。それの最高刑は死刑だという。チベットのラサ市で起きた騒乱では、多数の人がその容疑で囚われの身となっているそうだ。「政治的公平さ」どころか「政治的自由さ」からしてない国もあるのだ。国家が、それは国家の安全に危害を加える行為であるとみなしたものはすべてその罪に問えるということだとすれば、なかなか恐ろしいものではある。人々はどんな思いで暮らしているのだろうか。
 
 新宿の映画館では、靖国神社を題材にしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映を取りやめることになったという。そこに政治的な圧力があったのかなかったのかは定かではないが、あったかもしれない、あったのではないか、と思われても仕方のない状況がある。
 
 言うことをきかない若者たちに銃を向けて脅した警官を、擁護したり激励したり処罰の減刑を望む嘆願書を出す人たちが、数多くいるということを憂えるのは、日本に「国家安全危害罪」などというものが出来ては嫌だからだ。共謀罪を作りたいと思っている人たちが現にいるのだから、私たちはこころしておかねばならない。自由とは何か、公平とは何か…、よく考えねばならない時がきたようだ。
2008年3月21日 9:29 | コメント (0) | トラックバック (0)