最後の授業

 ありのままを話すことの大切さは誰もが知っている。しかし、実際にありのままを話せるかというと、それは簡単なことではなく、ましてや子どもに対してありのままを話せるかというともっと難しくなる。
 吹田市の市立竹見台中学校で、元校長の女性が卒業を控えた3年生に「最後の授業」をしたという。病気のため余命半年の元校長は、自分の人生を教材に生きることの貴さを説き、「人生はしんどいことがいっぱいだけど、しっかりと生きてほしい」と語りかけたそうだ。

 道徳を教科にしようとか、感動できる道徳の教科書を作ろうとか、わけのわからないことを推し進めようとする人たちもいるが、この元校長先生のように、「自分の人生を教材に生きることの貴さを説く」ことは可能だし、それができてこそ教育者だ。
 「自分たちに全部話してくれてうれしかった」と言った生徒や、「今はすぐ理解できないかも知れないけど、託されたんだなと感じた」と話す生徒がいたという。『私の命がなくなったとき、話を聞いてくれた人の中に火種が残ってくれたら、私は第二の人生を生きられる』という元校長先生の言葉が、子どもに対してでもありのままを話すことの大切さを私たちに気づかせる。

 私の親は、子どもだからというだけで、何かにつけありのままを話してはくれなかった。子どもだから何もできないのは確かだが、だから知らなくてもいいとか、知らなければ幸せだとかいうことはないのである。人生の、人間の命の、一番重要な部分のことのありのままを大人から聞かせてもらえない子どもは、どう生きていけばいいのかを学ぶことができないのだから不幸だ。
 では自分自身が親になって、子どもに対して何事もありのままを話しているか…というと、それはなかなか難しいことだとわかる。難しいが大切なことなのだ。
2008年3月 9日 9:40 | コメント (0) | トラックバック (0)