とうとう大晦日

 とうとう大晦日。泣いても笑っても怒っても大晦日。さて、あなたはどうする?

 朝日朝刊オピニオンの欄に、「素粒子2007年筆者が振り返る」という記事があった。そのなかで筆者(河谷史夫サン)は、『「素粒子」は夕刊の、吹けば飛ぶよな時事寸評コラムである。国際化といわれるのに英訳もされず、IT時代というのにサイトにも載らない。古風に、あくまでも古風に、ただ紙の上に14行200字前後で、日々何かにつけて「求める」というふらちな試みである』と書いている。

 何故ソンナコトを書くのか?この年末をもって任を終えたから書くのか?理解に苦しむ。かつての”素粒子”の評価は高かったのに、その評価を落としたのはこの数年の筆者たち自身だ。それを棚にあげ?「英訳もされずサイトにも載らない」とふてくされている(ように見える)。挙句に、「ふらちな試み」と断じるとは…。
 読者の存在を全く自覚していないようだ。もしかしたら”素粒子”をスクラップしている人がいるかもしれないではないか(私はしないけれど)。長編よりも短編が書くのが難しいように、短文の中でも”素粒子”の短さは一番だ。それが書けるというのはピカイチの書き手にだけ出来ることだったはず。この筆者のように書き手に誇りや意気込みがなくては、”素粒子”の評価が下がるのも無理はない。読者に見放されるだけである。英訳やサイトに掲載は夢のまた夢。その責任はひとえに筆者自身にある。

 大晦日といえば今年の10大ニュースや我が家の10大ニュースで〆るのが一般的だが、私は今年亡くなった人々に注目したい(朝日新聞の「哀悼」の欄を参考に)。
 40歳代の人から最高齢者の114歳の人まで、多くの人がその生涯を終えた。名前と年齢とどういう人であったかという紹介の短い文を読み、その後ろに歴史を見、人が生きることの重さを感じる。それゆえ、誰か1人だけを取り上げ論じることなどできないと思う。しかし、NHKはFMラジオもテレビも阿久悠さん一色である。偉大な仕事をしたことは誰も否定しないと思うが、なぜこの人ばかり取り上げるのか?私はNHK-FMをBGMにしているが、阿久悠という名を聞かない日はないほどだった。すっかり食傷気味だ。
 海外の人の中で忘れられないのはグエン・ベトさんだ。何を話したわけでも何を書いたわけでもないが、生きた26年そのものが何よりも多くのことを語っている。 

 さて、今年も残すところ14時間を切った。どうぞみなさま、よいお年を。「この一年のご愛顧に感謝」です。
2007年12月31日 9:29 | コメント (0) | トラックバック (0)

限界を知る

 大抵のことは少しばかりの好奇心とソノ気があればなんとかなる、と思っていた。昨日までは。そう、昨日までは。
 「加賀のゆびぬき」に少しばかりの興味を覚え、私もひとつ…という気になった。一通りの材料をそろえまずは試しにと作ってみた。ひどい出来栄えだった。しかし、ここで諦めてしまうには好奇心が少しばかり強かった。ふたつ目を作った。改善された点もあるが、不細工なできである。原因はわかっていた。視力である。

 「加賀のゆびぬき」はかなり細かい針仕事だ。きれいな模様を出すためには、正確さが必要である。手の正確さというよりは、目の正確さが必要だ。模様を作るための作図には、ミリ単位の、0.何ミリ単位の正確さが必要なのだ。そして、針目の正確さも必要だ。
 ところが、私は遠視の上に乱視で、さらに老眼である。もちろんそれを矯正するメガネは使うが、見えるものには限界があった。定規のミリ単位、0.何ミリ単位の目盛りを読むことはもう不可能だと気付いた。正確に測って印を付けることがもう不可能なのだ。ショックだった。

 今年もあと2日。年が明ければ、数えで数えようが満で数えようが、ひとつ年をとる。今できないことが、来年にはできるようになるということはもうないのだ。ひとつずつ、ひとつずつ、「ハイ、コレデオシマイね」といわれるのだ。ひとつがふたつに、ふたつがみっつに、みっつがよっつに…加速度的に増えていくことだろう。それは受け入れるしかないから受け入れるとしても、その後はどうすればいいのだろう。あれもできないこれもできないでは寂しすぎる。
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写真:奥は試しに作ったもの(青海波)・手前は改良して作ったもの(市松)…どちらも納得のいかない出来。
2007年12月30日 9:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

いよいよ年末、後始末

 朝日新聞夕刊のミニミニコラム”素粒子”の筆者が代わるという。次期筆者は、8代目になるらしい。朝日新聞社の会社案内を見ると、素粒子は『夕刊一面の売り物コラムです。日々のニュースを「寸鉄人を刺す」の意気込みで切ってみせます』と書いてある。これが名物コラムとは…。いや、確かに名物コラムだった、ずっと以前は。しかし、今ではタイトルだけが名物と化し、内容は目も当てられないひどさだ。

 すっと以前、”素粒子”が名実ともに名物コラムであった頃は、上質の黒胡椒が一粒ピリッと効いていた。今の”素粒子”は、ファーストフード店の味付きフライドポテト並みだ。ただのフライドポテトに安っぽい香辛料をバリバリふりかけて、さも深い味がついているかのように装っている、あのフライドポテト…。

 次期の筆者は、元週刊朝日の編集者だった人だという。元週刊朝日の編集者だからといって偏見を持っているわけではないが(少しはあるかも)、期待できそうにない。新宿の朝日カルチャーセンターで「編集長のエッセイ塾」という講座(なんと満員だそうだ)の講師をしているらしい。Googleで検索してみると出るわ出るわである。どうやらかなりの癖者のようだ。さて、期待はしないが、どんな味付けになるのやら…。
2007年12月29日 9:26 | コメント (0) | トラックバック (0)

非難するのは容易だが…

 諸悪の根源といわれたフセインが処刑されたのが昨年の12月30日、そして今年もおしつまった昨日、パキスタンのブット元首相が暗殺された。ブッシュさんはさっそく「過激派による卑劣な行いを強く非難する」と述べたと伝えられるが、日本は…日本の政治家はどうだろうか。同じように自爆テロを非難するのだろうか。
 ほんのひと昔前、神風などといい特攻隊を組織し自爆テロを命じたあげくに、死ねば英霊などともてはやし靖国に祀り、いまだに多くの人が参拝に訪れるこの国の国民に(政治家はいうまでもない)、彼らの自爆テロを非難することができるのだろうか。

 インドは「パキスタンの人々にとって嘆かわしい打撃だ」といい、ロシアは「我々はこのテロ行為を断固非難する」といい、中国は「衝撃を受けている。テロ攻撃を強く非難する」といい、イギリスは「愚かしい攻撃だ」といい、アフガンは「このひきょうで非常に残忍な出来事を強く非難する」といい、国連安全保障理事会は「最も強い表現で非難する」といい、日本では外相が「極めて卑劣で許し難い行為であり、断固として非難する」といったと伝えられている。世界各国が口をそろえて非難しても自爆テロは絶えない。何故?昨年末フセインを処刑して、イラクは、世界は、どう変わった?
2007年12月28日 9:13 | コメント (0) | トラックバック (0)

冬ごもり

 今年もあと5日。そろそろ冬ごもりのしたくも始めなければ。冷蔵庫内を整理整頓して食料を蓄えて…、「加賀のゆびぬき」も作ってみたいので材料をそろえて…、読む本はもう借りて来てあるし、チョコレートも買い込んだし…、みかんも箱で買ったし…、あとは…。
 冬ごもりする場所は私の殻の中。”お〜い”と呼ばれても、”ママァ”と呼ばれても、”母上ぇ〜”と呼ばれても、”も〜しもし”と呼ばれても聞こえないところ。

 …と思ったけれど、そうもいかないのでしょうね。
去年の27日の記録を見ると、私はお風呂を済ませてからキッチンの引き出しの整理なぞを始めていた。今年は間違ってもそんなことはしないぞぅ〜。
2007年12月27日 9:01 | コメント (0) | トラックバック (0)

日本的思考

 読売オンラインに興味深い記事があった。「フランダースの犬」に共感するのは日本人だけだというのだ。日本では、絵本だけでなくマンガやアニメにもなっているおなじみの物語である。3年をかけて資料発掘したり計100人を超える世界6か国でのインタビューなどにより導き出された結論は、『日本人の心に潜む「滅びの美学」』だったという。確かに日本には滅びの美学はあると思うが、何故それがテーマになった物語をイギリス人の作家が書いたのか、それも謎といえば謎だ。それも解明してもらいたいような気もするが…それはさておき、ヘソマガリな私はフランダースの犬も走れメロスも嫌いだけれど、多くの日本人が好むものであるらしいことは確かだ。

 教育再生会議第3次報告が出た。こだわりのある私は、「7つの柱」の「2・徳育と体育で、健全な子どもを育てる」にやはりこだわるのである。「徳育を教科とし、感動を与える教科書の作成」とはなんじゃいな?と思っていたのだが、『偉人伝、古典、物語、芸術・文化などを活用し感動を与える多様な教科書を作る』というのにはやっぱりね…という思いだ。
 キューリーさんは偉い、英世さんは偉いという価値観、フランダースの犬や走れメロスに感動する心…等々を子どもに押し付けるのだろうなと思われる。芸術や文化は「楽しい刺激」であるところにその価値があるのに、感動を強要する教科書に閉じ込めたら台無しになる。

 民主党は、「高校教育無償化」(参院選での公約)を具体化するため、来年の通常国会に「国公立の高校・高等専門学校の授業料を無償化するための法案」を提出することにしたという。「高校通学は事実上、義務教育化している」というのがそもそもの理由らしいが、これは間違っていると私は思う。「高校通学は事実上、義務教育化している」、故に「保護者の経済的負担を軽減する措置」が必要、というのはおかしい。まるで絆創膏だ。根本のところの「高校教育が義務教育である必要があるのか」という議論・検証が抜けている。それを飛ばして、現状がそう見えるからそれを助けようというのは、大きな間違いの始まりにしかならない。
2007年12月26日 8:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

恒例行事めじろおし

 買物帰りに駅からバスに乗ると、サンタクロースが運転していた。毎年恒例のこととはわかっていても、ちょっと驚いた。あらぁ、サンタさん!といった感じである。席についてから、バックミラーに写るサンタさんの顔をじっくり拝見したが扮装しているという感じはなく、もしかしたら本物のサンタさんか?と思ったがメガネをかけていたので○○交通の運転手さんだ。
 
 こちらも恒例の「NORAD Tracks Santa」。なんとも楽しい。ソリを引くトナカイたちの先頭に立つのはあの有名な赤鼻のトナカイだ。サンタさんのソリにはなんとカーナビも装備されている。イマドキのお子たちにはこんな楽しみがあるのだ。私が子どもだった頃は、「靴下に入ったお菓子」を買ってもらうくらいしか楽しみはなかった。…と思っていたら、なんと1955年から始まり今年で50周年だという。しかも、このサンタ追跡サイトは北アメリカ航空宇宙防衛司令部のものだそうだ。へ?と思ったが、このプログラムは「スポンサーからの寛大な寄付により成り立っています」という。なるほど…。
 
 昨日のNHK-FMはクリスマスソング三昧だったが、明日になればもういくつ寝るとお正月〜♪である。クリスマスケーキや鶏の丸焼きの世界から、注連縄おせちの世界へ、一瞬にして入れ替わる。慌ただしいことこのうえなし。
2007年12月25日 12:04 | コメント (0) | トラックバック (0)

あれこれ

 今日はクリスマスイヴ・イヴではなくて天皇誕生日。ついこの間まで皇太子だったお方がもう74歳になられたという。生涯現役が昨今の流行らしいが、天皇職?も生涯現役では大変そう。後継者がいるのだから現役引退できればいいのに…、などといってはいけないのかな?この方たちには本当の意味の老後などないのかな…と思うと、お気の毒である。
☆ ★ ☆
 
 人々の感覚がどんどんヘンになってきているようだと思うのがこの話。あのミートホープ社が観光地化しているという。「話のネタになるので…」と、携帯電話のカメラで写していくらしい。ソンナコトをして恥ずかしいとかみっともないとか思わないようだ。人間には野次馬根性が備わっているとはいえ、それをあらわにするのはハシタナイことだと思うのだが。ただの話の種にしかならない何でも見てやろうは、小田実さんの「何でも見てやろう」とは程遠い。
☆ ★ ☆
 
 森ビルによる調査「世界5都市の市民の美術館へ行く頻度」によれば、日本(1.9回/年)はロンドン(3.9回/年)の半分で最下位なのだそうだ。私は…と数えてみたところ、今年は5回だった。年明け早々には、『生誕100年記念 ブルーノ・ムナーリ あの手 この手』(板橋区立美術館)を見に行く予定だ。区立なので600円と格安だけれど、場所が難。どうやって行こうか…と思案中。
2007年12月23日 9:17 | コメント (0) | トラックバック (0)

今年もあと10日

 「個人的には、絶対いると思っている」とうれしそうに語った官房長官。一旦終えた会見を、うれしそうな満面の笑みで再開し、UFO論議を始める防衛大臣。「いい加減にしなさい」と渋い顔だといわれる自民総務会長。「この種の話はあっていい」と寛容な文部科学大臣。アチラを向いてもコチラをみても問題ばかりなのに、いったいこの国はどうなっているのだろう。不思議な国である。残すところ今年もあと10日。この国は無事に年を越せるのだろうか。人々は…?

 だんだんと押し詰まってきたので、きょうは図書館へ。今年度最後である。借りてきたのは次の4冊。
「黙読の山」(荒川洋治著 みすず書房)…荒川洋治さんの本は出たらできる限り読むことにしている
「昭和前期の青春」(山田風太郎著 筑摩書房)…山田風太郎さんのエッセイは読む価値あり
「文房具52話」(串田孫一著 時事通信社)…久しぶりに孫一さん
「絹糸でかかる 加賀ゆびぬき」(大西由希子著 NHK出版)…きれい!作ってみたい!
私にとっては定番の人の本ばかり、今年の〆はこれでいこう。
2007年12月21日 12:49 | コメント (0) | トラックバック (0)

迷走3題

 来年4月から始まる「特定健康診査」もメタボ撲滅を掲げて初めは威勢はよかったが、40〜74歳の全国民を対象にした保健指導はできそうにないと言い出した。私は別にしてもらわなくて結構だが、サラリーマンの扶養家族は取り残されそうだという。できもしないことを、その予測も立てられずにやる!やる!といいたがるのは困ったものだ。

 何でも、やる!やる!と言えばいいというものでもない。今度は、「観光庁」なるものを来秋新設するといいだした。「観光庁」をつくれば海外からの観光客が増えるというわけでもないだろうに。整理することや減らすこと、なくすことには消極的というかあくまで抵抗するようなのに、新たにつくることにはやけに積極的だ。

 大臣になると何でもできる…と錯覚するのだろうか。この人もそう。ウソかホントか冗談か本気か知らないが、厚生労働大臣主催の有識者懇談会が開かれたそうだ。テーマは「人生85年の時代に、現代の日本文化とは異なる生き方を検討する」というもの。全くもって余計なお世話。そもそも「現代の日本文化とは異なる生き方」とはどういう意味?日本文化を否定するわけ?「ラテン系の人生の楽しみ方」や「江戸時代の高齢期の活動」などについて話し合うというが、なぜ、ラテン系?なぜ、現代の日本文化は否定して江戸時代に学ぶわけ?
2007年12月20日 8:41 | コメント (0) | トラックバック (0)

わからない事ども

 世の中にはわからない事どもが多すぎる。たとえば、今年の音楽関連商品(CD・シングル)の売り上げランキング1位は「千の風になって」だということ。年末の紅白で歌ったことだけがその原因ではないと思うが、だとすれば何故に売れた?

 さらに、たとえば、海上配備型迎撃ミサイル(SM3)の実射実験成功とその公開。「米国以外の国が、SM3の実射実験をしたのは初めて」と大々的に報道されているが、その意味するところは何?「防衛省は10年度末までに、SM3搭載のイージス艦計4隻を配備する一方、首都圏や中京・京阪神地区など計16カ所でPAC3の配備を進める」そうだが、”日本の防衛”=”アメリカの基地の防衛”ではないのか?

 また、たとえば、佐世保市の散弾銃乱射事件の容疑者や被害者が使う親友という言葉。生まれた土地を離れず大人になっても住み続ければ、必然的に人間関係は狭まる。幼なじみだから、同級生だから、というだけで付き合い続け、それを親友と勘違いしているのではないか?

 まだまだ、たとえば、教育再生会議の第3次報告の骨子案といわれるもの。相も変わらず主張する「徳育の教科化」と、それにともなう「感動を与える教科書」を作るということ。「”感動を与える”教科書」とは何ものぞ?何ゆえ教科書が子どもに感動を与えなければならないのか?徳育とは感動させることなのか?
2007年12月19日 8:48 | コメント (0) | トラックバック (0)

言葉は体を表す

 冗談としか思えない言葉の数々:
「宮ちゃんにお願いしよう」「うん、そうしよう」…収賄容疑の防衛省前次官とその妻の会話
「公約でどういうふうに言っていたのか、さっと思い浮かばなかったから云々」…公約違反ではないかという指摘に対する福田首相の言い訳
「厚生労働大臣としては、これまでの社会保険庁のひどさ、本当に国民に心から申し訳なく、お詫びをしないといけない」…「宙に浮いた年金記録」問題に対する舛添厚労相のポーズ
「一緒に食事したかもしれないし、していないかもしれないけど、したからといってどうなのか」…「調べりゃ分かる」という久間元防衛相の開き直り
「仇をとってくれと言われた」…坂出事件の容疑者の言い分
 
 ”名”は体を表すというが、”言葉”もまた然り。
2007年12月18日 8:52 | コメント (0) | トラックバック (0)

コクサイコウケン

 月曜日の朝はいつもどおり早起きをして、20分間で2人分の朝食の用意をして、5時からの30分間は私の時間。じっくりと新聞を読んでいるうちに、目が覚め頭が覚めてくる。

 今朝の朝日新聞の月曜コラムに、水島朝穂さん(早稲田大教授・法政策論)が、国際協力について『「21世紀型の小国主義」をめざせ』と題した主張を書いている。筆者は「国際貢献」という言葉には違和感があるという。そして、『湾岸戦争が起こると、「石油に依存する、豊かな日本が何もしなくていいのか」というトーンで、自衛隊を海外に派遣することが「国際貢献」であるかのような言説が流布する』、と書いている。

 湾岸戦争のことなど忘れかけていたが、確かにこの頃からヘンな国際貢献が大手を振って歩き始めたのだった。コラムの筆者の上の言葉にあるように、この時もやはり国民の心情に働きかけることで、思考を麻痺させていたのだ。自衛隊に何をさせるか(日本が国としてどうあるかに関る問題)は、そういった国民の心情で決まることでもなければ、決めてよいことでもない。

 コラムの筆者はこうも言う。『そもそも憲法9条が、過去から学び、指し示すベクトルは、国の施策として、武力による手段を遮断するところにある。武力を使わざるを得ない場面でも、あえて武力を使わない知恵と工夫、軍事力の副作用を伴う即効性と距離をとり、時間をかけた交渉や環境づくりの方向選択へと向わせるわけである。これこそが、真の意味で「国際社会において、名誉ある地位を占め」ることにつながるのではないか』、と。私はこの言葉に強く共感した。12月14日に書いた私の表現は拙いが、考えること言いたいことは同じだ。

 いわゆる給油新法(補給支援特別措置法案)を成立させるために、国会をさらに延長するという。何が何でも給油新法だという。給油新法が意味するところを忘れ、与党と野党の駆け引きばかりが強調されはじめた。オカシナ状況になりつつある。そんなときこそ、ものごとの本質を見ることを忘れてはならない。
2007年12月17日 8:57 | コメント (0) | トラックバック (0)

一番のお気に入り

 さて、昨日のネコさんたちのなかで一番のお気に入りは”トン”ちゃんだ。我がデジカメのセンセイから指名され、単独撮影モデルをつとめることに相成った。今朝になって、出来上がった写真が送られてきた。
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 私の友達だった野良のトンちゃんは、呼び止めるとこんなふうに振り返り返事をしていた。よく似た表情をしている。だから、この子をトンと命名した。どこへ行ってしまったのか…、元祖トンちゃんには近頃トンと会わなくなった。
2007年12月16日 10:15 | コメント (0) | トラックバック (0)

我が家にネコが…!

 はるばる長野から、9匹のねこさんたちがバスケットに入ってやって来た!…というのは半分はウソで半分は本当。本物のねこさんではなくて、「ネコの自由積木」のねこさんたちだ。”あそびをせんとや”さんで紹介されていたのを見て、欲しいなぁ〜と思い続けて2ヶ月、どうしても欲しいと買ってしまった。「銀河工房」に注文すると、2日後には届いた。
 各々が愛嬌たっぷりなポーズをしていて、1匹1匹に名前をつけたいほどだ。チビに、タマに、シロに、トンに、オヤブンに、ハチコに、アニキに、マドンナに、ベイビーだ。さっそく組体操をさせてみた。

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(写真は左から順に@ABCDとする)
@…まずは無難な積み方で。A…見た目に無理がない積み方で。B…接点をできるだけ少なくした積み方で。C…できるだけ高く高く。D…この中では一番難易度の高い積み方。
まるでネコさんたちを写真スタジオに連れて行って撮影したかのようなこの写真は、当然のことながら私には写せない。我がデジカメのセンセイにご出張願った。私は助手。セットを作り照明を当て三脚を用い…と、我がデジカメのセンセイに頼むと本格的だ。おかげで見栄えのする写真になった。

 9匹のネコさんたちで、何種類の積み方ができるのだろう。自由積木というだけあってどんな積み方も自由自在だ。次はどの子をてっぺんにしようか、どの子に下になってもらおうか…と飽きることがない。とても楽しい積木だ。ちなみに、Dの写真のてっぺんにいるのが”トン”ちゃん。
2007年12月15日 14:51 | コメント (0) | トラックバック (0)

間違えないで

 昨日の「参議院外交防衛委員会集中審議」TV中継を、ほんの一部分だが見た。インド洋での自衛隊の給油活動についての野党の質問に応えての発言だと思うが、防衛大臣の見識のなさに呆れた。防衛大臣は、「過酷な状況(気候など)の中で自衛隊員はTシャツ1枚で活動しているのではない、重装備で活動しているのだ、それを評価しないで(感謝もしないで)批判するとは云々」…というような発言をしていたのだ(1部分を聞いただけなので正確さには欠けるが、発言の内容に聞き間違いはないはず)。自衛隊員は命令ひとつで火の中、水の中、どこへでも行くのである。

 間違えないで欲しい。自衛隊員はボランティアではない。自己の意思や判断で行動しているのではない。命令ひとつで動いているのだ。その命令を下しているのは誰なのか?酷暑のなか重装備で活動しなければならないのは何故か?そこが戦闘地域に当たるからではないのか?
 国のために働いている人々(インド洋の自衛隊員)に敬意を払えというが、憲法に反して戦争に加担している人々に敬意を払うことなどどうしてできようか?息子や娘としての、夫や妻としての、兄弟姉妹としての、友人としての、命を無駄にして欲しくないから、反対するのだ。そんなことでは国際社会でのマラソンから脱落してしまうなどという人もいるようだが、国際社会のなかの国々、特に大国などといわれるところはみな、戦争をあらゆることの手段にすることを厭わない国々である。しかし、日本は違う。日本は模索を続けなければならない。戦争以外の手段で世界平和に近づく方法を模索しつづけることが日本の使命だ。
 だから反対するのである、十分な検証もなされないままおだてられて戦争をする国の仲間になることには。
2007年12月14日 9:06 | コメント (0) | トラックバック (0)

今週の本とパズル

 確かニコリの「激辛数独5」が発売されたはずと、いつもの本屋へ急いだ。急いだけれど発売日をすでに2日過ぎていた。そのせいかすでに売り切れ。代わりに買ったのが「ヤジリン2」、これは初めて。数独から乗り換えようかと思ったくらい、単純そうでいて奥深そう。
 
 このところ本を読むことに集中できずにいるのだが、それでも図書館で借りてきたのは次の3冊。
「星新一空想工房へようこそ」(最相葉月監修・新潮社・2007.11)…写真もたくさんあって読むのが楽しみな1冊
「猫路地」(東雅夫編・日本出版社・2006.5)…”猫好き作家20人による、猫ファンタジー競作集”というから”これは読まなきゃ”
「十話」(ランダムハウス講談社編・ランダムハウス講談社・2006.1)…”10人の作家が選んだ10の短編と10人の作家の短編にまつわるエッセー”というから”ちょっとおもしろいかも”
2007年12月13日 9:39 | コメント (0) | トラックバック (0)

今朝の新聞から

 ☆絵本の原画をカレンダーに
私も毎年買っている、財団法人ユネスコ・アジア文化センターのカレンダーが紹介されている。絵も楽しいしお話も簡単に紹介されているし、なにより収益は文化遺産保護や識字教材開発などの事業に使われるというところが気に入っている。あなたもおひとついかが?

 ☆「体験型」福袋 いかが
消費者の関心がモノからコトに移っていると見たデパートが、知恵を絞って体験型の福袋を売り始めたという。デパートがその本分を忘れて、イベントを売り出した。「一組限定50万円で雑誌編集者がコーディネートした服を着てお薦めのレストランで食事をする」という福袋だなんて、あほらしい限りだ。「10組限定10万円4泊5日みやざき移住体験福袋」もあほらしい。「各1人限定10万円カメラまたは楽器または農業体験ハッピーリタイア充実セカンドライフ福袋」なんてあほらしすぎる。お小遣いをたんまり持った中高年はデパートにとってはいいカモだということ。

 ☆アシモ進化
アシモ君がいっそうおりこうになったそうだ。これまでは命令されたら行動するというロボットだったのが、自分で状況判断し行動するようになったらしい。これはすばらしい。アシモ君が身のまわりのことを手助けしてくれるなら、長生きするのもいいかなぁという気になる。2、30年後にはどこまで進化しているだろうか?

 ☆厚生労働相、反省と言い訳
見苦しい。ほら吹いたと素直に認めたらまだ可愛げもあるが、このような言い訳は見苦しく聞き苦しいだけだ。首相は気持ちという言葉を使った。政治は気持ちでするものではなかろうに。愛の行政改革などとふざけたことをいっていた人もいたが、政治は愛や気持ちではない。政治はシビアなものだ。
(いずれも今朝の朝日新聞朝刊の記事から)
2007年12月12日 8:30 | コメント (0) | トラックバック (0)

芋の話

 暗闇で野菜かごに眠るサツマイモに、そろそろ起こして出番を作ってくれなきゃそのうち芽を出すぞ…と脅され、大学芋を作った。大きなサツマイモ2本。我が家の、というより私の作り方は、水飴は使わず砂糖だけのこちら。皮は、そのときの気分次第でむくこともある。
 揚げ油はさららかエコナ、もったいないので少な目の油でカラコロカラコロと揚げる。このあたりですでに少し酔い気味である。もう少しで揚がるというころにみつをつくり始める。サツマイモがこんがり揚がった頃にはみつもできる。一気に放り込みカラカラコロコロとからめる。仕上げに黒ゴマをふって出来上がり。この頃にはもうすっかり満腹の気分。作ったものの食べられない。仕方なしに翌日になってからオーブントースターで少し焼いて食べる。
 暗闇の野菜かごの中には、里芋も眠っている。里芋は苦手だ。このまま寝かしておこうかとも思うが、里芋が好きな人がいる。里芋まだか?里芋まだか?と首を長くしていることだろう。こちらもそろそろ起こして煮物にしようか…。里芋ご飯というのもあるけれど、私が苦手だからという理由で作らない。罪深きことだ。
2007年12月11日 9:26 | コメント (0) | トラックバック (0)

私の本棚

 読み物といえば、これまでは本に雑誌に新聞に…といったものだった。今は、PCだ。読み応えのあるものを探すのは結構難しいが、見つけることができればそこは宝の山だ。
 昨夜は、「webちくま」を読んだ。小冊子の「ちくま」を購読しているが、それを上回る内容(量的に)だ。そして、そこからリンクして「webきらら」や「ポプラビーチ」や「角川学芸WEBマガジン」や「NTT出版Webマガジン」にまで手を伸ばすと、とてもひと月では読みきれないほどだ。しかし、これはPCの中に読み物のほんの1部でしかない。

 印刷物とPCとではどちらが読みやすいかといえば、絶対に印刷物だ。印刷物はチラチラ動いたりはしないし、読んでちょうだい!と全身をさらけ出している。ところがPCの読み物は、まわりでなにやかやがちらついていたりやたらと色やイラストが付いていたりして、読んで欲しいのだかデモンストレーションしてるだけなのかよくわからない。
 読むときの姿勢は、やはり印刷物の方が自由が利く。デスクトップのPCならその前に張り付かねばならず、ノートPCでも膝の上や寝転んでなどという姿勢は私にはできない。
 印刷物なら読み終えたあとも”そこに存在”し、ふと目にしたときに思い出す。しかし、PCの中の読み物は自分で呼び出さない限り埋もれてしまったそれきりだ。



何がいいたいかというと、「お気に入り」に入れてあるものを整理しなきゃ…フォルダももっとわかりやすく整理して…整理整頓された本棚のような「お気に入り」にしなきゃ…と思ったということ。それだけ。
2007年12月10日 8:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

猫には猫の、犬には犬の

 猫には猫の、犬には犬の都合というものがある。それがわからない人間はお節介をする。そんな例がふたつ…。
 横浜市で。高い街路樹に上った猫、高みの見物をしていたら、下りられなくなったと勘違いした人間が消防に通報、出動した消防隊が救出作戦を開始、安全ネットを張りめぐらし、棒の先で「ホレホレ下りな」と猫のお尻を突いた。仕方なしに猫は移動を開始、ひと枝ずつ下に飛び移り、最後は地面めがけてジャンプ。一目散に横浜の街へ逃走した。下りられなくなっていたのではなく、遊んでいただけ。
 ひたちなか市で。認知症の高齢者を一晩中温めていたという犬、家出をしたものの人恋しい、たまたま公園で出会ったおばあちゃんと一晩過ごした。おばあちゃんを助けた偉い犬と有名になり、途端に「飼いたい」と申し出る人が殺到したが、飼主が現れ連れ戻された。野良ではなく、プチ家出をしていただけ。
2007年12月 9日 10:10 | コメント (0) | トラックバック (0)

12月8日

 12月8日、きょうは何の日?と聞かれて、「太平洋戦争開戦(対米英開戦)記念日」と答えるか、「Lennon's day」と答えるか、はたまた「ええっ?何の日だっけ?」と答えるか、それは人さまざまだろう。ラジオを聴いていると、Lennon's dayの話をしていた。そのときはまだ生まれていなかったという人と、小学3年生だったという人と、大学生だったという人と、さまざまな年代の人たちがいた。歴史は猛スピードで作られていく。

 戦後何十年になっても敗戦記念日は終戦記念日として記憶され、欠かさず何らかの式典やイベントが行われる。それに対し開戦記念日はすっかり忘れ去られたかのように話題にならない。私たち国民は、やはり国によって操作されているらしい。戦死者たちを英霊化することによって問題を心情的にしてしまい、その戦争は何だったのかという根本的な問いを忘れさせる。

 たぶん今という時代は、敗戦(終戦)記念日より開戦記念日を重視すべきなのかもしれない。再び戦争をしないという決意を新たにするには、戦死者を追悼することより何故戦争を始めたのかを真剣に考えることのほうが必要かもしれない。
2007年12月 8日 14:43 | コメント (0) | トラックバック (0)

白髪が黒髪に?

 年齢があがるにつれて白髪が増えるのは普通だ。今朝、1本の白髪を抜いたが、それは普通ではなかった。根元の方が3cmほど黒かったのだ。白髪になってしまっていたのに途中からまた黒くなった…ということだ。そんなことってあるのだろうか?現にあったのだからあるのだろうが、どういうわけでそんな奇跡のようなことが起きるのだろう?
 そういえば前々回にヘアカットに行ったとき、黒い髪が増えていると美容師さんが不思議がっていた。半信半疑だったが本当だったのだ。しかし、その原因は?食事に変化はないし、特に髪の手当てをしたわけでもないし、もちろん若返りの水を飲んだわけでもないし、何も変わったことはないのにどうして…?
 私は年相応に見られたい。年のわりにお若いですねなどとは言われたくない。白髪もいやではないので染めてはいない。それなのに、自然に白髪が黒く変化するなんて…、そんな自然に逆らったことがあっていいのだろうか?
 「白髪ができるのは、色素細胞(メラノサイト)のはたらきが、何らかの原因で弱まったり消失したりして、髪を黒くするメラニン色素がつくれなかったためと考えられる」と、ここには書いてある。…ということは、なんらかの理由で色素細胞の働きが活発になったということ?でも、何故、突然に?
2007年12月 7日 9:00 | コメント (0) | トラックバック (0)

○○の味がする○○

 全国各地の話題を集めたニュースを見ていたら、もちつきの話ばかりだった。もうそんな季節になったのか…と気をせかされる気分だ。高齢者と幼稚園児との交流餅つきや、恒例の幼稚園での餅つきなど。そのなかで、つきあがった餅を食べ始めた園児がマイクを向けられてひとこと…「きな粉もちの味がするぅ」と言った。その子が食べていたのはまぎれもなくきな粉もちだ。

 たまご焼きを食べて「たまご焼きの味がする」とは普通はいわないと思うが、きな粉もちを食べてきな粉もちの味がすると言うとは、それをきな粉もちと認識していなかったということか?と思った。食育が叫ばれそれなりに食育とやらを始めているようだが、自分の知っているきな粉もちと姿形が違っていると別のものと思ってしまうところはどうすればいいのだろう。恒例行事として滞りなく行うだけでは不足だということだと思うけれど、あ〜、済んだ!済んだ!やれやれで終わっていては、きな粉もちを食べてきな粉もちの味がすると言うのも当然かも。
2007年12月 6日 9:04 | コメント (0) | トラックバック (0)

来年のフクを予約する?

 筋肉痛が2日後に現れるようになると、人は年を感じるようになる。それはわかっていたが、体全体の疲れも年とともに現れるのが遅くなるとは知らなかった。先日SCに行ったとき、若い人と一緒だったのだが、若い人は帰ってすぐに歩き疲れて足がだるかったそうだ。私は3日後になってどっと疲れが出た。

 久しぶりのSCでおもしろいものがあちこちにあり、浮かれて歩きまわってしまったのだった。テディベアのお店には、はらわたを抜かれた抜け殻ばかりが売られていた。そばにはポップコーンの機械のようなものがあり、そのなかで綿がまわっていた。着せ替えクマさんのようで、下着からズボン、シャツ、上着、靴、ドレスなどありとあらゆる洋服が売っていた。横では母親が、洋服をねだる娘に「ひとつだけよっ!」と叫んでいた。そんなこんなで、面白おかしく歩きまわったつけが出てきた。3日後になって。

 フクが予約できるとは…知らなかった。「来年の福、よろしくね」と言って予約するらしい。今や福袋は、完全に予約制だ。しかも、どんな福かは自分で選ぶらしい。今年も良いことがありますようにという福ではないらしい。福ではなくてフクらしい。つまり、フク=服。タカシマヤの大きな新聞広告では、福袋ではなくてハッピーパック。「来年のフク、今日からご予約いただけます」という。ハッピーパック(福袋?)の中身はフク(服)ばかり。ふざけているのかまじめなのか、よくわからない。
2007年12月 5日 8:42 | コメント (0) | トラックバック (0)

頭がよくなる??

 頭が良くなるかどうかは知らないが、細かい手作業は脳に刺激を与えるのは確かだ。先日、とあるSCへ行った時、アサヒコムの”頭がよくなる!?”で紹介されていた3次元の造形ミニチュアキット「d‐torso」のMINI CAT Kitを見た。まるでパズルのような不思議な物体だった。
 できあがったものを飾るよりは、組み立てる過程の方がずっとおもしろいに違いないと思えるようなものだった。アサヒコムの記事では、「細かい組み立てが手先を使うので脳に良いと、大量に買い求める高齢者もいる」とあったが、そういうのはちょっとね。「楽しいから」でいいと思うけれど。楽しいからする、楽しいから脳も刺激を受ける、それでいい。
 「あそびをせんとや」さんの”紙の筒で作る立体構造”も、楽しいから作るというところがいい。きょうの”ひとこと”にあった写真を見ても、楽しんで作っておられることが伝わってくる。楽しそう…と思うから、私もひとつ…という気にもなるというものだ。
2007年12月 3日 21:20 | コメント (0) | トラックバック (0)

あちらもこちらも

 イヤになるほど夜眠れないのが最近の不調の原因か…と思えるほど眠れなくなってしまった。そんな状態でも羊は数えないしクスリは飲まないしケセラセラなのだが、昨日もまた大失態をしでかした。サバの塩焼きを焼いていたのだが、脂ののったサバだったようでその脂に火が付いて火柱が30cmほど上がり、これは消した方がよさそうだと思い、手近にあった鍋のふたで火柱を押さえ鎮めたのはいいが、そのふたをそのまま煮物の鍋にかぶせて、これでよし!などと思っていた。煮物もできて鍋のふたをあけてびっくりだ。なんだこれは?煤が…浮いているではないか。一体私は何をしでかしたのだ?…といった次第である。やれやれだ。

 やれやれ、やれやれ、やれやれ…と新聞を開くと、東京の新東京銀行の赤字が936臆円だと出ていた。「もっとシビアに経営改善を進めていく必要がある」と知事は言っているらしいが、936億円もの赤字が経営改善で解消できるとは(素人の私でさえ)思えない。この責任を知事はどう取るのか。たぶん責任など取らないで辞めるのだろうなぁ。許せないねぇ。

 許せないもなにも呆れてものが言えないのが、民主党だ。財務相の証人喚問を見送ることに民主党も合意したそうな。テレビのニュースでも「民主党の腰砕け」といわれていた。どうしてこうなのだろう?民主党は。最初は勢いがいいのに、最後は腰砕け。いつものパターン。期待したり応援したり見守ったりしてあげてもこれではねぇ。こつこつ仕事をするのが苦手な人ばかりなのか、先の読めない人ばかりなのか、どうしようもないねぇ。

 さぁ!気を取り直してマウスを買いに行こう!
2007年12月 1日 8:52 | コメント (0) | トラックバック (0)