恥じ多き日々

 恥じ多き日々を送っている私だが、最近の大失態は水風呂である。お風呂の支度は、一連の手順によって毎日滞りなくなされるはずだったのだが…。ボイラーの給湯のスイッチを入れ、浴槽の水道を湯の方に切り替え蛇口を開く。それからタイマーをセットする。25分ほどでタイマーが鳴り、湯が満ちたことを知らせる…はずだった。
 見ると、湯の量が少ない。不審に思いそっと手を入れてみると、水である。一面水である。これはどうしたことか、理解するのにしばしの時間を要した。いつもどおりの手順でやったはずなのに、これはどうしたことか…。手順を逆に辿っていくと、ボイラーのスイッチが入ってなかった。ガーンと殴られたようなショックを受けた。水だ、水風呂だ…
 これを追い炊きで暖めるには何分かかるのだ?そんなことわからないよぉ。とりあえず25分暖めてみるが、とても入れたものではない。さらに20分暖める。どうにか湯になった。お風呂の準備に1時間もかけてどうする気だ。どうにもこうにも…情けない限りである。

 話し変わって、マウスは消耗品だそうで、「適当な時期に買い換えなさいよ」と我がパソコンのセンセイからいわれている。「ワイヤレスのマウスもあるそうだが、どんなものだろう。我がパソコンのセンセイはロジクール派だが、私はエレコム派だ。エレコムのM-DY1URシリーズはどうだろう?でも、電池の取替えが10日ごとでは面倒だろうか?レーザー式のM-LS1URシリーズはどうだろう?
 マウスを買い替えたら気分も変わって失敗も減るかも?深刻に気が滅入っているわりには楽天的な私である。さっそく明日にでも買いに行こう。
2007年11月30日 9:43 | コメント (0) | トラックバック (0)

重い話と軽い口

 誰にでもさまざまな持論がありそれを自由に述べる権利もあるが、立場によってはそういう自由が制限される人もいるはず。知事公舎で開かれた懇談会で知事として発言する場合は、個人的意見と前置きしたとしてもただの持論など述べるべきではない。宮崎県名物の知事さんは「徴兵制があってしかるべきだ」と発言したらしいが、論理的に展開できないいいかげんな持論など口にするべきではない。
 いいいかげんな持論と批判した根拠は、徴兵制という言葉をその定義を明確にもせずいいかげんに軽く扱っているところにある。懇談会後には軍隊に限定した発言ではないと付け加えたらしいが、そんなあたりにも持論のいい加減さが目につく。

 「道徳や倫理観などの欠損が生じ、社会のモラルハザードなどにつながっている気がする」、「ある時期、規律を重んじる機関で教育することは重要だと思っている」というのが持論らしい。規律を重んじる機関とは社会そのものではないか。何処か特別なところではないはず。そこに道徳や倫理観などの欠損が生じているとすれば、その原因は何かを考えることが必要で、単純に教育が悪いだの足りないなどと簡単にはいえないはず。そのうえ、”道徳や倫理観などの欠損”が”社会のモラルハザード”につながっているとはどういう意味か?そもそも”モラルハザード”という言葉の使い方を間違えているのではないか?言葉の使い方を間違っている持論などゴミ箱行きである。
2007年11月29日 9:21 | コメント (0) | トラックバック (0)

近況報告

 インフルエンザに罹った人の数がじわじわと増えているらしい。私はまだインフルエンザに罹ったわけではないし具合が悪いわけでもないが、気力不足に陥ってしまった。夜眠れないわけでもないしとりわけ忙しいわけでもないが、元気が出ない。朝はいつもどおり4時半起床で食事の支度をし家族を送り出し一連の家事を滞りなく済ませるが、その頃には半疲れ状態で午後にもなればどっと疲れが押し寄せる。当然アンテナは働かず、ブログも書けず、そろそろ冬眠の季節だし………、といったようなわけで、これにて失礼。

<数時間後…>
 スーパーに行って驚いた。鏡餅がデーンと積み上げてあったのだ。倉庫にではなく売り場に。まだ11月だぜ、ふざけるな…といいたくなるような光景だ。そうでなくてももう11月もおしまいだ、今年もあとひと月だ…と焦っているのに、その気持ちに追い討ちをかけるようなことをしなくてもいいじゃないか…などど、1人で憤ってみても始まらないか。外箱ばかりが派手派手しく中身のない(個パックの餅が数個入ってるだけ)鏡餅なんてもう結構だ。

 とうとう崎陽軒まで商品の自主回収を始めているという。崎陽軒のシュウマイが大好きな人が「崎陽軒はだいじょうぶでしょうね」と心配していたが、原材料の表示に誤りがあったとして今日から東京と横浜の工場の稼働を停止しているという。記載する順番に誤りがあったというだけで生産自粛しなくてもいいと思うけれど。きちんとお詫びして訂正のシールを貼れば済むじゃん…などと言ったらいけないのかなぁ。崎陽軒の人がそう言うわけにはいかないかも知れないが、消費者はそれで許してあげてもいいと思うけれど、だめかしらね?ここで「崎陽軒よ、おまえもか!」などという社会は、嫌だなぁと思うけれど。
2007年11月28日 9:11 | コメント (0) | トラックバック (0)

食べる

 来年の通常国会で、学校給食法の改正案が出されるらしい。「栄養改善」から「食育」へとその主要目的が変更されるらしい。それにともない給食は「特別活動」から「学びの場」へとなるそうだ。そして『食の大切さや文化、栄養のバランスなどを学ぶ』のだという。

 なんだか窮屈だなぁ…食事は楽しく(特に子どもの場合は)というのが基本だと思うが、その場でいろいろ学ばなければならないとは…ね。子どもの食生活の乱れに対応するため「食育基本法」ができたそうだが、何をもって食生活の乱れというのだろう。
 歩きながら、電車のホームで、電車の中で立ってでも座ってでも、公園のベンチで、あらゆるところで人はものを食べている現状。あるいは、メガナントカというようなばかでかいハンバーガーや特大大盛りの丼ものやデカイスィーツなどの流行。空腹のためおにぎり1個をコンビニで盗むために人を殺してしまう人も現にいる社会。そういったものはどう捉えどう教えるのだろう。

 給食で学ぶには、難しい問題をあまりにも多く含んでいる。食育でさまざまなこと(食材の生産者や生産過程、流通や食文化)を学ぶのはいいとしても、給食の場でそれをするというのはどうなのだろう。戦後の食糧難の時代は過ぎたとはいえ、食べることは人間の生存のために欠かせないことにかわりはない。まずチキンとお昼を食べることが重要なこと。給食の時間はそれだけでいいような気もする。
2007年11月26日 9:35 | コメント (0) | トラックバック (0)

感謝の日

 今日は勤労感謝の日。「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう日」だそうだ。そんな祝日の朝刊に載っていた「トクホン」の広告に、『勤労感謝の日があるのなら、家事感謝の日があってもいいと思う』と書いてあった。なるほどそうかもね…と納得してしまいがちな言葉だが、よぉく考えてみるとこういう表現自体が勤労は貴いが家事は主婦がするあたりまえの事柄であるという意識がその根底にはあるようにおもう。家事労働も勤労の範囲内と捉えれば、並べて言うこともないはず。社会の意識はまだまだ…なんだなぁと、朝からため息がもれた。
 勤労感謝の日に主婦が夕食の支度を手抜きしたらイケナイのかなぁ…、今日はクリームシチュー1品で済ませようと思っているのだけれど。でも、こんなふうに思うこと自体が、私自身の意識も上の広告の意識と同じだということかも…ね?
2007年11月23日 9:15 | コメント (0) | トラックバック (0)

ミッドタウンのねこたち

 勇んで出かけた鳥獣戯画展はそれなりに楽しめたものの、一度に全貌を堪能することはかなわず、やはり物足りなさを感じた。前期後期と違った内容の展示をするというのは誰の案だったのだろう。サントリー美術館の方針か、それとも読売新聞の魂胆か…。絵巻物というものの性質上やむを得ないとはいえ、ミロのビーナスやパンダの初来日を思い起こさせるような遅々として進まない行列は苦痛だった。
 
 新しくなったサントリー美術館は東京ミッドタウンの中のビルの中にある。行き着くまでが大変だった。それにしても東京ミッドタウンとは大それた名前を付けたものだ。旗を持ったガイドさんに引率されたオバサマ一団がいたのには驚いた。東京見物の名所になっているのだろうか。3時のお茶にカフェを探すのにも一苦労だった。どの店も狭くテラス席ばかりだ。テラス席といっても庭に面しているわけではない。ビルの中の通路に小さなテーブルとイスが並んでいる。こんなスタイルがかっこいいとは思えないけれど、これがイマドキのカフェらしい。 
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 東京ミッドタウンのガーデンは中途半端なガーデンだ。何だかネェ…と歩いて行くと、思いがけないものに出会った。
1121-cat0397.jpg ”こん…” 1121-cat0396.jpg ”にち…” 1121-cat0398.jpg ”わ!”

1121-cat0388.jpg ”舐められ…” 1121-cat0387.jpg ”噛まれ…” 1121-cat0391.jpg ”背を向けられ…”

1121-cat0392.jpg ”睨まれた…”
 
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 こんなツリーも用意され、ねこさんたちもクリスマスを祝うのだろうか。
2007年11月22日 8:59 | コメント (0) | トラックバック (0)

お出かけ

 「鳥獣戯画がやって来た!」というので、それじゃ見に行かなくてはなるまい…ということで、きょうは六本木で”おのぼりさん”の予定。お天気もいいし、東京ミッドタウンのガーデンも紅葉が期待できそう。久しぶりにデジタルカメラを持って行こう。
2007年11月21日 8:54 | コメント (0) | トラックバック (0)

手荒れの季節

 関東地方に木枯らし1号が吹き荒れた日、大慌てで加湿器を出した。洗面所の足元ヒーターもついでに。いよいよ手荒れの季節の到来だ。爪はどちらかといえば短く切る方だが、指先の荒れ防止のためにこの季節ばかりは長めにする。手があけばどこででも両手をこすり合わせてマッサージする。まるでアライグマだ。それでも指先はいつもかさかさ、ひどいときは縦に亀裂が入る。きゅうりの塩もみなどすれば悲鳴が上がる。
 髪は乾燥して静電気が起きる。静電気が起きると髪は逆立つかといえばそうではなく、ぺたりと張り付く。髪だけでなく体全体に静電気を帯びる。もう何をしてもばりばり音がする。
 あぁ、そんな季節になったんだ…と思って窓の外を見ると、木々はすっかり色づき色とりどりの葉がはらはら舞っていた。どんぐりを5つほどプランターに埋めた。数年前に埋めたどんぐりは芽を出し、10cmほどのどんぐりの木になった。
2007年11月20日 9:06 | コメント (0) | トラックバック (0)

人権侵害

 北朝鮮に対するテロ支援国家指定を解除しないことをアメリカ政府に求めるため、福田さんの日程にあわせて渡米していた拉致被害者家族会の人たちは、不満を土産に帰国したらしい。福田さんはご挨拶をするためにブッシュさんを訪ねたのは、あの日程からも明らかだ。そこに過大な期待をし過ぎたのでは…と思うが、そんなことは決して口にしてはイケナイような風潮が世間には出来上がっているけれど、今日は敢えて口にしたいと思う。
 拉致被被害者とその家族の人たちの苦しみ苦労は大変なものだと思うが、未だに残る拉致被害者を救い出せないのは、それを政治問題にしてしまったからではないのか…と思えてならない。拉致被害者家族会の人たちが、政治的発言力を増すのに比例して拉致被害者たちは私たちの手から遠く離れていくように思えてならない。世界にはアムネスティもあるのだし、拉致被害も人権侵害の問題として捉えれば他の救出手段も考えられるのではないか…と思うからだ。
 でも、これだけのことを口にするのさえ勇気がいる。社会には、拉致被害者家族会の人たちの発言や行動に少しでも批判的な(本当は批判しているわけではない、違った考えを持っているだけだが)発言は許さないような空気が漂っている(そう感じるのは私だけ?)。めぐみさんなどは絶対に生きていると私は思っているし、一日も早く横田のお父さんとお母さんのもとに帰ることを心底願っているが、拉致被害者家族会の活動そのものには賛同しかねるところがある。
2007年11月19日 12:58 | コメント (0) | トラックバック (0)

目覚める

 日曜の朝も、「バロックの森」が始まる前には起床する。入れたてのコーヒー(キリマンジャロ)と焼きたてもトーストと朝刊と…、いつもの4点セットも整った。初めはBGMとして聴いていたが、途中で耳が引きつけられた。バッハの「パルティータ ニ短調 BWV1004」がギターで演奏されていた。魅了された。
 演奏はマヌエル・バルエコ。CDは「シャコンヌ J.S.バッハ&ヴィゼーを弾く」(東芝EMI TOCE-11633)。欲しいなぁ…買おうかなぁ…、でも「現在在庫切れです」じゃぁ買えないなぁ…欲しいなぁ…
2007年11月18日 9:33 | コメント (0) | トラックバック (0)

ゴキ・ブリ

 昨夜のことだ。鼻歌を歌いながらキッチンからのんびり出て行くゴキ・ブリのうしろ姿を目撃した。ちょ、ちょっとお待ち!と叫んだのはいうまでもない。大抵の生き物は愛でる私だが、ゴキちゃんだけはダメだ。な、なにか叩くものはないか?とあたりを見回して、目についたASAがくれた情報小冊子「暮らしの風」を引っ掴み、ちょ、ちょっとお待ち!とゴキちゃんを追いかけた。のんびり鼻歌を歌っていたゴキちゃんはキッチンを出て寝室に向おうとしていた。
 そんなところに入ってもらっちゃ困るので、待てぃ!とばかり「暮らしの風」で思い切り叩くと………あっけなく潰れた。心の裏側のずぅ〜っと向こうの片隅がチクと痛んだが、ゴキ・ブリだけはのさばってもらっては困る。どうしても困るのだ。

 別に悪さをするわけでもあるまいに…とは思うが、あの安っぽい茶色が嫌だ。偏平足みたいな薄平たい体つきも嫌だ。鼻歌にあわせて揺れる長い触覚も嫌だ。普段は地を這いずり回っているのに、突然羽根を広げて飛ぶのも嫌だ。叩くと簡単に潰れるのも嫌だ。食べ物を扱うキッチンに出没するのも嫌だ。ずっと我が家にゴキ・ブリはいないと思っていたのに居たのも嫌だ。触覚をふりつつ鼻歌を歌っていてもちっとも可愛いくなく愛嬌もないのが嫌だ。まったくもう…、塩でも撒いておこうか。
2007年11月17日 12:27 | コメント (0) | トラックバック (0)

レジ袋はエゴバッグ?

 久しぶりにスーパーで買物をした。レジで「エコバッグはお持ちですか?」と聞かれた。うむ、この聞き方は………。「お持ちでなければレジ袋を差し上げますが、本当は差し上げたくありません」ということだ。これまでは、「レジ袋はご入用ですか?」と聞かれたことはあったが、「エコバッグはお持ちですか?」と聞かれたのは初めてだ。
 この言葉使いの違いには大きな意味がある。「レジ袋はご入用ですか?」の場合は、「不要でしたらレジ袋のサービスは控えます」という意味だが、「エコバッグはお持ちですか?」の場合は、「エコバッグを持っているのがイマドキの常識ですが、もし持っていないならレジ袋のサービスをします」という意味になる(少なくとも私はそう理解した)。
 私はレジ袋はスーパーのサービスだと思っているので、当然のことのようにレジ袋をもらった(家に帰ってすぐにそのまま捨てたりはしない。十二分に活用してからゴミを入れて捨てる)が、こういう客はたぶん非協力的非エコ的人間だと思われているのだろうなぁ〜と、少しばかり悲しい気分になった。レジ袋を撲滅したいと思っているのなら、いちいち「エコバッグはお持ちですか?」などと聞かずにレジ袋を有料にすればいい。そうすれば、客は各々の判断でエコバッグを持参するなり有料のレジ袋を購入するなりするのだから。
2007年11月16日 14:12 | コメント (0) | トラックバック (0)

問題の在り処

 あまり信用できないY新聞の調査では、「出産を扱う病院がこの1年半で約1割減った」という結果が出たそうだ。また、「福島市では交通事故にあった人が救急搬送される際、市内の4病院で計8回受け入れを拒まれ、1時間余りにわたって治療を受けられなかった結果、6時間後に亡くなった」とも伝えている。つくづく日本は本当は貧しい国なのだ、と思う。

 一見受け入れを断った病院が悪いように思ってしまいがちだが、そうではないはずだ。それぞれの病院が断ったときの理由の「専門医がいない」「ベッドがない」などというのは、どれも事実なのだろう。救急の患者の応急処置をとりあえずするということを専門にした病院を充実させれば、こういった理由で治療を受けられないということは、少なくともなくなるはずだ。個々の病院の問題、個々の医師の問題にせず、社会のしくみ、病院のしくみを大きく変えないと解決しない問題だと考えた方がいいのでは…などと思ったりもする。
2007年11月15日 9:32 | コメント (0) | トラックバック (0)

かぐや

 かぐやから撮影したという「地球の入り」の写真はなんともいえずきれいだ。地球上から見る「月の入り」もとてもきれいだから人類は月見を楽しむが、月の何処かでは何かが地球の入りの美しさに見入っているのだろうか。
 月でも人類が生存できれば、そしてこんなきれいな「地球の入り」を眺めることができれば、世界は全く違ったものになっていたことだろう。人類は、唯一生存可能な惑星が地球しかないから地球上で争うのか、それとも他に生存可能な惑星があっても宇宙のなかで争うのか、それとも…。
 「地球の入り」の写真をみていると、地球上の権力争いなど何とつまらないことかと思えてくる。
2007年11月14日 9:04 | コメント (0) | トラックバック (0)

本の話

 今日も快晴。洗濯日和だと、どこかのお天気お姉さんが言っていたが、洗濯はほどほどにして図書館へ。「のりたまと煙突」(星野博美著 文藝春秋)があったが(以前、おもしろかったと薦められていた)、その気になれず。借りたのは次の4冊。
 「それからはスープのことばかり考えて暮らした」(吉田篤弘著 暮らしの手帖社)…またまた吉田ワールドだ。
 「本の気つけ薬」(出久根達郎著 河出書房新社)…本の気つけ薬だって?!軽く読めそうな本。
 「聖なるものを訪ねて」(古井由吉著 集英社)…コチラはじっくり読む本。
 「新技法シリーズ・菱刺しの技法 伝統の模様から現代作品まで」(八田愛子/鈴木尭子著 美術出版社)…こういう模様には異様に関心がある。

 図書館の本には、ときに貸出票が挟まれたままのことがある。今回借りた中の1冊にも挟まっていた。それによれば今月4日に貸し出され、返却日は18日だったがすでに返却されていたことがわかる。この1冊だけを借りたこともわかる。図書館で1度に1冊しか借りない人とはどんな人だろう。残された貸出票から、さまざまな興味が湧いてくる。
 こういうのは害はないが、東京の図書館では児童書に画鋲が刺さっていたという。どんな思いで画鋲を刺したのだろう。わざわざ図書館に来て画鋲を刺していくなんて、軽い動機の子どものイタズラ?それともなにか本に対して怨念でも?…ちょっと気にかかる。
2007年11月13日 18:34 | コメント (0) | トラックバック (0)

あの頃も今も

 昨夜は突然の雨、今朝は驚くほどの晴天。ずいぶん久しぶりに太陽の光を見た気がした。こんな朝は元気が出る。さぁ、1週間の始まりだ。
 昨日は本の虫になっていた。「空ばかり見ていた」を読み終えて。引き続き「されどわれらが日々――」を読み始めた。そして…、途中で3度も鳴った電話のベルに悪態をつきながら一気に読んだ。全てがあの頃にワープした。『団塊の世代が青春時代に愛読したベストセラー』などというフレーズに惑わされず、若い人ももう若くはない人も、かつて読んだ人もまだ読んでいない人も、ぜひ読んでみて欲しい本である。
2007年11月12日 9:26 | コメント (0) | トラックバック (0)

大切な1冊

 少しゆっくり起きた日曜日の朝、少しのんびり新聞を読んでいると、文春文庫今月の新刊の広告が目についた。その中に、柴田翔著「されどわれらが日々――<新装版>」があった。この本も、今では”団塊の世代が青春時代に愛読したベストセラー”といわれるらしいことにショックを受けた。「されどわれらが日々――」は、私の大切な1冊なのだ。漱石の「こころ」のように10年ごとに読み返すということはないが、心の奥深くと本棚の奥深くに大切にしまってある1冊なのだ。

 文春文庫のサイトでは、”何一つ確かなもののない時代を懸命に生きようとした二人の男女を描き、60年代〜70年代にヒットした青春文学の大ベストセラー”と紹介されている。すっかり過去の事柄のようにいわれていることに少なからずショックを受けたのだが、時代に関係なく若い世代が読むといい本だから文庫にもなりさらにそれの新装版を出版するのだろう。その意味からいえば、”団塊の世代が青春時代に愛読したベストセラー”などというキャッチコピーは適切ではない。何十年ぶりかに、読み返してみようか…。

*追記* 私がこの本を購入したのは、1969年7月26日だった。その時から特別な本だったのだろう、珍しく書き込みがしてあった。第1刷は1964年8月10日で、私が購入したのは第45刷だ。5年間で45刷とは、いかによく読まれていた(売れていた)かを物語っている。帯には「政治的人間の挫折・参加していない人間の空虚さ――傷ついた青春の群像を描く清冽な秀作」とある。評は、大江健三郎氏。ちなみに価格は340円。
2007年11月11日 8:58 | コメント (2) | トラックバック (0)

大切な1冊

 少しゆっくり起きた日曜日の朝、少しのんびり新聞を読んでいると、文春文庫今月の新刊の広告が目についた。その中に、柴田翔著「されどわれらが日々――<新装版>」があった。この本も、今では”団塊の世代が青春時代に愛読したベストセラー”といわれるらしいことにショックを受けた。「されどわれらが日々――」は、私の大切な1冊なのだ。漱石の「こころ」のように10年ごとに読み返すということはないが、心の奥深くと本棚の奥深くに大切にしまってある1冊なのだ。

 文春文庫のサイトでは、”何一つ確かなもののない時代を懸命に生きようとした二人の男女を描き、60年代〜70年代にヒットした青春文学の大ベストセラー”と紹介されている。すっかり過去の事柄のようにいわれていることに少なからずショックを受けたのだが、時代に関係なく若い世代が読むといい本だから文庫にもなりさらにそれの新装版を出版するのだろう。その意味からいえば、”団塊の世代が青春時代に愛読したベストセラー”などというキャッチコピーは適切ではない。何十年ぶりかに、読み返してみようか…。

*追記* 私がこの本を購入したのは、1969年7月26日だった。その時から特別な本だったのだろう、珍しく書き込みがしてあった。第1刷は1964年8月10日で、私が購入したのは第45刷だ。5年間で45刷とは、いかによく読まれていた(売れていた)かを物語っている。帯には「政治的人間の挫折・参加していない人間の空虚さ――傷ついた青春の群像を描く清冽な秀作」とある。評は、大江健三郎氏。ちなみに価格は340円。
2007年11月11日 8:58 | コメント (2) | トラックバック (0)

立冬も過ぎて

 冷たい雨が降る。寒い土曜日だ。こんな日は暖かいものでも…と、誰もが思う。gooを見るとグルメ&料理のところに「エリンギのグラタン風スープ」があった。キノコが苦手な私はもちろん食べないが、このレシピはメモしておこう。キノコ好きの人なら、にかぁ〜っと顔がほころぶに違いない。

 カップ麺も値上がりしそうだといわれている中、230円もするカップ麺が新発売されるらしい。いまどきのカップ麺は、だれそれの監修という謳い文句がつくらしい。商品名は「頑者 Wスープ仕込み濃厚和風ラーメン」。Wスープとは鶏がらと豚骨、和風とはカツオや煮干し、麺にはしょうゆや酵母エキスが練り込まれているという。ここまですれば濃厚にならざるをえない。しかし、濃厚だからおいしいかどうかはわからない。私はこんなどっちつかずの味は嫌い。

 冷たい雨が降る寒い土曜日の朝、駐車場で2匹の猫がにらみ合っていた。もちろん傘などささず雨に濡れて。”ブニャァッ!”、”ギャニャアッ!”と両者譲らずにらみ合いは続く。中腰で固まったままにらみ合いは続く。そのうち疲れてきたか座り込んだが、にらみ合いはまだまだ続く。そこへ人が通りかかり、なにやら声をかけたようす、2匹の猫は同時に走り出し車の下に。結局にらみ合いの決着はつかないままお流れに。シロちゃんとトンちゃんはそういう関係らしい。
2007年11月10日 8:59 | コメント (0) | トラックバック (0)

反省

 昨日は、ブログを書くのを忘れるほどあわただしく過ごした。やらなきゃ…と思いつつ放ってあったことなどを片付けていると、あっという間にお昼。一休みしてまた続きをしているとあっという間に夕方。やれやれふぅ〜と一息ついて、夜の部の用事を済ませるともう夜だ。あぁもうこんな時間…と思ったとたん睡魔がやって来た。明けて今日、まだ片付けておきたいことが残っている。
 今年は寒さが身にしみる冬になりそうだという。何もかもが値上げで、いっそう寒さが身にしみそうだ。昨夜からアンカを使い始めた。新しく買い換えたアンカだ。去年まで使っていたのは、調子が悪くなったので安全のため買い換えた。
 もっと地に足をつけて1日を過ごさなくては…と思うのに、気持ちはど〜んとつんのめっている。
2007年11月 9日 9:19 | コメント (0) | トラックバック (0)

秋の宵の空騒ぎ

 ……としかいいようがないのが、自民党と民主党の党首会談とそれに続くごたごた。大連立について党首だけで話し合ったというところが問題だが、それを裏で取り仕切ったのが、読売新聞グループ本社代表取締役会長の”あの人”であるというところはもっと問題だ。新聞社の代表だとはいっても国民を代表しているわけでもないのに、どうしてそんなことができるのか私には理解できない。
 もし大連立が決まっていれば一大事である。大連立は誰にとってよいことなのか、誰が望んでいることなのか、ソコのところを隠したまま、2人の党首だけで話し合うなどということが民主的だとは到底思えない。民主党の党首は、この際恥をさらしてでも党首を続けるしかない。そうすることによって、”あの人”が取り仕切ったといわれる2党党首会談を”なかったこと”にするしか手はないではないか。この際、秋の宵の空騒ぎは秋の宵の悪夢だったと思って…。
2007年11月 7日 9:28 | コメント (0) | トラックバック (0)

?&?&?

 大手百貨店が、中国製家具をイタリア製家具と表示して販売したという。当然のことのように不正表示といわれている。この場合の○○製は生産国を表している。しかし、中国で生産されたイタリア風デザインの家具があったとしたら、それでも中国製?イタリアの家具販売会社が、イタリア人がデザインした家具を中国で生産して輸出しても、それは中国製?

 比内地鶏の偽装の場合はどうだろう。地鶏の定義は、・国内在来種の血統が50%以上・生後80日以上飼育・28日目以降は1平方メートルあたり10羽以下の密度で地面を動き回れるように飼育、となっているそうだ。 しかし、その土地で育ったものという意味の地鶏もある。定義に合った地鶏に対するのはブロイラー。では、その土地産の地鶏に対するのは何?

 話は飛んで、アフガニスタンの駐日大使が、北部州での復興支援活動に当たる非戦闘目的の自衛隊派遣を日本に打診したという。自衛隊と名乗ってはいるが軍隊と変わらないことは、国内外で誰もが知っていることだ。自衛隊の派遣は、どこぞの国から”ちょっと出してもらえないかなぁ?”と言われて、”あぁ、いいよ、お安い御用だ”と言えるようなことではない。それをいとも簡単に、”ちょっと出してもらえないかなぁ?”と言われている。これはいったいどういうことなのだろう。アメリカに、”君んちも参加しろよ”と言われてイラク戦争に加担して、今度はアフガニスタンに”ちょっと来てもらえないかなぁ”と言われてノコノコ出かけていくつもり?
2007年11月 6日 10:17 | コメント (0) | トラックバック (0)

考古学

 考古学や地学、天文学といった分野は苦手である。そういうわけで、どこそこで何々が出土したとかいったことにはあまり関心が湧かない。ツタンカーメンの顔が公開されたと聞いても、見たいとは思わない。それどころか、そんなものを公開していいのだろうか…などと思ってしまう。

 その昔のまた昔、黄金のマスクをかぶせ、エジプト南部ルクソールの「王家の谷」の王の墓の奥深くに手厚く埋葬された少年王。人々はどんな思いで埋葬したのだろうか。遠い未来に掘り起こされ未知の人々にその顔をさらすことを望んで?…、あるいは未来永劫エジプトの地の底に眠り続けることを望んで?…、どうであったかはわからないけれど、なんだか空恐ろしいことをしているような気もするのだが…。
2007年11月 5日 8:46 | コメント (0) | トラックバック (0)

文化の日

 そういえば今日は文化の日だ、文化勲章の日だ。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日だそうだが、文化をすすめるとはどういう意味だろう。”すすめる”が平仮名で表記されているため、意味がわかり難い。文化という言葉もわかっているようで、説明せよといわれると説明しにくい言葉だ。
 朝日新聞社の「1冊の本」11月号で、稲葉圭信神戸大学大学院准教授が「イギリスの子育て・幼児教育事情(下)」という連載をしている。その最後に、『教育とはその国の文化、歴史、風土でもある。教育改革とは、その積み重ねへのチャレンジなのだ』と書いている。文化という言葉は、こういうふうにも使われる。
 旭日重光章を受賞することになっていたある前議員は、週刊誌で「山田洋行」による選挙資金丸抱え疑惑を報じられているため、受賞を辞退したそうだ。「特に高く評価される功績を挙げた」と認められても、裏で疑惑を持たれるような事をしていてはダメらしい。
2007年11月 3日 18:42 | コメント (0) | トラックバック (0)

オカシナ国のオカシナ人々

 変化は急激ならすぐに気がつくが、緩やかだと気付かない。気付かなくても振り返ってみれば大きな変化が起きていた、ということが現実にはある。本当はオカシナコトも、徐々におかしくなっているうちは気付きにくい。しかし変化は確実に起きているのだ。私たちの国、日本は、確実にオカシクなっている。オカシナコトをオカシイとも思わないほどオカシクなっている。
 「防衛省は、幹部の休日の行動を把握するため、GPS機能付き携帯電話の所持を義務づける方針を固めた」という。常に連絡がつくように携帯電話を所持させるというのなら理解できるが、「休日の行動の監視のため」だというのは、なんともなんとも…である。それも、接待漬けになっていた前事務次官のせいである。この事のオカシサをオカシイとも思わず、しごく真面目にしごく深刻に、「危機管理官庁なので(幹部が)居場所を明らかにするのは当たり前。行動が把握されるのが嫌だったら、そんな人は防衛省にいなくていい」と防衛相は言う、このおかしさ。
2007年11月 2日 10:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

値上げの11月

 今日から11月。”もう”11月…だ。カレンダーも、最後の1枚がぺらぺらとかかっているだけ。焦ったところで何も始まらないが、「あぁ、また年をとるのだ」と思うと少し焦る。

 マンションの中庭の木々が色づいてきた。やはりもう11月だ。そして11月といえば、何もかもが値上げである。電気やガスから、灯油にビール、日常の食料品の数々まで、さまざまなものが値上がりする。原料のとうもろこしが値上がりすると、それを餌としている鶏の卵が値上がりする。ニワトリちゃんが元気にこれまでと変わらず卵を産んでいても値上がりする。やれやれである。

 例えば…「1万円以上の買物をすれば2千円割引きの特典付き」という場合、本当に欲しいものは8千円でも、”あってもいいな”と思うものをついでに買って1万円にして2千円割引きの特典を付けてもらったほうが得か、それとも本当に欲しいものだけを8千円出して買った方が得か、本当に欲しいもののうちひとつはその特典の対象外の商品だった場合はどうか…、支払いが9千円になっても特典付きの買物をした方が得か…、迷うところである。
2007年11月 1日 8:49 | コメント (0) | トラックバック (0)